愛の罠は平等にあなたのそばに
母が
《コップに痰を吐くあなたとはもう暮らせないわ》
と言ったその日、両親は離婚した。
私は当時8歳くらいで、ぶっちゃけ記憶は曖昧である。父親との記憶も曖昧である。というか、母が濃すぎて父との記憶が薄れている可能性が大きい。
これは、私と母と3人の犯罪者の物語。
私の母は後先を考えない星で生まれたんじゃないかと言っても過言ではない。
祖母曰く「あの子は、はちゃめちゃ」
母のはちゃめちゃ伝説については後に語ろうと思う。
見た目はというと、純日本人なのにフィリピン系の顔、目が大きい。年の割には若く見えると思う。
私は残念なことに顔の遺伝子は父からなので、あぁ畜生と思った事が多々ある。
まぁそれはおいておいて、母の性格は
ウルトラ自由人。
スーパーなんてもんじゃない。ウルトラ。
どれくらいのものかというと、
小学校4年生の時だったか
母が1週間ほど、家に帰ってこなかったことがある。よく無断で外泊する人だったので、特に気にしていなかったが、流石に1週間も連絡がないのはヤバいのでは?と、祖母に連絡し、警察に相談しようと思ったところで母から
『今、空港着いたよー!ピース」
という文と飛行機の写真が送られて来た事があった。
勝手に福岡に行っていた、、、。おい。
それだけではない。
スーパーに買い物に行くと言っていたのに、道中でいい事があったからと、パチンコ屋に行って運試しをし、負けてスーパーで買う予定のものが買えなかった事や
部屋の模様替えの途中で飽きて、玄関に机が置き去りにされていたり、下着を洗うために洗面台に水を溜めている間、釣りゲームをして熱中し洗面台の水があふれて脱衣所が湖になったり。
母は仕事もコロコロ変える。
なんでもすぐ飽きてしまうんだとか…
自由というか、ルーズというか、、、
そんなこんなで自由人に育てられた私は、
反面教師でわりと真面目に育った。
時は40歳の母の誕生日
話があると言われ、ケーキを食べつつ母が喋り出すのを待つ。
私の顔色を伺う母の表情はニヤついている。
はよ話さないかなと思い始めたと同時に、
母が口を開いた。
母「実はさ彼氏ができたの!!!
あんたに会わせたいから、今度の日曜あけておいてね!」
思春期の娘の気持ちなど、
この母ら、御構い無しである。
いつもの突拍子も無い行動に、もう慣れてしまった自分がいて、悲しい。トホホ。
母はというと、それだけ言い残して、ルンルンで自室にもどり、彼氏らしき人物と電話を始めている。
母に彼氏を先取りされたということが少し悔しい気もするが、どんな人なのか気になるので細かいことはあえて聞かずにケーキの皿を片付けて寝た。
これが、犯罪者第1号と私達親子の出会いの始まりなるとは知らず。
日曜日はあっとゆーまにやってきたのだ。