2 サリとの出会いと浄化者
完結まで毎日12時投稿。
俺がサリと出会ったのはフィクロコズの瘴気漂う森に来て五年ほど経過した頃だった。
瘴気の中で生きられないはずの人間である俺が、なぜここで無事でいられるのかと言えば、それは俺が浄化者だからだ。
浄化者とは魔糸を先天的に持たない、魔力の影響を全く受けない者のことだ。
平時であれば、魔力を使って様々な超自然的な現象を起こす魔術の恩恵を一切受けられない不遇の存在である。
けれど瘴気災害が起こればその価値は一変する。
浄化者は先天的に魔糸が体内に無く魔力を蓄えられない代わりに、卓越した浄化作用を持っていて、そこに居るだけで吸収した瘴気を浄化し、正常な魔力に戻すことが出来る。
だが、先天的に魔糸を持つ人間は一世代に一人ほどしかいない貴重な存在。
それを探し出し災害を鎮めるために派遣する。
これまでフィクロコズでは八回の瘴気災害が起きたが、全て浄化者によって鎮められてきた。
九回目に起きた今回の瘴気災害は、浄化者になった俺が鎮める使命を担っている。
今回、領内の東端にある山裾から噴き出した瘴気は、広い範囲の森林へ広がっていた。
運良く周辺の街や村は少なく、そこに住む人々はすでに避難を完了していて、念のため人の住んでいた場所を丁寧に見て回ったが誰も残っていなかった。
その事実を確認して胸を撫で下ろし、俺は瘴気の大元に一番近い破棄された村の家を一軒借りて、そこをしばらく拠点にすることに決めた。
この場所に再び人が戻ってこられるのは、浄化が完了した数年後。何もなくなった土地に植物が再び芽生え、大地を覆ってからになる。
瘴気の除去には十年以上を費やす事から、実際にここを離れた人々が戻れるまで二十年ほどの時が必要。
その頃には家屋は朽ちて全て作り直さなくてはならない為、いない間に少し俺が借りるくらいは問題ない。
浄化者は特別な事をする必要はない。ただ瘴気の中で暮らしてさえいれば浄化作用が働き、瘴気は薄まって消えていく。
俺はすでに五年以上この瘴気の中で暮らしている。浄化は順調に進んでいて、瘴気が覆っていた範囲は確実に狭く薄くなっていた。
初めてここに来た時に辺りを覆っていた瘴気はほぼなくなり街道や街はすっかり外に出た。黒くなってしまった植物しかなかった森や草原には緑が芽吹き始めている。
最初は激しく噴き出した瘴気も徐々に勢いは弱まり、やがて浄化作用が上回って規模は縮小して行く。
最終的に瘴気の噴き出し口を塞ぐことが出来れば、次に氾濫が起こるまで地上の安全は保障される。
だが地上が元に戻っても、溢れだした瘴気によって生み出された魔物たちは残り続ける。
それらは災害が収まった後、大陸中の冒険者たちに依頼して駆除してもらうことになる。
けれど長期に渡り瘴気を取り込み続けた魔物は、吸収した量に比例して強さを増していく。
だから今の段階で俺が狩っておく必要があるんだ。
瘴気災害の周期が近い時期に産まれた俺は、この時の為に戦闘技術の習得や何もない場所で生き抜く術を身に着ける事に心血を注いできた。
魔物と戦うのに躊躇いはないし、腕には自信がある。人が戻ってきた時、すぐにまた安心してこの場所で暮らせるようにしたい。
潜む数多の魔物を狩りながらその日も森の奥地へ足を踏み入れていたると、少し開けた場所に出た。
そこだけ切り取られたように大きな木だけが佇んでいる。
「でけぇ」
目の前にある漆黒の巨木は魔物だ。両手を回してもまだ足りないほど太い幹と空に届くほど高い位置にある枝葉。
瘴気に蝕まれていなければさぞかし見応えのある大樹だったことだろう。
俺に気付いた魔物はざわりと葉を震わせたかと思うと、太い枝を振り回し襲い掛かってきた。
「うおっ、いきなりかよ」
予備動作もなく襲い掛かられ、慌てて枝を躱しながら剣を抜く。
植物型の魔物はその場から移動しないが、攻撃可能範囲に入った途端、地中に広がった根や枝葉を伸ばして攻撃してくる。
不意打ちされやすく危険な魔物だが、この瘴気に侵された森では見分けるのは簡単で、瘴気に晒され枝葉が全て崩れ落ちてしまっている木々の中、黒々と生い茂っているものがあったらそれは全部魔物なんだ。
木の魔物は真っ黒な枝葉を俺に向かって打ち下ろす。それと同時に足元が盛り上がり木の根が足に絡みついた。
「くっそ、小賢しい」
枝も根もどれほど切っても生え直し、きりがない。
地面を盛り上げて出て来た根の先端が、俺を串刺しにしようと狙い襲い掛かってくる。
「あっぶねぇな!」
尖った根の先端が避けた俺の足元に刺さり大きな穴を開けた。
あんなものを食らったら一溜りもない。枝や根を躱しながら切り払い、大木に近づいて行く。
右手に持ち替えたマチェーテを両手で握り、剣が纏っている結界を細く鋭くして刃に纏わせた。
「これで、どうだ!」
木の根元に狙いを定め、結界の力を利用して一気に薙ぐと襲って来ていた枝や根がぴたりと止まった。
そして二秒後、木は真横にずれて倒れ、真っ黒な大木はさらさらと塵になって消えていく。
「ふぅ、動物より手強かったぞ」
魔物が襲い掛かって来るのは自分の住処を脅かす相手への防衛本能だ。ゆえに魔物同士でも縄張りが被れば戦ったりもする。
そうして死んだ魔物が落とした魔石や素材を拾うこともある。この木の周りに落ちている無数の魔石はそうした残骸なんだろう。
それらを拾い集めながら塵になって消えた木の魔物から出た物を確認する。掌の大きさもある少し大きめの魔石と柑橘系の果物、そして……。
「死体? 魔物?」
小さな黒い毛玉があった。
警戒しながら覗き込むとそれはウサリスの子供だった。
そういえば木には洞があった。そこを住処にでもしていたのかもしれない。
周りを見渡しても当たり前だが親はおらず、いても魔化によって脳が破壊されていて子供の世話なんてするはずもない。
魔物は生殖行動はとらないし、繁殖もしない。
体の小ささからいって生まれて数日しか経過していない様子。
卵生動物であるから、卵として生まれたのは少なくとも五年以上前のはずで、どういうわけか瘴気の中で生き残り今頃孵化したんだろう。
ウサリスは茶色が主体なのだがコイツは黒。長い間瘴気の中に居たのが原因かもしれない。
目を閉じたまま鳴きもしないウサリスだが、腹がかろうじて浅い呼吸を示す様に小さく上下している。
魔化していないか確認する為覗き込む。魔化の特徴として、体の肥大化、前歯と爪が異様なほど鋭く伸びているなどの特徴があるはずだが、爪も前歯も変化はなく、色が黒いこと以外は普通のウサリスのようだ。目が白く濁っていれば確定なんだが、生憎閉じられたままで見えない。
微動だにしないまま弱々しい呼吸を繰り返しているだけのウサリス。
このまま死んでしまってもこいつの運命。仕方ないことなんだ。それが自然の摂理というもの。
けれど弱ってはいるものの、瘴気で苦しんでいる様子はないこのウサリスは、ここで救いの手を差し伸べれば助かる道がある。
そう思ってしまったのが運の尽き。見つけてしまったのもまた運命ということだろう。
「……くっそ」
俺はそのウサリスを拾い上げる。
「小さい生き物は苦手なんだ……」
文句を言いながらタオルを取り出しウサリスを包む。すると手の中で微かな鼓動と浅い呼吸を感じた。
温かい、生きている命だ。
「絶対握るんじゃないぞ……。握ったら潰しちまうからな」
俺は昔から小さい生き物が苦手だ。
だって弱々しくて力加減を間違えたら潰してしまいそうじゃないか。
十歳離れた義理の弟が生まれた時だって、赤ん坊なんて小さくて柔らかそうで怖くて抱っこ出来なかったのに。
ウサリスを持っている手が緊張で震える。
「俺も頑張るからお前も頑張れ」
「握らない」「潰さない」「頑張れ」と何度も口にしながら討伐が終わり安全になった道へ引き返す。コイツを持ったまま戦闘なんて冗談じゃない。
神経を尖らせながら、放棄された村の端にある拠点として使わせて貰っている家に戻って来た。
「はぁ、はぁ……、何とか、連れて戻れたぞ」
少し大きな食器にタオルを敷いて、ウサリスを寝かせる。
「果物だったら食うか?」
卵から産まれるから乳はいらないはずだ。とにかく何か食べさせなくては。
植物型の魔物から出た果物が丁度あってよかった。布で絞って果汁を作り、細い棒に裂いた布を巻き付け汁に浸して口元へ持って行く。
「おーい、飲めー。死んじまうぞー?」
恐る恐る口元を突いているとやがて口が開きぺろりと果汁を舐めた。
二度、三度、ぺろぺろと舐めた後、布に吸い付いた。
ちゅーちゅーと弱々しいが果汁を吸い上げる音がした。食べる気力があるなら大丈夫だと胸を撫で下ろす。
「よしよし、いっぱい飲め」
余程腹が空いていたのか、拳の大きさほどもある果物を丸々一個絞った果汁を全部飲み干して穏やかな寝息を立てだした。
ガリガリだった腹がパンパンに膨らんでいるのを見ると満足感が湧き上がる。
スンスンと鼻先が動く可愛らしい寝顔は、瘴気の中にいるとは思えないほど穏やかだ。
ふかふかの頭を指先でそっと撫でる。温かくて、柔らかい。呼吸で上下する腹と時々動く鼻先はいくら見ていても見飽きない。
「元気になれよ」
歩き回れるようになったら瘴気の外にある森へ連れて行ってやろう。
元気になって一人で自活できるようになるまで面倒を見よう。
それまでしっかり世話をしてやる。
俺はこの小さな毛玉を育てる決意をした。
果汁だけでは栄養が足りないだろうと、俺が持っていた薬草を磨り潰して粉にした滋養剤を気持ちばかり混ぜて飲ませていたら、二日後には腹が減ったら鳴くようになった。
さらに三日後にはちょこちょこと動き回るようになった。開いた目は見た事もない赤色。
きちんと見えているようで、俺の手や果汁を浸した棒を見ると嬉しそうに飛びついてくる。
世話をする俺を親と思ったのか、姿が見えないと呼び鳴きするようになった。
そんなに全力で鳴いたら力尽きてしまうのではないかと思うほどの声量で鳴くものだから、俺は何処に行くにもウサリスの入った器を持ち歩くようになった。
こんな有様じゃ討伐には行けないと、しばらくは家に引き籠る事を決めた。
「きゅぅ! きゅぅ」
少し外に行っていただけなのにもう家の中から呼び鳴きが聞こえる。
慌てて水汲みから戻ってドアを開ける。
「おー、いる。いるよ、腹減ったのか?」
「きゅい!」
歩き回れるようになったウサリスは寝床から飛び出し、発達した後ろ足は伊達じゃないと思わせる跳躍力で俺の胸に張りつく。
ベッド脇からドアまでの距離を一息に跳んで来るのを見ると、木から木に飛び移るのも容易だろう想像がつく。絶対放すものかと爪を立てて服にしがみ付くその必死な姿が、まるで置いて行かないでと言っているようで、俺はウサリスの背中を優しく撫でる。
「置いて行って悪かったよ、寝てたからちょっとだけって思ったんだ」
「きゅう!」
文句を言うようにブツブツと鳴く様を見ていると、人間の子供のようで微笑ましくて笑ってしまう。
「飯にするか」
「きゅい」
連れて行って貰えるのが分かった途端機嫌を直し、軽い足取りで駆け上がって肩に飛び乗って来た。
早く行こうと催促するように前足で掴まり後ろ足で軽く肩を叩く。
「あんまり懐かれると困るんだがなぁ」
餌の獲り方を教えたら森に帰す予定なんだ。あんまり情を移したくない。
「きゅ」
けれど嬉しそうに頬へ擦り寄る柔らかくて温かい感触を拒むことなど出来ない。
「今日は野イチゴだぞ」
「きゅ!」
ここ最近はウサリスが寝ている時を見計らって、瘴気の外周付近で果物目当てに植物型の魔物ばかり狩っている。
獣や昆虫型の魔物は襲い掛かって来るから狩りやすいが、その場から動かない植物型はたくさん残っていた。
後で狩り戻らなくてはと思っていたから丁度いい。
出掛けるときは留守番させるのだが、眠っている間に出て行くと、戻った時には必ず起きていて、しばらく俺にしがみ付いたまま離れない。
起きている時は絶対に離れるものかと服が破れそうになるほどしがみ付く。無理やり引き剥がすにしても小さな体を力一杯引っ張るのは怖くてできない。
仕方がないので寝るのを待って出かけると、戻った時にまたしがみ付かれるという事を毎回繰り返す。
出掛ける支度をする音で起きるようになってしまったので、剣以外の装備一式は別の部屋に置くようになった。
一緒に部屋にいる間は、ちょろちょろと元気よく俺の周りを動き回り、壁を垂直に駆けあがったりする。元気なのはいい事だと、好きなようにさせている。
トイレは同じ場所でするから、畑を掘って入れ物に土を入れておけば片付けも困らない。
もう絞らなくても果実をそのまま食べられるようになった。
生肉も小さく切ってやったら食べた。
拾ってきた時より体つきもしっかりしてきたし、少し大きくなった気がする。
そろそろ小さな虫くらい戻って来てる頃だろう。もう少ししたら外の森で昆虫の狩り方でも教えてやろう。
そうしたら、お別れだ。
「きゅうきゅう!」
「足りないのか? よし、いっぱい食え」
ウサリス用の小皿が空になっていたのを見て、追加で果物や肉をいれてやると勢いよく食べ始めた。
夢中で食べ物を口に詰める様は見ていて飽きない。
小さい生き物は壊してしまいそうで怖くて触れなかった。
でも、こいつは生きる気力に溢れていて儚さを感じない。
少し触ると倍の力でもっととせがんでくる図々しさすらある。
「もう少しだなぁ」
久しぶりに命の温かさに触れ、自分以外の体温はこんなにも心地よいものだったんだと、食べ終わり首に纏わりつくウサリスを構った。