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午前七時の調香師  作者: 佐倉真由
第3話 はちみつとトラバサミ
20/37

 どんなに凄惨な事件が起きようと、日が高い間の町は相変わらず賑やかなものだった。初めの事件から二週間近くが経過し、ルネを囮にする作戦も既に始まっている。サン・ローラン街を包む活気は多少陰りはしたかもしれないが、それでも十分すぎるほどに日々は騒がしいまま。ジョゼの仕事もこれと言って減ることはなく、今日も幾人かの少女たちが代わる代わる、食い入るようにショー・ケースを覗き込んでは小瓶を携え帰っていく。


「試してみませんか?」


 少し早めの閉店間際。ぽつんと一人居残って、迷うように視線を彷徨わせている少女に、ジョゼは声を掛けた。彼女は少し悩んだ風ではあったが頷いて、ジョゼへと向き直る。

 棚から小瓶を幾つか取り出すと、ジョゼは少女の手首にちょんと一滴、彼女が熱心に見つめていた香りを垂らした。


「擦らないで、そのまま嗅いでみてください。今は、少し鼻を刺すようなハッキリした匂いがすると思います。これはオレンジがメイン。時間が経つと、もっと甘くて丸い香りになっていくんですけど、そちらは主に……」


 ゆっくりと説明しながら、ジョゼは机に小瓶を並べていく。店頭に並べているのは「ルール・ブルーの香水」とは違い、先代から受け継いだレシピや、ジョゼの好みで調香したものだ。瑞々しい果物籠をイメージしたもの、甘いショートケーキを表現したもの、そして勿論「基本」の通り、様々な花の香りに変化を添えたもの。至って普通の方法で作られた香水たちは、先代の意向により、その場で量り売りされている。

 王都の高級店の調香師が見れば卒倒しかねないような値段とスタイルではあるけれど、幸い「おばあちゃん」もジョゼも欲の薄いたちで、店だって半分趣味でやっているようなものだ。収入など、その日食うに困らなければそれでいい。


「……素敵」


 先の少女が、ふわりと頬を紅潮させて呟いた。オレンジをてっぺんに積んだ果物籠の香りは、徐々にふくよかで柔らかな匂いへと変化し、最後に肌の上に残るのは愛らしい桃の雫だ。ジョゼよりいくらか年下らしき少女本来の丸い香りにも、きっとよく似合う。

 小さな小さな瓶に、ほんの少し。それでも満足げに微笑む少女を見送れば、本日の営業は終了だ。看板を下げて戻れば、今日もまた奥隅の壁際に座り、じっと本を読んでいたクロードがちらりと目を上げた。


「お疲れ様。今日はここまで?」

「ええ、今のお嬢さんでおしまい。……というかクロードさん、その椅子ずっと座ってるとお尻痛くならない? たまには立ったりしていいのよ……?」

「このくらい平気だよ。もっと狭いところに三日座ってたこともある」

「そういう問題じゃないわよ」


 呆れて肩を竦めるジョゼに対し、クロードの表情筋は相変わらず微動だにしない。……が、よく見れば眉尻が僅かに垂れている。何とも分かりづらい表情の変化に苦笑を漏らし、ジョゼは言った。


「気を遣わなくても平気よ、みんな香水の方に夢中なんだから。あなた、どうせ『僕がいると分かるとお客さんを怖がらせるから』とか思ってるんでしょ」

「……よく分かったね」

「分かるわよ、ここんとこ毎日ずっと一緒にいるんだもの」


 確かにクロードと言えば、そこらの男性と比べてもかなりの長身な上、顔には絶対零度の鉄仮面を貼り付けた青年である。香水店に来るようなふわふわとした少女たちからすると、不意に立ち上がって見下ろされただけでも縮み上がりそうなほどに恐ろしい生き物かもしれない。

 とはいえ、怖いのは顔だけだ。その顔だってやはり、ただ本に視線を落としている横顔だけなら怖くも何ともない、むしろ「美しい」と表現するに足る形をしていた。どことなく物悲しい雰囲気の、ミステリアスな美男子が近頃ジョゼの店にいるらしい――そんな風に、噂好きな奥様方の井戸端会議の話題となっていると、下宿の女将に聞いたのは昨日のことだ。クロードが店に来た初日から、客の反応を見る限り遅かれ早かれそうなる気はしていたが、思っていたより主婦たちの情報網は優秀だったようだ。

 女という生き物は老いも若きもなかなか現金なもので、特に用があるわけでもない女友達もこのところ頻繁に顔を出す。紹介しろだの何だのとせっつかれずに済んでいるのは、こう言ってはなんだが事件のおかげである。


 眉間に皺を寄せた恐ろしい顔、に見えるが実際は恐らく何も考えていないのであろう仏頂面で、クロードは入り口の方を見つめながらぽつりと言った。


「……この店の客は」

「ん?」

「みんな笑顔で帰っていくから、余計に。水を差したくないと思って。……僕には商売のことも、香水のことも、よくは分からないけど……先代のマダムは良い弟子を持ったね」

「……だといいけど!」


 ゆったりと柔らかな声音に告げられて、ジョゼは照れ隠しに頬を掻く。ぱたぱたと顔を手で扇ぎ、先ほど出した小瓶を手早く片付けながら、ふと表情を陰らせた。


 ほんのちょっぴり特別な気分で一日を過ごしたい――そんな願いを叶えてあげるのがマダム・ルブランの仕事だと、先代はよく口にしていた。ジョゼはそんな先代の理念を技と共に受け継ぎ、大好きだった「おばあちゃん」の名に恥じぬよう、日々努力を続けている。けれど、肝心の「ルール・ブルーの香水」は、どうなのだろう?

 手元にある香料だけでは理想通りの香りを作ることができないからと、僅かとはいえ悪魔の力を借りてしまっている。確かな実力を持ち自律できていた先代と違って、まだまだ未熟者のジョゼは心が弱く、ちょっと自信を失うたびに悪魔に頼りたくなってしまうのだ。

 そのせいか、ジョゼが作った初めての「ルール・ブルーの香水」は、ちょっとした幸福を運ぶおまじないの品ではなく、不幸までも呼び込む魔性の香りとなってしまった。あれきり一度も「失敗作」など作ったことはないし、その「失敗作」を受け取ったルネは気にし過ぎだと笑ったけれど、頼み込んで返してもらうほどにはショックな出来事だったのだ。あれ以来、ジョゼはジョゼの感じ取った剥き出しのイメージそのものではなく、もう少しだけ一般的な――重要な香りの邪魔をしない程度に面白味のないフレーバーを、自戒として付け加えることにしている。

 小さく溜息を吐き、ジョゼは首を振った。


「あたしの力じゃないわ。あたしは、その……ちょっと甘えて、ズルしてるもの。失敗したこともあるから、これで良いのかなって思う時もあるの」

「ズル?」


 こてり、と首を傾げたクロードに、ジョゼは苦笑を返す。悪魔のことなど、言ってもきっと信じてはもらえないし、信じてくれたとしても危険だと言われてしまうだろう。だから、ただ「他人の力を借りているのだ」と伝えるにとどめた。

 じぃっとジョゼを睨むように見つめていた灰色が、少しだけ戸惑うように揺れる。


「……仕事はつらい?」

「まさか。大変なことはあるけど、あたしはこの店を誇りに思ってるし、暗い顔をして来ても必ず笑顔で帰っていくお客さんたちが好きよ」

「それなら、充分立派だと思うけどな」


 クロードはゆっくりと顎を指先で撫で、うん、と小さく呟いた。それから一つずつ言葉を選んで、噛んで含めるように語り出す。


「僕は、今は軍人なんて肩書を頂いているけど、元々は傭兵だったんだ。住んでた村が焼けて、家族も行くあてがなくて……だから、まあ、ほとんど子供の内から銃や剣を持って、戦場を転々としてた」

「それは……」

「特別、戦うことをつらいと思った記憶はあんまり無いよ。死にかけたことだってたくさんあったし、家族や仲間が死んだ時はもちろん悲しかったんだけど……涙が枯れても、笑えなくなっても、僕にはもう剣を振るうことしかできなかったから。殿下が拾ってくださっていなければ、どうなっていたか分からない」


 すい、とクロードの長い指が空を滑り、小瓶を持つジョゼの手を指した。


「だから……そうだな。僕の手は殺すことしかできないけれど、君の手は、狡くたって誰かを幸せにすることができる。それは、やっぱり胸を張っていいことだと思うんだ」

「……傭兵や軍人だって立派な仕事よ。あたしたちを守ってくれてるんでしょう?」

「立場が違えば、殺す側にもなり得るよ。僕の『香り』は、血と硝煙だろう」

「ううん、違うと思うわ」


 きっぱりと首を振ったジョゼに、珍しく目を丸くして驚いた様子のクロードが首を傾げる。出会ってこのかた基本的に表情という表情のない顔ではあるけれど、彼という人物はとにかく自罰的で遠慮がちだし、本人がそう思っていなかったとしても善人と呼ぶに足る青年なのだとジョゼは思うのだ。「王都の軍人」だなんて、おおよそジョゼには縁のない世界に住む彼は、その外見やイメージとは裏腹にとても柔らかで、繊細な心を持っているのではないかと。


 笑顔を作ろうと試みているのだろう、けれど少し引き攣ったような困り顔になったクロードが、ぽつりと言葉を零す。


「君は、本当に僕のこと怖がらないね。不思議な気がするよ……もちろん、悪い意味じゃなく。そうだね。君に僕がどう見えているのかは、気になるかもしれないな」

「教えてあげたいけど、ちゃんと頼んでくれなきゃ作れないルールなの」

「……じゃあ、この島の思い出に。僕を笑顔にしてくれますか、マダム・ルブラン」

「喜んで。承りましたわ、ムッシュー」


 相変わらずの鉄面皮に、くすりと笑って頷いた。

 凍り付くほど冷たい灰色の無表情が紡いだ「ありがとう」は、ほんの少しだけ、楽しげ弾んだように聞こえた。

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