第20話 契丹遼、異世界に立つ その2
契丹の目には、フードを被り黒いローブのような服に身を包む老人(?)が浮いているように見える。
(な、人が浮いている?)
いや、本当に浮いているのかは判らない。 なにしろ、地面自体よく見えないのだ。 そしてそのフードの人物は語りだす。
「お主に頼みたいことがある」
「何でしょう、と言いますか、周りが真っ暗な事に心当たりはありますか」
「ほほう、そう来るか。 そうじゃな、まずはお主の置かれた状況を知らせるのが先じゃな」
「置かれた状況ですか」
「うむ、お主と二人だけで話をしたい故、周りと遮断しておる」
(遮断? 一体どんな手品だ? 何かクスリでも嗅がせたのか?)
「それは、薬か何かで私の意識を失わせて拉致したという事でしょうか」
「ふむ、面白い解釈じゃな。 中らずと雖も遠からずという所じゃ」
「なんという」
「あぁ、クスリ等は使っておらんぞ、意識も一瞬たりとも失っては居らぬ故安心せい」
「それでは、一体どんな手で」
「魔法じゃ」
「まほう? 魔法? 」
「そうじゃ、何か問題でもあるかの」
「いや、何を言われるのでしょうか、いい年をされた大人が魔法などど」
「そうか、お主の住む……ニホンとか言うたか、ここには魔法は無かったか。 良かろう、周りを見てみるがよい」
レリアル神の声と共に、二人の頭上10メートルほどの所に強く光る物体が現れる。
だが、闇が晴れて現れた周りの景色は、見慣れた住宅街の路上とは明らかに違っていた。
「これは、ここは何処なんだ」
見えるものを信じるなら、ここは何処かの森の中。
だが、彼の中の常識がそれを拒絶する。
「見ての通り森の中じゃ。 それとも、違う意味で問うておるか」
契丹は近くの木に近づき、恐る恐る触れてみる。
「本物だ……」
それは映像や造り物ではなく、正しく樹木であった。
「理解できたかの」
そう語る老人を見ると、明らかに宙に浮いていた。
契丹は半信半疑ながら、目の前の老人の言う事を聞く事にした。
「どうやら、ここは先ほどまでの道とは違う場所のようですね。 魔法についてはさておき、こんな誰も居ない森の中なら、遮断も不要なのでは」
「はははっ、実は遮断中に為すべき事があっての、それが終わった故、解除した」
「為すべき事?」
「この森じゃが、ニホンにあるものではない」
「はい?」
一難去ってまた一難、ではないが、一つ理解できたと思ったら、すぐに別のイミフ発言が出る。
非常識な展開の連続に不慣れな現代の中年にとっては、ついて行くのも大変である。
(これは夢なのか? いや、こんなリアルな夢などない。 どうやって森に? 日本ではないとはどういう事だ?)
「ま、現状の把握は時間をかけてやればよい。 それより、話を戻すぞ」
「あ、ああ」
「お主に依頼したい事じゃが、お主の知る言葉を使って一言で言えば『布教』じゃ」
「フキョウ?」
「ワシは神である。 名はロディニアじゃ。 布教の意味が伝わったかの」
「布教ですか、私は宗教のような非進歩的な物は信じておりません」
「宗教か、それはヒトが日々の規範を規定するためのものであろう。 神とは無縁のものじゃ」
「え?」
人、それも現代人にとって宗教とは「神や仏を信じる事」つまり信仰とは切っても切れない。 いや、同一視される概念である。
日本人に限定すれば、日常生活にはあまり関係しないが、それでも「神や仏」の類と無縁という考えは無い。
「どうやら神の定義に何か齟齬がある様じゃな」
レリアル神から見れば、「信仰」と「宗教」は別の概念となる。
神を信じ、祈る信仰と、人が定めた法を神の名を借りて人々に守らせようとする宗教。
そう考えれば、確かに違うものだ。
神からすれば、勝手に法の裏付けに使われて、いい迷惑である。
あれだ、有名タレントが本人が知らない所で「僕も使っています」とかいう広告が出ているようなものだ。
ちなみにこれは実在の神であるレリアル神の認識であるが、現代においても一部の宗教家は似たような見解を有している。
まぁ「人が定めた」の部分を「神が定めた」と語る宗教家の方が多いかもしれないが、「信仰」と「宗教」は別の概念という考え方自体は、多少なりとも宗教に詳しい人々の間では珍しい考え方ではない。
そして、宗教観が希薄な日本人はあまりその辺については「考えた事も無い」のが普通だろう。 そして進歩的思想故に宗教を否定する契丹も例外ではない。
レリアル神はこの辺りについて契丹と問答し、理解を得た。
そして契丹は「神」とは宗教上の「信仰対象とされる架空の存在」ではなく、実在する権力者の類であると認識した。
「理解できたかの。 邪神を信じる誤った信仰を持つ者達の考えを改めさせ、ワシを信じるように取り計らえ。 という事じゃ」
「なるほど、依頼の趣旨は理解しました。 では、なぜ宗教家でもない私にその依頼をしようと思われたのですか」
「そもそも宗教ではないのだから、宗教家である必要はあるまい」
というか、現代の宗教家なら信じる神が居るのだから、それとは別の存在であるレリアル神を崇める様に人々に説いて回るのは抵抗があるだろう。
問うてから気が付く契丹であった。
「そう言えば、そうでしたね。 なるほど」
要は、ライバルとなる権力者の支持者を転向させて、別の権力者を支持するようにする。
何の事は無い、契丹が普段行っていた「業務」だ。
「私にそれが出来ると見込まれた訳ですか」
「そうじゃ、やっと話が進むの」
「それで、その『依頼』を受諾したとして、どのような『報酬』が得られるのでしょう」
「報酬か、そうじゃな、『責務を離れその力を振るう機会を得られる』というこの依頼自体が報酬じゃな」
「なっ」
「どうした、お主が日々悩んでおる事であろう」
*****
契丹ら「進歩的」とされる人々のグループは大きく3つに分かれていた。
分かれているが故、その力は分散し、それが「非進歩的」とされる者達が政権を取り続けている原因にも繋がっている。
一つ目は「日本に進歩的革命を起こす」事を目指すグループ。
二つ目は「日本を進歩的外国に開放させる」事を目指すグループ。
三つめは「日本人の生命と財産を進歩的な人々に捧げる」事を目指すグループ。
この違いは古くは「内ゲバ」なる行いの原因で、進歩的思想が世間に広まるのを阻害した。
契丹の師匠とされる男はこの第3グループの重鎮だった。
だが契丹が彼に師事したのは、その思想に共感したからではなく、つまる所成り行きだった。
その昔、進歩青年同盟の若き論客として名を馳せた時、最初に契丹に声をかけて来たのが師匠だったのだ。
その後、契丹の名声は上がり続けた。
師匠の思想に違和感を感じつつも、恩義を忘れぬ契丹は期待に応え、師匠を喜ばせる。
だが、政治家への話は断った。
演説より討論を得意とする契丹は、民衆に訴えかけるより、キーマンを篭絡する事に向いていたためだ。
それと、師匠の思想に100%賛同出来る訳ではない事と、そもそも進歩派が分裂している事自体が彼を政治家という職種から遠ざける事となった。
各々のグループは異なる支持政党を持つ。
契丹はその3つの政党全ての要人と話をする機会を得たが、どの者も自分のグループの事しか考えて居ないうえ、相手の年齢によってその意見に軽重をつけるという態度から、彼らを統合して真なる進歩的政治グループを作るのは、余りに荷が重く感じられたのだ。
それ故、契丹は民間の場で活動する道を選ぶ。
民を見ない政治屋の元を離れ、メディアを通じて人々の思想を統合し、押しも押されぬ実力者としての地位を確立する。
それが成った頃には自身も老年となっているだろう。 メディアの力と年齢の圧力によって「外から」進歩政党を統合改革する。
そんなグランドデザインを漠然と考えていた。
だが、ある日、事件が起きる。
契丹は師匠からの電話を受けた。
「契丹君、私は間違っていた」
「師匠、どうされたのです」
「被災者の方々を見て気が付いたのだ」
「そ、それは……」
「国が無くなろうと、財産が無くなろうと、いやその命さえ捧げる事となろうとも、世界に進歩を広げるための一助となるなら、たとえ騙してでもそれを人々に強要するのが私の仕事だと思い、半世紀がんばってきた。 君と共に走り、語り、政権交代を成功させた時の感動は今も忘れない。
だが、私は理解していなかったのだ。 全てを失った人の悲嘆を、苦しみを、悲しみを!
そして私の行いは日本人全員を被災者にするような物であったと!」
「師匠……」
「契丹君、君が私の思想を完全に支持していない事は知っている。
それは君がまだ若く、覚悟が足りてない為だと思っていたが、今ならわかる。 それは誤解だった。
君は全進歩派の統合を考えているのだろう」
「は、はい」
「君は君の信じる道を行け。 私の様に間違った道にはまり込んではいけない。 後は頼む」
そう語ると、電話は切れた。
「師匠! 師匠!」
折り返し電話をかけたが、師匠が電話に出る事は無く、事務所の秘書に行き先を聞いたが、今日の予定は判らないという。
契丹は家を出て、師匠の家へと向かうが、そこにも居なかった。
後日、契丹は師匠が自ら命を絶ったことを知る。
あの電話は、遺言だったのだ。
そして今、契丹は思い悩んでいた。
人民を捧げものにした場合はもちろんのこと、進歩革命も、進歩国家による開放も、どの結果に至っても人民は不幸になる。
進歩国家の圧制に苦しむ人々の姿を流すニュースはその認識を強める。
こうして契丹から見て「間違っている」見解が一般民衆に広まってしまっているのだ。
そしてネットもその流れを助長している。
もちろん、ネット上にもシンパは多くいて進歩思想を広げるべく頑張っていると聞くのだが、いかんせん経験不足のためか逆効果になる事も多いらしい。
このため、人々へ進歩思想を広げるのは「穴の開いたバケツに水を入れる」が如き事となっている。
大手ネット企業を含むマスメディアや教育による思想宣伝が滞れば、すぐに人々の関心は進歩的な物から離れてしまう。
だが、民衆の見解は本当に「間違っている」のだろうか。
進歩革命や開放は人民を不幸にする。
もしかしたら、これは正しいのではないだろうか。
そして、人民を捧げものにするという「間違い」に気づかれた師匠は、その責を自らの命で償った。
私は、この道を進み続けてよいのだろうか?
責任ある大人として、この思想を広め続けて良いのだろうか。
日々、実務に追われる中、そんな思いが頭の片隅をよぎる。
*****
「私の心の中まで読めるのですか」
「厳密に判る訳ではない。 じゃが、お主の心に葛藤があり、それがお主の普段の活動と繋がった重大な物である事は判る」
心を読む魔法……というより、進んだ天界の心理学と脳科学、そして脳活動の詳細な「観測」から得られた結論だ。
その「観測」を実現する手段を魔法と呼ぶのであれば、魔法なのだろう。
というか、実際天界の技師はそれを魔法と呼んでいる。
「なるほど、『依頼』に従って行動するので、その結果についての責は私ではなく、ロディニア様にある。 だから何も気にせず力を振るえ……と」
「その通りじゃ」
「判りました。 お受けしましょう」
(どれだけ時間がかかるか判らないが、しばらく離れるのも良いかもしれない。 あぁ、失踪したとか言う事になるかな、心配をかけてしまうな)
「そうそう、首尾よく完遂した暁には、元のニホンに戻すが、同じ場所で同じ日時じゃから、後顧の事は気にせずとも良いぞ」
「そ、そうなのですか。 それは有難いですね」
「先に告げておくべきじゃったな、では、スタッフに紹介しよう」
そう語ると、レリアル神はゲートを開き、その中へ入る様促した。
(なるほど、本当に魔法があるのだな、となるとここは地球ではない、話題の異世界というやつか。 息子の漫画にあったな、読んでおくべきだったかな)
契丹はゲートの中へと歩いて行った。
用語集
・布教
日本語だと宗教と同じく「教」という共通の文字があるうえ、現代社会では「宗教を広める」という定義が基本なため
布教は宗教を広める事ではない
とか言われると、「何言ってるんかな?」となりますよね。
誤字修正 2021/10/09
政権を撮り続けている
↓
政権を取り続けている