2 ギルド登録
「……村も町もねぇな」
「きゅう」
洞窟を出てすでに数時間。日が暮れるにはまだ間はあるが、どれほど歩いても全く人の気配がない。
高揚した気持ちも落ち着いて、途中で飯を食って穴の開いたコートを着替える。
ちなみにさっき海に向かって走って行った時、波打ち際で寄せて来た高めの波を蹴り盛大に飛沫が跳ねた。それがサリにかかってしまい、何をするんだというように腕の中から思いきり跳んで逃げて行かれた。
その勢いで俺はよろけて砂浜に倒れ、寄せて来た波を被り浄化魔術を使う羽目になった。
海を一緒に見たかったんだ。飛沫くらい許してくれよ相棒。
乾かしてべたつきも落としすっきりした俺たちは、改めて人の住んでいる場所を目指し歩き出した。
海岸線を歩いていても海と砂浜が続いているだけで人が住んでいる気配はない。
どうやらここはだいぶ僻地みたいだ。
俺の脳内にあるのはフィクロコズの地図しかなく、方角もさっぱり分からない。
とりあえず勘で方向を決め、海岸から離れて平地の草原をひたすら歩いた。
「サリ、街道があるぞ!」
「きゅきゅ!」
野山ばかりだった平地の彼方に石で舗装された道が見えた。あの洞窟は随分辺鄙なところにあったらしい。
放置したままにして魔物が洞窟の外に出て来てしまっていたら、大惨事になっていたところだった。
やはり倒しておいてよかった。
サリを肩に乗せ街道に入り、洞窟があった場所と逆方向に進んで行く。夕暮れ間近になってようやく小さな村が見えてきた。
宿屋のような場所もない。外を歩いていた老人に、この辺りの地理や道について尋ねたら丁寧に教えてくれた。暗くなって来て宿はどうするのかと問われたので、野宿するつもりだと言ったら家に来ないかと誘われた。
家族が居たら邪魔になると遠慮したのだが、妻に先立たれ息子たちも大きな街へ働きに行ってしまい一人暮らしであると寂しそうに言う。
たまには話し相手が欲しいと言われてしまっては断れない。
好意に甘えさせてもらうことにした。
ここはフィクロコズの隣の領地、トラージス。瘴気災害のあった場所から山を挟んで反対側の土地。
地図を見せて貰ったら洞窟の出口は大陸の端の端にあったことが分かった。
土は砂が多く含まれるため作物を作るのには向かず、魚は捕れても卸す場所が遠く干物程度しか特産品が作れない。
人が暮らすには余り適しておらず、今この村がある場所でようやく主食である麦や野菜が育つんだとか。
フィクロコズはどこでも何の作物でも順調に育っていたから、それが当たり前だと思っていた。
サリは見慣れない人間に警戒をしているのか、俺の膝上に座ったまま動かない。
そんなサリを撫でながら老人と話をした。そういえば誰かと会話するのは十数年ぶりだ。サリと話はするけれど、結局は一方通行。
久しぶりの会話は楽しかった。そんな俺の様子をサリは膝の上からじっと見つめていた。
この村に冒険者ギルドはない。
少し大きな町なら支部はあるが、登録は周辺で一番大きな街に行かないと出来ない。
老人は貴重な精巧な地図を持っており、それを見せながら現在位置と村や町の位置を丁寧に説明してくれた。
見せてくれた後地図を俺に譲ってくれようとした。手描きにせよ、買ったにせよ結構な代物だ。
それを断って貴重な物を見せてくれた礼を言い、覚えるまでじっくり見させて貰うことにした。
街道を歩いていくつかの村や町を通り過ぎ、教えて貰ったこの地域で一番大きな街に来た。
トラージス領にあるネルツ。
外壁はなく、大外には個人の小さな家が立ち並び、中心部は古い建物と新しい建造物に分かれている。
新しい建物の中央には大きな通りがあり、その左右に店や宿屋がたくさん見えた。
その裏側に古い商店街と思われる場所があり、その周りには同じ年代に建てられたと思われる民家が一か所に纏まっている。
大通りから古い商店街にかけて市場があり賑わっていた。
この地域にはたくさんのダンジョンがある。けれど最初から今の数ほど見つかっていたわけではない。
ある時期に連続して新しいダンジョンが発見され、ここへ訪れる人が爆発的に増えた。
今までの街だけでは受け入れきれなくなったそれに対応するべく、新規に街が増設されこのような形になったらしい。
ただ、新しい街の方は規模に対して寂れた印象を受ける。
大きな店は閉まっているし大通りも閑散としていて、宿屋も食堂もやっていなさそうな雰囲気の場所が多い。
旧通りの方は人がたくさんいて賑わっている。買い物に行くなら旧通りの方だな。
とりあえず、何はともあれ冒険者登録をしなくては。
瘴気災害地に金は必要ないから俺は持ち合わせがない。
冒険者ギルドなら冒険者であれば、相場も考慮した適正な価格で買い取ってもらえる。
街中をうろついていると、大通りと旧通りの境目に冒険者ギルドの看板を見つけた。
職業ごとにギルドがあり、決められた図案の看板が掲げられている。
冒険者ギルドは山と洞窟を示す穴、そして魔石を表す宝石と、その地域で一番脅威となる生物が描かれていた。
この地域では狼らしい。
サリは街並みが物珍しいのか、鼻を鳴らして匂いを嗅ぎつつ、肩に乗って警戒する様にぴたりと俺の首にくっついている。
冒険をしている時はどんな状況でも果敢に突っ込んでいくのに、変なところで臆病なんだよな。
でも、本来ウサリスは臆病な生き物だ。
そう思うとサリのこの行動はウサリスらしいものなのか。
扉を開けて入り受付を済ませる。中にはほとんど人はおらず、思っていたより簡単に冒険者登録は終わり換金も出来た。
買い取りは最後の突発ダンジョンで出た小さな魔石と素材のみにした。
フィクロコズから持ってきた魔石は大きすぎて、一つ出すだけでも大騒ぎになるような代物だ。
冒険者に成りたての俺が持つにはあまりに不自然で出所を疑われてしまう。
それに大きい魔石はサリが食べるから出来るだけ取っておきたい。
それでも小さいとはいえ、ダンジョン一つに巣食った魔物を全部倒して得た魔石や素材の換金料は思っていたよりかなり多かった。このくらいの金があればしばらく暮らせる。
換金した魔石や素材は僻地の田舎でたまたま見つけた突発ダンジョンへ潜った時に拾った物であり、その洞窟は固定化するより前に長雨による土砂崩れで潰れて今はもうないと説明した。
そういう話は多いのか、何の疑いもなく納得してくれた。
「サリ、見ろ。冒険者になったぞ」
「きゅう!」
ペンダントに繋がる逆三角の金属プレートをサリに見せる。それを見たサリは喜びを分かち合うように肩の上で楽しそうに飛び跳ねた。
この金属プレートは元々正方形の物だった。
右上から左下へ斜めに線が入っていて、一枚絵が描かれており同じ図案は存在しない。左の金色を冒険者が持って、銀色の右をギルドで預かる。表に絵柄、裏に冒険者の名前と番号が記されている。
例え似たような図案でも、絵に魔術が組み込まれているため、別プレートでは反発してしまい合わせることが出来ない。
最後に俺の血を絵につけることで線に沿って勝手に板が割れ、魔術の起動儀式が完了した。
これで登録が終わり、これ以降このプレートは本人証明書として扱われる。ギルドでは素材や依頼品を提出する時、魔術が仕込まれた板の上にこのプレートを置き本人確認を行う。
他人が置いても反応はしないので、成りすます事は出来ない。
冒険者となった証が今俺の手の中にある。
思ったよりあっさりなれてしまった。まぁ基本的に誰でもなれるけれど、稼ぐことが出来るのは自分の腕次第な職業だしな。
でも俺は冒険者になれたんだ。ロスの名字を捨て、ただのイズカとなった俺の名前が登録された冷たい金属プレートを眺めていると、実感が湧いてきた。
一年活動しないと失効してしまうが、その辺は問題ないだろう。
犯罪を犯したと立証されると、色が黒く染まり首から外れなくなるという呪いのような効果もあるらしい。
ダンジョンのような閉鎖された空間では何が起きても不思議ではない。だからそのくらいの罰則があっても納得は出来る。詳細は語られなかったがそういった事件が起きた時はこのプレートが証明の証を立ててくれるらしい。だからそういう意味でも常に身に付けて置けと強く言い含められた。
日の光に当たる金色のプレートに描かれていた絵はサリが好きなクルミツによく似ていた。
半分になったからよくわからない模様になってしまったのが残念だが、そういう意味合いも含めてこの形なんだろう。
「とりあえず宿屋に行くか」
しばらくはここで駆け出し冒険者をするつもりだ。
随分街中が閑散としていると思ったら、この周辺のダンジョンは今休眠期で大半の冒険者は活動期の地方に集中しているらしい。
それでも細々とした依頼は組合に持ち込まれ、それは地元に根付いた冒険者が引き受けている。
いきなりダンジョンもいいけれど、冒険者らしいこともしてみたい。
俺はペンダントを首にかけて服の中へ入れ、ギルドで紹介してもらった宿屋に向かった。
今の時期なら長期滞在でも安い。
とりあえず依頼を受けて冒険者を味わってみたい。
俺は今まで浄化者になることしか考えた事がなかった。丁度百年目に当たる為、訓練も勉強も厳しく、全ての時間を浄化者になる為に費やして来た。終わった後はロス家から出ることもなく生涯を閉じると信じて疑っていなかった。
その俺に初めて与えられた自由。
サリと一緒に何をしようか考えるだけで胸が高鳴る。
宿屋は空いていて部屋はあっさり取れた。
二階の日当たりのいい角部屋。
ベッドと簡易テーブル、それほど大きくない保管箱が一つ。食事は下の食堂で食べるか、外食、または持ち帰りで済ませる。自分で作ったあの小屋より簡素だ。
広くはないが清潔感があり仮の居住場所としては十分だけれど、自作したあの小屋を時々恋しく思う。いつか定住できる場所が見つかったら今度はもっと大きな家を自力で建ててみたい。
「きゅ、きゅ!」
新しい部屋にサリが興奮して走り回る。
「しばらくここが俺たちの部屋だぞ」
「きゅ!」
元気よく部屋の中をあちこち走り回って探検を終えたサリは、俺が置いた荷物袋の中に潜っていく。そしてフィクロコズから持ってきた齧りかけの魔石を尻尾に包んで戻って来た。
換金しなかった俺の拳ほどもある魔石はこうしてサリのおやつになる。
ベッドに腰かけた俺の膝に乗りそれをおいしそうに齧った。じっと見ていたら欠片を差し出されたが、例え魔力が増えるとしてもあの脳天を突き抜ける甘さは二度と体験したくない。
「俺はいいよ、うまいか?」
「きゅう!」
緩く欠片を押し返すとサリは自分の口元に持って行き齧りつく。
パキリパキリと小気味いい音が部屋に響いた。
サリは瘴気災害で入った最後のダンジョンで出た魔石しか食べない。一定以上の魔力が籠った魔石でないと効果がないのだろうか。
俺の体内にある魔力も、魔石で取り込んだ分を使い切ったら無くなってしまうのか。
疑問は尽きない。
けれど理屈を調べるのは必要になった時でいい。
結局魔石を五つも食べて満足したのか眠り出した。最近何故か食べる量が格段に増えている。
そんなに食べて腹は大丈夫なんだろうか。ちょっと心配になってしまう。
けれど満足そうな顔で眠るサリのふかふかの毛並みを撫でているとそれも薄れていった。
そろそろあの時拾ってきた魔石も尽きそうだ。全部はさすがに持ってこられなかったからバッグに入るだけ詰めて来たが、ニ十個以上あったはずだ。けれどそれがもう殆どない。
熊の魔石はさすがに大きすぎて置いてきた。人の頭ほどあったあれは異様に重かったから諦めるしかなかった。
無くなったらどこかで調達できるだろうか。
膝の上で穏やかな寝息を立てるサリを撫でる。
最近サリは魔石をたくさん食べてその後すぐ眠ってしまう。
瘴気の中ではなかった事だけに少し心配になる。
膝の上で撫でられながら眠るサリは気持ちよさそうで、病気の気配は感じない。
魔力も潤沢になるから仮にどこか悪くても自然治癒しているはずだ。だから大丈夫、とは思うけれど。
誰かに相談してみたくもある。
「ウサリスに詳しい人……なんているわけないか」
本にも俺が知っている知識以上の期待は出来ない。治療所はあるけれど治癒魔術をかけてくれるだけだ。治癒の魔術は適性がなかったのか俺には使えない。試しに一度かけて貰いに行った方がいいんだろうか。
色々考えていたけれど何の解決策も浮かばない。
サリの穏やかな寝顔を見つめているうちに、何だか眠くなって来た。
腹が減るまで一休み。
そんなつもりでサリを抱えて横になる。
右肩にサリを置くと少しごそごそ動いた後、いつも通りの形で落ち着いた。
もうこの重みがないと落ち着かない。
「お休み、サリ」
ふわふわの毛並みを撫でながら目を閉じた。