第二章2
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「もし――し」
ノイズの間から息子の声が聞こえた。携帯電話から遠く離れてしゃべっているような小さな声だった。
「もしもし! どうしたのっ。なにがあったのっ」
「お母さ――助け――さつじ――いる――」
「何? 何がいるって?」
引っ掻き音がひどくて声が聞き取り辛い。だが、緊急事態が起きているというのはわかった。
「――殺人鬼――――」
今度はそこだけはっきりと聞こえ、祐子は気が遠くなりそうになった。だが、今気絶するわけにはいかない。
断続的にしか聞こえてこないので状況がいまいちわからなかったが何とか聞き出せたのが、塾内で殺人事件が起きたが文也はとりあえず無事だということだった。
こちらの声も聞き取り辛い上に、110番も繋がらないという。
そう言えばさっき何度かけても繋がらなかった。やっと繋がっても声は遠いしノイズもひどい。
何がどうなっているのだろう?
だが悠長に考えているひまはない。
「文也、お母さんが110番するからね。だからそこにずっと隠れているのよ。絶対に出ちゃだめ。今すぐそっちに行くから。
じゃ、いったん切るよ。また連絡するからマナーモードにしておきなさい。いいわね?」
文也が理解できるまで何度か繰り返し伝えた後、終話ボタンを押した。だが、次に繋がるだろうかとすぐ後悔した。
大丈夫よ、きっと。お巡りさんだってすぐ駆けつけてくれる。それまで無事でいてね、文也。
そう祈りながら110番にかけた。
スムーズに呼び出し音が鳴り、すぐに応答があった。携帯電話の調子が悪いわけではないようだ。
祐子は名を名乗ると北尾塾で殺人事件が起きていることを伝え、息子が逃げ出せずにまだ建物内にいると訴えた。
詳しい状況を聞かれてもわからず、とりあえず現場に向かうという返事を聞き、祐子は電話を切るとすぐ健夫に連絡した。
すでに帰宅していた健夫も祐子の話を信用しなかった。だが、夫の声を聞いたとたん泣き出した祐子に異常を感じたのかすぐ塾に向かうと約束してくれた。
落ち着いて行動するようにと健夫から注意され電話を切った時、控室のドアからチーフが顔を覗かせた。怒りで顔が歪んでいる。
「ちょっと野地さんっ、あんた何してんの。まだ勤務中よっ」
「早退します」
バッグをつかんでドアの前に立ちはだかるチーフを突き飛ばし控室を飛び出す。
「ちょっと、待ちなさい。野地さん! 待ちなさいっ」
声を振り切り、従業員用口から駐輪場に急ぐ。バッグの内ポケットから自転車の鍵を取り出そうとして、まだアニメのキーホルダーを握りしめていることに気付いた。
早くあの子を助けなきゃ。
それをスカートのポケットに突っ込むと祐子は開錠した自転車を勢いよく漕ぎ出した。