9 決戦!
通路で持っていた荷物を置いて、いつ攻撃が来てもいいように武器に手を掛けながら大部屋に足を踏み入れる。すると気配に気づいたのか奥で眠っていた影が動き咆哮した。
洞窟内が振動するような波動がビリビリと伝わってくる。
姿を現したのは大きな真っ黒な熊。
「……クマ、か。でけぇ」
「キュ!」
俺の三倍ほどもある真っ黒い熊がこちらを見て牙を剥く。
口からダラダラと涎を垂れ流し、目は白く濁って感情は見えない。
ただ明確な殺意を持って俺たちに狙いを定めた。前足が今から突進するぞというように地面をかく。
両手に剣を抜いて構え、熊が足を踏み出したのに合わせ走り出す。
初手、ショートソードで首元を狙い突くが熊が爪でそれを受け止め弾いた。大きな体に見合わない素早さ。
体を回転させ、左手のマチェーテで胴体を凪ぐが分厚い毛皮に阻まれ傷をつけるに至らなかった。
「サリ!」
熊の後頭部にしがみ付いたサリが項に噛みつくがやはり攻撃は通らない。
腕で振り払われる前に後ろ足で熊の背中を蹴って俺の肩に飛び乗った。蹴られた熊はよろけることもなく俺たちと向き合う。
「硬ぇな」
「きゅ」
だが、浅いとはいえ切れた手応えはあった。刃が通らないというわけではない。
「何度でもやろうぜ!」
「キュ!」
突進してくる熊をぎりぎりで躱し、背中へ両方の剣で交互に同じ場所を斬り付ける。
「グアアア!」
熊の体から血が流れた。血も真っ黒で体毛のせいで滴り落ちるほど深く傷つけなくては攻撃が通っているか分からないが、逆に目安になっていい。
「二回以上斬れば通るな」
全く同じ場所を斬り付けるのは至難の業だが、その難易度の高さが闘志に火を点ける。
腕を振り上げる熊を牽制するために、腰に差していた愛用のダガーを投げるが軽く叩き落とされてしまった。
「チッ」
「キュ!」
サリが素早くそのダガーの柄を口に咥え、熊の背中を走り項を斬り付ける。以前の体格だったら大きすぎて持てなかったけれど、魔石を食べて大きくなったサリはそのダガーを扱える。
「グアアア!」
背中を軽快な足取りで走るサリを捕まえることが出来ず、熊は苛立ったように腕を振り回す。
「サリ、いいぞ!」
「キュ!」
サリに気を取られて俺への意識が薄れた隙をついて、ショートソードを首元へ突き立てる。
「キュイ!」
サリもそれを見て素早くダガーをその傷の根元に差し込んだ。
俺の相棒はどこまで進化してしまうのか。全く頼もしい限りだ。
だが、急所を守るその場所の毛皮は特に厚く、刃は殆ど入らない。
体を左右に振られ、俺とサリは振り落とされ着地する。口から放してしまい熊の足元に落ちたダガーをサリが素早く拾って距離を取って構える。
「サリ! 首を狙うぞ!」
「きゅ!」
生半可な傷では倒せないと判断し、確実に仕留められる場所を狙っていく。
熊を揶揄うようにサリが周りを飛び回り、注意を引いてくれる。
その隙をついて俺が二本の剣で熊の胸回りに傷を増やす。
サリは口に持ったダガーで俺が斬り付けた場所を正確に薙ぎ、確実に剣の通る箇所を増やしていく。
ちょこまかと動き回るサリに腕を振り回しても無駄だと悟ったのか、熊はサリが走っている軌道を捉え噛みつこうと姿勢を低くした。
「サリ!」
「きゅっ!」
分かっているというように返事をして後ろ足を踏ん張って急反転すると、近づいてきた熊の横っ面に後ろ足を揃えたお得意の蹴りを放つ。
「グアァァァ!」
自分の何倍もある熊を小さなサリが蹴り飛ばす。熊は岩山に背中から直撃して大きな岩にひびが入った。
凄まじい蹴りの威力。あの小さな体にどれほどの力が秘められているのか、俺には皆目見当が付かない。
半分岩に嵌って動けない熊に向かって同時に走り出していた。止めを刺すなら今しかない。
「本当に、お前は何処までも頼もしい相棒だよ。サリ!」
「きゅきゅ!」
当たり前だというように元気な鳴き声が足元で響く。
追撃を掛けるタイミングだって同じだ。
だって俺たちはずっと一緒に戦ってきたんだから。
めり込んだ岩から体を起こし、抜け出そうと足掻いている熊の白い右目に俺がショートソードを突き刺すと、左目にサリがダガーを突き立て、後ろ足でそれを蹴って柄まで熊の頭の中にめり込ませた。
「グアアア!」
俺はショートソードを引き抜き、距離を空けて構え、その肩にサリが飛び乗った。
頭にめり込んだダガーは脳にまで達していて、致命傷を負ったはずなのにまだ死ぬ気配がない。恐るべき生命力だ。
「ガァァァァ!」
咆哮が洞窟内に響き渡り、ゆらりと立ち上がった熊は持てる力を振り絞り走り出す。
目標などない。ただ真っ直ぐ何かに当たるまで我武者羅に走り、また起き上がって駆けていく。
激しく何度も壁や岩山に体当たりを繰り返す振動が洞窟全体を揺るがす。
「うおっ」
地鳴りがすると同時に天井が崩れ落ちて来てた振動で噴き出し口の穴に大きな亀裂が入り、中に籠っていた最後の瘴気が一気に噴き出した。
視界にうっすら靄がかかる。
「このままじゃ洞窟が崩れる……!」
逃げた方がいいのは分かっているが、こいつをこのまま生かしておいたら危険だ。
落盤程度で死ぬとも思えない。瓦礫をかき分けて這い出して来る様が易々と想像できる。ここで討ち損じて万が一外に出たら縄張りを失った魔物は何処へ行くか見当も付かず、もし人里へ向かったら惨状は避けられない。
ここで仕留めなくては。
溢れて来た瘴気で視界が悪くなるがこの程度今更どうということもない。
「サリ、お前は外に……、出る気はないよな」
「キュ!」
俺の肩の上で両足を踏ん張ってやる気満々の構えを見せているサリに笑みが零れた。
「死ぬ気で倒すぞ、相棒!」
「キュキュ!」
同時に駆け出し左右に分かれる。
俺がショートソードで腕を牽制している間にサリが蹴りで足元を崩し、その隙にマチェーテで首に傷を負わせる。
徐々に深く首に剣が通る様になって来た。命の危険を感じているのか死に物狂いで暴れる熊は、よろけながらも鋭い爪を振り下ろし攻撃を仕掛けてくる。
音なのか、匂いなのか。目が見えなくてもこちらの動きを察知する術を身に付けたようで、俺たちに向けて正確な攻撃をしてくるようになった。
俺の攻撃を躱し、振り回される熊の腕を、跳んだサリが回転しながら尻尾で叩き落し軌道を変える。
噛みつこうとする鋭い牙と大きな口を、マチェーテの簡易結界で逸らしながら首を斬り付ける。ついにマチェーテは熊の首の半分まで入り込んで、あと一息と力を込めようとした俺に鋭い爪が振り下ろされた。それに気づいたサリが熊の横腹を蹴り飛した。小さな足跡の形を残して魔物の体が歪む様は何度見ても壮観だ。
飛ばされた熊はそのまま岩壁に深くめり込んだ。
その振動で横壁が大きくが崩れる。
落下する瓦礫の下にはサリが見えて、俺は考える間もなくそこに飛び込んだ。
分かってる。俺が助けなくてもサリは自分で避けることが出来たはずで、俺がやっていることは無駄な行動なんだ。
でも、理屈じゃない。大事な相棒の危機に体が勝手に反応してしまったんだ。
サリは飛び込んでくる俺に驚いたらしく、固まってしまって動けない。
真横を通り過ぎた俺に、壁にめり込んだままの熊が無理やり半身を起こし腕を振り上げたのが見えた。
「……!」
避ける余裕はない。
熊の鋭い爪が視界に迫り、簡易結界で腕の軌道を逸らして体を捻ったが爪の先端が背中を掠めていく。
「う、ぐぅ……」
背中には魔法陣を守る為、幾重にも結界が張られているのだが、それを易々と突破してくる熊の強さを改めて思い知る。
体勢を崩しながら固まっているサリを抱え転がると、直後大きな瓦礫が地面に突き刺さった。
「痛ってぇ……」
地面に蹲ったまま呻く。
右肩から腰の左側にかけて付けられた大きな背中の傷からは血がしたたり落ちている。
傷口が燃えるように熱い。
「……っ! げほっ」
突然呼吸が苦しくなって激しく咳き込んだ。
数十年ぶりに感じる体内の温かさは、魔力だ。
「陣が……」
瘴気を浄化できる有用な魔術とはいえ、一人の人間から無理やり魔力を奪うこの技術は決して悪用されてはならない。
だから万が一見られても視界に入らないよう認識阻害と守護の結界が張られていた。
だがそれが破られてしまった。結界が破壊されると、機密を守る為描かれた魔法陣も消える。
浄化の力が無くなり、徐々に魔糸の機能が動き始めると漂う瘴気が体に取り込まれていく。
呼吸が苦しい。喉の奥から吐き気が込み上げ何度も咳き込む。
だが、いつまでも蹲っているわけにはいかない。
「グアアア!」
濃い血の匂いを嗅ぎつけた熊が俺の居場所を正確に突き止め、真っ直ぐこちらに向かってくるのが見えた。
痛みを堪え立ち上がり剣を構える。
俺の足元で金属音がして浄化者の証である腕輪が落ちて転がった。
死ぬか浄化を終えた時にしか外れないと聞いていたが、魔力が戻ったら外れるという例外が存在してたわけか。
「ハハ、浄化者じゃなくなっちまった」
証は無くなったが、俺は使命を全うする。
血が抜けていく体から力が失われているのか分かる。時間がない。まずは目の前のこの熊を倒さなくてはならない。瘴気を噴き出していた穴からはもう何も出てこない。戦っているうちに吐き出された瘴気は随分浄化が進み、ここに残っているのは瘴気とも呼べないただの濁った魔力となっている。この程度のなら放っておいても大気に紛れて消えていく。洞窟は絶え間なく落盤を起こしていて、この調子なら噴き出し口だった穴は勝手に塞がってくれるだろう。
だからこの熊を倒せば九回目の瘴気災害を終わりになる。
俺の命があるうちに決着を付けたい。
「サリ、倒すぞ」
「キュ!」
両手に剣を構え真っ直ぐ熊に向かって突き進む。
完全に俺の位置を把握したのか、熊が爪を振り下ろした。
「あっ、ぶねぇな」
傷で動きが鈍くなっている俺はそれを躱しきれず剣で受け止める。
動きが止まった熊の背中にサリが蹴りを浴びせた。
「キュキュ!」
「いいぞ、サリ!」
巨体が吹き飛び、地面を転がっていく。
さすがに熊の気力も尽きてきたようで、立ち上がる動きも鈍くなっている。
「これで、終わらせる!」
「キュイ!」
サリが熊を動けないようにするため何度も真上から蹴りを入れ、体を地面に埋めていく。その隙に俺が首の傷に二本の剣を突き刺し、力一杯薙いだ。
「終わりだ」
ついに熊の首を落とした。流石にこれで死んでくれるだろう。
気力を振り絞り剣を抜いて、熊から離れ座り込む。
~~~!
首が地面に転がってもまだ熊の体は消えない。それどころか最後の抵抗だと、首を失った体が触れられる範囲の物に当たり散らす。
もうその場から動くこともできないその体で、埋まった地面に穴を開け落ちて来た瓦礫を薙ぎ倒し、触れるもの全てを破壊する。
首を落とされてもまだ動ける魔物の生命力の強さに本能的な恐れを感じた。
熊が暴れる振動でひびが入っていた洞窟内の天井や壁がさらに崩れ、雨のように瓦礫が降り注ぐ。やがて大きく天井が崩れ、熊は落ちて来たその巨大な瓦礫に貫かれ、ついに塵となり消えた。転がり落ちた巨大な魔石がどこかに転がって行くのが見える。
「ハハ、やっと倒した……」
熊が消えたのを体から力が抜けていく。
「逃げ、なきゃなんだが、なぁ……」
座っていた体がふらりと傾いで地面に倒れ、起こすこともできない。
「サリ、悪いな。ここでお別れ、だ」
「ギュ、キュウ!」
聞いた事のないほど悲し気な鳴き声を上げて、コートのいつも乗っている肩の部分を咥え、一生懸命降りて来た通路の方へ俺を引っ張って行く。
大部屋と通路は別空間にでもなっているのか、そちらは大部屋の惨状とはまるで隔離されたように平穏を保っている。
「お前、本当に凄いな」
運良く通路に近い場所に倒れたのが良かった。そう時間をかけずずるずると俺の体が安全な通路の中へ引っ張られていく。
サリは俺の体の半分を通路に入れると、素早く腰に回り今度はベルトを噛んで下半身を一気に引き込んだ。
視界がぐるりと回り、崩れ去る大部屋の中が見えるようになり、移動した跡には血の筋が色濃く残されているのが見えた。
「はっ、すっげぇ血の量」
魔力の温かさより、血が抜けていく寒さをより強く感じる。
「サリ、俺お前に会えてよかった」
これだけは伝えておかなくてはと、心配そうに顔を舐めるサリの背中に手を回し引き寄せた。
「キュキュ!」
「お前は、自由に生きろよ。サリ、サリ……ありがとう」
サリならここを出ても十分やっていける。何年も俺に付き合ってくれて、出会ってくれてありがとうと、心の底から感謝の言葉を紡ぐ。
血塗れの手で背中を撫でれば柔らかい毛が血で汚れてしまった。
いつもなら濡れた手で触ったら即座に飛び退いて毛繕いを始めるのに、どんなに血がついてもサリは俺の手から離れようとはしない。
それどころか撫でるのをやめるなと体を摺り寄せて来る。
「サリ……」
一際大きな音がして巨大な瓦礫が地面に突き刺さるのが見えた。そこは瘴気が噴き出していた場所で、大きな瓦礫で穴は完全に塞がっていた。
俺が死ぬ前にサリを逃がし、ウエストバッグにある魔道具で、自分ごと洞窟を埋め去るつもりだったがその必要は無くなった。
「ハハ、浄化は……完了だ」
僅かに残存する瘴気は、今開いた天井から入り込む大気と混ざり薄まって散って行く。
地下の器が溢れるまでこの大陸は、また百年の平和が約束される。
「はぁ……、役目は、果たした」
胸に訪れるのは達成感。この為に生きて来たといっても過言ではない。俺の使命は果たされた。
酷く寒い。サリが一生懸命擦り寄って頬を舐めてくれているのに感覚がもうない。
やがて霞む視界の中、大部屋に落ちたままだった腕輪の宝玉が赤から浄化完了を告げる青に変わり、消えるのが見えた。
「終わったな……」
心の底から安堵すると瞼が勝手に閉じていく。
「悪いな、サリ……。俺たちの、冒険は、ここまで……だ」
撫でてやる力もなくなった。指一本も動かない。
サリが鳴いているがもう聞こえない。
そうか、俺は死ぬんだな……。
「……サリ」
悪くない人生だった。
天涯孤独の身になった俺はロス家で新しい家族を得た。心躍る冒険を最高の相棒と共にした。これだけはと決めた任務もやり切った。
……悔いは、ない。
胸に訪れる充足感に満たされたまま、意識は闇に閉ざされた。