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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編もの

悪役令嬢の生国、隣国の暴君皇帝によって滅びる

作者: 黒須 閑

書きたいシーンのための自己満足なので、ご都合主義の一話完結です。


残酷な描写は後半にあります。苦手な方はご注意ください。


 プロトラクト王国は小国ながらどの国よりも長い歴史を持つ。

 国の中枢の王都の上空には覆うように結界の大魔法陣が浮かんでいた。しかもぼんやりと青天に溶け込むように常にあるのだ。

 その結界は初代聖女が築き上げ、歴代の聖女が維持し管理する。


「薄まっているような…………気の所為かしら」


 それを塔の窓から見上げる娘が一人。

 娘がいる部屋には結界の大魔法陣に似た模様が床で鈍く光っている。

 オーレリアは半年前までは公爵家の娘でこの国のテレンス王太子の婚約者だった。

 断罪されたのだ。

 王太子のお気に入り子爵令嬢に貴族の常識を説いた。あまりにも淑女らしからぬ言動や行動が目に余った。

 それだけなのに何故か色々な事柄がオーレリア主導で行われ、子爵令嬢の命を脅かし危険な目に合わせたと王太子が宣わった。

 それは公衆の面前で、王太子の学園卒業式に行われた。

 王太子と寄り添う子爵令嬢、王太子の側近候補たちがオーレリアの罪を並べ立てた。


『公爵家からは娘一人の行いだからと、私の裁量でお前の身のふりを決めていいと言われた。お前とは婚約破棄だ』


 当然オーレリアの言い分は聞いてはもらえず、国外追放を言い渡された。

 騒めきの中、誰かの笑い声が一瞬耳に拾った。

 その場にいるであろう義妹の姿を探せば、人垣の前列に優越に浸る笑みを浮かべていた。

 冤罪のお膳立てをこの血の繋がらない義妹がしたに違いない。日頃から目障りだと意地の悪いことをオーレリアにしてきたのだ。子爵令嬢と義妹が二人仲良く歩く姿を数ヶ月前から何度も見かけた。

 そういうことかと納得する自分がいた。

 シンと静まり、友人だと思っていた生徒たちも目も合わせず遠巻きに見ているだけ。

 その理由は王太子のお気に入りの子爵令嬢が聖女だと聖女教会から認められたからだ。しかも王太子と相思相愛の仲。

 この国では聖女教会は王家と並ぶ権力を持つ。

 オーレリアは王家が認めた婚約者ではあるが公爵家の娘、それだけだ。

 かたや王太子の寵愛があり教会に認められた聖女。

 かたや王太子曰く罪を重ねた婚約者で不仲と噂される公爵令嬢。

 どちらの味方になるのか。誰も二大権力には逆らいたくはないのだ。

 オーレリアは失意のまま公爵家に戻れば、義母が鷹揚に出迎えてきた。

 そこには小さな旅行鞄が一つ用意されていた。

 案の定、今まで見た中で一番の笑顔。


『これを持って出ていきなさい。命があるだけありがたいと思いなさいよね。隣国まで送るから逃げずに向かうことよ。貴女のお兄様のためにもね』


 父が病死したあと爵位は嫡男の兄が受け継いだ。血の繋がった兄は人材交流で隣国に長期滞在中。その隙を狙い義母と義妹が屋敷を手中に収め、使用人は義母の息のかかった者たちに変えられてしまった。

 今から兄に知らせても間に合わない。今はこのまま国外追放され、落ち着いたら連絡するしかないと大人しく従った。

 用意された旅行鞄を手に持ち、これ以上屋敷にいるなとばかりに馬車に乗せられ、車窓の景色から国境に来たまでの記憶はあった。

 目が覚めればこの部屋に一人。そしてここが王城の敷地の一角にある塔だと知った。


「これは、まずい状況ではないの……?」


 日がな一日何もすることがなく、格子窓から結界の大魔法陣を毎日見ていた。オーレリアは聖女ではないが、何となく勘が働いているような気がするのだ。自分の魔力が込められたから気配を感じるのかもしれない。


「断罪あとは……設定資料でも国外追放しか出ていなかったから。今の状態もある意味原案通りなのかしら。それともイレギュラーなことがおきているとしたら……? わからないわ」


 この部屋で目が覚めて、自分が前世日本人だったことを思い出した。しかも小さなゲーム会社の広報を担当。手が空けばゲームのテストプレイや雑用も行った。

 大学の仲の良かった先輩が働く会社にバイトを紹介され気がつけば卒業後は入社していた。


『ちょっと黙ってすましてれば、できる女って感じじゃない。あんた見た目がいいから営業とか広報関係やってもらって会社に貢献してよ。それにゲーム好きでしょ? 会社は大手の下請けもしてるから、完成後は配られたゲームあげることもできるよ』


 確かにゲームは好きだが仕事にするつもりはなかったし、何よりも忙しくて逆にゲームをする時間がなくなった。

 自分がその後、どう死んだのかわからないが、ある意味異世界転生だろう。

 会社が作ったオリジナルの乙女ゲームの世界観にそっくりなこの世界。登場人物たちがそのまま存在していて、何よりも自分がその一人でヒロインをいじめる悪役令嬢になっていた。


「思い出すならせめて断罪の一年くらい前にしてほしかった。今だと役に立たないわ」


 ガックリと肩とため息を落とす。

 前世の記憶は自分のことは朧気だが、ゲーム内容ははっきり思い出せていた。それがこの部屋での最初の出来事で、軽く思考が停止したのはその時だけだ。

 今は記憶と気持ちの整理がついて冷静に判断できるようになった。


「その後の展開を原案者に聞いておけば良かったわ。でも誰も悪役令嬢のその後なんて気にしないわよね」


 オーレリアは首元に手を当て首輪を触った。

 この世界の人間は魔力があり魔法が使える。

 これは魔道具で魔法を使えなくさせるためのもの。つまり脱走防止の役目もあった。

 オーレリアも魔力は人よりも多くあったが、魔法の才能は人並みにしかないのに徹底している。

 そしてこの部屋の床にある魔法陣は、オーレリアから魔力を勝手に吸い上げ結界の大魔法陣の維持にあてているのだ。

 本来ならば維持管理は聖女、もし聖女が現れていないならば教会に所属する司教たちが行うはずだ。

 教会で見慣れた魔法陣が床にあるということは、聖女ではなくこのままオーレリアにやらせることにしたに違いない。

 オーレリアが幼い時に聖女はいたが老齢だった。一度だけ会う機会があったがその時に優しい老婦人に頭を撫でられた記憶がある。その後、聖女が身罷るとオーレリアに何故か打診が来た。魔力の多いオーレリアに司教たちに混じり維持するための祈祷を請われた。

 父に連れられ教会で祈祷をした結果、オーレリアが加わると通常よりも維持期間が長くなることがわかった。教会側は喜んだ。多数の司教の祈りよりもオーレリア一人で十分果たせるのだ。それ以降は教会に赴きたまに祈り魔力を捧げた。

 この頃に王家からの希望で第一王子の婚約者にオーレリアが決まった。

 オーレリアは第一王子に悪い印象もなく好感が持てた。相手の第一王子もオーレリアに優しく気遣ってくれた。国をさらなる発展に導けるようお互い努力をしよう。などど夢や希望を語り、周りからも暖かく見守られていた。

 だがそれも貴族たちが通う学園で子爵令嬢に出会ってから狂い始める。


「しかし、国外追放後にこんな運命になるとは、前のオーレリアなら落ち込みそうだけど……今の私だと前世の所為か諦めというか達観し始めちゃってるのよね」


 オーレリアがいる部屋は塔の最上階で明かり取りの小窓と、一つ大きな窓があるが当然脱出できないように格子がはめられている。

 その格子窓から覗くと地上はかなり下にある。仮に格子が外れ当然飛び降りても無事ではない高さだ。

 唯一の出入り口が扉だが当然鍵がかかっていて出ることは敵わない。

 一日に二度、扉が開き食事が運ばれてくる。しかも運んでくる人間は目を合わせない。話もしない。顔ぶれも全て違う人間という、オーレリアを警戒している。


「か弱い令嬢に何を怯えているのかしらね」


 ちらりと小さなテーブルに載せられているものを見る。今朝運ばれてきた冷たい食事は浮身のない味薄いスープと硬いパンのみ。これが食事として出されている。

 最初はオーレリアも警戒して手を付けなかったが、次第に餓死するのもバカらしくなり手を付けた。利用価値があるうちは生かすという意思表示に他ならない。

 オーレリアは脱出の機会を狙いつつ、黙ってこの部屋で大人しく過ごしていた。

 しかし最近体が急激に痩せてきたのは、毎日の食事がそれしかなく栄養が少ないせいか。

 どうやらオーレリアの体力低下により、魔力の吸収も減り結界の大魔法陣の維持に綻びがでた可能性がある。

 そして今日空を見上げれば、結界の大魔法陣が脆くなっているような気がしてならない。

 この結界の大魔法陣は魔物やこの国に敵意があるものを弾いてきた。これは初代聖女から今まで破られたことはない。

 大陸の覇者となった帝国も手を出すことなく、この国と同盟を長く結んでいた。

 ここ数年帝国は国内の整備や経済に力を入れおとなしい。それが返って恐ろしいと貴族の誰かが言っていたのを聞いたことがあった。

 もしこの結界の大魔法陣がなくなればどうなるか。

 この国はいとも容易く戦火に巻き込まれるのではないか。属国を従えた帝国が好機とばかりにやってくるだろう。次々と周辺諸国を属国にしてきたのに、今は国の繁栄と言いつつひっそりと同盟国の様子を伺い、いつでも責められるよう準備を整えていたとすれば――。


「逃げるチャンスを待っていたいけど、その前に私が生きている可能性あるのかしら。……はあ、とりあえず食べましょう」


 オーレリアは席に座り硬いパンをちぎってはスープに入れた。今日はこのまま浸してパン粥風に食べようとスプーンを取る。


「ここぞとばかりに結界を壊して、どこかの国が仕掛けてこないかしら。一番良いのが同盟無視しての帝国からの侵略よね。その隙に逃げれたらいいけど、叶わない夢だわ………………?」


 ガラスが砕ける音が聴こえた。

 格子窓にはめ込まれた窓ガラスは割れていない。

 さっき聴こえた音は頭の中で響くような感じだった。


「……まさか」


 立ち上がり格子窓から外を見れば空は変わらず青空。

 雲ひとつない、結界の大魔法陣もない綺麗な青空が目に映る。


「結界が消えた」


 直ぐにもその空にポツポツと黒い点が多数見え始める。点が大きくなると人影の形になる。

 他国の先遣隊か偵察がやって来た可能性が高い。

 つい先程他力本願なことを考えた所為にしては偶然すぎる。


「嘘でしょう……どこの国。駄目だわ。ここからじゃよく見えない」


 急いでテーブルに近づき、席にも座らず立ったまま皿を手に取りスプーンでかきこむ。

 部屋の床にあった魔法陣は消えてしまい跡が残っているだけだ。

 直ぐにも扉に向かう。

 扉は押しても引いても反応もなく、叩いても体当りしても開かない。周りを見て扉を壊すものがないか探し始めたが何もない。

 首にはめ込まれた魔封じは未だ健在で、指先に力を込めても初歩の魔法が何も発動しない。

 外からの喧騒が微かに聴こえてきた。

 窓から眼下を見れば火の手はないが城から煙がところどころあがる。さらに城から逃げ出す人々は捕まり城の中へ引きずられていく。

 鎧姿ではなく軍服姿が逃げ惑う人々を捕まえているのがわかる。黒系の軍服はいくつか国が浮かぶも多数あり決めつけられない。

 次第に鎧姿や魔法師らしいローブ姿の人々までどこからか現れ始める。

 ちょうど城壁を覆うようにドーム状の壁膜が現れた。当然この塔も城壁内にあるため、壁膜の内側の位置となる。この塔から逃げ出しても先程のように侵略者たちに見つかれば捕まってしまうだろう。

 壁膜の頂点に魔法陣が展開されたのが見え、これで誰も外へ出ることができない。

 つまりオーレリアがこの塔から脱出できても外へは出られないのだ。


「結局、悪役令嬢は死ぬ運命なのかしら」


 外の喧騒は相変わらずで、たまに爆発音も聴こえる。

 ため息をつき食後のルーティンとなった、椅子を引きずり格子窓の側に寄せそこで座った。




 ぼんやりと空を見ながらどれくらい経った頃か。

 扉向こうが騒がしい。激しく叩かれたかと思えば蝶番ごと扉が外れ床に倒れた。お陰で床から塵がブワッと部屋に広がる。

 階段側には鎧姿の兵と軍服姿の男性がいた。

 その人物が部屋に入ってくる。目があった。

 男性のその表情は一瞬憂いを浮かべるも、すぐに微笑みを湛える。


「オーレリア・クレインハート嬢、とお見受けするが」


 物腰は丁寧。顔はオーレリアの記憶の中に当てはまる人物がいない。しかし、目の前の黒い軍服は記憶の中の帝国の軍人と一致する。


「わたしはギルモア帝国近衛隊副長ヒンギスと申します。どうかレディ、ご同行願えますか?」


 手を差し出されオーレリアは黙ってヒンギスと名乗った男性を見上げる。

 みすぼらしい姿でも嫌悪なく丁寧に対応する男性に好感がもてるが、オーレリアになんの用があるのか。

 しらばっくれてみようか。それとも素直に名乗るべきか。

 男性は笑みの表情を崩さない。


「わたしは一度だけレディをお見かけ致しました。帝国の使節団の晩餐会に王太子の婚約者としてご出席されておりました。ちょうどその使節団の一員としてわたしもいました」


 二年前帝国との同盟条約再締結の話し合いのことだろう。初参加な公式行事であの晩餐会は王太子の婚約者として緊張しながらも参加した。使節団の文官たちの顔と名前は覚えているが、流石に護衛たちまでは覚えていない。


「それに、その髪色とその瞳。間違いないでしょう」


 この国の貴族ならば金色の髪が多く、何故かオーレリアの髪色は公爵家に稀に現れるピンクゴールド。今は傷んで艶もなく手ぐしで整える程度しかできない。

 瞳は確かに珍しいかもしれない。祖母の血筋に現れる色彩だと父から聞いていた。


「私がオーレリア・クレインハートだとして、帝国がなんの御用があるのでしょう。この国では罪人だと言われている娘です」


 冤罪だと言っても信じる保証はない。恐らく他国にもオーレリアが罪人だと伝わっている。


「恐れながらレディ……わたしは命じられただけです。オーレリア・クレインハート嬢を見つけ次第、身の安全を確保(・・・・・・・)し皇帝陛下の御前にお連れするように、と」


 身の安全の確保――と言われ、まるで重要人物なような言い方だ。

 しかも皇帝陛下がここに来ている。


「帝国は……同盟を破棄したと言うことでしょうか」

「皇帝陛下御自らの出陣が答えかと」


 オーレリアは腹をくくるしかないと開き直ることにした。


 扉の外は階段がありところどころ明かりの灯った魔導具が壁についていた。

 仄暗い中、男性が先頭、次にオーレリア、後ろには鎧姿の帝国兵が階段を降りていく。

 塔の入り口を出ればそこには、軍人が二人、魔法師が一人に帝国兵が四人も待機していた。

 オーレリアを真ん中に周りを彼らに囲まれ見える城まで歩いていく。

 ちらりと後ろを見れば単独に建てられた塔がある。

 妃教育で習った王家の幽閉塔だと気がついた。しかも様式美として建設され、一度も使われたことがない建物だと聞いていた。それは事実ではないのだろう。あそこにいる間、何となく誰かの生活の痕跡が隠すようにあったからだ。例えば文字にも見える壁の傷跡。床のへこみや色褪せた家具の跡。

 顔を戻すと城壁に掲げるべき王国の旗がなく、帝国の旗がはためいている。

 周りを囲む帝国兵たちは次第に歩く速度の遅くなるオーレリアに合わすように配慮する。

 城中に入れば廊下には倒された花台や窓ガラスの破片、脱げた誰かの靴や衣服。場所によっては施錠しているのか扉の前には帝国兵が立っている姿。きっと扉の向こうには城勤めの人たちが閉じ込められているのだろう。

 通い慣れた廊下を歩けば床に転がり息も絶え絶えな国の騎士たちが転がっている。赤黒く変色したものは言わずもがな、オーレリアは息苦しくなる。


「レディ、宜しければ抱き上げる許可を」


 足取りが重く顔色に出ていたのか、横に沿うヒンギスに心配された。


「いえ、歩けます」


 力強く声に出して歩き出す。

 大階段に来ればもうその先は謁見の広間だとわかる。階段を登りきったが胸に手を当て息を整えた。やはり体力が落ちている。

 ヒンギスに促され、謁見の広間の扉前で立ち止まった。そこには槍を構えた帝国兵が門番のごとく待ち構え、ヒンギスが閉じている扉を軽く五回叩いた。

 暫くするとゆっくりと扉が開いていく。


「では参りましょう」


 ヒンギスにエスコートされ扉の中へと踏み出した。

 広間は重苦しい空気に満ちていた。

 壁際には帝国兵や軍人たちが立ち並んで微動だにしていない。

 その兵たちの前にこの国の政治を担う者たちが座らされている。青ざめる者、震える者。中にはうつ伏せで倒れ込んでいる人も数人、その背中には赤黒く染まっている。

 広間の前方には一列に膝をついた人々が並んでいた。その真後ろに帝国兵が数人睨みを効かせている。

 奥にある大理石の階段に据えられた玉座には人が座っているのがわかったが、オーレリアはまずは目を伏せる。まずは挨拶しなければ顔をあげれないからだ。

 しかも先程から漂い鼻につくのは血臭だ。

 足が震えそうになるが心を奮い立たせ前へ前へと向かった。


「陛下、オーレリア・クレインハート嬢をお連れ致しました。予想通り北の古塔に居られました」


 王太子たちの列に加わるのかと思ったが、ヒンギスは手を先の玉座に向けていた。


「陛下のお近へ。挨拶は略しても構いません。レディは許されておりますので」


 囁く内容に思わず驚きヒンギスを見上げ、恐る恐る玉座に顔を向けるもすぐに顔を俯かせた。

 この場に相応しくない姿でも、例え罪人として連れて来られたとしても、礼を尽くさねばなるまい。

 一張羅となった粗末なワンピースの裾を持つ。胸を張り背筋を伸ばし目線をさげ、片足を後ろへ引き膝を深く曲げ腰を落とした。


「皇帝陛下に拝謁致します。お呼びにより参上致しました。オーレリア・クレインハートにございます」


 一応罪人だから名前だけで良かったのかもしれないと心の中で自嘲する。

 体を戻し胸を張るはずが体の力がぬけふらついた。踏ん張ろうとするができず床に座り込む寸前に腕を捕まれ体が浮き上がった。抱き上げたのはヒンギスだと思って見上げた顔は違った。思わず目を見開き凝視したが、相手は視線があっても無表情だ。

 次に驚いたのはオーレリアが降ろされた場所が玉座だった。慌てて立ち上がろうとするが肩を押され有無を言わさず固定される。


「そこにいろ」


 低い声の圧力に従うしかなく身を縮こませながら動くのをやめた。

 一定の間隔で小さな音が横から聞こえ視線を感じる。気になり横、右後方に小さな机が目に入りそこで顔が留まる。凝視するその頭と目があい、反射的に悲鳴を上げるも両手で口を封じた。


「ああ、すまないな。手始めに使えぬ頭を刈り取ったのだが……おい、これを城の城壁――あーここでは広場だったか、そこに晒しとけ。それから王国の旗は、いつものように」


 オーレリアを玉座に座らせた人物――ヒンギスの言うギルモア帝国皇帝が面倒くさそうに指示を出す。

 あの頭はこの国の王の生首だ。切れた生首から漏れ出た血が机の縁からポタリポタリと床に落ちていく。

 ヒンギスの隣にいた軍人たちが机ごと持ち出していく。更に玉座の後ろから国王の胴体を引きずり出し血の跡を残しながら広間から消えていった。

 玉座の後ろにあった王国の旗も一緒に持ち出された。

 オーレリアは背中を向ける皇帝を見上げた。銀色の髪の背の高い青年がギルモア帝国の皇帝とのことだ。

 自分の記憶の中の皇帝はこんな軍人らしい偉丈夫ではなかった。中年の小太りで皇后の他に側室が数多いる色を好む人物だったはず。もちろん、これは公爵令嬢としての知識だ。

 罪人としてあの塔で幽閉されていた間に世代交代でもあったのなら分からなくもない。

 側室の数以上に、その血を受け継いだ皇子皇女がいた。しかし次期皇帝である皇太子を指名していなかったはずだ。オーレリアは皇后が産んだ第一皇子と第二皇女にしか面識がなかった。


「ダリル」

「はい。お待ちを」


 玉座の横からひょっこり現れたのは魔法師のローブ姿の男性。

 オーレリアと目が合うとにっこりと笑いかけられた。


「その戒めを外しましょう」


 ダリルと呼ばれた魔法師が手を当てると、魔法陣の光が弾けあっけなく首輪が外れた。それをダリルは回収して元の位置に戻る。

 オーレリアは首元を触りほっとした。


「さて、待ち人も来たことだ。始めようか」


 オーレリアはゾクリと肌を撫でる偉丈夫の冷淡な声に、知らず知らず腕を摩る。

 皇帝の前で一列にいたのは、王太子と聖女、その側近たち。

 体には拘束の魔法陣が絡みつき、口元にも封じる魔法陣が見える。

 王太子はオーレリアを見てから顔を歪ませ、口を動かすが声にならない。聖女は涙ぐんではいるが、オーレリアと視線があった途端憎々しげに睨まれた。王太子の側近たちは気丈にも顔を上げてはいるが明らかに顔色が悪い。

 王太子たちの一列の脇にはローブ姿の魔法師たちが拘束しているのだろう。

 皇帝が片手を振ると魔法を解かれ、王太子は皇帝に食って掛かる。


「何故だ! 何故私達はこのような目に合わねばならない? 帝国とは同盟関係だったのに! 何故破って攻めてきた? それにその玉座は私のものだ! オーレリアごときが座するな!」


 立ち上がりかけた王太子の背後に軍人の一人が立ち頭を押さえつける。


「何故何故喚くな。ったく……貴様の所為だろうが、馬鹿なのか」


 床に頭を擦りつけながらわからないとばかりに王太子は見上げる。


「俺と約束しただろう。オーレリアを幸せにする、と」

「オ、オーレリア? 何でそれが」


 王族同士面識があるのが会話でわかるが、そこにオーレリアが絡むのは何故か。オーレリアと皇帝は初対面のはずだ。疑問に思いつつも会話に聞き入る。


「新しく婚約者を立てたいなら婚約解消で良かっただろう? それなのに罪をでっちあげ国外追放と言いつつ、幽閉とはな」

「それだけで……?」

「……それだけで――とは何だ」

「実際、罪をおかしたから罰しただけだ」

「罪とは何だ?」

「この国の聖女を貶め殺そうとした罪だ!」


 ちらっと皇帝がオーレリアを見る。


「そうなのか?」

「いえ、私には身に覚えがありません」

「嘘をつくな! ローズに暴言を吐き、突き飛ばし怪我をさせただろうが!」


 この世界はゲームと瓜二つ。ゲームでは悪役令嬢だが、オーレリアとして生きてきた記憶には注意を口頭で何度かしたのみだ。暴言と言われるほど酷い言葉を使った覚えがない。


「誰かと間違えているのでは……」

「ローズが言っていたのだ。お前に罵られ傷つけられたと、お前に階段から落とされたと怪我も見せられた!」

「俺は当事者たちの話を聞くことにしている」


 皇帝が聖女の前に立つ。王太子の隣りにいた聖女も魔法を解かれ、態勢を崩し両手を床につけ支える。すぐにも起き上がり多少顔を青ざめさせてはいるが、潤ませた上目で皇帝に顔を上げる。


「聖女のローズマリーです。フェイビアン様、きいてください。お友だちと仲良くしてるだけなのに、いちいち文句を言いに来るんです。皆平等に仲良くしてるのわかってくれなくて……羨ましいのか色々意地悪もされました。それにオーレリア様ってば婚約者だからって、テリーと仲良すぎのが許せないって、階段から突き飛ばしたんです。打ちどころが悪かったら無事だったかどうかもわかりません」

「その時、他に人はいなかったのか?」

「オーレリア様はいつも誰もいない時にやってくるから。それにあたしが聖女らしくないなんて、手を振り上げて……あたし今思い出しても怖い」


 涙を溢し抱きつこうとしたところ皇帝は身をかわした。

 聖女は空を切った両手に何もつかめず空振りした。

 王太子や側近たちは聖女を心配げに見守り、聖女は頬を赤らめその視線は皇帝を追っている。

 オーレリアは聖女の受け答えが相変わらずの変わらなさに呆れる。しかも新たな冤罪をでっち上げている気がするが。

 聖女が口走ったフェイビアンとは、確か下位貴族の側室が産んだ皇子の名前だ。継承権はもちろん下位。オーレリアは公爵令嬢の記憶を手繰るがそれくらいしか情報がない。

 皇帝は王太子に再び問いかける。


「調べることなく裁いたのか」

「は、何を言っている。ローズが嘘をつくはずないだろう。破られた教科書や壊れた文具、腕や足を赤く腫れさせ痛々しい姿を皆が見ている」

「二人がいるところを誰も見ていないのか? 物が壊れた瞬間も誰も見ていない?」

「私たちは二人でいるところを見ていない。全て事後だった」

「――逆に聞くが、オーレリアが真実を述べ、その娘が嘘を吐いたとは考えないのか?」

「そんな、酷いです! テリーもそう、思うでしょ?」


 ポロリと聖女は涙を流し、崩折れて王太子に縋りつく。

 王太子は肩を抱いて背中を撫でる。

 オーレリアは、許可もないのに皇帝の名前を言ったり、公的な場で王太子の愛称呼びはいけません――と苦言を呈したいところを今更かと諦めた。


「それこそありえない。ローズは聖女教会が認めた聖女だぞ。心優しいローズが嘘をついてどうする。オーレリアが国母になりたいがためにローズが邪魔だからに決まっている」

「まだそう思っているらしいが、そこの所はどうなのだ」


 呆れを含んだ口調を投げられ、オーレリアは息を吸い腹に力を込め声に乗せる。


「公爵家からではなく王命による婚約です。つまりは政略。それに私は国母になりたいといった覚えはありません」

「お前がローズとの仲に嫉妬していたのは知っていた。だから嫌がらせが度を越したのだろう! なんとも醜い心根だ」


 多少思うところはあったが、嫉妬はしていない。聖女に良かれと思い助言をしたにも関わらず聞き入れられなかった。さらに王太子と想い合う仲で聖女と認められたのなら、王命によって結ばれた婚約はいずれ白紙に戻される。思い出す前のオーレリアは受け入れる心積もりだった。

 それなのにゲームの強制力か、勝手に罪を着せられ婚約破棄だ。


「前にも言いましたが、嫌がらせなどしておりません。殿下との親密な仲にある聖女様には、殿下に侍るだけの器量を持つように、淑女としての心構えや所作を伝えたまで。それから私は嫉妬はしておりません。何故なら私は殿下にそのような想いを持ち合わせておりませんから。殿下こそ自惚れているのではないでしょうか」


 嫉妬するほどの王太子への想いは育たなかった。親愛は持ってはいたが、それさえもなくしたのは王太子と聖女たちの行いだ。

 不敬も忘れつい一言つけくわえてしまった。


「オーレリアお前っ!」


 王太子は怒りか身を震わせオーレリアに掴む寸前、軍人に押さえ込まれた。

 広間の扉があき白い服の集団が現れた。帝国兵に囲まれ、両手には魔封じの拘束具がつけられ歩かされている。聖女教会の枢機卿や司祭たちが王太子たちの列の後ろに並ばされた。


「教会に認められた聖女だったか」


 聖女はさめざめと泣いていたのに、直ぐにも笑顔となり元気に返事をする。


「そうです。教会の偉い人たちが、あたしが聖女で間違いないって!」

「ほう……聖女は結界を補強するほかにも治癒能力もあると聞く。我が帝国とこの国は長く同盟を結んでいた。親睦も兼ねて交換留学や各分野の官吏研修を二国間で行ってきた。当然お前たちが騒ぎを起こしたあの卒業式にも我が帝国留学生がいたのだが、随分と一方的だったそうだな。公衆の面前で婚約者を非難して、寄ってたかって一人の生徒を責め立てる。婚約者の言い分も聞かず、調べもなく、証拠もない。被害者だと訴える愛人の証言のみ。一方の加害者にされた婚約者は、孤立無援でも気丈に対峙していたそうだ。騎士とはか弱き者の味方なはずだが、そこの男は大勢の目の前で無理やり跪かせたとか?」


 歩みは聖女の隣にいる側近の前で止まった。

 皇帝はスラリと腰に佩いた剣を鞘から抜く。王太子の側近の腕を掴み、一刀のもと目にも止まらぬ速さで両断する。


「え、あ……う、腕が……ああ! い、痛く、ない?」


 騒いでいるのは騎士団総長の末息子のグレッグ。王太子とオーレリア、グレッグは幼馴染の関係だった。グレッグは幼い頃から護衛騎士になる夢を語っていたが、騎士服を着ていることから叶ったのだろう。

 グレッグの腕から血が吹き出すはずが全く出ることはない。肉や骨などの組織断面が見えるそこに魔法陣の光が覆っている。

 グレッグは目を白黒させ、自分の腕と皇帝が掴んでいる腕を交互に見ている。

 切れた腕を掴んだまま皇帝は冷ややかな眼差しを落としていたが、その腕を放り投げた。投げた先は座り込んでいた聖女の膝の上だ。


「ヒッ! なんで!?」

「ほらキレイに切ってやったんだ。治せよ、簡単だろ?」


 皇帝はしゃがみこんで聖女をじっと見つめ首を傾げる。


「言っとくがあと十秒で切り口から血があふれるぞ。切られた奴は痛みも感じる。こんな治療余裕だろ? 聖女なんだから」

「ローズ様、治療を! 治療してください!」


 グレッグは懇願し切れた腕を聖女に向ける。

 聖女は切り口を直視しないよう視線を絶えず動かし、


「ち、治療……? 治療……す、するわ。私は聖女だもの!」


 聖女は言い聞かせるように、恐る恐る腕を触るがその手は震えている。


「早く、早くしてください!」

「わかってる! わかってるわよ!」


 聖女は腕を合わせるが、グレッグは慌てた。


「違う、逆だ! ちゃんと元通りにしてください!」

「静かにして!」


 手の向きが裏返りそれをグレッグに指摘される。

 聖女が持ち直し切り口を合わせようとした瞬間、魔法陣の光が消え切れ目から血が溢れた。

 同時にグレッグの叫び声が広間に響き渡った。

 吹き出した血はもろに聖女に降りかかった。聖女も血を浴びてパニックになり悲鳴をあげる。


「聖女なら治療行為は慣れたものだが、ほら早くしないとその腕使えなくなるぞ」


 聖女の治癒能力は高いと言われている。切れた肢体を何事もなかったように元通りに治せるからだ。司祭や魔法師たちは治療はできても、元通りに生活できるかは施術者の熟練度と患者の日々の回復訓練にかかる。

 会社が作った乙女ゲームは攻略対象との恋愛が主軸ながら、実はやり込み要素も存在する。

 平日は生徒として、休日は自由だが認定後は聖女として過ごす。ゲームの中盤から発生するミニイベントで攻略対象から一人を選び協力を求める。聖女の能力を高めるためのミニイベントなのだ。

 それぞれ隠れパラメータがあり、それを積み上げる事による対象ごとの敬愛エンドへ繋がる。

 友情か恋愛か、どっちつかずな地味なエンディングながら隠れた人気があったらしい。攻略対象ごとに会話の選択肢よっては身悶える答えが返ってくる。選んだ選択肢順により美麗なスチル画面があらわれるご褒美もあった。

 オーレリアは冷めた目で半狂乱になりつつある聖女を見ていた。

 今の状態を見る限り聖女は、ミニイベント関連の教会での奉仕や郊外活動をろくにしていない。逆ハーレムエンドを目指しているなら、敬愛エンドに向かうルートは却下だろう。

 この聖女は初歩的な治癒能力だけのようだ。教会で修練を行えば肢体損傷も癒やすことができるはず。恋愛活動しかしてこなかったツケが今ここで払わされている。

 それでもあの切断の仕方を見る限り、その初歩の治癒でも十分治せるのではと素人のオーレリアでも感じた。

 しかし、混乱中の聖女は治癒を行おうとするが手元が震え続け、相手のグレッグは痛みで腕を抱えてうずくまる。側にいる王太子たちは黙ったまま手助けもしない。


「だいぶ血が出ているがこのままだと死ぬぞ? それとも教会に金でも積まれ聖女になれと言われたのか?」


 皇帝の言葉に新たに連れて来られた集団、聖女教会側から心外だとばかりに声を上げている。


「神の愛し子たる聖女を侮辱するとは!」

「類まれな聖なる属性の魔力の持ち主だというのに!」

「偉大なる教皇猊下が認めたのですぞ!」


 皇帝は嘲笑っている。


「その聖女様がこの程度だ。随分と質が下がったもんだな。それに聖女の最大の役目は連綿と続く結界の大魔法陣の管理だが――オーレリアにやらせる時点で、聖女とは名ばかりだろ。なあ、エドモンド五世の孫?」


 皇帝は前列の端にいた青年の前で、鞘に収めた剣をわざと音を響かせ床に立てる。

 今代教皇の孫エドモンドは、その音にびくつきガタガタと震えだした。

 偉大な教皇と同じ名を受け継ぐエドモンドは、聖女教会に魔力を捧げに行くと良く会った。大人しく陰気な人柄で会話などしたことがなかった。関わりはなかったはずだが、恨まれるようなことをした覚えがない。


「な、何を仰っているのか、わかりません」

「オーレリアの魔力を使って結界の大魔法陣の維持することを思いついたの、貴様だろ? そうすればそこの女の負担がなくなるし、貴様たちとの時間も取れるからな。国外追放なのに行き先があの幽閉塔になったのは――」


 皇帝は身を屈めて隣の顔を覗き込んだ。

 エドモンドの隣にいたのはこの国の宰相の息子ローランだ。


「貴様か?」

「…………」


 ローランは無表情になり微かに震えるも、ぐっと口を閉じている。

 同い年で幼い時に王太子の遊び相手として呼ばれ、順調に側近としての立場を得た。宰相の息子だけに末は宰相として王太子とともに国の繁栄の担い手になるはずだった。数える程度の会話しかしなかったが、なかなかに野心を潜めた人物に思えた。

 王太子は身を乗り出し皇帝に叫んだ。


「内政干渉だ! この国で起きた犯罪にいくら同盟国とはいえ口出しなぞ――ぐは」


 皇帝は片足を王太子の背に乗せ抑え込む。


「だからさー、黙ってろや。……宰相は、まだ生きてるか」


 帝国兵に首根っこを掴まれて皇帝の前に引きずられた。

 宰相は疲労困憊らしく床に座り込んだまま頭をうなだれている。


「なあ、この馬鹿どもに説明してやれ。貴様は理解しているだろ」

「……殿下……ギルモア帝国との同盟は、クレインハート家が健在であることが条件なのです」

「健在ならば、他にもいるじゃないか」


 甲高い声が聴こえてくると広間の扉から、義母と義妹が現れた。二人は暴れたのか髪が乱れドレスもよれてところどころ汚れている。

 二人とも王太子の列に並ばされる。王太子たちの様子から口は閉ざしたが、周りに視線を飛ばしてオーレリアを見つけた途端騒ぎ出した。


「貴女、なんでそこにいるのよ!」

「そうよ! 罪人のく――」


 皇帝が二人の前に来て止まる。

 列にいる魔法師たちは詠唱し、二人の体が勝手に床に座り込んだ。そして体に拘束の魔法陣が絡みつく。


「口を閉じねば縊り切るが、どうする」


 皇帝は二人を指さしたあと、喉に手を当て叩く。

 皇帝の冷ややかな殺気にあてられたのか、開いた口を閉じ首を縦に振る二人。そこで恐る恐る列に並ぶ顔ぶれを見て、何を覚ったのか顔を強張らせて震える。


「これはクレインハートと名乗るだけの偽者だ。で、なにか見つかったか」


 二人を連れてきた帝国兵は書類を手渡した。

 それに目を走らせ皇帝は笑い飛ばした。


「はっ! 馬鹿の集まりもここまでくれば喜劇だな。帝国としてはつけ入る隙だらけで大いに結構」


 手に持つ書類を宰相に投げつけた。


「爵位譲渡の書類だ。帰国後に脅して署名させる予定だったか。だが残念、ブルース・クレインハートは爵位返上、領地を王家に返すそうだ。貴様たちに爵位は手に入らない」


 オーレリアは兄の名前を聞き目を見開いた。長く続いた公爵家に終止符を打つとは何を思って決めたのか。どう考えてもオーレリアが罪人として扱われたことが原因だろう。

 日頃は薄ぼんやりして騙される人が多いが、あの兄は公爵家嫡男として強かで決断力が早い。


「あいつはこの国でなくとも生きていけると言ってたしな。おい、預かってきた書類を渡してやれ」


 皇帝は伏している王太子の頭を二回小突いた。


「何故オーレリア・クレインハートが、貴様の婚約者となりえたのか。説明してみろ」

「こ……この国唯一の、公爵家の娘だからだ。家格が釣り合い歳も近いから選ばれた」


 皇帝は王太子の額を掌で掴み、右手を閃かせると、王太子の片耳から血が飛び散る。床には王太子から削ぎ落とされた耳が落ちる。遅れて金色の髪も床に散らばる。


「ざんねーん。不正解」


 皇帝は右手から使用した暗器を床に落とし突き刺さった。


「ああ! 私の耳が! 痛い! いたい!」


 ダラダラと血が首から流れ豪奢な衣服が血に染められていく。片耳を押さえて、まだグレッグを治療中の聖女の肩をつかんで振り向かせる。


「ローズ、治療だ! 私を治せ。今すぐだ!」


 グレッグの治りかけの腕から聖女は手を離してしまい、くっついた切断面が再び取れそうになる。それをグレッグは手で押さえ慌てている。


「ま、待って、テリー。集中が切れちゃう」

「私が先だ! 後にしろ!」


 しかし、王太子のその手を皇帝が叩き落とし鳩尾を足蹴で床に転がした。


「貴様はまだ治療させない。俺が直々に懇切丁寧に教えてやる。クレインハート家は聖女の家系だと知っているか。しかも初代聖女だ。それだけではない。オーレリアの顔を見て気が付かないか?」

「どこにでもいる普通の顔だろう!」

「そんなんじゃねーよ。オーレリアの祖母は誰だ? 王族のくせに知らないのか。クラリッサ・アビゲイル・クレインハート……嫁ぐ前はクラリッサ・アビゲイル・エア=ギルモアと名乗っていた」

「エア=ギルモア……? ギルモアの……」

「良く見ろよ。目の色でわかるだろ」


 耳を手で押さえながら王太子はオーレリアを見る。

 オーレリアは目を逸らすことなく見つめ返すと、王太子の目が見開かれる。顔を強張らせ震え始める。


「こ、帝国の、光? あ、まさか……」

「気づくのがおせーなあ。オーレリアが婚約者になったのは、帝国の血筋を取り入れたかったからだ。しかも元第一皇女と同じ帝国の光(インペリアルトパーズ)を持つ」


 オーレリアの祖母クラリッサは帝国の元第一皇女。国母である皇后が産んだ第一子にして世継ぎの御子。帝国は男女どちらも跡継ぎが認められる。

 クラリッサが生後まもなく後継ぎとして確定した理由は、その瞳の色だ。

 インペリアルトパーズはこの世界では過去の貴石で、今は採掘されない鉱石だ。

 世界最大のインペリアルトパーズは皇帝の冠に鎮座している。初代皇帝の時代に見つかり、献上され冠の装飾に使われた。歴代の皇帝はその瞳の色の持ち主が多く、現在に近づくほどその色は薄れていった。

 その昔、成人にも満たないクラリッサが王配候補を選定していた頃、王国から貿易交渉の外交官として派遣されたのが、当時の若き公爵ウォルター・クレインハートだ。

 亡き祖父母たちのラブロマンスは幼い頃、兄と一緒に良く聞かされていた。


「それにな、俺が皇帝になったことで、オーレリアはギルモア帝国の皇帝位継承権第三位になる。わかるだろ、帝国では准皇族扱いだ。――なあ、再従兄妹(はとこ)殿?」


 皇帝の最後の呼びかけはオーレリアに向けてだ。

 聞き捨てならない言葉に口に出す。


「お、おばあ……祖母は継承権放棄したはず。王国生まれの私が継承権あるはずが――」

「皇帝になる時にあまりにも皇族が多いから、ちょっと整理しすぎた(・・・・・・・・・・)だけだ。だから補充するしかないだろ」


 ちょっと整理しすぎた――粛清と聞こえなくもない。


「公平な裁きができない国は消えるに限る。つまり同盟の破棄。結界が消えた今、この国を帝国の一部とすることにした。だから使えない王族は、いらねーな」


 皇帝は両手で二度叩き注目させる。


「さて、帝国兵の諸君。今回の進軍が初陣の者は前へ出ろ」


 広間の壁に整然と並ぶ帝国兵から三人ばかり前へやって来た。


「人を殺めた経験は? まだない者は…………じゃ、首切ってもらおうか。気楽にな、ここでいくらでも練習はできる」


 軽く声をかけてから、前列の王太子たちから広間にいる王国の面々を見渡した。しかし皆俯いたり明後日の方向に向いている。

 そんな中、声を抑えてはいるが変わらず騒がしいのは、治療中の三人で気がついていない。

 オーレリアはここで処刑が始まるのかと肝を冷やす。

 公爵令嬢としては広場に置かれた罪人の首など見慣れたものだ。だが今は前世の記憶と倫理が止めろと訴える。


「こ、皇帝陛下に申し上げます……ここで、何をするのですか」


 声をかけるのは不味いとわかってはいるのに口が動いた。

 皇帝は気分を害することなくオーレリアに答えた。


「不要な人間を処分するだけだ。見たくないなら目を閉じてろ」

「できるなら償いの機会を与えるべきです」

「……何故だ。捨てられ利用されて、恨まないのか? それに役立たずだろ、王族は責務を疎かにする。教会も聖女を導くつもりもなく放置。しかも指名した聖女が役立たずだからといって、聖女の家系とはいえオーレリア一人に続けさせた。職務怠慢だろ」


 ここはヒロインローズマリーが幸せになるための世界。そのための悪役令嬢がオーレリアで必要な存在だった。

 ゲームではヒロインが幸せなエンディングをすでに迎え終わっている。ゲームの悪役令嬢は断罪され登場も終わっている。

 そして今は断罪後の時間が流れている。

 ゲームでは流れていないこの時間、隣国の皇帝が登場して王国を滅ぼそうとやって来た。ついでなのだろうがオーレリアを助け出してくれた。

 同時に悪役令嬢のオーレリアも開放された。それだけで十分だ。


「それでも、人の命は簡単に奪っていいものではなく……それに悔い改める可能性も、あるかもしれない。できれば、償いをさせるべきです」

「俺は後腐れなくしたいが、償いか。では何を差し出せる?」

「はい?」

「皇帝に願い出るならば対価をよこせ」


 対価とはなんぞ――オーレリアは意味がわからず皇帝の灰色の瞳を見つめる。

 首を跳ねようとする皇帝を止めるために、オーレリアは何を差し出せるか。

 唯一の頼みの綱の兄はこの国の爵位と領地を返上しここにはいない。この国には頼れるものはいない。

 オーレリアは思案を巡らすが、皇帝は待ちきれないのか提案を示した。


「俺にその身を差し出せ。知識、教養、社交、そして妃教育も受けた人材をみすみす逃す手はないだろう? 俺の補佐をしろ。それとも……その玉座の主になれるように指名してやろうか」


 どうやらヘッドハンティングされている。

 皇帝の補佐の仕事とは帝国の文官、玉座の主とはこの国の統治長官のことだと考えた。

 どちらにしろ帝国の、皇帝の下僕として働けと言われているのだ。


「さあ、どうする?」


 帝国の職種に性別は関係ない実力主義だ。現にこの広間にいる軍人や魔法師たちにもちらほら女性がいる。フル装備で分からないが小柄な鎧姿も見かける。

 この国では女性は文官も武官もなれない。宮廷での職はせいぜい侍女位だった。

 確かにオーレリアが役に立つのは文官辺りだろう。

 この国を帝国の属国として采配することは、荷が重すぎる。

 オーレリアは玉座から立ち上がり、皇帝の前に跪く。


「私がお役に立てるならば」


 皇帝に手を差し出され、オーレリアはその手を取った。

 仰ぎ見ると皇帝が一瞬口元を上げる。

 その笑みが頭の中で引っかかり、既視感に気がつく。記憶を辿るも途切れたのは、皇帝が指示を帝国兵たちに飛ばし始めた。

 騒ぎ暴れる王国側の人間が帝国兵に連れられ広間から出ていく姿を見て、オーレリアはひとまず安心した。とりあえず処刑は防げたようだ。



 オーレリアはまだ知らない。

 皇帝が補佐をしろと言った本当の意味を知るのは、帝国で伯爵位を得ていた兄と再会してから。

 悪役令嬢ではない、オーレリアの帝国での新たな生活が始まる。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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