第一章4
4
客足が途切れ、祐子はトイレに行く振りをしてチーフの目を盗み控室に戻った。文也、もしくは塾か警察から緊急の連絡が入っていないか早く確認したかった。それをしないことには仕事に集中できない。
エプロンのポケットから鍵を取り出しロッカーを開ける。文也の好きなアニメキャラクターのキーホルダーが激しく揺れて千切れ、リノリウムの床に転がった。
血の気が引いていくのを感じながら慌てて拾い上げ、バッグを引っ張り出して無造作に放り込んでいる携帯電話を探した。
「こんな時に限って見つからないんだから――」
財布や折り畳み傘を押しのけ一番底にあった電話を取り出す。
着信を示す光の点滅が心臓の鼓動を大きく跳ねさせた。
震える手で携帯を開き履歴を見ると文也の名前が並んでいた。
「なんなの。これはいったいどういうこと?」
最初は一時間前だった。
「な、何があったの、文也っ」
リダイヤルを押そうとしても指が震えてうまく押せない。
「落ち着いて。落ち着くのよ」
祐子は深呼吸するとゆっくりとボタンを押し電話を耳に当てた。呼び出し音が鳴り始めるまでの時間が長く感じる。やっと鳴ったと思ったら水中で響いているような小さな音が数回鳴って切れてしまった。
「なによ、もうっ」
祐子は再びリダイヤルして、さっきは意識しなかった奇妙な呼び出し音に気付いたが、文也のことが心配で気に留めなかった。
「文也、早く出てっ」
音の間にぷつっぷつっとノイズが混じっているのでまたいつ切れてしまうのか不安だ。
このままずっと繋がらないのではないか――
祐子の目に涙が浮かんだ。
呼び出し音が止まった。
だが文也が出たわけではなく、ただ静かで何の声も物音もしなかった。ツーツーという音も聞こえない。
膝が震え出し立っていられなくなった祐子は床に座り込んだ。頭の中はぼうっとしているのに指が勝手にリダイヤルを押す。やはり始まったのはノイズ混じりの奇妙なコールだ。
「文也――出て――お願い」
下瞼に溜まった涙が頬を伝い落ちる。
また音が途切れ静寂が広がる。唇を噛み終話ボタンを押そうとした時、ごおっと突風の吹くような音が聞こえ、祐子は携帯電話を握り締め耳を澄ました。
数秒、風の吹き荒れる音がした後、送話口を爪で引っ掻くようなノイズの向こうで文也の遠い声が聞こえた。