177.暗闇の中で
怜琳が倒れてから3日が経過した。
未だに熱は下がらず回復の兆しはないままだった。
薬を飲んでしばらくは落ち着いているが、薬が切れると熱がまた上がり苦しそうにする。
それをずっと繰り返していていた。
食欲もわかないのか熱が下がっているタイミングでなんとか食べるように進めるが
なかなか食べようとしなかった。
それどころか拒否しているようにさえ感じた。
早く治るためにも温かい食べ物を食べて安静にするのが一番いいのだが…。
「はぁ…」
「怜琳様は、まだ熱が下がらないのですか?」
「ムツリか…。ああ。ずっと上げ下げを繰り返している」
「心配ですね。とても健康的な方だと思っていましたが…」
「そうだな…。医者も熱が下がるまでは安静にするのがいいとしか言わないからな」
「そうですか。では今日はなるべく早めに仕事を切り上げてください」
「ありがとう。助かるよ…」
俺はムツリが持ってきた書類に目を通しながら、彼女のことを考えていた。
ついこの間まではあんなに元気で笑っていたのに…。
俺はぐっとこらえて仕事に集中した。
早く終わらせて怜琳のところへ行こう。
今…俺にできることはそれくらいだ。彼女の傍にいることしかできない。
なにを彼女をそんなに追い詰めたのだろうか…。
怜琳はなにを悩んでいたのだろうか。
今となっては聞くすべはない。
もっと早く話す時間を取っていればこうはならなかったかもしれない。
言っても…仕方のないことだが…。
様々な考えが浮かんでわ消えるの繰り返しをしながら3時間ほど仕事を早く切り上げた。
寝室に行くと怜琳は静かに眠っていた。
よかった…。薬が効いているのだろうな…。
最初に見たときの苦しそうに呼吸することは収まったが熱は高いまま。
リンリンもこんな事は初めてだと言っていた。
俺は怜琳の傍に行き腰掛けて手を握った。
「怜琳…。早く元気になってくれ…」
そっと呟いた。
だけど彼女からの返事はない。
俺は額のタオルを取り新しいものと取り替えた。
「う…や…」
「怜琳?」
苦しそうに彼女の顔がゆがむ。何か悪い夢でも見ているのだろうか。
俺はもう一度怜琳の手を握って呼びかけた。
「怜琳。大丈夫だ…。俺がそばにいる」
「や…め…て…」
「大丈夫だ…怜琳」
うわ言のようにやめてとごめんなさいと繰り返す怜琳。
一体誰に謝っているのだろうか…。
あまりにもうなされているので見かねた俺は彼女を起こした。
「怜琳!起きてくれ」
「あ…」
「大丈夫か?怜琳」
「らい…は?」
「そうだ。俺はここにいるよ」
「うう…雷覇…雷覇…」
俺の顔を見るなりポロポロと涙を流す怜琳。
俺は咄嗟に抱きかかえるようにして抱きしめた。
今の彼女はまるで最初の頃の…父のことで思いつめているときのようだった。
落ち着けるように俺はそっと頭をなで続けた。
「怖かった…」
「なにが怖かったんだ?」
「雷覇が…け…けっこんしきで死んじゃう…ゆめをみて」
「俺が?」
とぎれとぎれになりながら、夢で見たことを話しだした怜琳。
誓いの言葉を述べる前に俺は急に苦しみだして死んでしまう夢だそうだ。
その後から次々と今までに結婚したことのある人達が出てきて
彼女を罵るそうだ。
お前のせいで死んでしまったと。
「怜琳…君のせいなんかじゃない」
「でも…でも…みんな…いなく…なったわ」
「たまたま不運が重なっただけだ。それに死は誰にでも訪れる。遅いか早いかだけだ」
「でも…わたしと結婚しなかったら…死ななかったかもしれない…」
「考えすぎだ…。大丈夫…怜琳のせいなんかじゃない」
「ううう…わたし雷覇が…死んじゃったらどうしようって…ずっと…」
咽び泣きながらこれまで思っていたことを怜琳が話した。
怜琳の父と兄が突然亡くなったこと。
親父と結婚した後も死の連鎖が続いたこと。
だから、俺との結婚を直前にして怖くなったのだと。
また同じことが繰り返すのではないか?
それがとても怖くて不安になったと怜琳は言った。
胸が痛かった。掻きむしるような…肉が剥ぎ取れ落ちるようにな痛みを感じた。
そんな不安や恐怖を抱えて生きてきたのか…彼女は今まで…ずっと。
そういえば…五神国会議のとき…口論したときにも
同じようなことを言っていたな…。みんな自分の前から通り過ぎていくと…。
なんで忘れてたんだ!そんな大切なこと!!
だったらもっと彼女に配慮してあげるべきだった。
怜琳が、結婚すること自体を怖がっていたことを察してやるべきだった。
「怜琳…すまない。俺がもっとちゃんと話を聞いていればよかった」
「雷覇は…悪くないわ…わたしが弱いから…」
「怜琳は弱くない。強くて真っ直ぐな女性だ」
「雷覇…」
「誰に対しても平等に優しくいつも明るく太陽のようで…皆を照らす人だ」
そう伝えると彼女はまた静かに泣きながら俺の胸に顔をうずめた。
俺はしばらく彼女を抱きしめたままひたすら怜琳が泣き止むのを待った。
どうしたら…怜琳を悲しませずに済むのだろう。
死なないことを証明することは難しい…。
俺の母がそうだったように、ある日突然死んでしまうこともあるからだ。
誰も予想できない。保証もない。
そんな途方も無いことで怜琳は悩み苦しんでいるんだろう。
「怜琳…。俺はそう簡単には死なない。落石に巻き込まれたときも死ななかっただろう?」
「うん…あのときも…怖かったとても…」
「でも今こうして生きている。それに怜琳だっていつ死んでしまうかもわからないんだぞ」
「そうね…わたしも…」
「このままの状態だったら本当にそうなるかもしれない。お願いだから何か口にしてくれ」
「わかった…食べるわ…」
ようやく落ち着いて気持ちも和らいだのか怜琳は食べると言ってくれた。
俺はすぐにリンリンを呼んで食べ物を持ってくるように伝えた。
ベットの上に怜琳を座らせて、ゆっくりお粥を口まで運んだ。
彼女は黙ってそれを食べていた。
俺はその姿を見てホッと胸をなでおろした。
よかった…少しでも食べてくれて…。
それからまた薬を飲ませて横になるように言った。
怜琳がじっと潤んだ瞳でこちらを見つめてきた。
「どうした…怜琳」
「手を…握っててくれる?」
「もちろんだ。いいよ」
「わたしがうなされたらまた…起こしてくれる?」
「ああ。そばで見てるすぐに起こしてやるよ…」
「ありがとう…」
それだけ呟くと怜琳はゆっくりと目を閉じて眠りについた。
少しは安心してくれただろうか…。
俺は彼女の手を握りしめながら寝顔を見つめていた。
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「ううう…ぐす…」
誰かが泣いている…。真っ暗な視界の中ですすり泣く声だけが響いてる。
だれ…?ないているのはだれ?
「ぐす…う…う…」
どこにいるの?出ておいで…。
わたしは優しく呼びかけた。誰かが泣いているなら慰めてあげないと…。
わたしがよくそうしてもらったように…。
なにもないところで、歩いていると薄っすらとうずくまっている人が見えた。
近づいていくと小さな女の子が泣きなながらうずくまっていた。
わたしはそっと近づいて背中を撫でた。
どうしたの?なんで泣いているの?
「うう…みんな…いなくなっちゃうの…」
お父さんとお母さんとはぐれたの?だったら一緒に探そう?
「違うの…みんな死んじゃって…いなくなるの」
そうなのね…それは悲しいね…。
「だから…誰にも会いたくないの…好きになりたくないの…」
でもそうしたら…ずっと一人ぼっちだよ…。
「いい…ぐす…」
そんなの…寂しいわ…。誰かといたほうが楽しいよ?
「お姉ちゃんは…誰といるの?」
泣きながら俯いていた少女がこちらを見つめてきた。
その子は小さい頃のわたしだった。
一人でうずくまって泣いていたのは私自身だった。
わたしは…雷覇や怜秋…ラカンにリンリン…。沢山の人といるよ。
「でも…その人が死んでしまったら?わたしと一緒にいるせいで死ぬかもしれないよ?」
どうして…そんな事…。
「だって…わたしは【死神姫】…だから」
ああそうか…。この泣いている女の子はわたしなんだ…。
ずっとこうして一人で泣いていたのか…。
「わたしと一緒にいると…大切な人…みんな死んじゃう」
わたしはぎゅっと後ろから抱きしめた。
ああ…。わたしはこうしてずっと悲しかった…。
【死神姫】と呼ばれる自分が認められなかった。怖くて泣いていた…。
ずっとずっと…。泣いているわたしを否定して見ないふりをしていた。
「だから…一人でいる…ずっとずっと」
本当にそれでいいの?それがあなたのやりたいこと?
「…それは…」
違うよね?本当は一緒にいたいよね?雷覇や皆の…。
「いたい…いっしょに…いたいよ」
うん。わたしも一緒にいたい。それに…あなたとも一緒にいたいわ…。
「わたし…も?」
そう。だから一緒に帰ろう?みんなのところへ行こう?
「わたしは…【死神姫】なんだよ?」
いいよ。それもわたしの一部だもの…。
今まで一緒にいたじゃない。わたしの分まで泣いてくれていたじゃない。
「怖く…ないの?」
怖くない。だってもわたしもあなたも独りじゃない。
一緒に…そばにいてくれる人がたくさんできた。
今まで辛い事に耐えてきたから出会えた人たちだよ。
「いいのかな?わたしが…いても…」
うん。もうわたしは大丈夫。
あなたを受け入れる準備ができた気がするの…。
だから帰ろう?
「…うん。ありがとう…」
小さなわたしはこちら振り向いて抱きついてきた。
わたしはそれを抱きしめて受け止めた。
もう小さなわたしは泣いていなかった。
ずっとずっと押し込めてきた…【死神姫】と呼ばれる自分。
認めたくなくて怖くて向き合ってこなかった自分。
でも…今なら…大丈夫。
雷覇が傍いる…。
最初からわたしを見てくれて、どんな時でも真っ直ぐに向かってきてくれた人…。
わたしよりもわたしを信じてくれた人…。
ふと彼のくしゃっと笑う顔が浮かんだ。
わたしが大好きな表情。
眩しくて少年みたいに笑う雷覇が好き…。
帰ろう…。彼のところへ…。
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目を開けると眩しい日差しが目に飛び込んできた。
わたし…どれくらい寝てたんだろう…。
ぼんやりとした意識の中でふと自分の左手を見ると雷覇がいた。
わたしの手を握りしめながら横で眠っていた。
そうか…。ずっと傍にいてくれてたんだ…。
わたしは朝日を浴びて穏やかに眠る彼の寝顔を見つめていた。