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午前七時の調香師  作者: 佐倉真由
第2話 チェスの作法
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「待て! この……ッ、待ちなさい!」

「……っ」


 路地裏を駆ける足音が二つ。

 軽やかに飛ぶような足音と、ぱたぱたと無駄に回転数が多い少女の足音。角のゴミ箱にぶつかって倒し、小石をいくつも蹴り飛ばし、肺と心臓が悲鳴を上げてもジョゼは走った。目の前を走る男と比べればきっと体力も体格も劣ってはいるけれど、幼い頃からこの町で暮らしてきたジョゼには、圧倒的な地の利がある。逃げているうち、男はいつの間にか袋小路に追い込まれ、とうとうジョゼの手が男の背中に追いついた。


「やっ……と捕まえた……!」

「……参ったな」


 飛び掛かるように服の背を鷲掴みにしたジョゼは、ぜえぜえと肩で息をしながら顔を上げる。対して男は汗一つかいていないような様子で、実に迷惑そうに振り向いた。


「あの、何か?」

「こっちの台詞よ! あんたが昨日今日と暗がりでコソコソ何してたのか、教えてもらいましょうか!」

「何って、僕は何も……ううん。困ったな……」


 男は溜息と共に両手を軽く上げる。吐息混じりの小さな声は、鉄仮面から想像していたものとは正反対の柔らかさで、ジョゼは少し毒気を抜かれてしまった。

 振り回されて金具が曲がりかけたランプを直し、掲げてまじまじと顔を見れば、僅か不機嫌そうにすら見える仏頂面は随分と整っている。そのせいで余計に冷たく見えるのだろう。どちらかと言えば細身だが、見上げるほどに背が高く、それがまた威圧感に拍車をかけていた。長めの前髪の下から覗く瞳は、冬の曇り空の色をしている。髪は黒く、春に着るには少々野暮ったい詰襟の服もまた黒で、夜闇に紛れるには良いだろうが昼間はさぞかし浮いてしまうことだろう。

 さて、男が思っていたより素直に足を止めたとか不覚にも顔がちょっと好みだったとか、ついでに何だか似た顔を知ってる気がするだとか、意外なことは幾つかあったけれども、そんな不審な恰好で夜中に動き回っている時点で怪しさ満点であることに違いはない。ジョゼは気を取り直して男の腕を捕まえると、眉を吊り上げた。


「……何もしてないなら、逃げる必要ないでしょ!」

「そんなこと言われても……あんな射殺すような目で睨みつけられた上に追いかけられたら、誰だって逃げるよ……」

「そ、そんなに? まあそれはその、……悪かったわね……。でも、何も用が無いならあんなところにいた理由が……昨日だってあなた、マリーが死んでたすぐそばにいたのに逃げたでしょう。覚えてるのよ、あたし」

「ああ。君、やっぱり伯爵令嬢と一緒にいた子か。昨日はちょっと訳あって、君たちを尾行していたからあそこに……それについては事情があるんだけど、その、ごめん。今日はまた別件で男を追っていたんだ。……と言っても信用できないか」


 声色は言葉通りに弱り切っているのに、男の表情筋はぴくりとも動かない。見た目と声音のどっちが本心なのだか分からず、困ったジョゼは頷いた。男は僅かに眉を寄せ、魔王もかくやという冷淡な表情のまま、素直にこくりと頷いて返す。


「自己紹介からだな。僕はクロード・デュヴァル。王太子殿下直属の親衛隊に所属してる、まあ、大きな括りで言えば王都の軍人だ。証拠が必要なら、ほら。殿下に賜った勲章がある。……殿下とノワリー伯爵令嬢のご婚約は君も知っているよね。僕は殿下の命で、彼女の身の安全を確保するためにここへ来た」

「は……? ぐ、軍人さん? 何で王都の軍人さんが一人で?」

「僕ら親衛隊は、少し変わっているんだ。みんな何かが欠けていて、何かに優れてる。僕は……見れば分かるか。笑えないんだ。だから、独りで行動する方が身軽でいい。アンナ姫のこともきっと怖がらせてしまうだろうから、伯爵の了承だけ頂いて遠くから見守っていたんだけど……」

「……どうして後をつける必要が? 『事件』と何か関係あるの?」


 ジョゼの言葉に少し考えるようなそぶりを見せ、クロードは小さく息を吐いた。


「巻き込みたくはない……と言っても今更か。君は調香師マダム・ルブランのお弟子さんだろう? ……思った以上に若くて驚いたよ。だけど、『鼻』は先代に勝るとも劣らないものを持っていると見た。名前は?」

「あ、あたし? ジョゼだけど……」

「そう、ジョゼ。君に頼みがあるんだ。僕の知る事情を話す代わりに、君の力を貸してはくれないだろうか。『花の獣』から、アンナ姫を守るために」

「あたしで役に立てるなら、それは勿論……だけど、『花の獣』って? それが、あなたがさっき言ってた『追っていた男』のこと?」


 当たらずとも遠からず。曖昧に頷いたクロードが語ったのは、予想通りで予想外の、ヴィエルジェ島を覆う陰謀の話だった。


 このたび王太子妃となることが決まった、ノワリー伯爵令嬢アンナ。

 アンナと王太子が築くであろう穏やかな家庭は、二人の実情を知ったジョゼにとって理想的なものだったけれど、王侯貴族という立場にあっては皆がそれを快く思うわけではない。快く思っている者とて、彼ら二人の幸福を願うばかりの理由ではないのが、貴族の結婚というものだ。

 中央集権化を進めたい王家にとって、貴族院きっての穏健派ノワリー伯爵家は、抱き込むにあたって最も無害な存在だった。更に、彼らの領地ヴィエルジェ島は気候も穏やかで、日ごろから観光で賑わう豊かな島である。

 国政に口を出そうという野心もなく、避暑地として優れた土地を持ち、それなりの財産もある。つまり、婚姻を結ぶ相手としては、全てにおいて「都合が良い」のだ。

 しかし、王家にとって都合が良いとなれば、王家の力を削ぎたい者にとっては真逆の存在ともなる。王太子とアンナの婚姻を無効にすべく暗躍を続ける者たち――「花の獣」と呼ばれる反王党の一派が観光客に紛れて島へと入り込んだのは、つい最近のことだという。


「今回はそういう事情で僕が派遣されたけど、『花の獣』自体はここ数年で湧いて出たわけじゃないんだ。僕ら『親衛隊』の仕事は、彼らの陰謀を阻止すること。できることなら未然に防ぐこと、なんだけど……」


 後手に回ったと唇を噛み、彼は息を吐いた。けれど、ただぼんやりと手をこまねいていたわけではないのだとも続ける。

 笑顔が欠けたクロードが、人より優れているところといえば、記憶力だ。あれこれと探偵の真似事をして歩き回り、手に入れた情報は数多あった。

 初めの犠牲者はマリーという名の少女。黒い髪に青い瞳、アンナよりも少しだけふくよかではあったが、後ろ姿はよく似ている。彼女は「花冠の乙女」に選ばれた、掛け値なしの美少女だった。

 二人目、三人目の犠牲者は同時だった。一人は先に亡くなったマリーと同じ、「花冠の乙女」であったお針子のコレット。彼女も黒い髪に、こちらはブラウンの瞳をした、大人しそうな娘だ。そしてもう一人は、不幸にも事件当日、コレットのもとへ訪れていた観光者。眩い金髪に青い瞳、白い肌に散ったそばかすが愛らしい少女だったという。


 二つの事件の共通点は、アンナと同じ黒髪の「花冠の乙女」が狙われていること。

 そして、どれもこれも凄惨な現場であったということだけだ。


「……つまり、『花冠の乙女』やアンナ姫と親しくしている君は、マリー嬢の遺体を見つけなくともどのみち巻き込まれてはいただろう。それならいっそ、君の『鼻』を僕に貸してほしい。協力者として行動を共にできれば、僕も君の身を守りやすい」

「きゅ、急にそう言われても……守ってもらったって、そこまで役に立つかどうか分からないわよ、あたしの鼻なんて。それに、あたしの安全まで気にしなきゃいけなくなると、アンナ様が危なくなるんじゃ……」

「いいや。アンナ姫の警護は、伯爵に任せていい。もし多勢に無勢ともなれば僕一人にできることなんてそう多くはないし、僕らがすべきは、」


「ぎゃああああああああああ!!」


 犯人を、と言いかけたクロードの言葉は、路地裏を駆け抜けていった大きな悲鳴にかき消された。ぎょっとして周囲を見渡したジョゼは、クロードの顔をじっと見やり、彼が頷くのを待って走り出す。


「血の臭い。……こっちよ!」

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