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午前七時の調香師  作者: 佐倉真由
第3話 はちみつとトラバサミ
22/37

「最近、つけられてる気がするんだ」


 ルネが出かけ際のジョゼにそう耳打ちしたのは、花祭り当日を十日後に控えた朝のことだった。軽く瞑目し眉を顰めたジョゼに、彼は頷いてみせる。


「私服の兵士さんたちが遠くから見てくれてるから、不安はないんだけどさ。祭りも近いし、このところ自警団も目を光らせてるせいか、犯人の動きもないし。そろそろ焦って仕掛けてくるんじゃないかって言ってた」

「……油断しないでね」

「うん。ジョゼも気を付けてね。今日はクロードさんのお迎えは?」

「来てるんじゃないかしら。いつも通りの隅っこに立ってるのよね。堂々と普通に声掛けてくれればいいのに」

「……きみってほんと心臓に毛でも生えてそうだよねぇ」


 しみじみと失礼なことを言った幼馴染に眉を吊り上げ、どういう意味よと額を小突く。少し乱れた前髪を大げさに嘆いたルネは、手櫛で整え直しながら言った。


「ぼくはクロードさんの気持ちの方が分かるもん。自分がもし四六時中あんな魔王みたいな威圧感放ってたら、そりゃ声掛け一つだって気兼ねしちゃうよ。仲良くしたい相手に怖がられるって、想像しただけでも結構堪えるしさ」

「あたしクロードさんを怖がったことなんて無いのに、そんな想像する必要ある?」

「全人類がジョゼくらい図太かったら、この世に芸術は生まれてないんだろうなぁ」


 やれやれと肩を竦め、ルネは笑う。何よ、と口を尖らせても、これ以上何かを言うつもりはないらしい。そうして、ひらりと手を振った彼が戸口へ向かおうとした時だった。とんとん、と控えめなノックの音がしたのは。


「あれ。噂をすればクロードさん?」

「……珍しいわね。何かあったのかしら?」


 それにしては、ノックの後がずいぶんと静かだが。ジョゼはルネと顔を見合わせ、首を傾げる。女将さんは中庭で洗濯をしているはずだし、こんな時間にルネの家を訪ねてくるとしたら気心知れた近所の人くらいのもので、彼らはノックなんかせず声を張り上げて女将を呼ぶことが多い。

 じわり、微かな不安が胸に落ちて広がった。ルネの綺麗な藤色にも同様の色が浮かんでいて、どちらからともなく手を取り合う。口を開いて出てきた声は、薄ら掠れた囁き声になった。


「……ルネ、勝手口の方から兵士さんに合図できる?」

「もちろん。君は?」

「少し時間を稼いでから戸を開けるわ。外にいるのが知らない人で、クロードさんが今日も通りの向こうに来てくれてるなら、多分おかしいって気づくと思うし」

「……じゃあ急いで呼んでくる」

「気を付けてね」

「うん……。きみもね」


 気は進まない、とでかでか書いてあるような顔でルネはそう言うと、言葉通りの急ぎ足で勝手口へと向かった。眩い金髪が廊下の奥へ消えてから、ジョゼはこっそりと深呼吸をして、玄関に忍び寄る。


「はあい、どなたですか?」

「……」

「ごめんなさい、今ちょっと女将さんは手が離せないんです。何かご用でしたら、あたしが代わりにお聞きしておきますけど」

「……」

「もしもし? あら? まだいらっしゃいます?」


 ゆっくり、ゆっくりと傍へ寄り、耳を澄ます。押し殺した呼吸に、見知らぬ誰かの「におい」。扉の向こうにいるのが隣人でもクロードでもないのは確かだ。緊張と恐怖で手が震え、指先の感覚がない。声だけは震えないようどうにか腹に力を入れて、ジョゼはドアノブに手を伸ばした。


「お、……おかしいわね? 気のせいだったのかしらー……?」


 引っくり返りそうになる声を叱責し、くるり、ドアノブを回す。いざとなったら扉を盾にできるよう、ぺったりとドアの裏に貼りついたまま。そして、かちゃりと音がした瞬間のことだった。


「っ、あ、痛……っ!」

「……」


 ガッ、と勢いよく戸が押され、強か額を打ち付ける。よろめいて尻もちをついたジョゼの目の前に、鼻から下を覆面で隠した男が立っていた。ぎろりと見下ろす冷めた瞳は、色だけ冷たいクロードの灰色とはまるで違う。何の感慨もなく、何の感情もなく、きっとこの男はジョゼを殺せるのだろう。その手に握った大きなナイフをジョゼの喉へと突き立てて、鶏を絞めるよりもずっと気軽に。


「ひ……」


 悲鳴が喉から迸ることはなかった。声は凍り付き、喉は一瞬で干上がって、頭の奥がガンガンと痛む。早鐘のように鳴る心臓の音が、濁流のように流れる血が、そのまま耳元で轟々と音を立てているようだった。冷たい床にへたり込んでいるはずなのに、暑さも寒さも分からない。必死に後退って逃げようとしたけれど、手足が上手く動かなくて、身体が動いているのかどうかも判断できなかった。

 汚れた刃物がジョゼを見ている。開け放された扉から入る明るい陽射しが何とも場違いで、場違いついでに「ああ、そう言えば朝だった」なんてどうでもいいことが脳裏を過った。


「お前がこの家の『花冠の乙女』か?」


 それは違う、のだけれど、言ったところでどうにもならない。ジョゼはふるりと肩を震わせて、どうにかカラカラの喉に唾を送り込んだ。


 これから自分は死ぬのだろうか。

 ルネが兵士を呼んで戻ってくるまで、命があるかどうか。

 何も気づいていないのだろう女将さんに逃げてもらわなければならないのに、逃げてくれと叫ぶことすらできそうもない。


「や……っ」


 引き攣った音がようやく喉から漏れ出した。ひゅっと息をのみ、目を瞑り、振り下ろされる刃から頭を守ろうと両手を上げて、そうして――


「ジョゼ!!」


 晴天を高らかに突き抜けるような鋭く乾いた音が、鼓膜を鈍く震わせた。刃物を構えていた男の手が目の前で破裂し、血肉が爆ぜ散る。後に続くのはツンと鼻につく火薬のにおいと男の呻き声、それから「誰かが撃った」という事実だ。


「早く、こっちです! 早く!」

「その男だ、捕らえろ!」

「誰だ撃った奴は!?」

「それより少女を保護しろ、急げ!」


 廊下奥から重いブーツの足音が続々と駆け寄ってきて、ジョゼは目を瞬いた。飛び散った肉片らしきものが頬に付いている気配がして、気持ち悪かったし恐ろしかったけれど、腕も足も相変わらず痺れて動かない。目の前で兵士たちに取り押さえられる覆面の男を呆然と見つめていれば、いつの間に戻って来ていたのか、柔らかな金髪の誰かにぎゅうっと抱きしめられた。そうして嗅ぎ慣れた親友の匂いと温かさにホッと息を吐いたところで、ジョゼは自分が上手く呼吸できていなかったことに気が付いた。

 ひゅうひゅうと喉が鳴る。暴れる心臓はしばらく止まってくれそうにない。けれど、この息苦しさは生きているということの証明だ。信じられないような思いで、じんわりと冷たく痺れる両手の指を握り込む。


 あの瞬間、あの状況で「撃った奴」など、ジョゼには一人しか心当たりがなかった。いつも柔らかに囁くような声が、銃声に劣らぬ鋭さでジョゼの名を呼んだことに、ジョゼは少しだけ衝撃を受けていた。


「……良かった、無事で」


 見下ろす顔はお決まりの無表情。「良かった」だなんてちっとも思っていなさそうな顔なのに、声は微かに震えているし、怯えたジョゼをこれ以上怖がらせまいとわざわざ膝をつき、視線を合わせて名を呼んでくれる。こうして血と硝煙の臭いを纏わせていてすら、この底抜けに優しく繊細な魔王面の男が「戦場」そのものであるとは、やはりジョゼには思えそうもなかった。


「変に周りを気にしているから、おかしいとは思ったんだけど。ごめん、様子を見過ぎた。……怖い思いをさせたね」

「……怖くないわよ。ルネが助けを呼びに行ってくれてたし、万が一の時はクロードさんが助けてくれると思ってたから、戸を開けたんだもの」


 この人は、ジョゼを裏切らない。

 どうしてだか、魂の奥底に刻まれたかのように過るその言葉が、凍えた心をゆるゆると溶かしていく。


 苦笑しようと思ったのに、細めた目からぽろりと零れたのは、ぬるい涙の雫だった。

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