3 ウサリスとの別れ
完結まで毎日12時投稿。
一緒に暮らし始めて半年ほど経った。といっても正確に半年経ったかは分からない。昼夜は分かるものの、何日が経過したかはこの森の中に居る限り分からないからおおよそだ。
尻尾まで掌に納まって余るほど小さかったウサリスはすっかり大きくなった。
今では胴体が片手の掌と同じくらいの大きさになり、体より長い尻尾はそこに乗り切らない。
掌は乗り心地がよくないのか、手に乗せるとすぐ肩に移動してしまう。
すっかり大きくなったし動きも素早くなった。
そろそろ餌の獲り方を覚えていい頃だろう。
「今日は外に行くからな?」
出掛ける支度をしていると、それを察知したのか俺のコートの上に座ったまま動こうとしないウサリスに声をかける。
「きゅ」
「肩には乗れないぞ? 魔物が襲って来て危ないからこの中で大人しく、いいって言うまで出てこないって約束できるか?」
この中で大人しく出来るなら連れて行ってやると、ウサリス用に中身を出したウエストバッグを開いて見せる。
言い聞かせても分からないと思いながらも、つい喋りかけてしまう。
「きゅ!」
ウサリスの認識度は不明だが、置いて行かれないことは理解したのか、布を詰めてふかふかにした小さなウエストバッグの中に大人しく入って行った。
中に木の実や果物を入れて、苦しくならないよう少し隙間を空けて蓋を閉じる。
いつもは背中側に付けているバッグを、抜剣の邪魔にならないように調整して腹側に据え中を確認すると、ウサリスは入れたおやつを食べてのんびりしていた。
落ち着いている様子なので安心して蓋を閉めて外に出る。
「西側に、瘴気の外へ出てかなり経つ森があったはずだからそこにするか」
なるべく動物が多く戻って来ていそうな森に見当をつけ、瘴気の外周目指し歩く。
しばらく行くと突然視界の端に茨が伸びて来るのが映り慌ててその場を飛び退いた。
この辺はまだ狩り尽くしたと思っていたのに、よく見れば足元に黒い葉を茂らせた小さな植物が三体、それぞれ威嚇する様に茨をうねうねと伸ばし此方の様子を窺っている。
構える為に少し動いただけで、茨がこちらに向かって伸びて来た。
「やるしかねーか」
なるべく戦闘はしたくなかったが仕方がない。
二体を素早く倒し最後の一匹に視線を向けたその時、突然ウエストバッグに入れていたウサリスが飛び出して来た。
「キィ!」
甲高い声を上げて俺が見落としていた四匹目の植物型の魔物へ勇敢に飛び掛かって行く。
「危な……!」
根が地面から盛り上がり鋭い先端がウサリスに向かって行くのが見え、慌ててそれを切り落とそうと剣を振り上げた。
「キキィ!」
ウサリスは俺の剣より早く華麗なステップでそれを避け、攻撃してきた根を咥え魔物を自分の方へ引っ張った。
ブチブチと根が切れる音がして、魔物はウサリスの力に負け土から引き抜かれた。
ウサリスが自分の方へ思いきり引っ張ると魔物の体が宙を舞い、近づいてきた本体を後ろ蹴りで飛ばす。
「キィ!」
魔物は俺が最後に倒そうとしていたヤツにぶつかり、一度強く地面に叩きつけられた後、何度か跳ねて動かなくなりやがて塵になって消えた。ぶつけられた魔物もその衝撃で一緒に倒された。
「……おま、すげぇな」
構えた剣を振り下ろす暇すらなかった。
ウサリスは地面に落ちた木苺を口に咥え、得意気に俺へ見せた後、肩に飛び乗って食べ始める。
「あれ……、虫を獲る訓練とかいらなくね?」
魔物が狩れるなら虫程度ならどうにでもなるし、今の感じだと蛇すらも余裕で倒せそうだ。
もしもあの魔物から木苺の気配を嗅ぎ取ったんなら、木の実や果物を自力で探すのも余裕だろう。
「……」
木苺を食べ終わると前足を舐めて顔を洗い、ついでに俺の頬を舐める。
毛繕いでもしている気持ちなんだろうな。無精ひげがあるし。
頭を撫でると擦り寄って来た。
「お前、もう一人で生きて行けそうだな」
「キュウ」
返事をするように鳴いたのを勝手に肯定と受け取り、そのままウサリスを肩に乗せ瘴気の外側に出た。
「眩しい」
瘴気を含まない昼の空気は澄んでいて久しぶりに眩しい日差しを浴びる。
鳥も鳴いてないし虫の声もしないが、黒の合間に見える緑が増えていて、遠くで葉が風にそよぐ音が聞こえて来た。
たったそれだけなのに命を感じる。
ウサリスも同じように肩の上で眩しそうに目を細めていた。
瘴気の境目を出て街道を超えた先にある、少し離れた森を目指す。
もう少ししたら草木も生え揃い、昆虫も動物もこの森に住み始めるだろう。
ここなら食料に困ることはないはずだ。
肩に乗っているウサリスを掴んで地面に降ろす。
「おい、お前。もう一人で生きて行けるな?」
森へ促す様に尻を押すが、振り返って足を踏ん張ったまま、不思議そうに俺の顔を見上げるばかりで動こうとしない。
「ここならお前の仲間もじきに帰ってくる。俺の傍に居たっていい事ねぇぞ」
瘴気の中で魔物を狩って暮らす、生き物の営みから外れた俺の生活に付き合わせるのは酷というものだろう。
何度尻を押しても森の方へ行かないので、諦めて立ち上がった。
「じゃあな」
ウサリスが去るのを待っていては埒が明かないと背を向けて歩き出す。
「! お前……」
三歩目辺りで肩に乗る感触がして頬にフカフカとした毛皮が擦り寄ってくる。
「着いて来たら駄目だろ?」
「きゅ?」
「ほら、お前の住処はこっち」
胴体を持ち上げると、嫌がる様に爪を立てるウサリスを強引に引き剥がして、手近な木の枝に乗せる。
「今度こそじゃあな」
背を向けた瞬間また肩に飛び乗って来た。
「お前はここで暮らすの! 俺とはもうお別れだよ」
自分が置いて行かれようとしているのを理解したのか、俺の手が近づくと素早く背中に移動して張り付いた。
「こら……!」
背中に手を回すものの、ウサリスは俺の手が届かない絶妙な位置に移動して、掴まれるのを回避する。
「く、捕まらない」
俺たちにとっては真剣な攻防なのだが、傍から見たら間抜けなやりとりがしばらく続いた。
仕方ないと強く背中を振ってみたけれど、両手足の爪をコートに立ててしがみ付いて落ちる気配もない。
動くたびにバリバリと背中の方で爪の音がするだけで、一向に捕まえられない。
「お前、こっち来い……って」
ここままでは埒が明かないと、素早くコートを脱ぎ逃げる前に包んで、中に手を突っ込みウサリスを捕まえた。
「キィ!」
掴まれて不満げに暴れるウサリスに目を合わせる。
「お別れなの。お前は俺と行けねぇの」
俺の言葉が分かっているのか、嫌だと一層暴れ出し指に噛みついてきた。
あぐあぐと遠慮がちだった噛みつきも、自分の要求が通らないと理解したようで、段々本気噛みに変わって行く。
「いってぇ! 革グローブ貫通してきやがった」
鋭い前歯が厚手の革グローブを貫通して指に刺さる。
嫌だ嫌だと抵抗する様は可哀そうであると同時に可愛くて愛しさが湧く。だがここで情を出してはいけない。
「じゃあ、なっ!」
ウサリスを掴んでいた手を振り被り、思いきり森の奥へ投げ飛ばした。
バサバサと葉っぱや枝をすり抜けていく音が遠くへ消えて行く。
「……ふぅ」
飛ばした方向を眺めながらため息を一つ。グローブを外してみたら血が出ていた。
「全く」
小さな前歯が付けた傷跡はずきずき痛むが、それも何だか愛おしい。
あの小さな温もりに触れることは二度とない。
寂しさを振り払うように背中を向けると、背後でバサバサと枝葉が揺れる音がして後頭部に衝撃が走りふっ飛ばされた。
慌てて受け身は取ったが勢いは殺しきれず地面を派手に転がった。
「痛ってぇ」
ズキズキと痛みを訴える後頭部に手を添える。
「キュー! キュキュ、ギュー!」
聞き慣れた鳴き声に顔を上げると、目の前には手をついて後ろ足でダンダンと地面を叩き、不機嫌ですとアピールをするウサリスが居た。
怒りの為か荒い鼻息が凄い。ウサリスの鼻息で前髪って揺れるんだな……。
ぼんやりして反応を示せないでいたら、焦れたように首元から服の中に潜り込んだ。
ベスト型の革鎧を着ているからすぐに手を入れられないことを理解しているのか、強引に服の内側へ入って行く。元々木の洞や狭い場所に入り込む性質があるから僅かな隙間でもするすると入ってしまう。
「痛だだだだ、痛い。せめて服の上からにしてくれ」
直接肌に爪が食い込む感触が物凄く痛い。絶対に離れないという強い意志を感じさせるように、小さな手足が力一杯俺の背中を握っているのが分かった。
革鎧を脱がないと中に手は届かない。
「おい、痛いから出てくれよ」
言葉が通じるとは思っていないがつい声をかけてしまう。
起き上がり、地面に座って鎧の上からウサリスのいる辺りを優しく撫でながら、革鎧のベルトを緩めていると小さな体が小刻みに震えているのに気付いた。
「きゅう……きゅう……」
背中から響く悲し気な鳴き声が嫌だと言っているように思えて、肌に食い込む爪の痛みなんかどうでもよくなってしまう。
革鎧を脱ぐ手を止めて、服の上から優しくウサリスを撫でる。
「お前の群れはもう俺なのか?」
何度も撫でていたら、ようやく食い込んでいた爪が緩んで来た。
「俺と一緒でいいのか? 三十路のオッサンより、若い番でも見つけた方がいいだろう」
不器用な手付きでとんとんと柔らかくウサリスの体を叩いてやる。
かなりの時間そうしていたら、やがてもそもそと服の中から警戒する様に這い出て来た。
俺が捕まえないと分かるとようやく、全身抜け出してごりごりと頬に擦り寄りながら、尻尾を首に絡ませて締め上げる。
「力を緩めろ。首が締まる!」
もふもふとした感触は気持ちがいいが長い尻尾が首を締め続ける。本気で苦しい。
「分かった! もう置いて行かないから」
このままではウサリスに絞殺されかねない。宥めるように背中を優しく叩いているとほんの少しだけ緩んだ。けれどまだ油断は出来ないと緊張感を漂わせ、いつでも尻尾の力を入れられるように構えている気配がした。
ウサリスを肩に乗せたまま立ち上がり、瘴気に覆われた森へ足を向けると、ようやく締め付けるのをやめてくれた。
だが、首に回った尻尾が離れてやるものかと巻き付いて取れない。
本当に連れて帰っていいのかと躊躇い、外を振り返ると容赦なく耳を齧られた。
耳の痛みが増すごとに後悔が減って行く。
拠点にしている家につく頃には諦めが決意に変わっていた。
「しょうがねぇな。お前は一生俺が面倒見てやる。俺なんかに懐いちまったお前が悪いんだからな」
「きゅ!」
目の前に家が見える飛び降りたウサリスがと早く帰るぞと扉の前で俺を待つ。
早く開けろと催促するように後ろ足で地面を叩く。
「はいはい。今開けるよ。よし、飯にすっか! あーっと、お前、じゃなんかあれだな……」
すぐ別れることになると思っていたから名前なんて考えなかったけれど、これから一緒に暮らすなら呼び名はあった方がいい。
「ウサリスだからサリでどうだ?」
「きゅきゅ!」
喜ぶように肩に飛び乗り体を擦りつけて来るのを思いきり撫でてやる。
こうして一人と一匹の生活が始まった。