6.誘拐に備えよう
私はグレイシア・アストラーデ。アストラーデの王族らしい彫りの深い顔立ちで、もうすぐ3歳になる王太子の長女だ。会う人会う人から「お父様にそっくり」と言われるが、自分でも初めて鏡を見たときに、あまりにも似すぎているので思わず笑ってしまった。私の髪と目の色はお母様譲りの赤紫と緑だが、これが藍色と金色になれば、小さいお父様の完成である。
初めて鏡を見た日を覚えているのは、私が前世の記憶を引き継いでいるからだ。前世の最終日の記憶の次に、今世で胎児だった記憶がある。なので今世の赤ちゃん時期の出来事は、全て大人になってからの出来事のように覚えている。
赤ちゃん時期の印象深い思い出の1つに、前世の家族との再会がある。前世の私と同じ名前をもらうと決まった縁で、顔合わせの機会を得たのであった。
騎士一家の彼らは、王太子妃の護衛騎士としてお母様を守って散った前世の私を誇りに思ってくれていた。結果的にお腹の御子までも守っていたことを知って喜び、さらにその御子に同じ名前が付けられると知って狂喜していた。お披露目前の御子を腕に抱いたことも含めて、地味な子爵家の最大の武功として、後世に語り継いでいく気だろう。先立った不孝を申し訳なく思う必要もないと分かり、前向きな気持ちでお別れができた。
もう1つ印象的だった出来事は、密かに誘拐されるのを回避したことだ。私がまだ赤ちゃんだからと油断した犯人たちが、私の前で何度も誘拐計画の詳細を話してくれたので対策を練ることができたのだった。
また、誘拐に失敗した後も、次の誘拐計画は私が3歳になるまで待つつもりだと教えてくれた。あれは私のお披露目があった翌月の出来事だった。
*―*―*
また1日がやって来た。先月の誘拐計画からは逃げることができたが、今月はどうなるだろうか。
あの日、大男は客室の窓の外に来ていたが、中の様子を確認してそのまま去った。あの身のこなしなら、窓を割って入って来れば、騎士に捕まる前に私を抱えて塀を越えられたはずだ。それをしなかったのは、国外へ逃亡する予定だったからだろうか。
眠っている私をそっと連れ出せば、夜中のうちに馬で山道から国境を越えられる。または国境付近まで移動しておいて、朝一番で開門と同時に馬車で検問を通れる。
しかし騎士に追われながら連れ出した場合は、赤ちゃん連れなので馬の速度も上げられず、城の近くに身を潜めるしかなくなる。その間に国境の警備が厳しくなり、アストラーデから抜け出すのは難しくなる。
ということは、もし今日も誘拐されそうになったとしても、騎士がすぐに来るよう仕向ければ諦めて去るかもしれない。そう考えて、離乳食用の小さな銀のフォークを2本くすねておいた。
大男が私を連れ去ろうとしたら、先ほどお母様がハーブティーを飲んだティーセットに、このフォークを投げつける予定だ。大きな音がして、さらに私の泣き声も聞こえたら、扉の前で待機中の騎士が部屋の中を確認するはずだ。侍女が粗相をしたのだろうと予測したとしても、安全確認の為に必ず扉を開けて確認するのが騎士の仕事である。騎士はノックをして、「安全確認の為、扉を開けます」と宣言してから開けるはずなので、その間に大男は逃げるだろう。
緊張しながら隠していたフォークを取り出して握りしめていると、程なく侍女と大男がそれぞれ扉と窓から入って来た。
「今日決行かしら?準備はできているわ。」
侍女は緊張気味に話し、大男は淡々と応えた。
「いや、計画は姫様が3歳になるまで延期することになったって伝えに来た。」
計画は私が3歳になるまで延期! 良かった! 3歳なら自分で歩けるし、簡単な武器を扱える。自己防衛の手段が増えるので、鍛錬を怠らず続けていこうと思う。
「そう。先月は役割を果たせなくて悪かったわ。」
「気にする必要ねえさ。お前の書き置きのおかげで客室にはすぐ行けたしな。あの日に連れ帰ることが最優先だったら、やってたよ。急ぐ必要はねえって俺の判断で中止しただけだ。」
やはり誘拐できたけど、しなかったのか。
「でも将軍は怒ってるんじゃない?」
「将軍は、姫様がアストラーデに洗脳される前に急いで連れて来いって言ってたからな。なかなかに怒ってっけど、まあそれは他の幹部連中が適当に収めんだろ。姫様にとって大陸内で1番安全で快適な場所にいるのに、わざわざ急いで連れ出す必要はねえさ。食う物だって違うんだろ? あっちに連れてっても赤ん坊を育てられる奴がいねえよ。」
「まあそれはね、私が付いてって、できる限りのお世話をするしかないと思ってたわ。」
恐い恐い、どんな環境なんだろう? 敵の情報を得る為に捕まってみるのも有りかと考えたこともあったけど、この様子なら断固拒否だ。
「せっかく全く疑われずに潜入できてるのに、お前がここを辞めるのは勿体ねえよ。オーブリー様付きから姫様付きに異動できるならしといてくれ。作戦が長くなって悪いな。」
「あら、ここは綺麗な部屋に3食おいしい食事付きだから、いくらでも長くいれるわよ。」
「そうか、頼んだ。ヴァル坊の方が、隣国に入った以降の足取りが全く分からず手詰まりだから、姫様だけは絶対に手に入れるぞ。まあ、向こうもまだ成人まで12年あるから、その間に見つかるかもしれねえけどな。」
そういえば6歳の男の子も探しているのだっけ。育てる環境が整っていないのに、6歳と0歳を誘拐しようだなんて、雑な人たちだ。絶対に捕まらないように頑張ろう。
「――そろそろ時間だな。姫様が1歳になったらまた来る。」
大男はそう言って、また音もなく消えた。
*―*―*
それ以降、あの大男は見ていない。1歳になった翌月からお母様と別の部屋で寝るようになり、侍女は大男の指示通りに私付きの侍女に異動した。最初の数ヶ月は、夜中に私の部屋に入って来るかもしれないと身構えていたが、空振りに終わった。私の部屋では乳母のアルマが一緒に寝ていたからかもしれない。
アルマは私が寝返りでうつ伏せになっただけで、夜中でもすぐに気付いて仰向けに戻してくれていた。アルマは音や気配に敏感なので、きっと侵入者が来たらすぐに起きるだろう。オーブリー様には侍女が事前に睡眠薬を飲ませていたようだが、侍女と乳母の関係ではそれも難しいだろうから、連絡手段を他の方法に変えたのだろう。
私付きの侍女と言っても、私のお世話はアルマがするので直接の関わりはあまりない。アルマが席を外している間は2人きりになることもあるが、心を開くことはできないので距離が縮まることはない。みんなからはノアと呼ばれているが、親近感が湧くと嫌なので決して名前は呼ばない。
そんなことを考えているとお母様からの遣いが来た。今日はお母様の公務の合間に一緒にお茶をする約束をしていたのだ。
準備はできていたのですぐに部屋を出て、お母様の部屋へ向かった。私が廊下に出たのに気付いて確認を取ってくれていたようで、お母様の部屋の前に立つとすぐに騎士が扉を開けてくれた。
「グレイシアが参りました。」
1歩入ったところで挨拶をすると、お母様が朗らかに応えてくれた。
「いらっしゃいレイス、よく来てくれたわ。いつの間にか、そんなに立派な挨拶ができるようになったのね。最近は朝食の時間以外、なかなか一緒にいる時間がなくてごめんなさい。」
「いいえお母様、こうして時間を作ってくださって嬉しく思います。お招きありがとうございます。」
お母様は少し戸惑ったような笑みを浮かべながら、私の手を引いてテラスへエスコートしてくれた。
「レイス、作法の先生の言う通りにできるのはとても良いことだし、娘が優秀なのは母として鼻が高いわ。でもね、私たちは母娘なのだから、他人行儀な作法は寂しく感じてしまうの。私ったらワガママね。」
テラスには既にお茶の用意がしてあって、私の大好きなバターたっぷりのクッキーもあった。本当はカスタードクリームたっぷりのフルーツタルトが好きだけど、クリームをのせたお菓子は3歳になるまで我慢するように言われている。もうすぐ解禁されるのが楽しみだ。
お母様は長椅子に私を座らせると、すぐ横に密着するように腰掛けた。
「作法の勉強中のレイスには悪いけど、今日は母娘の時間だから正しい作法とは違うこともあるの。あなたが3歳になったら我慢するから、今日は許してね。このお茶会のことは、みんなには内緒よ?」
そう言って、クッキーを食べさせあったり、1枚のひざ掛けを一緒に使ったり、作法の先生が見たら発狂しそうな母娘のティータイムを過ごした。
太陽が傾き、楽しい時間も終わる頃合いとなってから、お母様から質問をされた。
「そうそう、今日来てもらったのにはもう1つ理由があるの。もうすぐ3歳の誕生日でしょう? 欲しい物はあるかしら?」
欲しい物! ありますあります、この身体で扱える武器と誘拐犯の情報が欲しいです! でも、3歳の誕生日におねだりするのには相応しくないので、どうしたものかしら。
3歳児らしくて、でも本当に欲しい物の代替品になる物。少し考えて、欲しい物を3つに絞った。3つ全部おねだりする場合は、簡単な物から順にお願いしていくのが定石かしら?
「ではお母様、誕生日には果物たっぷり、カスタードクリームたっぷりのタルトが食べたいです。」
「うふふ……分かったわ、厨房に伝えておくわね。年相応の欲しい物で安心したわ。でもそれは、誕生日のケーキをどんなケーキにするかであって、贈り物はまた別ね。他に欲しい物はない?」
念願のフルーツタルトだ、嬉しいな。さて、次も簡単に許可がもらえるかな?
「では、本が読みたいです。図書館という場所に、一生かかっても読みきれない程多くの本が置いてあると聞きました。先生やアルマの持って来る本もおもしろいのですが、せっかく字が読めるようになったので自分でも選んで読んでみたいです。」
「そう、分かったわ。お父様に図書館の利用許可がもらえないか相談してみるわね。レイスなら本を破いたり汚したりする心配もないし、きっと大丈夫よ。でもそれも、贈り物とは違う気がするわね……他にないかしら?」
よし、これで情報が手に入る。少し古い情報ばかりだろうけど、大陸内の歴史やそれぞれの国の政治思想などは分かるだろう。犯人の正体や目的を探る為に、沢山勉強しよう。最後は1番欲しい物をおねだりだ。
「うーん、それでは、ぬいぐるみさんと遊ぶお部屋が欲しいです。ネコさんとウサギさんとクマさんとお茶会をしたいのですが、普段私が使っている机や椅子は大きすぎるのです。」
本当は、素の自分でいられる秘密基地が欲しい。これから図書館が利用できるようになったら、大人向けの本を読み込んでいる姿を見られたくない。「難しくって分からないけど、とりあえず読んでみているの」という演技をするのも面倒だ。本の中で気になった内容をメモに取る際も、誰かに見られた場合に備えてわざと綴りを間違えるのが大変だ。
「みんなとお茶会をしたり、お勉強会をしたり、図書館に行けるようになったら読書会もしたいです。私の部屋の中に、小さな部屋を作っていただくことはできませんか?」
「ええ、もちろん良いわよ。王宮大工さんたちが、きっと喜んで作ってくださるわ。どんなお部屋が良いか、お絵描きしてくれるかしら?できる限り、レイスの希望に近いお部屋に作ってもらいましょうね。」
やっぱりお母様は子供に甘い。でもそのおかげで誘拐対策がかなり進みそうだ。武器についても手に入れる見込みが立っているので、あとは侍女をどうするかだけだ。
3歳になったら乳母とはお別れになるので、あの侍女に身の回りのお世話をされることになる。気持ち悪いので交代してもらうか、見えないところにいる方が心配なので側において様子を見るか。
まだまだ考えることは沢山あるが、とりあえず今は急いで秘密基地の設計図を描こう。不謹慎だけど楽しみだ。
第2章、3歳編に入りました。
0歳では恋の始まる気配がないので、一気に3歳にしました。
3歳でもまだ恋は始まらなさそうですが……
時系列が分かりにくくて申し訳ありません。
メインの時間軸は3歳の直前で、6ヶ月の頃の回想をしました。
文章力が足りないせいでうまく表現ができず、
更新に時間がかかっていますが、完結できるように頑張ります。




