親友と、女友達
春休みが終わり、皆口正宗も今日から二年生。
先輩と呼ばれる存在になったのが、なんだかこそばゆかった。
「よう、正宗!
また同じクラスだな」
新しい教室の窓際の、新しい席に座っていた正宗に声をかけたのは、一年の頃からの親友、樹であった。
「お、樹か。
またよろしくな」
樹は、短い髪を茶色に染めた、笑顔が爽やかな好青年だ。
バスケットボール部に所属していて、背が高い。
ちなみに正宗は、バスケについては、ろくにルールも知らない。
ダブルドリブルとやらが反則なのを、かろうじて知っている程度だ。
正宗と樹は、拳と拳を合わせる。
「正宗、調子どうよ」
「何の調子?」
「いや、お前好きな子いただろ」
確かに、春休み前には居た。
だけど、その子には、いつの間にか彼氏が……。
胸が少しだけ苦しくなるが、はっきりと樹に伝える。
「彼氏できたって」
そういうと樹は、少しだけ間の抜けた表情をして、そして苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あー、そうか。
……そうかぁ~。
まあ、そういうこともあるわな」
樹は樹なりに、慰めようとしてくれているのだ。
「僕も、自分の気持ちに気づくのが遅かったんだよ。
半分以上は僕のせい」
「ま、次!
次行こうや!」
正宗の背中を叩き、励ます樹。
こいつが親友で良かったと思う。
担任の教師が教室入って来ると、みんなは各自の席に着く。
新しいクラスでの最初のホームルーム。
まずは、全員で自己紹介から始めるようだ。
出席番号1番の男子から順に、自己紹介をしていく。
色んな奴がいて面白かった。
ビリヤードが趣味だったり、柔道が得意だったり。
中には、王子様系キラキライケメンで、アニメが大好きと熱弁していた奴も居た。
樹も、バスケットボールが趣味で特技だと自己紹介。
そのすぐ後に、正宗の番が来た。
「皆口正宗です。
趣味は、蛇とか、好きです」
まばらに、適当な拍手が起きる。
蛇好きの男子なんて、希少ではあるものの、需要は無いだろう。
みんな、正宗への興味など、自己紹介が終わった途端、消え失せたようだった。
男子の自己紹介がつつがなく終わり、今は女子の番。
正宗は、窓際の席で外を眺め、ぼんやりと女子の自己紹介を耳に入れながら、郡山未来に想いを馳せた。
コーンスネークの目のような、クリっとした黒曜石の瞳。
星屑のそばかす。
蛇のぬいぐるみを顔の横で持ち上げながら、笑った顔。
心の底から、仲良くなれて良かったと思う。
実は正宗と郡山は、春休みの間、何回もふたりで遊びに行っていたのだ。
郡山は、その頃にはもう髪の毛を下ろさずに、いつもポニーテールにしていた。
爬虫類園はもちろん、動物園や水族館、変わった所ではハリネズミカフェにも行った。
手のひらに、小さなハリネズミをちょこんと乗せた郡山。
その場面は、正宗のスマートフォンで撮影され、きっちりと内部の写真用フォルダに保存されている。
なんだかんだで、ふたりは生き物が好きなのだ。
ふと我に返ると、女子たちの自己紹介も全て終わっていた。
郡山の事を考えていて、全く聞いていなかったのだ。
でも、まあ問題ないだろうと正宗は思う。
窓際の席の正宗とは、ちょうど反対側の廊下側の壁際の席に座る、黒髪で黒縁眼鏡をかけた男子、小山内を見た。
情報屋、小山内君。
あの男子は、どこから情報を得ているのかは知らないが、なぜかクラスメイトたちの秘め事を数多く知っているのだ。
顔も、やたらめったら広い。
ちなみに、小山内は正宗と塾が一緒なので、他校の生徒の事にも詳しい。
謎の手腕である。
だが、さすがの小山内も、郡山が初めて素顔を見せた時には驚いていたのだ。
あの小山内でさえ、知らなかった郡山の素顔。
それを、一番初めに知れた、優越感が正宗にはあった。
クラスの女子たちの自己紹介は全く聞いていなかったが、後で小山内に教えてもらおう。
既に、彼のノートには、みんなの情報がデータベースとして構築され始めているはずだ。
彼は、将来は探偵にでもなれば、結構いい稼ぎになるのではないかと思う。
ホームルームも終わり、その後の授業も問題なく終わり、二年生になってから初めての放課後がやってきた。
小山内君のノートを見せてもらい、クラスメイトの半数ほどの趣味が分かってきたころ、正宗のスマートフォンが、何かの通知が来たらしく、震えた。
ポケットからスマートフォンを出し、画面のロックを解除してチャットアプリを開くと、そこには郡山からのメッセージ。
『一緒に帰りませんか』
郡山のチャットアプリのアイコンは、ハリネズミを手に乗せている写真だった。
ハリネズミ、気に入ってくれたようだ。
正宗は、それを見て、胸の真ん中が暖かくなったような気がした。
郡山は、近くの女子高に通っている。
どうやら、もうすぐ我が校の校門に到着するらしい。
郡山は、二年生になった今、勉強に専念するため、爬虫類館のバイトは辞めていた。
もともと、春休みまでという親御さんとの約束だったらしい。
正宗は、樹と一緒に、下駄箱のある校舎の玄関までやってきていた。
樹はこれから体育館でバスケットボール部の練習がある。
体育館は、校門の向こう側だ。
樹とくだらない話をしながら、校門まで連れだって歩くのが、ある種の習慣になっていた。
「小山内君、ヤバいよね」
「あいつ、盗聴器でも仕掛けてんじゃねえのか」
異常な情報収集能力を持つ小山内は、みんなの話のタネにもなった。
きっとこの会話も、なぜか小山内本人の耳に、いつの間にか入ることとなるだろう。
体育館に向かう途中の校門には、既に郡山未来が立っていた。
ここ最近遊びに行った時と同様、前髪を下ろすことなく、ポニーテールにしている。
そばかすはもうコンプレックスじゃなくなったのであろうか。
もしそうならば、少し嬉しい。
郡山の通う女子高は、制服が無く私服登校のため、郡山はいつもの黒いワンピース姿に、白と赤のスニーカー。
「お、あれが正宗の彼女か」
「彼女じゃないよ。友達」
「はいはい。そういう事にしておいてやるよ」
そのまま、樹は体育館の方へ去っていく。
なんて爽やかな男。
樹を見送り、郡山未来に駆け寄る正宗。
「ごめんね、未来さん。
待たせちゃったね」
「ううん。私も今来たとこ」
何度も遊びに行っていた正宗たちは『未来さん』『正宗君』と呼び合うようになっていた。
それも、友人とは距離感をどんどん狭める正宗の癖のせいだったが。
「未来さん、俺、靴買いたい。
私服で履く靴が結構ボロボロになっちゃっててさ」
「いいよ。見に行こ」
今日は、正宗の靴を見に行くことになった。
駅前の靴屋へと向かう。
そこは、いつも『閉店セール!』と大きく書かれた垂れ幕がしてあった。
確か、正宗が高校に入学した時から閉店セールをしている気がする。
閉店セール詐欺だ。
でも、安い事には変わりがないため、ありがたくセールの恩恵を受けることにする。
「どんなのがいいかな」
「正宗君、いつも服の色が明るめだから、靴も明るいのがいいじゃない?」
壁に所狭しと並べられた靴を一通り見て回る。
そして、壁の隅に、見慣れたデザインの靴がひとつ。
白と赤のストライプのスニーカー
「これ、未来さんのと一緒のやつだ」
「あ、ホントだ」
「メンズサイズあるかな」
「私とお揃いになっちゃうよ」
「いいじゃん、お揃い」
白と赤のスニーカーを手に取り、試しに履いてみる。
正宗は、壁に掛けられた全身鏡の前に立つ。
なかなか悪くない。
隣の未来ともお揃いだ。
「これにしようかな」
「本当にお揃いになっちゃった」
「嫌?」
「ううん。嫌じゃない」
趣味の合う友人と、より親しくなれるのは、とても嬉しいことだった。
正宗は未来とお揃いのスニーカーを買い、その場で履き換えた。
制服の革靴は、鞄の中に入れてある。
未来に靴を見せるように、右足を前に出す正宗。
「未来さん、どう?」
「うん。似合ってる」
ぺちぺちと、音の出ない拍手を送る未来。
新しい靴を履くと、なんだか気持ちも新しくなった。
今日はこのまま塾に行こう。
未来とお揃いのこの靴で。
翌日は土曜日で、しとしとと雨が降っていた。
学校が休みの今日は、私服を着て、新品のスニーカーを履く。
朝から未来を連れて塾に向かうのだ。
塾の有る駅前で待ち合わせをして、合流するふたり。
足元には、お揃いの白と赤のスニーカー。
ビニール傘の正宗と、黒い傘の未来。
塾が始まるまで、まだ時間がある。
正宗は提案する。
「そうだ、道の途中に神社があるでしょ?」
「うん、あるある」
「ちょっと寄って行かない?」
きっと来年には、受験の合格祈願のために来ることになるのだ。
少し、下見がてら見てみたいと思っていた。
その神社は、少し長い階段を上ったところにある。
階段の両側は森になっている。
大きな木の枝が階段の上まで伸びていて、緑のアーチを作り上げていた。
葉っぱが雨を受け止め、それが集まり、大きな雫になって葉から垂れる。
その雫が傘に当たる度、強い雨音が響いた。
この神社に祀られている神様は、名前すら知らない。
ずっと昔から、この土地を守ってきていたらしい。
こういう神様を、産土神と呼ぶようなのだ。
この近辺の学生たちは、大体ここの神社で受験の合格祈願のお守りを買う。
階段を上りぬけると、赤い大きな鳥居があり、その奥に本殿がある。
地面には、石畳が敷き詰められている。
本殿の右側には、お守り売り場と、広い屋根付きのベンチがあった。
そして本殿の左側には『恋愛成就の小道』と書かれた、あじさいの低木に挟まれた小道が伸びていた。
今はまだ、小道の両側に植えられたあじさいは、花をつける前で、ただ緑が続くだけである。
どうやら、この小道を男女が通り抜けると、その男女は末永く結ばれると、小道の入り口の看板に書いてあった。
正宗は、その小道の看板を見ると、未来に言ってみる。
「未来さん、この道を通ると、末永く結ばれるんだって。
通ろうよ」
「えっ!?
私と!?」
「うん。いいじゃん。
僕、未来さんとはずっと仲良くしてたいし」
驚く未来の手を取り、小道に入ろうとする。
神社全体の地面には石畳が敷き詰められているのに、そこの小道だけは、土が露出していた。
小道の土は、雨で泥と化している。
「正宗君、靴、昨日買ったばっかじゃない?
汚しちゃうよ」
昨日買ったばかりの、未来とお揃いの、新品の白と赤のストライプのスニーカー。
「いいよ、どうせ履いてれば汚れるんだから。
あ、でも未来さんの靴汚しちゃうのはまずいね。
また晴れた日にでも来ようか」
そう言って引き返そうとする正宗。
未来は、その正宗の袖を掴んで引いた。
「ま、正宗君。
一緒に、通ろう?」
「え?
でも、未来さんの靴が……」
「私も気にしないから」
正宗の袖を掴んで離さない未来。
「わかった。未来さん。
一緒に通ろう。
あ、傘、二人ともさしてたら通れないね」
小道は狭いため、二人とも傘をさしていると、幅を取り過ぎて邪魔になる。
正宗は、自分のビニール傘を閉じ、未来の黒い傘の柄を持った。
自然と、相合傘になるふたり。
泥が跳ねないように、ゆっくりと小道に入る。
足の裏に、粘り気のある泥の感触がする。
そのまま歩いて行くふたり。
小道の狭さに、ふたりの距離は限りなく近くなっていた。
ふと未来の横顔を見ると、頬が赤くなっている。
正宗は、自分でもなんだかよく分からない喜びが、心の中に湧き出た気がした。
そして、少し歩くと小道は終わり、本堂の横の軒下へ続いていた。
本堂の軒下は、石畳になっている。
そこで、正宗と未来は、自分たちの足元を見た。
お揃いのスニーカーに、お揃いの泥。
「見て、未来さん。
泥もお揃い」
それを眺めて、笑顔を見せる未来。
正宗は、この小道だけが、石畳を敷かず、土が露出したままの理由が分かった気がした。
この小道をふたりで通るということは、きっと『君と一緒なら、たとえ汚れても構わない』という意思表示なのかもしれない。
ふたり一緒の、汚れた靴。
未来は正宗を見て微笑んだ。
正宗は、なんだか未来が、とても愛おしかった。
友達として、これからもずっと仲良くしていきたいと思う。
ふと軒下から空を見ると、雨が止んでいる。
しかし、あいにくの曇り空。またいつ降り出すかもわからない。
「未来さん、今のうちに行こう。
また降って来るかもしれないから」
「うん」
ふたりは本堂の軒下から、足を踏み出す。
目の前には、小さな水たまりが出来ている。
正宗と未来は、顔を見合わせると、微笑み合って。
ふたりは一緒に、水たまりを飛び越えた。
お揃いの、汚れた靴で。
あの神社で、靴を汚した日から、一か月後の日曜日。
正宗が通う高校の体育館で、バスケットボール部が他校との試合をしていた。
今日の試合は、樹も出場する。
正宗は、未来を連れて、樹の応援に来ていた。
ポニーテールの未来は、両手でメガホンの形を作り、声を張り上げる。
「樹君!がんばってー!」
春休み前の、あの幽霊のような未来からは想像もできない姿。
ここ最近では、正宗の親友の樹も一緒に、校門前で三人で話すこともよくあった。
一度、三人で爬虫類館にも行った。
樹は爬虫類が苦手なようで、少し怖気づいていたのを、正宗と未来でいじったりもした。
すっかり、樹とも仲良くなった未来。
正宗も、友達の輪が広がり嬉しかった。
他校の男子生徒が、ボールをドリブルして、我が校のゴールへと駆ける。
そこを、樹が素早くボールを奪って、そのまま遠距離からシュートする。
見事、ボールは相手ゴールの輪っかに吸い込まれていった。
正宗は、ポイントボードを見る。
なんと、一気に3点が加算されていた。
なるほど。遠距離からボールを入れると、ポイントがいっぱい入るのか。
正宗は、またひとつバスケットボールのルールを知ったのだった。
その時、鋭く笛の音が鳴り響く。
どうやら、試合が終わったようだ。
我が校の勝利。
両校の生徒たちが、それぞれ一列にならび、お互いに頭を下げて大声で礼をする。
頭を上げた樹は、館内の端に居た、おそらくマネージャーであろう、ショートカットの女子からボトル入りの水を受け取る。
ボトルを受け取った樹は、正宗と未来の方へ走ってきた。
「ふたりとも、応援ありがとな!」
相変わらず爽やかなやつだ、と正宗は思う。
樹は、未来とハイタッチした。
「樹君、お疲れ様!」
「ありがとう、未来ちゃん!」
樹は、そのまま正宗の腕を掴む。
「正宗、今、ちょっといいか?」
「おう?何だ?」
樹は未来に、ちょっと話してくるとだけ伝え、正宗の腕を引っ張る。
そして、体育館の廊下に出る。
何やら樹の様子がおかしかった。
「樹、どうした?」
「正宗。未来ちゃんの事、どう思ってる?」
いつもの爽やかな笑顔ではなく、真剣な表情の樹。
その真剣さに、少しひるむ正宗。
「どうって……、別に、友達だけど……」
「ただの、友達なんだな?
女の子として好きとか、そういうんじゃなくて」
「ああ、ただの友達」
樹は、右手で小さくガッツポーズを取る。
「よし。わかった。
正宗。
俺、未来ちゃんに告白しようと思う」
その発言に、内心で驚く正宗。
まさか、樹が未来の事を、そういうように見ていたとは。
出会ってから、まだ日が浅い、樹と未来。
みんなの恋は、こんなにも速いのかと、正宗は驚きを感じた。
でも、正宗と仲のいいふたりが付き合って、幸せになってくれるのは、シンプルに嬉く思う。
正宗も返事を返す。
「樹、応援する。がんばれよ」
「ありがとう、正宗」
今度は、心からの笑顔で、体育館内に戻っていく樹。
正宗も、親友の樹なら、友人の未来を任せても安心だと思った。
そして、手洗いにでも行こうかと思い、トイレに足を向ける正宗。
トイレの目の前の壁には、情報屋の小山内が、腕を組んで寄りかかっていた。
黒髪に黒縁眼鏡の小山内。
「あ、小山内君も来てたんだ」
「ああ」
返答の後、大きく溜息をつく小山内。
「皆口君。君、また後悔することになるぞ」
「え?」
一体何のことだろうか。
情報通の小山内は、いつも何かを知っている。
正宗自身も心当たりのない、何かがあるのだろうか。
小山内は続ける。
「やっぱり自覚無しか。
まあ、俺が口を出すのも筋違いだろうから、俺からはあえて何も言わん。
それに、今の君に言ったところで絶対伝わらん。
皆口君。もし後悔して、辛くなったら、話くらいは聞いてやるからな」
「え?あ、ありがとう……?」
なんだか慰められているようだが、身に覚えがない。
何の話だろうか。
怪訝な顔をしながらも、小山内に挨拶をして、トイレに向かう正宗。
(樹と未来さん、うまくいくといいな)
そう思いながら。
「未来ちゃん、ちょっと今いい?」
バスケットボールの試合の後、未来は、正宗と一緒に廊下に出たはずの樹に声をかけられた。
正宗は、まだ戻ってきていない。手洗いだろうか。
未来は、樹に促され、一緒に体育館のドアから外に出た。
周りには誰も居ない、校庭の隅っこの方まで来ると、樹が振り向く。
「未来ちゃん、今、彼氏とか好きな人いる?」
突然の質問に驚く未来。
今までの人生の中で、一度も聞かれたことがない問い。
未来の人生には、縁が無かったはずの問い。
戸惑いながらも、返事をする。
「えっと、私、そういう人、居たことなくて……」
「今も?」
「う、うん」
樹は、頬が赤くなっていた。
激しい試合の後だからであろうか。
だが、樹は続ける。
「未来ちゃん、俺と付き合って欲しい」
つきあう。
全く無縁の言葉に、フリーズする未来の脳。
数秒経ったあと、ようやく再起動をする。
「え?ええっ!?
わ、私と!?」
「うん。未来ちゃんと」
どうしよう。なんというか、どうすればいいのか分からない。
うまく応えられずに、唸っていると、樹が言う。
「返事、今じゃなくてもいい。
でも、考えておいて欲しい」
頭がうまく回らなくて、何とか一言だけ口から出る。
「……は、はい」
「ありがとう。それじゃあ、中に戻ろうか」
顔が熱くなっている。
未経験の熱にうなされながらも、樹について体育館の中に入る未来。
そこには、既に正宗が戻っていた。
樹と何やら目くばせをする正宗。
樹の横顔が照れる。
(正宗君、知ってたのかな。
樹君のこと……)
ぼんやりと正宗を眺める未来。
正宗は、ただ樹と笑い合っていた。
その夜。未来は、樹のことを想っていた。
爽やかな笑顔の樹。
もしかしたら、樹が自分の彼氏になるかもしれない。
そう思うと、また顔が熱くなった。
彼氏になるかどうかは、自分の返答次第だ。
でも、付き合うというのは、一体何をすればいいのか分からない。
手を繋いだりすればいいのだろうか。
するとその時、正宗のことが脳裏をかすめる。
相合傘で、一緒に神社の小道を歩いた正宗。
一緒に靴が汚れた、あの小道。
靴に付いた泥はもう落ちてしまったが、汚れた跡は今でも残っている。
お揃いの、汚れた靴。
未来は、なぜ正宗のことを想ったのか、自分でも分からなかった。
大切な友達の正宗。
初めての友達の正宗。
正宗が居たから、自分を変えることができた。
そばかすがコンプレックスだった、春休み前の自分から。
しかし、正宗はただの友達に過ぎない。
今は、樹の事だ。
今までは、自分が男子と付き合うなんて、予想もしていなかった。
だが、髪で顔を隠していたころの自分に、今の自分が想像できただろうか。
自分は、変われた。
そして今、またひとつ変わるときが来たのかもしれない。
未来は、スマートフォンを手に取り、電話帳から樹を探す。
そして、樹の名前をタッチして、電話をかけた。
「もしもし、樹君?
今日の、返事なんだけど……」