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午前七時の調香師  作者: 佐倉真由
第4話 ヴィエルジェ・ブルー
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「ただの女の子、かあ……」


 ぽとりとジョゼが零した独り言は、文字どおり「ぽとり」と音を立てて、ジョゼが持っていたティーカップの中に落ちて行った。ほわりと香り良い湯気を立てる紅茶の色が、ジョゼのまとまらない思考を映すかのように、七色に変わる。


「考え事かね、調香師殿」

「……んーん。そんな大したものじゃないわ。はい、次どうぞ」

「ふむ。段々と指し手を理解してはきたようだな」


 今日も今日とて、「茶会日和」だ。

 人の世で何が起きようと、悪魔の茶会は変わらない。

 とある客は空っぽのティーカップから「何もない」を啜り、また違う客は音も身振りも手ぶりもないが、会話を楽しんでいる――何しろ、トルソの彼女たちには首から上と四肢が無いのだ。


 この茶会には常識なんてものは無いし、時間の進み方すらも現実とは違う。そんな、普通の感覚でいれば眩暈がするような異空間にも、もうすっかり慣れてしまった。悪魔が魔法のティーポットを準備する間、相も変わらず勝てもしないチェスを指していれば、対面の巨大脳みそが白の駒をのんびりと動かしながら言った。


「ところで調香師殿、今日はポットが二つだと聞いたが」

「ええ。今日はアンナ様の香水の仕上げと、もう一つクロードさんからも依頼を貰ってるから、それもね。その話はしてなかったっけ?」

「ほう? 初耳だったな。『クロードさん』、なるほど、近頃よく名を聞く男か。ずいぶんと仲が良いようで何よりだ」

「……変な関係じゃないわよ?」

「私は何も言っていないのだが、これを語るに落ちると言うのか、はて?」


 ひょひょひょ、とお馴染みの笑い方でにやつく【賢人】に、ジョゼはムッと口を尖らせる。それから片眉を上げて、口をへの字に曲げた。珍しく、からかい方がしつこいような気がしたのだ。

 この、男だか女だか、中身が老人だか子供だかも分からない奇妙な胎児は、ジョゼをおちょくることを生き甲斐としている節がある。だが、【賢人】という呼び名のとおり距離の測り方も絶妙で、必要以上に深入りしようという気はないようだった。少しつついてジョゼの様子を見て、それで満足して手を引くような。

 けれど、今日はジョゼを罠にかけるようなことを言い、話を終わらせてやろうという様子がない。


 興味がありそうな話題でもないと思うのだけれど。そう内心首を傾げながらも、ジョゼは首を振る。


「本当にそういうんじゃないったら。変な話、顔は確かに好みなんだけど何ていうか……惚れた腫れた以前に不思議と赤の他人とは思えないって感じ……? 普段話しにくいようなこともつい話しちゃうのよね。……まあ実際のとこクロードさんとあたしはただの協力者、今回の事件で手を組んだだけだわ。もちろん信頼はしてるけど、それはそれよ」

「ふむ。それだけ波長が合うと感じておいてなお、友人でもなく協力者ときたか。ということはつまりだな、花祭りが終わればサヨウナラというわけだ。それはまた寂しい話ではないか? 調香師殿は、それでいいのかね」

「それはまあ……」


 言われて、はたと目を瞬いたジョゼの表情が、少しだけ陰った。そのことについて考えたことがなかったわけではないけれど、あまり積極的に考えようともしてこなかったのだ。

 すっかり忘れかけていたが、クロードは王都の軍人である。彼は今、アンナを守ること、ひいては王家の敵の野望を阻止することを目的として、しばらくこの島に滞在しているだけだ。花祭りがつつがなく済み、サン・ローラン街に日常が戻って来る頃には、きっと王都行きの船に乗って帰ってしまう。言われてみれば、顔を突き合わせて話ができるのは、長くてせいぜいあと一週間程度のものだろう。

 島から大陸への船も、平時であればそう頻繁に出ているわけではない。手紙の類だって王都と往復するまでにひと月はかかると聞く。そもそも、ジョゼは手紙というものに明るくない。となれば、きっとここで別れればそれきりだ。【賢人】は不思議そうな顔をしたけれど、ジョゼとクロードはやはり「友人」と呼べるような関係ではないのだから。せいぜい、ジョゼの香水を気に入ってくれれば、また連絡をくれるかもしれない程度のもので。

 じっと口を閉ざして考え込んだジョゼに、【賢人】は意味ありげな含み笑いを向ける。……やはり、今日は普段よりも意地悪だ。

 それが何だか癪で、ジョゼは眉をつり上げた。


「……それより! あなたに『寂しい』なんて感傷を理解する情緒があることに驚いたわよ、いっつもずけずけ物を言うくせに」

「いや、すまない。彼のことには、私も少々個人的に関心があるのでね。しかし、口の方もやり返すようになってきたじゃあないか。指し手は相変わらず甘いが」

「あ!」


 小娘にチクリと言い返されたところでどこ吹く風。【賢人】は愉快げに駒を進め、ジョゼの黒い陣地はどんどん追い詰められていく。渋い顔で唸るジョゼをまた笑うものだから、もう、と大きな溜息を吐いて肩を竦めた。


「降参! 今日は良い線行ったと思ったんだけどな」

「そう思わせて敵の油断を誘うのも策の一つなのだよ、調香師殿。あなたの性根の素直さは美点ではあるが、こと戦略ゲームにおいては不利となる。例えば、ギャンビットという手をご存知かね?」

「ギャンビット?」

「うむ」


 短い指先を盤上に翳し、【賢人】は頷く。ひらひらと手を動かすと、両陣営の駒が元の場所へと戻って行った。何が始まるのかとじっと見つめていれば、本日のゲームの初手とそっくり同じものが繰り返される。【賢人】の白いポーンがぽろぽろと脱落していき、一見ジョゼが押しているかのように見えるその光景。まさか、それが実は罠だったということか。

 首を傾げると、【賢人】はゆったりと煙管の煙を吐き出して「然り」と頷いた。


「利点は様々ある。こうすることで展開が早くなり、攻めやすくなったりな」

「でも、ポーンを失った分、取り戻すのが大変にならない?」

「着眼点の違いだ。視点を変えてみれば良い。ポーンは『失う』のではない。ポーンを『死なせる』ことで相手を誘い出し、他の駒を生かすのだよ」

「……死んだふりみたいなもの?」

「まあ言いたいことは理解する。ニュアンスは全く違うのだがね。現実にも、そういったことは往々にして起きるだろう?」


 肉を切らせて骨を断つ。つまりはそういうことだ、と【賢人】は言う。ピンとこない様子のジョゼに、まるでかわいらしさのかけらもない巨大脳みその胎児は、ぷかぷかと輪っかの煙を吐きながら言った。


「例えば、『私』を産み損ねた母親は田舎の農家の妻だったのだがね。農作業においては、発育の悪い芽を切り、大きくずっしりとした実を育てることが肝要とされる。要するに、何を目標と置くのかだ。最終的にチェックメイトできさえすれば、ポーンを失った数など問題ではないのだよ。身軽になることも時には必要だ」

「そう、その者が何を得たいと望むのか。肝心なのはそれだけさ」

「おや悪魔殿。もうタイムアップかね」

「やあ【賢人】、すまないね。だが、実に興味深い話だったよ」


 ふわりと柔い風と共に現れた赤毛の悪魔は、にたにたと目を三日月型に細めてジョゼに目配せする。準備ができたのか、と腰を上げかけた彼女に、悪魔は言った。


「ねえジョゼ、本当にためになる話だったろう。()()()()したくなければ、よぉく思い出すことだ。君の鼻が『拾わなかった』不自然が、どこかにありはしなかったか」

「……どういうこと?」


 ゲームの勝敗はもうついた。では、「もう一敗」とは?

 眉を寄せたジョゼに、分からないかい、とくつくつ肩を震わせて、悪魔は目配せする。それと同時に、ジョゼの視界がぶわりと滲んだ。


「ちょ、っと……なに?」

「思い出させてあげようと思って。さあ、事件の記憶を初めからだ。君は重大な見落としをしているはずだよ、ジョゼ」


 くるくると、勢いよく記憶が瞼の裏を回り出す。

 ルネが店に生花を持ち込んだあの日。トマがアンナを連れてきたこと。アンナの依頼を受けたこと、皆でトマの絵を眺めたこと。アンナと仲良くなったこと、彼女の侍女とルネを交えた四人で、メロンタルトを食べたこと――そして、クロードとの出会いと、初めの事件のこと。


 高速で流れていく記憶の奔流に、目が回る。悪魔が再生したジョゼのこれまでは、ジョゼが覚えているとおり。見落としも、おかしなことも、一つもないではないか。強烈な眩暈に目を閉じてうずくまったまま、文句でも言ってやろうと口を開きかけた時だった。


「……、あ」


 ジョゼが、「何もない」を見つけてしまったのは。

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