契約の効果
ソラはクスクスと楽しそうに笑いつつ、私をぎゅっと抱き締める。
「俺がハルをひと目見て好きになったのは本当だよ」
すると、神崎が苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる様に言った。
「お前、ハルちゃんの血を飲んだんだろう?」
「……ああ、会ってすぐに、お前達にやられて怪我をしていたら、甘い匂いがして舐めた」
はあ、と神崎が溜息をついた。なんだなんだ、どういうことだ?
「だけど俺はハルを一瞬で好きになった。だから契約してもいいと思った。それが何か悪いか」
ソラは、私の耳に唇を当てながら言う。ゾワゾワして堪らなくそそられるが、ちょっと待て。何か、何かがおかしいぞ。
「稀血を摂取すると、稀血の持ち主に夢中になる。お前の症状はそれだ。稀血の効果は半日程度だ。すぐに冷める」
「嘘だ、俺は始めからハルが好きになった!」
「ああ……」
神崎が、額を押さえた。本当だったらイケメンがそんなポーズを取ったら様になるのだろうが、なんせ半裸で腰に布をひらひらさせているだけの状態だ。はっきり言って場違いだった。
「ハルちゃん、君はそいつを好きだと思っている様だが、それも契約の効果だ」
「え……っ」
ソラが再び私をぎゅっと抱き締めた。神崎が、ソラを冷たい目で見る。黄銅色の瞳が、少し光って見えた。
「そいつは、契約の効果は知っていた様だけど?」
「……ハルは、俺のだ。ハルも俺のことが好きだ。な?」
ソラの目が泣きそうになっている。あ、もうこれだけで駄目。可愛すぎてキュンとなった私は、ソラを安心させる為にこくこくと頷いてみせた。
「好きだよ、大丈夫だよ」
「ほらな?」
ソラが勝ち誇った様に言った。神崎が、ソラを睨みつける。
「……こういうことが起こるのを避ける為に、余所者も外来種も排除してきたのに、紛れ込んだお前が……お前が僕のハルちゃんを!」
神崎が、再び溶ける。現れたのは、立派な毛を持つ大きな銀狼だ。その目は黄色に輝き、牙を剥き今にも襲いかかりそうな体勢を取る。
「神崎さん! 待って!」
私はソラに抱き締められたまま、神崎を止めるべく叫んだ。
「ハルちゃん、契約の効果は、数日程度だ。それが過ぎれば、君の恋心はまやかしだったと分かるだろう。だが、今そいつを殺せば強制解除出来る」
ジリ、と少しずつ狼達の包囲網が狭まっていく。殺す? ソラを?
私は怒りを覚えた。何を言ってんだこの狼は!
「殺しちゃ駄目でしょ! ソラは何もしてないじゃない!」
私の怒声に、神崎は即座に反応した。
「した! 僕の大切なハルちゃんの血を飲んだ上に、僕のハルちゃんと契約を結んだ!」
神崎の声は悲痛なものだったが、私はソラを守らなければ、という思いで一杯になっており、神崎の気持ちまで慮ることは出来なかった。
「ハルちゃん! ずっと好きだった!」
銀狼が叫んだ。今にも泣き出しそうな声色で。ソラが、私を独占する様に首に唇を這わせた。
「君がナツカさんを襲った影を怖がって、それで大きい男が苦手なのは分かっている! だけど、だけど……僕は君の命を守った! 君が好きだったからだ! それでも身体の大きさだけで避けられるのは、僕は悲しいよ……!」
「ていうか、格好つけてるのも苦手です!」
「うっ!」
銀狼神崎は、がく、と前足をよろめかせた。俺イケメンなオーラが、私は苦手なのだ。ここは素直に伝えておこう。
「私、可愛いのが好きなんです!」
「か、可愛い……あ、だからコウジとかそいつは平気なのか!」
「ですね」
助けてくれて、守ってくれていたのは感謝だ。だけど、好きになるかはまた別の話だと思う。
「ハルちゃん! 僕にもチャンスをくれないか!」
「ハル、聞かなくていいよ。家に帰ろう」
ソラはそう言うが、この包囲網をどうやって出るつもりなのか。
「ハルちゃん、僕とも契約をしてくれ! そうしたら、どっちが本当に君を好きだか分かる筈だ! 僕は契約なんかなくたって、元々君が大好きなんだから!」
「え……」
銀狼神崎は更に言い募る。
「もう格好つけない! この方がいいのかなって思って頑張って大人っぽくしてたけど、僕は本当はハルちゃんがいないとウジウジしてる男なんだ! 君がいないと、僕は駄目なんだー!!」
銀狼神崎のシャウトの後、辺りはシーンと静まり返った。そして、暫しの後。
周りの狼達が「ウオオオオオオーン!」と大合唱を始めたではないか。
なんだこの状況。
私は大いに戸惑った。コウジは銀狼神崎に駆け寄り、「若様、やっと告白出来ましたね! 頑張りました、偉いですよ!」とか言っているじゃないか。
――ちょっぴり可愛いと思ってしまった私は、もしかしたら隠れ浮気性なのかもしれない。
だけど、やっぱりソラを殺させる訳にはいかないのだ。
どうしよう、どうしたらこの場を乗り切れる!? 私は必死で考えを巡らせる。とにかく何もしていないソラを殺させる訳にはいかない。だけどこの包囲網からは、簡単には出られそうにはない。
「神崎さん!」
一か八かだ。
「はい!」
銀狼神崎が、姿勢をぴしっと正した。狼だからいまいち分からないが、多分。
「チャ、チャンスを与えますから!」
「……えっ!? 本当!?」
銀狼神崎は、見るからに嬉しそうだ。それにちょっぴり愛嬌がある原因が分かった。多分銀色だから、黒くないからそれであんまり怖くないのだ。
「ちょっとハル! 駄目だよ!」
ソラが私を持ち上げんばかりの勢いで抱き寄せるが、私はソラを振り返り説得を試みた。
「ソラ、このままじゃソラがなぶり殺されておしまいだよ」
「だけど!」
「……契約のこと、知ってたんだよね?」
「……」
やっぱり知ってて、それで私にソラを好きになるよう仕向けたのか。ソラ自身は私に確かに惚れたみたいだけど、それもどうやら稀血の所為だと思うとなんとも微妙な気持ちになるのは致し方ないだろう。
「じゃあ、契約が終わって、血の効果もなくなった時にお互いがどう思っているか、もう一度ちゃんと確かめようよ」
契約の所為で盛り上がって、後になって失敗だったなんて思われたくないし思いたくもない。今はソラのことが好きだけど、これももし全てその媚薬効果からくるものだったとしたら?
「ソラのこと、信じたいから」
だけど、今は信じられなくなってしまった。だけど殺されたくはない。だったら道はこれしかないじゃないか。
「ハル……でも、でも、あの男にハルは渡したくない!」
「僕だって、ずっと好きで守り続けてたハルちゃんを、お前なんかに渡せるもんか!」
銀狼神崎が叫んだ。
「しかも、キスまで……僕が、僕が最初にしたかったのに!」
「あ、あの、神崎さん落ち着いて……」
「僕も契約する時にキスにするから!」
銀狼神崎がそう言うと。
「……ああ?」
ソラが私を離した。
「ハル、下がってて」
「ちょ、ちょっとソラ?」
ソラの周りの空気が歪む。あ、これは異能力発動中だ。
「下がってて! あいつは駄目だ! ハルにキスするとか言ってるから、絶対許さない!」
「僕だってお前は許さない! ハルちゃんは僕の許嫁だ!」
「あの―! 穏便に、ね!?」
私の声掛けは、無駄に終わった。ソラの髪がふわりと浮く。神崎が、グルルル、と唸り声を上げた直後、ふたりの姿が消えた!
「え!?」
急いで探すと、遥か上空にふたりがいた。
「ハルさま、危ないからこっちこっち」
くい、と私の服の裾を口に咥えて引っ張るのは、小柄な狼コウジだった。
まだ続きます!