第二章1-2
三階のホールにも高校生や予備校生が集まり、階下を窺いながら騒いでいた。
真下で絶叫が起こる。
もう二階まで迫って来たんだ。どこかに隠れないと。
屋上から非常階段で外に出られるのはわかっていたが、ドアには鍵がかかっている。その鍵は事務室にあった。
文也は階段ホールを左に曲がって三階の男子トイレに駆け込んだ。
二つ並んだ個室の手前に飛び込み、すぐ思い直して一番奥の用具入れに隠れた。
乱雑に詰め込まれたデッキブラシやバケツ、巻いたホースの間に潜り込んで三角座りし、見つからないよう祈りながら膝の間に顔を埋めた。
すぐそこで大きな悲鳴が上がり、文也はぎゅっと膝を抱きしめた。
とうとう三階まで来たっ。
助けを求め泣き叫ぶ声が廊下に散らばっていく。
心臓の鼓動が激しく鳴り、喉からせり上がってくる悲鳴を文也は手を噛んで押さえつけた。
あいつがここに来ませんようにと目を閉じて祈る。
鉈で割られた河津の頭が脳裏に浮かんだ。
みんなあんなふうに殺されてるんだろうか。ううん。そんなことないよ。きっと誰か逃げ出せてる。
そうだよ。宮島は脚が速いからきっと逃げてる。あんなおっさんなんかに負けるもんか。
それにパトカーももうすぐ来る。みんな通報したんだ。いっぱいお巡りさんが駆けつけてくるよ。
だが、どんなに耳を澄ませて待っていてもパトカーの音はまったく聞こえてこなかった。
最後の悲鳴が聞こえてからどれだけの時間が経ったのだろう。今どんな状況なのか用具入れに隠れたままの文也には何一つわからなかった。
パトカーも警官も来た様子がない。ということは、誰も警察に通報できなかったのだろうか。逃げ出せた者がいなかったのだろうか。
宮島も殺されたんだろうか。
涙がこぼれ頬を伝い落ちた。口を押さえていても嗚咽が漏れる。
だが、すぐ近くでびちゃびちゃと粘着質な足音がして、文也は息を飲んだ。
僕は最後の一人なんだ。あいつは僕の顔を知ってる。だからきっと探してるんだ。
足音はしばらくの間あちこち歩き廻っていたが次第に遠ざかり、やがて静かになった。
気付かれなかったことに安心したが、これからどうすればいいのか途方に暮れた。
あっ――
文也はズボンのポケットに入れていた携帯電話を思い出した。あまりの怖さに忘れていたのだ。
モップやブラシを倒さないよう注意しながら、そっと電話を取り出すと110番を押す。
だが、受話口からは何の音も聞こえない。アンテナと電池を確認したがどちらも減っておらず、首を傾げながらもう一度かけ直した。
だが結果は同じで、何度やっても繋がらない。
110番がだめなら母の携帯番号にとかけてみたが、こっちも結果は同じだった。
二十回目ぐらいにやっとノイズ混じりの、今にも切れてしまいそうな小さな呼び出し音が鳴り始めた。
その音が止み、母と繋がったとほっとしたが、いつまでたってもごおぉという突風の音しか聞こえない。
繋がった先がだだっ広い草っぱらのようで怖くなり、文也は電話を切ってしまった。
もう少し後でかけようといったんあきらめ、男の足音が近づいて来ないか集中することにした。
かくりと首が落ちて、文也は居眠りから目覚めた。身を引き締めて気配を窺ったが、あたりは何事もなかったかのようにとても静かだった。夢でも見ていたんじゃないか、そんなふうにまで思えて来た。
突然、手の中で携帯電話が鳴り出した。
張り詰めた空間に響く音は恐ろしいほど大きく聞こえ、驚いた文也は慌てて送受ボタンを押した。
冷汗を滲ませながら、足音が近づいてこないか神経を集中させ電話に出る。
さっきと同じ風の音がした後、送話口を爪で引っ掻くようなノイズが聞こえた。
その向こうでとても遠い母の声がした。