地獄の沙汰もAI次第
あまり知られていないことだが、働き方改革推進の波は、永田町を越えて、ここ地獄にも押し寄せている。
人間界で言う『まずは官から』よろしく、まず白羽の矢が立ったのは、多忙極める閻魔大王だった。
亡者ある限り、昼も夜も無く働き続けられる閻魔の仕事は、これぞベスト オブ ブラックと誰もが認めるところだったが、当の本人はと云うと仕事を生きがいとするスタイルを変える気などさらさらなく、ゆとりある時間に歓喜するどころか、「これで地蔵の仕事に時間が裂ける」とさらに働く意欲を示し、意気込んだ(これまたあまり知られていないことだが、閻魔大王と地蔵菩薩は同一である)。しかし押し寄せる改革の波には抗えず、執行部にいたく叩かれ、何度かの衝突を経て、働き方改革とは個人の権利を拡張していくような生易しいものではなく、時代という強制力、もはや義務なのだと観念し、ようやく閻魔も納得するに至った。
しかしながらである。閻魔大王の最たる仕事である亡者の次の行先決定、俗に言う『地獄の沙汰』は、地獄のみならず天国まで巻き込む最重要任務であり、言うまでもなく疎かにできる代物ではない。そこで導入されたのが天国民間企業『微小柔軟』が開発した魂自動数値化ソフト『勘定閻魔』である。これの画期的なところは、デジタル化した閻魔帳をデバイスとして、生前の善行または悪行を数値化し、マニュアル化を進めることで、おおよその裁きを内蔵AIが割り振ることだ。これにより大幅時短が可能になっただけではなく、公明公正な裁きを実現し、人情に弱い閻魔の匙加減を疑うような不平等感を払拭するにも大いに貢献した。
しかし弊害もあった。このソフト『勘定閻魔』の導入により、閻魔大王の仕事は亡者を対面にした裁判形式から、もっぱら押印を繰り返すだけの事務仕事となった。時間の短縮には大きく貢献できたものの、仕事のやりがいは削がれ、あれだけ仕事熱心であった閻魔大王が、アフター5はまだかと10分おきに柱時計を見やるようになり、用事を思い立ち席を外す回数も大幅に増えた。
仕事への生きがいが削がれた理由は他にもある。以前は品行方正な聖人をねぎらう時、あるいは極悪非道の悪人に鉄槌を降す時に、閻魔たる仕事に誇りを持って、この上ないやりがいに満たされたものが、そのような数値が両極端に振り切れた人物など、疑いようもなくさっさとAIが捌いてしまうのだから、そも書類上以外接点が生まれもしない。
むしろ対面の裁きが必要とされる対象は、善人でも悪人でもない中途半端な人物に絞られた。いわゆる最短の輪廻転生コースでの選定、天国あるいは地獄最長1年ののち転生という、AIが判断に迷う微妙なラインの選定を、熟練のヒトの手、もとい閻魔大王の手で裁かれるわけだが、『どっちでもええわ!』と半ば投げ槍になるのは、無限の時間を生きる閻魔には尚更仕方のない事であったかもしれない。
そんなご時世、幸か不幸か『善人とも悪人ともいえない人生を終えた中途半端な魂』と屈辱的なレッテルを貼られた男が、これでもかというほどグルグル縄に縛られて、閻魔大王の壇場前に立たされる。縄の先は赤鬼がしっかりと押さえており、時折わざと乱暴に引っ張っては、男をよろけさせた。
名を石神幸太という。幸多からんと両親が願いを込めて命名した名前は、『幸』は結果として微妙とあいなったが、『太』は大いに成就した。
小太りな体型を名前となじり、幼少期から悪意なく「幸せ太り」と揶揄されるにつれ、諦めから来る愛想笑いがいつしか板についた。結婚もせず、親を亡くしてからは天涯孤独、うだつが上がらず、酒とたばこをこよなく愛し、暴飲暴食、不摂生の末若くして幕を閉じた一生を、客観的に見れば幸福とは思えないが、本人からすれば小口の賭博と月一の風俗を生きがいとし、何より人の2倍食事を楽しめる胃袋を持った自分に十分満足していた。それに加えて、仕事ができない奴めと上司に叱言されながらも、働けるうちは真っ当に社会に貢献もしたと自負しており、誰に恥じる必要もない人生全てを『善行も悪行も中途半端な魂』と位置付けられたことは甚だ腹立だしく、今回ばかりは苦笑いで済ます気にはならなかった。
臆しながらも不服を申し立てる幸太に、遠慮なく閻魔大王がぴしゃりと言い放った。
「猫を轢いたことがあるだろう?」
……あった。
自家用車を持たない幸太だが、営業回りで社用車を運転する機会は多々あった。その折に、街路樹の影からいきなり飛び出してきた猫を避けられず、殺めてしまったことがある。
しかし、タイミングからして避けきれるものではなく、また、その後の埋葬もしっかり済ませた。あれで地獄とは道理が合わない。
「AIの検証の結果、土屋なら避けられたそうだ。
また、動作中の事故の場合10:0にはならない。猫の非を認めた上で9:1と判断した」
そんな事務的に言われても、幸太としては納得いかない。あと、土屋が誰か分からない。
なお一層噛みつく幸太を、閻魔はまあまあと宥めてみせた。
「まあ落ち着け。お前の言わんとすることも分からんではない。
しかしだ、猫が恨みを残した以上多少なりともポイントはマイナスとなるのは道理であるし、それを帳消しとする目立った善行が無いのも事実だろう。
ここは一つ男を見せ、等活地獄に落ちてはくれないか。
あそこの最高懲役はざっと1兆6千年だが、定員制限も考慮して、お前の場合は1ヶ月で転生だ。瞬きほどの辛抱ではないか。
それにだ、なにも地獄とは決まっておらん。
さっきも言ったが、今はAIによる厳しい定員制限を設けているから、今日の地獄行きの切符は残り一枚。お前か隣の婆さんかの、どちらかだけだ」
閻魔に言われて、幸太が慌てて隣を見やると、なるほど、いつのまにか老婆がいた。青鬼に連れられて、やはり縄を当てられ立たされている。
幸太が驚いたのは、閻魔に言われるまですぐ隣の老婆に気がつかなかったことだけではない。その老婆とは初顔合わせではなく、幸太のよく知る人物だったからだ。
「たばこ屋のタエさん……」
「まあ!幸太くんじゃないの。まさかこんなところで会うなんて」
幸太の知る限り、名をタエと言う。
もっぱら昔ながらのたばこ屋の店番をしており、会社帰りに幸太が寄ると、なにも言わずとも好きな銘柄のたばこを一箱突き出し、今日を労ってくれる。
早速幸太が店の隣に設置された喫煙所で一服すれば、よほど忙しくない限り掃除がてらにひょいと喫煙所に顔を出し、他愛のない世間話をしたものだった。
人付き合いを苦手とする幸太だったが、不思議と歳の離れた老婆であるタエとは馬があう。言い換えれば、気難しい幸太さえも宥める包容力がタエにはあった。
限りある幸太の知人の中では一番の善人に位置付けられていたタエが『中途半端な魂』とはいただけない。どうせ有害なたばこを売りつけた罪とでも言うのだろうと、これまた幸太が憤慨する。
「未成年にたばこを売っただろう?」
閻魔の声の後、幸太が恐る恐るタエの顔を覗きこむと、タエは青ざめて下を向きながら「コンビニに客を盗られて苦しくてね」と、蚊の鳴くような声で白状した。
「さて。もう一度言うが地獄に行くのはうち1人のみ、この決定は絶対だ。
問題はどちらを選ぶかだか、それにはまず……」
「それなら俺が地獄でいい」
閻魔の言葉を遮り、幸太が言い放った。生前の会議では、勤めて空気と化し、何一つ自分の意見をしてこなかった幸太からは想像できない発言だった。
「よいのか?」
「男を見せろと言ったろ?」
「そうか……。では決まった。
石神幸太、善行プラス5ポイントで、天国行きだ。
同時にタエ、お前は地獄いきとする」
いや、待て待て待て待て。
決意を無碍にした裁きに、いよいよ幸太は激怒する。
「なぜ俺が、なんの善行だ!」
「自己犠牲が尊いのは、こちらの宗教でも同じだからな。
譲った者が天国いきだったのだ」
したり顔で閻魔が答える。なるほど、罪人を2人横に並べた理由に合点がいく。譲れば天国、罵れば地獄と。神様気分で随分と下衆なことをするものだ。神様ではあるのだけど。
AI、ポイント、選別。幸太の中でフツフツとなにかしらの感情が沸きたつ音がした。それは憤怒に似ているがやはり違う、胸の中から燃え上がり、逆に頭は熱を奪われたのように冷静となる、魂をエネルギー体に換えるかのような、言ってみれば人たる根幹の感情であった。
これを正義と呼ぶ者もいるだろうが、幸太はこれを人間の矜持と理解した。
理解したなら動かねばならない。皮肉にも閻魔の言った『男を見せろ』は、別の形で叶うことになる。
生前は己の損得を最優先としてきた幸太が、死後に奮い立つのだから面白い。
「閻魔大王に言いたいことがある。
先ずはタエさんの地獄行きから。俺の善行ポイントが上がったことは分かった。だからといって、タエさんの評価が下がる訳でない。
地獄の沙汰が、自分とは関係の無い事象で決定するのは理不尽ではないか」
正論である。しかし、閻魔は涼しい顔をしたまま、まるで動じない。この手の申し開きは想定されており、当然ながら回答は用意してある。
「それは正しい。しかし、だ。
お前の生きた世界だって、結局はそう言うものだっただろう?
やれ受験だ、やれ就職だと、有限の席を巡って他人と競い合ったではないか。
幻想を壊して悪いが、天国も有限なら地獄も有限、定員がある限り絶対評価ではなく相対評価になるのは致し方ない。
それに、お前たちに非はないか?
せめて一つ、それこそ、貴様の好きな博打で良い目が出たときに、勝ち分のほんの一握りでも持たざる者に施せば、この場に立つことすらなかったろうに。
何もしてこなかった己の業ではないか」
痛いところを突かれた。結局はプラマイゼロ、善行も悪行も中途半端であったお前たちが悪いと閻魔は咎める。それならそれで、幸太は質問を変える。
「なら、もっとおかしい。
地獄の沙汰が生前の善行で決まるというなら、今は死後だ。
死後の善行にポイントを加えるのは、不正ではないか」
「なんだそんなことか。
問題ない。地獄の沙汰は魂の選択だ。当然転生前の魂である今も含まれる。でなければ、壇場に立たされる意味を持たないではないか。
対面での申し開きも、沙汰のうちに含まれる」
この言葉を待っていたと、幸太はニヤリと笑う。ならばこそ、この理不尽なシステムに一矢報いる方法がある。
「なら、これからやる悪行も、当然裁きの対象となると。
それが先ほどのプラス5ポイントを上回れば、天国と地獄はひっくり返るな?」
これを聞いた閻魔のみならず地獄の鬼たちも、一斉に笑い出した。それはそうだろう、ここは地獄で周りには屈強な鬼たち、縄にかけられた亡者に、一体どのような悪行ができると言うのだ。
「意気込みは嫌いではないが、温情で縄を解いてやったとしても、お前にはこの地獄の柱一つ、椅子一つ壊す力など持ち合わせていないぞ。
隣の鬼に殴りかかったとしても、精々駄々をこねる赤子に手を焼く程度のことで、とても悪行と言えるかどうか」
「したいのは口撃だ。
なに、中途半端な亡者の戯言など、尊大な閻魔大王にはとても響かないだろうがね」
「分かった分かった、申してみよ」
ならばと、幸太は大きく肺を膨らませる。石神幸太、死して挑む、一世一代の大勝負。
「そこのタエさんはな。常連客の好みのたばこ銘柄はすべて把握してる。今日日コンビニの店員なんてものは、好みどこか銘柄も知らねえから、購入は番号で伝えるもんだ。
侘しいだろ?だから近くのコンビニ超えて、わざわざタエさんのところまで通う常連がいるってもんだ。
それだけじゃない。俺が持病を患った後は、心底心配してくれたもんだ。自分だってこうして死んじまうくらい体調悪いのにだ。まあ、職業柄たばこ吸うなとは言わなかったが、吸い過ぎはいつも注意された。
思えば、天涯孤独の俺を損得なしで心配してくれたのなんざ、タエさんくらいかもな。
そう言うこと、閻魔張には書いてあるのかい?ご自慢のAIは、正しく評価してるのかい?
善行も悪行もない中途半端な魂?馬鹿いっちゃいけない。
糞して寝るだけが人生じゃないんだ。俺みたいな独り者でも、こうやって人との繋がりはある、絆ってもんがあるんだよ。
善行も悪行もなしに、どうやって生きていけるもんか。
そんな事も分からないで、やれポイントがとか、やれAIがとか。
そんなんだから、あんたの仕事をAIに盗られるんだ。
あんた、仕事できねえなあ」
最後は幸太が散々上司に言われたセリフを吐いてやった。毎度のことで、右から左へ通り抜けるほど、幸太にとっては聴き慣れた言葉だが、こと閻魔大王に吐いたのは長い歴史を観ても幸太が初めてだろう。一亡者の堂々たる物言いに、流石の閻魔大王も呆気に取られた。やがて徐々に顔に赤みが帯びていき、憤怒の形相に変わっていく。
閻魔大王の威厳を示すならば、たかが亡者の戯言だと、笑い飛ばすのが良いだろう。そうは思えど、閻魔自身が心の隅で思うところがあるから手に負えない。
胸の奥底、痛いところを突かれた閻魔は、下唇を噛みしめ、押し殺した声で「マイナス6ポイント」と発するが限界だった。
地獄へと続く道を、鬼に引かれながら、幸太は堂々と歩く。
これほど清々しい気持ちで地獄に向かう者は、閻魔大王と云えどそうそうお目にはかかれない。その背中を、タエが手を合わせて念仏を唱えて見送る。これではまるで、幸太と閻魔の立場が逆になったようだと、鬼たちは気まずく目を逸らす。
地獄の門を潜るまで、一度たりとも振り返らないのが幸太の、いや、人間の矜持であり、そうであることをその場では閻魔だけが理解できるのだから悔しくて堪らない。
閻魔は自慢の笏を柱時計に叩きつけた。鉄よりも頑丈な笏をぶつけられた柱時計は、アフター5まで残り10分を示したところで砕け散った。柱一つ壊せないと笑われた幸太だが、柱時計の破壊には、どうやら成功したようだ。
AI活用の見直しを閻魔大王自ら提言したのは、その後間もなくのことだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。