ep5 母は何も答えてはくれない
『ごめん! 説明は後でする
まずは体を休めて……それから安全なところに行こう』
(うん……)
少女が体を休めている間にタイガ達が帰ってこないことを十分確認する。
満足に動けない彼女の体に【人体支配】をかけて支配権を得た俺が慎重に立ち上がったのはそれから更にしばらくしてからのことだった。
『体を借りる、いいか?』
(いいよ、使って……)
異性の体を【人体支配】する行為は強く禁じられているが仕方がない。
今まさに消えようとしている人命を始末書一枚には代えられないのだ。
安全を確認するまで少しでも休むよう努めた事もあって魔法力は大分回復した。
だが体力のほうは……思った以上に消耗が早い、出血が酷いのか。
俺が使えるような初歩の治癒術では傷を多少小さくしたり、痛みを抑えることはできても既に失ってしまった体力や出血の回復まではできない。
『アヤネさん、近くで治療を受けられるような場所は?』
(それなら、北の……第三図書館、あそこに良い薬があるよ……)
第三図書館か。
確かに市内の公共施設には回復薬やシェルターの備えが義務付けられている。
もしエリクサー級の薬があるならば医者による治療ほどではなくても応急措置としては心強い。
きっと俺が【人体支配】を掛けていなければアヤネもこうしただろうと思いながら見開いたまま事切れていた二人の目を閉じてやり胸の上で手を合わせ地球教の作法に従い十字を切って手を合わせる。
『助けてあげられなくて――ごめん』
(ナナセちゃん……)
親しい仲だったのだろう、頭のなかに響くアヤネの声。
何か亡骸に供える物が欲しいのだが、部屋の中にあった雑多なものはことごとく炎に包まれ燃えカスになってしまっている。
もう一人の女性もこんな裸より恥ずかしい格好のまま置き去りにするとか……。
せめて何か毛布のようなものがあれば良いのだが無いものは仕方がない。
やむなく、ボロボロに焦げた一本のショートソードを燃えカスの山から取り出しさきほど二番目に撃ち殺されたナナセと呼ばれた少女の胸の上に置いた。
(守ってくれるよね、向こうでも、あの子のこと……それにミコトさんのことも)
『ああ、きっとな』
不安そうな声にそう返し、辺りにタイガ達がまだ居ないか気配を確認した後。
血の匂いが充満したこの建物からよろよろと慣れない一歩を踏み出した。
――少女たちの亡骸を埋めてやる時間の余裕がないのが少し辛かった。
外に広がっているのは地球からの転移者がもたらした建築様式で建てられた東京風と呼ばれているビルが立ち並ぶ見慣れた夜のオフィス街。
とはいえ──灯りのついた建物自体はいくつか散見されるが、人の気配が全くと言っていいほど感じられない。
ただ、道に沿って建てられたクリスタル製の街路樹だけが魔法の光を青く発し、辺りを照らしている。
この時間に図書館などやっているのだろうか?
タイガとともにここに来る途中で眺めた空にはまだ夕焼けの赤みが残っていた。
だから、まだ日が落ちてそれほど経ってはいないだろうと思っていたのに。
時間を確認しよう、俺は街の中央に鎮座しているマザータワーを探す事にした。
全高332メートル、地球人への敬意を示す為に建てられたこの塔は地球の東京にある物とほぼ同じデザインと言われている。
塔を中心に、円形の魔法陣を描く様に構築された都市管理用のシステムは半径15キロメートルを対象として魔術の不正使用を監視したりする。
また、魔獣の能力を抑制する作用を持ち、離れた場所であっても塔を目視できる範囲であれば現在の時刻や自分の座標、簡単なニュースを知ることも可能だ。
資産も素養も関係ない、これはフューザン市民全てに与えられた恩恵である。
「マザー、クロック・オープン」
アヤネの声帯を借りていつもの様に詠唱し、時刻の表示を求めた俺だったが。
「何これ……」
<<現在の時刻は 転移者歴891年 9月27日 20時15分 です。>>
俺の眼前に展開されたマザーからの返答、それは予想より110年近く進んだものだった。
いやいやそんなはずがない、今は転移者歴782年のはずだ!
マザーが壊れているのか?そんなことこの街が出来てから一度もなかったはずだ。
確かめてみよう。
(もう半年経ってたんだ……)
感慨深そうに言うアヤネの心の声を無視しつつ
「マザー! ニュース・オープン!」
叫び付けるよう声を挙げた次の瞬間。
眼前に展開された真っ赤なパネル、耳障りなサイレン……
そして魔術文字の内容に愕然とする。
<<フューザンの全市民に通達>>
<<警戒深度SSSS 都市終焉級の魔術災害が発生中>>
<<警戒深度SSSS 都市終焉級の魔術災害が発生中>>
<<警戒深度SSSS 都市終焉級の魔術災害が発生中>>
<<市民の皆さんはただちに最寄りの避難所もしくは……>>
「っ!? SSSS級の魔術災害だと――!?」
S級や百歩譲ってSS級ならともかく……冗談だろう?
そうだ!これはきっと何かの訓練で……。
そんな俺の心の声が聞こえていたのか聞こえていないのか。
(それ、わたしが生まれたときから16年間ずっとそのままだよ?)
耳障りなサイレンにうんざりしたような表情のアヤネが声をかけてくる。
都市終焉クラスの災厄を告げる警報が発令し、16年間ずっと解除されていない。
……それが意味するところは一つしかない。
そう、開明王トールをはじめ、多くの転移者達に愛されて授かった叡智のもと。
俺たちが生命を賭けて守り抜いてきたこの平和な魔導都市はとうの昔に――俺が110年眠っている間に既に終わってしまっていたのだ。
「冗談じゃない……」
この一日の間に信じられない事、あるいは見たくないものをたくさん見てきた。
だが、その中で最も知りたくなかった事を俺は今、知ってしまった。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ!!こんなのあり得ない!どうして!どうしてこうなった!」
(タマ……?タマさん?)
気づいたら俺はただ、少女の声帯を通じて周辺一帯にその感情をぶつけていた。
その問いに対する返事をマザーは返してはくれない。
ただ、近くのビルの壁面に付与され、これまでずっと建物を守ってきた破壊防止用のエンチャントの紋様がぼぉと淡く夜を照らしていた――。