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温もり

後日、洗濯を済ませた俺の部屋着と、菓子包みを持った両親と一緒に、麻耶が神社に礼を言いに来た。


こちらも、洗濯して預かっていた麻耶の服を返した後、持ち込まれた和菓子を一緒に食べながら、俺は筆談で麻耶や彼女の両親と会話を楽しんだ。


麻耶の両親の話によると、麻耶は母親の良子(りょうこ)さんと同じく、元は福岡県の博多・赤坂出身との事。


だいぶ後になって、外出するようになってから知った事実だが、何故だか博多は、そこら辺にいる普通の女の子でも、芸能人顔負けの美少女が物凄く多い街らしい。


六蔵じいちゃんと春江ばあちゃんが新婚旅行で九州の宮崎(当時の新婚旅行の定番は宮崎か出雲か北海道周遊が定番だったらしい)に行った時、途中で博多に寄った際に、あまりの美女の多さに六蔵じいちゃんの視線が定まらず、春江ばあちゃんがキレて六蔵じいちゃんをひっぱたいたという事件があったそうな。


道理で麻耶が可愛いわけだと、それを聞いて納得した。


福岡の方言が殆ど出ないのは、小さい頃から引っ越しが多かったために、おそらく方言が定着する前に引っ越してしまうためだろうと麻耶の父親の優一(ゆういち)さんが話し、母親の良子さんも、自分が転勤先で何度か不便な思いをした経験があるために、普段は出来るだけ博多弁を出さないようにして、麻耶があまり方言を覚えないように気を遣っていたらしい。


……博多弁の女の子って、めっちゃ可愛いと思うんだけどな。ちょっと残念。橋本環奈さんの福岡弁って、誰が聞いてもかわいいと思うよね?


そういえば、亡くなった俺の母さんの美嘉琉も、元は博多の天神の出身だと聞いた覚えがある。


俺が男か女か区別がつかないような顔なのは、もしかしたら、それが原因なのかもしれない。亡くなる直前の母さんの写真の顔、新垣結衣さんによく似てると息子の俺が思うくらいの超絶美人だもんなぁ……。


フィンランドに居た頃、自分のせいで同年代の女の子を死なせてしまったという自責の念によって、しばらくの間、声が出なくなる程に塞ぎ込んでいた俺にとって、麻耶との会話は、筆談とはいえ、本当に久しぶりの子供同士の会話だった。


しばらくして、俺がトイレに行くために席を外し、用を足して戻ろうと廊下を歩いていると、麻耶がこちらへ歩いてくるのに出くわした。


麻耶もトイレか?それなら道案内が必要か?


そう思って、首を傾げて怪訝そうな表情を分かりやすく作って「どこへ行くの?」と伝えてみたが、麻耶は可愛らしくニコッと笑い、「ジェフリー君のお部屋に行ってみたいの」と言った。


そもそも俺は外出が出来ない引きこもりのぼっちキャラなので、友達を部屋に呼ぼうと思ったことが無いし、誰かの家に行きたいと思った事も無い。


何故、麻耶が俺の部屋に入りたいのかイマイチ理解出来なかったが、まだ当時は男の子がベッドの下に隠さなければいけないような物は持っておらず、見られて困ると思う物も無かったので、麻耶の天使のような笑顔につられて、試しに案内してみることにした。


この当時から、俺は男の子のおもちゃの定番であるプラレールに目もくれず、本格的な鉄道模型や[ガンプラ](ガンダムのプラモデルの略。特に通称[ホワイトユニコーン]ことMSZ-006の3号機がお気に入り) 、[マクロス]のVF-1Sバルキリー(物語の途中から主人公が乗るクロスボーンマークに惚れた)等の、熟練の大人が作るような精密モデルを作るのに夢中になっていた。


これなら、一人ぼっちでも誰にも迷惑を掛けない。


ましてや、俺が遊びに行こうと誘ったせいで友達が轢き逃げに遭うことなど、絶対に無いから。


麻耶を巻き込む事も、有り得ない。


そう思っていると。


「すごいね、秘密基地みたい!見た事ない道具がいっぱい!カッコいい!」


まだ小学校に入った直後の、幼児の舌足らずな女の子の声で、麻耶が目をキラキラさせながら、山のような数にも関わらず道具ホルダーに整然と並べられた未知の物体に、興味津々な表情を見せた。


俺の部屋は広めの京間8畳のフローリング。6歳の子供には贅沢極まりない広さだが、その部屋をもらった理由は、保護者が溺愛して甘やかされた、というばかりではない。


子供部屋には決して似つかわしくない、年期の入った、しかしきれいに手入れされた大人用のシングルベッドに学習机。それに、本来は学校での勉強で使うはずだった教科書類が並んだ大きめの本棚。


押し入れの襖も、相応の経年変化(エイジング)が掛かり、古びた印象をより強くしている。


漆器や螺鈿細工のような工芸品も小さい頃から大好物な俺は、むしろこの部屋が大のお気に入りだった。


しかし、俺の部屋が広い最大の理由。それは、他の部屋では収まらなかった、俺と家族が共用する工具類の保管場所になっていたからだった。


壁一面の複数のホルダーに整然と掛けられたペンチやヤットコ、ニッパー等の工具だけでなく、学習机と別に自作の分厚い鉄板で組まれた工作専用台の壁際にも、天井まで届く引き出しが数十個付いていて、細工ヤスリや半田ごて、デザインナイフ、ノギス、ドリルの刃先やそれを加える大小様々なハンドドリルや電動ドリル等が所狭しと収まっている。


さらに、工作台にはエンドミル加工(削り出しで平面を出す加工)のためのフライス盤や、ドリルで穴空け加工をするためのボール盤、糸鋸で切断するためのコッピングソー、丸棒やネジを削り出す卓上小型旋盤などの工作機械が、まるで自動車工場のように整然と並んでいる。


さらに、エアブラシ塗装用吸引ブースと小型コンプレッサー、1m四方くらいの大きさの模型用乾燥機まで完備されている。乾燥機は、鉄道模型はホコリ一つで落札価格が下がるので、当時から作った車両をネットオークションに出品していた俺が、同じくプラモデルを趣味としている親父にリクエストしたものだ。


エアブラシは細線用の0.15mm口径から大型モデル用の0.5mm口径まで、全部日本製で用途別に10本くらい揃っている。


慣れればラッセンやシム=シメールのようなエアブラシ画家を目指す事も夢じゃない……道具だけならね。


実際、お袋の友人にも、ここでエアブラシ画を描いてコンテストに出した結果入賞し、一躍有名画家の仲間入りを果たした人がいる。今も、他の人が描き始めたばかりのエアブラシ画がイーゼルにかけられたまま、次の作業を待ちわびている状態だ。


ここまで揃っているのに、掃除や手入れは怠らないようにしているので、削りかすなどのゴミは全く落ちていない。


というのも、鉄道模型やガンプラで電飾を仕込むのによく使うLEDが1.6×0.8mmと非常に小さく、半田の表面張力でコテにくっついたLEDを不可抗力で落とした時に、ゴミが散らかっているとすぐに見失ってしまうからだ。


他にも、似たような大きさの結構重要な部品も多数取り付けなければならない鉄道模型では、部屋の足元にゴミが落ちているのは致命的なのである。


この部屋専用のダイソンとルンバも置いてあるが、結構使い込んでしまって、すっかり貫禄がついている。


服は、俺自身が過呼吸と精神性嘔吐症のせいで出歩けないので、それほど数は無いから、2畳分の押し入れのうち、1畳分の下半分だけで充分収まっている。だから、押し入れの残った部分も殆ど道具入れと化している。


ちなみに、血縁の遠近を合わせると5人ほど居る従姉妹など親戚の女の子は、この歳で俺の部屋がこんな有り様になっているのを見て、かなり引いていた。まあ、思春期のお年頃の女の子の反応はこれが普通なのだろう。


この数年後に高校生になって初めて気付いたんだけど、半田ごてとかエアブラシとかコンプレッサーとかニッパーとかヤスリとか電動ドリルとかドライバーって、日本の一般家庭には置いていないのが普通らしい。


ましてや、フライス盤や卓上旋盤など、見たことも聞いた事も無い人が大半で、存在そのものを知らずにこの世を去る人も多いという。


うちの場合、六蔵じいちゃんがDIYで棚や机などを作るのが趣味だし、親父も飛行機やガンダムのプラモデル製作や延長コードなど電気系統の配線の修理で、たまに俺の部屋に道具を借りに来る。


両者とも、この当時はそうでもなかったが、俺が高校に入る頃になると、その手の雑誌にも記事の執筆依頼が時々来るようになり、この部屋で見覚えのある作品の写真が、年に何度か載るようになる。


また、俺の対人恐怖症が落ち着き始めた頃から、お袋や春江ばあちゃんも、ネイルアートやエアブラシ画で俺のエアブラシを使うために、友達を連れて俺の部屋に気兼ね無く入って来るようになった。


なので、俺が居る時は一応ノックする事は頼んでいるものの、誰かが部屋に入ること自体は特に気にしていなかったし、道具を勝手に使っても特に何も言わなかった。


要は、使ったら手入れを済ませて俺が使う時に支障が無ければ、それでOKというわけ。


工具やエアブラシの機種選定には俺も口を出すけど、年齢一桁の頃は購入費用は俺が出すわけじゃなかったから、俺の道具というよりは、家族共有の道具を俺の部屋で使いやすいように管理している、という感覚だった。


工作台に無数に転がっている鉄道模型やガンプラの部品が意外とカラフルだったりするし、作りかけの付け爪のネイルアートや描き掛けのエアブラシ画を、興味深そうに見ては説明をせがむ麻耶の反応に、従姉妹たちと違って、変わった女の子だと思いながらも、俺は麻耶に興味を持ち始めていた。


しかし。


それ故に、尚のこと麻耶を巻き込む事態を恐れた俺は、どうしても我慢出来ず、メモ帳にペンを走らせた。


[おれを助けたせいで、車にひかれて死んじゃった女の子がいるから、あまりおれとなかよくしない方がいいよ。

神社の外にいくと、おれはいきができないびょうきになるから、外であそべないし、つまんないでしょ?]


俺のメモ帳をキョトンとした表情でじっと見ていた麻耶は、小首を傾げた。


「そういえば、この前も六蔵おじいちゃんからそんな事を聞いたけど……それはジェフリー君のせいじゃないと思うよ?

だって、車が赤信号を無視して、青信号で横断歩道を渡っていたジェフリー君を助けたルナちゃんにぶつかったんだよね?それって、車の方が悪いんじゃないの?」


[おれが車にきづいていれば、ルナちゃんは、おれを助けようとして車にひかれることなんか、ぜったいになかった。だから、おれのせい]


思わず感情的になって、メモ帳を置いた作業台からガンガン金属音が出るくらい、叩きつけるように殴り書きして折れそうな力でボールペンを握りしめ、俺は何度も歯軋りの音を立て、全身を震わせて強く目を瞑った。


俺の背中越しに、俺自身も過去最低と思うような荒れた汚い字で書かれたメモを読んだ麻耶は、何を言う訳でもなく、俺の背中に優しくもたれ掛かるように、そっと抱きしめてくれた。


そのまま、しばらく俺達は時が止まったようにじっとしていた。


麻耶の体温が、背中から全身に、ゆっくりと優しく広がって行く。


その優しい温かさに、俺は涙が止まらなくなった。


女の子の前で泣くなんてカッコ悪い。涙を止めなきゃ。そう思ったけど、どう頑張っても無理だった。


無防備に開いていた心の傷を、温かい女の子の手で優しく擦ってもらうような、初めて覚える感覚。


今まで出会ってきた誰とも違って、放置するでもなく、傷に塩を塗るでもなく、相手が俺の心の傷と真摯に向き合ってくれていると思えたのは、この時が初めてだった。


「大丈夫。ルナちゃんは、ジェフリー君のせいだなんて、きっと思ってないよ。

でも、ジェフリー君に忘れられちゃうのは絶対寂しいと思うから、時々ルナちゃんの事も思い出してあげてね。

ジェフリー君がちゃんと覚えていれば、きっと寝てる時に、夢の中で一緒に遊んであげられるはずだから。

その時は、私も一緒に遊んであげるから、ジェフリー君も、ルナちゃんも、私とお友達になろう?ねっ?」


俺の肩に回された麻耶の両手が、俺の鎖骨から鳩尾の辺りを何度も優しく擦る。


俺はこの時、初めて心の傷が少しだけ小さくなったのを実感出来た。


それでも。


頭では分かっても、心が拒絶する。


(いつも夢で見るのは、ルナちゃんが俺を助けるために車に轢かれた時。

パトカーでルナちゃんがお巡りさんに心臓マッサージをされてる時。

病院でルナちゃんが、死んじゃった人が行く部屋(遺体安置室)で寝てる時。

ルナちゃんのお父さんとお母さんが、冷たくなっちゃったルナちゃんの手を握りながら、ものすごく泣いてる時。

ルナちゃんと仲良く遊んでる夢なんか、絶対に見れないよ……。

ルナちゃんは、絶対に俺のせいで死んじゃったと思ってるから。

だから……俺は幸せになっちゃいけないんだ。

もう……ルナちゃんと友達になんか、戻れないんだよ……)


声にならない、涙に震える吐息だけが漏れる俺の言葉を聞いて、俺を抱き締める麻耶の腕の力が、気持ちだけ強くなった。


「そんな事ないよ。ルナちゃんはきっと、ジェフリー君が幸せになってくれないと、心配になると思う。

だからルナちゃんが、天国で見ていて心配しなくて良いように、ジェフリー君も、お友達と一緒に笑って過ごせるようになろうよ。

私も、ジェフリー君と一緒に、たくさんお友達を作りたい」


(俺は一人ぼっちだから、一緒に居ても、友達は増えないよ。麻耶ちゃんも、他に仲よくしたい子が、たくさんいるでしょ?)


肺から絞り出すような、声にならない吐息で囁き、俺はまだ涙が止まらないまま、麻耶を拒絶する。


自分を産んでくれた母親が自分のせいで死に、生まれて初めて出来た女の子の友達が、出会ったその日に自分の身代わりになって死んだ。


俺のせいで、今度は麻耶が……


どうしてもそう思ってしまうのも、当時の俺の過去の経験から作り出された心境では、無理からぬ事だった。


俺を抱きしめたまま胸元を優しく擦りながら、麻耶は、大粒の涙を流しながらすすり泣く俺の首筋にそっと頬を寄せ、優しい声でこう言った。


「私、お引っ越しばっかりだから、ずっと仲良く出来るお友達って、なかなか出来ないの。

だから、私がこの前みたいに困ってたら、すぐに助けに来てくれるジェフリー君みたいな優しい子が、日本のどこに居ても私とずっと仲良くしててくれるって思えると、それだけで、すごくうれしいの。

私も、ジェフリー君が困ってたら絶対に助けてあげるよ。

だから、大人になってもずっと、ずっと、私と仲良くして欲しいの」


麻耶はそう言って、俺から離れようとしない。


心の傷ごと包み込まれるような優しい温かさに、ついに俺の涙腺が崩壊した。


作業台に寄りかかり、崩れ落ちるように床に膝を突いた俺は、この時ほど思い切り声をあげて泣きたいと思った事は無かった。声にならない号泣の吐息だけが、静かに俺の部屋に響く。


俺の胸に添えられた麻耶の小さな手に、自分の手を重ねて、俺は神にひざまづくような格好で、振り向く余裕もないまま、麻耶に囁いた。


(……ありがとう、麻耶ちゃん。俺とお友達になって欲しい。大人になってもずっと、仲良くして欲しい)


声にならない俺の囁きは、俺の頭に寄せられていた麻耶の耳に、はっきりと届いていた。


まだ止まらない俺の涙は、いつの間にか、ルナの死を止められなかった悔し涙から、麻耶の温かさに感謝する嬉し涙に変わっていた。


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