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不動明(王)  作者: 鈴 晴斗
4/8

弥勒菩薩

「ここがそうだ」

 アスカが立ち止まりそう言ったけど……そこには何もない、周りには半球の家があるけどここにはない。僕が周りをきょろきょろとしていると。

「この上」

 アスカが上を指差した。そこには一回り大きい浮かぶ家があった。―あそこ―あんな高いと。

 アスカが前に出て両手を合わした。

「菩薩様の所へ行きたいのです」

 アスカがそう言うと浮かぶ家から透明の円盤が、アスカの目の前に降りてきた。アスカに促されて僕たちはその円盤の上に乗ると、音もなく上がって行く。

 三人乗ってもまだ余裕があるほど大きい透明の円盤が浮かぶ家の前で止まった。

 家の入口が開き中から暖かい光が差し込んでくる。アスカがその中に入り僕たちも続いて中に入った。

「ただいま戻りました」

 アスカがあまりにも礼儀正しいので、思わず僕も背筋を伸ばした。

「あら、アスカさん、お友達ですか。よく来ましたね」

 心に響く、おだやかな調子のやさしい声が聞こえてきた。見るとどこかで見たことのあるような姿をしている。穏やかな顔立ちに、すべてを見透かすような切れ長の眼、口元はやさしく微笑み、黒くつやのある髪は、丸くまとめ上げられて頭の上に乗っている。

 布をきれいに巻きつけたような鮮やかな色の僧衣を着ている。両手を合わせ僕らにおじぎをしている。

「はっ、はじめまして、私は、天野 沙祈と言います」

 カチコチに緊張しているサキは、アスカと共に両手を合わせて一礼している。

「ぼ、僕は不動 明……」

 あたふたと、僕も慌てて真似をする。

「フッフフいいのですよ、無理をしなくても」

 その人は僕に向けてそう言った。

 僕は普通に、もう一度おじぎをした。

「そうですか、天野さんに不動さんですか……」

 菩薩様は僕とサキにその優しい眼差しを向けている。

「おかけなさい」

 そう言われて座ろうとすると。僕の両隣でサキとアスカはきれいに背筋を伸ばして正座をしている。あぐらを掻いて座ろうとしていた僕は、慌てて正座しようとした。

「いいのですよ、無理をしなくても」

 また言われた。

「あなたは座禅をなさい」

 そう言われて僕はあぐらを組み姿勢を正した。よこでサキとアスカが、クックと笑いをこらえている。

 よかった、サキに笑顔が返ってきた。

 僕たちは菩薩様の前に座り、ここまでたどり着いた一部始終を話した。

 淡く光る鬼迷宮を通りこの町に出たこと。そしてあの邪鬼の生まれる洞窟で見たことを。

「そうですか、そんな事がありましたか。失礼、私は弥勒と申します。何からお話ししましょうか。あなたたちは何を知っていますか」 

「人仏の人達と、獄人の人達がいることをアスカに聞きました、それ以外の事は何も知りません」

 僕は何も知らなさすぎる。

「私も同じです……私お寺に住んでるんですけど、何か関係がありますか」

「おや、そうですか、でしたら話しやすいかもしれませんね。あなたの住むお寺にはどなたがおられますか?」

「私と、お母さんと―」

「いえいえ、これは失礼しました。お寺に祀られている仏像にはその方のシン、心が宿っていますので私どもは、どなたがいますか、と聞いてしまうのです。ご本尊はどなたでしょうか」

「あっ!」

 サキは顔を赤らめている。

「すいません、ご本尊は阿弥陀如来です」

「そうですか、阿弥陀如来様ですか、阿弥陀如来様のほかにはどなたかおられますか」

 サキはすこし考えてから。

「はい、阿弥陀如来の両隣に、観音菩薩と勢至菩薩がいます。それと阿弥陀如来を囲むように不動明王と四天王もいます」

 弥勒菩薩様はやさしく微笑み。

「そうですか、それではあなたの知っている阿弥陀三尊と、如来様をお守りする王、そして天について少し話しましょうか」

 僕の横で、サキは力強く返事をしているが、僕にはすでに何の事だかさっぱり分からない。黙って聞いておくことにしよう。

「この世には三種族の人がいます。天に人仏、地に獄人、そしてその間に人間。そのことはすでにあなた達の眼で確かめアスカに聞いたのでしょう」

 僕とサキは黙ってうなずいた。

 アスカは黙って眼を閉じ瞑想しているのか、微動だにしない。 

「あなた達の知っている阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩は共に人仏となります。観音菩薩は、阿弥陀如来様の祈りがより多くの人々に届くように祈り。そして、勢至使菩薩は、邪鬼の魂を解放するために、邪鬼の動きを抑える祈りを。双方とも阿弥陀様の祈りが、この世のすべての者に届くように、阿弥陀様の手助けをしています。そのように、阿弥陀如来様の力になる為、観音菩薩と勢至菩薩がその両脇に控えている事を阿弥陀三尊と言います」

「えっ、それじゃ、菩薩様って阿弥陀如来様の弟子なんですか」

 僕は思わず口に出してしまった。横にいるサキが渋い顔をしている。

「フッフ、いいのですよ。そうですね、弟子とは言えませんが、私も含めて菩薩と呼ばれている方々はまだ、如来になる為の修行中の身ですからね、そう言ってもおかしくはありません」

 今度はサキが驚いた顔をしている。

「同じ如来と言っても、その方によって祈りの力は違います。阿弥陀如来様の祈りは、この世の生きとし生ける者の。人生を全うし、転生の地へ向かおうとするすべての魂を転生の地へ導く祈りを。また、薬師如来様は生きている者たちのための祈り。餓え、飢餓、疫病などから生きている者たちを守る祈りの力を」

 〝転生の地〟あの邪鬼が生まれる洞窟でも聞いた言葉。

「あのすみません」 

 僕はおそるおそる声をかけた、駄目だと分かっていてもどうしても聞きたいことがあった。

 僕はまたサキに睨まれる事になった。

 菩薩様は変わらず優しい顔で『何か』と声を出さずに聞いている。

「あの、転生の地ってなんです」

「これは失礼、あなた方は輪廻転生と言う言葉を知っていますか」

 僕は、黙って眼をそらした、聞いたことはあるんだけど……。

「はい、生まれ変わることですか」

 サキが眼を輝かせている。

「そうですね、この世を全うした魂は、輪廻転生をする為に転生の地へと赴きます。あなた達の言う、天国と言うところですね。その転生の地へ向かう者の事を私どもは転生者と言います。これも、あなた達の言う、死者になるのでしょう」

 菩薩様が死者と言う言葉を出したのがきっかけになったのか、アスカが静かに立ちあがり菩薩様に一礼をすると部屋の奥に消えて行った。

 菩薩様は小さく吐息を吐き、話を続けた。

「私どもの考えでは、転者と死者と言うのは全く別なのです。私どもは人の生死は心で見ます、心になれば皆同じだから。この世の生きとし生ける者は、死、と言う者はありません。例えば私がここで死を迎えても私の心、すなわち魂はたらしく生まれ変わるために転生の地へ赴きます、そして新しく生まれ変わるまで転生の地から見守っているでしょう、生前お世話になった人たち、愛する人、愛しい人達を、心だけが残り新たな生命としてこの世に生きることでしょう。ですから死者のことを転生者、転者と言います」

 菩薩様はここで言葉を切り僕とサキの顔を順番に見た。

 もう、僕はわけが分からなかったが、とりあえず、うんうん、と頷いて見せた。

 サキは真剣な面持ちで、身を乗り出して聞いている。

「そして死者とは、この世にあってはならぬ死を迎えた者。誰の心にも残らず、誰一人祈る事もなく、その者が亡くなった事すら気付いてくれず、誰一人導いてもらえなくただ一人でこの世を去って逝く、その様な死に方をいた者達を、死者と呼びます。死者の魂は間違いなく鬼人になってしまいます、鬼人とは鬼になってしまう手前。誰も祈ってはくれない死者たちはその様な物に生まれ変わってしまいます。転者の中にも、強い恨みや未練を持つ者は、この世に心を残し、邪鬼や餓鬼になってしまうこともあります。そうならぬよう、その者達の為に祈ることが大切なのです」

 アスカが湯気の出るお茶を手に戻り、みんなの前に置き、静かに元の場所に座った。

 アスカの淹れたお茶をすすり、詰めていた息を吐いた。

「その転者した魂を転生の地へ送るのが、阿弥陀如来様の祈りの力。阿弥陀如来様は人や動物、小さな虫達、草や木、この世のあらゆる魂を、転生の地へ送る事が出来るのです。心は皆同じですから。でも阿弥陀如来様一人でこの世のすべての魂を送ることは出来ません、そのために、寺があるのです。人間にも弱いながら祈りの力が有ります。しかし、人間の祈りだけでは魂には届きません、そのために寺に行き、阿弥陀如来様の力が宿る仏像の前で祈るのです、人間の祈りに、阿弥陀如来様の力が加わり、その祈りが、伝えたい者に届くのです」

 僕の頭にあの時の言葉がよみがえった。

『貴様ら人間は死者の為に祈ってやったか!死者を転生の地へ導いてやったのか!』

 僕達の町には寺がある、でも祈っているのは、サキと、サキのお母さんそれと僕のお母さん、ほかの人が祈っているのは見たことがない。

『貴様ら人間はその祈りすら忘れ、ただ自分だけが生きるためだけに、この者達を犠牲にしているのではないのか』

 僕たち人間は祈りを忘れてしまった。あの時サークルタウンの入り口で襲ってきたデビジャは邪鬼、犬の邪鬼なのか。

『 心になれば皆同じだから』

 僕たちの住む天王寺サークルの外にいるデビジャは、邪鬼、人間が祈らないから人間達の犠牲になった動物達が死者に、そして邪鬼になった……そんな……動物たちは邪鬼になって人間に怨みをぶつけているのか。

 なぜ? どうして?

「どうすればいいんです。邪鬼になってしまった死者たちを」

 僕は思ったことをそのまま口にしてしまった、僕に出来ることなんてないのに。菩薩様はさらに微笑みを増し。

「救いたいのですか、鬼人や邪鬼になってしまった者たちを」

 静かに言い、僕に視線を送り、さらに続けた。

「それとも今、生きている人達を救いたいのですか」

菩薩様は僕の心を見透かすように、言った。

ぼくは答えに詰まった、救う、誰を、デビジャ、邪鬼を、襲われている人達を。

『自分が幸せになるように、そう、自分だけが!』

 また、言葉がよみがえる、ちがう、ちがう僕は。

 サキとアスカが心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。

「僕は! 分からない、何も、人間が悪いのかもしれない祈りを忘れた人間が、でも鬼人や邪鬼になってしまった人達も、鬼人や邪鬼になりたくてなったんじゃないと思うんだ、もし祈ってくれる人がいたら、転生の地へ行けたかも、鬼人や邪鬼になってしまった人達も、転生の地へ生きたいと思っているのかも、転生の地へ行って愛する人、愛しい人を見守ってあげたいと思っているんじゃないか、なら、なら僕は、あの人達を転生の地へ行かせてあげたい。いやその方法があるのなら、引きずってでも連れて行きたい……あっ、すいません生意気に」

「フッフッフ」

 菩薩様は声に出して笑った。サキとアスカは横でボー然としている。

 僕は少し言い過ぎた、何も出来ないのに……僕はみんなと眼を合わす事が出来ず眼を伏せていた。

「不動 明!」

 菩薩様が急に大きな声を出した。背中を丸めて小さくなっていた僕はびっくりして背筋を伸ばした。

「不動 明! よく言いました。不動の名を持つものよ。あなたが芯にそう思っているなら。届きますよ。その思いが。鬼人や邪鬼になってしまった者達、そのままではその者達には、祈りは届きません。もう一度その殻から魂を開放し、その者の魂に直接祈りをささげなければなりません。ではどうします……。不動明王、獄人の、王の位に属する者、憤怒の相を持ち右手には宝剣、左手には縄を持ち、背後に煩悩を焼き尽くす炎、火焔光を宿した屈強な体の持ち主、片目は閉じ、もう片方の目で転生の地へ行く道を見据えている者。鬼人や邪鬼が現れた時、その宝剣で彼らの殻を打ち砕き殻の中に閉じ込められた魂を開放する。阿弥陀如来様の祈りが届く様に。逃げ惑う魂があれば左手に持つ縄で縛り上げ阿弥陀如来様の元へ連れていく。今あなたが言った通り、引きずってでも転生の地へ連れていくその者が、不動明王。あなたと同じ名ですね。そして天部。獄人の、天に属する者たち、四天王。四天王の役目は不動明王の力になること、そしてもう一つ不動明王と共に阿弥陀如来様を御守りすること」

「えっ、御守りするってなにから」

 サキが思わず声をあげた、僕も同じ事を思った、阿弥陀様って誰かに狙われている?

 菩薩様は厳しくどこか悲しい眼をサキに向け、続けた。

「この世には、獄悪人と言う者達がいます。その者達はこの世を怒りや怨みを持つ鬼人や邪鬼を増やし人々を殺し尽そうとする者達、そのためこの世の中の如来様を亡き者にしようとしている、如来様がおらねば明王も天もその力を封印され、鬼人や邪鬼を転生の地へ送れなくなり鬼人や邪鬼は増える一方になりますからね」

「明王や天には勝てないから如来様を、ずるい奴、でも何で封印されるの」

 サキが聞いた。

「不動明王のみならず、明王になる者は《何の為に戦うのか》問われるのです」

 菩薩様は僕の方を見てそういった。《何の為に戦いますか》僕の頭の中で聞く言葉。菩薩様は、何か、知っているのか。僕のことを。

「明王はその時誓いを立てます、何の為に戦うのかと。明王と鬼は表と裏、もし自らの欲望のまま、その力を使えば、その者は鬼と化し、閻魔大王により地獄の底へと落とされることでしょう。……また、その答えを間違えても鬼となるでしょう。その答えは慎重に出さねばなりません」

 菩薩様は僕から眼を真っすぐ見据え、話を続けた。何、今の言葉は、僕に言ったのか。

「鬼とは破壊と殺戮をくりかえす者達。鬼は転生の地へは行けません、一度鬼になってしまうと生まれ変わっても、鬼になってしまいますから、地獄の底に永久に閉じ込められます。明王の誓いは、阿弥陀如来様の為に戦い、力になることその阿弥陀如来様が居なくなれば明王の力は封印され、明王に殉じる天の者達も同じ事。その獄悪人から如来様を御守りするのが明王と天の者達。仏人は、菩薩そして如来をめざし、獄人は、天そして明王を目指しています。少し長くなりましたがこれが仏人と獄人」

「あの、魂が集められた場所で私、祈ったのですが届きませんでした、どうしたら届きますか、私じゃだめですか」

 サキは思い詰めた表情でそう言った。

「私もあそこは何とかしなくてはと思っているのですが、魂がそれを望んでいると言われれば。それに私の祈りは、魂には届かないのです私は如来ではないから。あなたは南無阿弥陀仏を唱えましたか」

「はい」

「少し唱えてみてください」

 そう言われてサキは手を合わせ唄いだした、サキの手がかすかに光を帯びる、それを見て菩薩様はホウ、と感心しているみたいだ。

「はい、よろしいですよ、良い、シンをお持ちですね。あなた達、鬼迷宮から来ましたか、中は明るかったのですね」

 突然そんな質問をされて僕とサキは、はい、と返事をした。

「鬼迷宮は祈りの力のある者、如来様だけが通れる道、祈りの力が無い者が入れば漆黒の闇の中、出ることは出来ずに永遠に迷うことになるでしょう。祈りの力がある者が鬼迷宮に入り行先を唱えれば、道は開くことでしょう。あなたには祈りの力があるのかもしれませんね」

「でも、あの時魂を前にして何もおきなかった。私、祈ったよ、精一杯」

「人間の人たちは寺で祈り阿弥陀如来様の力を借りて魂を送る。あなたが唱えたのは南無阿弥陀仏、阿弥陀如来様の力を借りればおそらく送れたことでしょう、でもそこには阿弥陀如来様の力が宿る仏像がありません、それは叶わないのです、でも、あなたには祈りの力がある、どの様な力なのかわかりませんが、阿弥陀様の力の宿る寺で暮らすあなたには、その力があるのかもしれません」

「でも」

 菩薩様はサキの言葉を、優しく出した手で制した。

「そう、でも、南無阿弥陀仏と唱えても何も起こらなかった。それは阿弥陀如来様のお言葉だから、阿弥陀如来様の力を借りるための言葉だから、では、あなたの言葉ならどうなるでしょう、あなたの心の中から出てくる偽りのない、素直なあなたの言葉なら。もしかしたら、私の見る限りあなたには力がある、あなたの言葉で導いてあげてもいいのではないのでしょうか。試す価値はあると思いますよ。でも、気おつけなさい、もし、あなたに祈りの力があるなら、命を狙われますよ、獄悪人に」

 サキは唇を噛み、下を向いた。

「今日はこれくらいにしておきましょう、もうすぐ夜になります。少しこの町を散策するといいでしょう。今晩はここでお休みなさい、明日の朝、あなた達の帰り方を考えましょう。夜の鬼迷宮は危険ですから。アスカ、案内してあげてください」

 そう言って菩薩様は手を合わせ、お辞儀をした。サキとアスカ、今度は僕も同じように手を合わせお辞儀した。

 アスカに続き僕とサキは菩薩様の家を後に外に出た。もう外は暗くなっているだろうと思っていたら意外と明るい。

「あれみて、何あれ、綺麗」

 サキが歓喜の声を上げている、見るとそこには光る花がある、辺りを見るとあちらこちらから柔らかな光を放つ花が見える。

 一段と光を放っているのが町の中心、あそこは黒い花畑のあった場所。

 一番近くの花をよく見てみると、ここに来た時に見た黒い花、明るい時とは違い、今は黒い花びらがしおれている様に見える。

 明るい時には、しおれていたように見えた透明の花びらが大きく開き、光を放っている。

 もう一度あたりを見まわした。確かに見たことがないきれいな光景だった、地面から淡い光で照らされた町は、光の空に浮かぶ町みたいに見えた。

「さっきも言ったがこれが光集花と呼ばれる理由だ。昼間、光を集めて夜光る花、発光時間はそんなに長くないから少し急ごう、光集花が消えればこの町は真っ暗になる」

 サキの横でアスカがそう教えてくれた。光集花か不思議な花だな。

 

                 ◆

 

 アスカの案内で、僕はきょろきょろしながら街の中を歩いていく。

 サークルタウンとは違いこの町は活気にあふれている、歩く人たちの話し声や、怒鳴り声、その中でも、憤怒の相を持つ獄人の笑い顔が、印象に残った。

 そんな人たちがこの町を徘徊している、僕たちが歩くこの町を縦断道の両脇にはいろんな店が並んでいる、ここでもまた、店先で獄人の人が豪快に呼び込みをしているのに対し、隣では仏人の人が店先で合掌をして静かに瞑想する姿が印象に残った。

 僕の前を歩くサキとアスカが、ともに口元を緩め楽しそうに言葉を交わしている姿が見える。

 僕は少し安心した、いつものサキの笑顔がそこにあった。

 僕たちはアスカの案内でいい匂いのするドームの家の前に着いた、そのドームはほかのドームと違い一回り大きく、入り口も僕たちが三人並んで入れるくらい大きく開けられてあり、中の様子がよく見られる。

 何の店なのかよく分からないが中から暑い湯気とともに木の香り、甘い木の香りが漂ってくる。

「エンキいるか!」

 アスカは中に向かって声を張り上げた。

「おう!アスカか、いいところに来たなもうすぐ釜揚げだぞ」

 中からエンキと呼ばれた男の人の声がした、見ると二メートルはあるんじゃないかと思うほど背は高く、優しそうな顔つきをしている、優しそうと言ってもその眼は隙がないほど鋭く光っている。大きい体に分厚い皮の胸当てをつけ、肘まである皮のグローブをしている。

 今なら分かるこの人、獄人だ……などと思いながらサキと並んで店の中に入って行った。

「何だ、アスカ、人間の友達か、そいつらも空から降ってきたのか」

 エンキが豪快に笑いながらそう言った。

「ちがう、この子たちはサキとアキラ。あの鬼迷宮から来た」

「…… ……」

 エンキは言葉をなくし僕とサキの顔を交互に見た、そしてサキの顔をもう一度見てかぶりを被った。

「まあ、そのことはいい。さあ蓋をあけるぞ」

 何か言いたげなエンキはそれだけを言い、この店の奥にある大きな鍋に向かっていった。

 そのことよりも鍋のほうが気になるにみたいだ。

 重そうな蓋で鍋中に圧縮されている湯気が、その蓋を押しのけようとわずかな隙間から吹き出し店内に漂っている。

 エンキは大きな鍋の前で腰を落とし、その重そうな蓋を皮のグローブをつけた腕で抱え込み一気に押しのけた。

 中に閉じ込められていた湯気が一気に解放され、一瞬のうちに店の中を真っ白にした。何も見えなくなりその湯気の熱さに息をすることもできず、隣でむせかえすサキの手を手探りでつかみ、逃げるように外に転がり出た。

「大丈夫か?」

 サキは口を手で押えていた。

「びっくりした、すっごい熱かったね、やけどするかと思った」

 サキは顔だけじゃなく手や足も赤く高揚させている。

「すまない、外に出ろと言ったのだがな」

 ひと足先に外に出ていて被害を受けていないアスカは、バツの悪そうな顔をしている。

「いいよ、アスカ。熱かったけど、楽しかった」

 サキはケラケラ笑いながらそう言い、中の様子をうかがっている。

 店内の湯気もだいぶ収まり中から「だいじょうぶか」と言うエンキの声が聞こえてくる。

 僕らはもう一度中に入って、まだ白い湯気の立ち込める大鍋の中から出てくる物を見てみた。

「……」

 僕とサキは声も出ず顔を合わした。

「木の切株みたいだね」とサキはつぶやき。

「そうだね」と僕はささやいた。

 中から出てきた物はまさしく木の切株だった、僕かその切株に抱き付いても手が回らないんじゃないかと思うほどに大きい。木の切株には幾重にもの年輪が刻み込まれている、どう見ても木の切株。でも甘い匂いも確かにしている。

「どうだ!出来立てだ!旨そうだろバレスクだ!」

 エンキがさも自慢げにそう言っている。

 サキが僕にスッと近づき。

「あれ食べれるの」と僕に囁いた。

「そうみたいだね」と僕はバレスクと呼ばれた物から目を離さず呟いた。

「おいしいのかな。アキラ、あんたお金持ってる」

「持ってる訳ないだろ」

「どうしよっか」

「どうしよう」

 僕とサキはこそこそと話しながら、チラッとアスカの顔をうかがった。

「これはバレスク、ふわふわしていてとっても美味しいぞ」

 アスカが得意げにそう教えてくれたんだけど。

「どうした!たったの5シンだ」

「「シン!」」

 僕とサキは同時に声をあげた。

「シンって何、お金のこと?私たちお金持ってないんだけど」

「お金ってなんだ!シンってのは……シンだ!」

 そう言いながらエンキは自分の胸をドン!と叩いた。

「いい、ここはあたしが払う」

「あの、シンとゆうのはなんですか」

 僕はおそるおそる聞いてみた。

 そう言えば、菩薩様も、シン、と言う言葉を使っていたな。

「そうだなお前たちはここに来たばかりだからシンは知らないな。あそこに手を置けばわかる」

 そう言いながらアスカは店の奥のテーブルの隅にある四角い石板に指をさした。

 僕はその石板に近づき、石板を上から覗き込んだ。

 石板には怪しげな模様や、見たことのない文字が深く刻まれている。

 僕は石板の上で手を置いてもいいのか考えていたら、後ろからサキが無言で僕の背中を突っついてくる、その指が、早く置きなさいよ、と言っているのがわかる。僕は意をっ決して手を置こうとしたら、今度はアスカにその手を掴まれ無造作に石板に押し付けられた。 

 すると。

「何だ、おまえ、たった30シンしかないぞ、大丈夫か」

 えっ、たった30シンしかない?大丈夫?何が……

 僕に代わってサキが手を置いてみる。

「サキは……150シンあるじゃない、これなら大丈夫」

 えっ、大丈夫、何が。僕は訳がわからずアスカの顔を覗き込んだ。

「エンキ、シンを払うぞ」

 アスカは僕を押しのけ、エンキに声をかけ石板に手を置こうとする。

「ねぇ、アスカ、私でも払えるんでしょ」

 サキがおそるおそる口を開いた。

「ああ、払えるぞ、サキは150シンあるからな」

「じゃ、 私に払わせて、なんか面白そうじゃない」

「いいのか、あたしもこの後、武器屋に寄りたいからな、助かる」

「サキ、大丈夫なのか」

 僕には、何が、何だか分からない。

「大丈夫よ、アスカもいるし。エンキさん三つ下さい」 

 サキは楽しそうに、もう一度石板の上に手を載せた。

 サキの置く石板の数字が135に変わった。

「おう、ありがとよ。」

 エンキは出来たてのバレスクを一つずつ包みサキに手渡している。僕はその大きさに驚いた、包みが、受けとるサキの顔より大きい。

 サキは満面の笑みで受け取り……止まった。

「え、もういいの」

「おう、いいぞ、ありがとな」

 エンキはそう言っているけど……。

「おい、アキラ行くぞ」

 アスカに引かれてサキとアスカが店を出ようとしている。

 僕も慌てて店を出ようとすると、そこにはたくさんの人たちがバレスクを買おうとならんでいた。人仏の人や獄人の人が。

 僕はアスカに近付き。

「シンって、なんだ」

 僕はやっと聞いた。

 サキもまだ湯気が上がるバレスクを手に眼を輝かしている。

「ああ、あたしもよく分からないんだが、気持ち、らしい」

「「えっ!」」

「いや、少し待て……その人の生命力と言ったほうがいいか」

 僕が首をかしげていると。

「いや、まて、ほら、あたしたちも気功とか、オーラとか言うだろ」

「僕も、気、なら聞いた事かあるぞ、体内の気を練り病気や怪我の治りを早くしたり、その練った〝気〟を対象物に向かって飛ばせる人もいるって、聞いたことがある」

 アスカは安堵の吐息を吐いた。

「そう!それだ、それがシンだ!」

「え、どうゆう事」

 理解はしてないが、僕は何となく、分かったような気がする。

 サキはまだ理解してないみたいだ。

「サキ、ほら、お寺でも言うだろ、お気持ちだけで結構ですって、あれだ」

 適当に言ってみた。

「ああ、あれね、分かったわ」

 え、今ので、分かったの、適当だったんだけどな。ま,いっか。

「アスカ、人の生命力ってのは、分かったけど、僕の30シンがなくなれば僕は死ぬのか」

「あんた、死ぬ、じゃない転者って言いなさい。聞いたばっかりでしょ」

「はい……」

「いや、転者にはならない、アキラ、今、おまえ疲れているだろ、シンは生命力であり、おまえの元気の数字だ、寝て体を休めればシンは戻る、個人差はあるがな。たとえ0になっても悪くても倒れるぐらいだろ」

 そうか、たしかに今日の僕は疲れている、いろんなことがあったからな。その数字か。

「ねぇ、アスカ、このバレスクどこか食べるところあるの」

「ああ、光集花の広場で食べよう」

「え、あっ、黒い花畑。あの花、黒いけど、とっても綺麗だよね」

 サキは楽しそうにスキップを踏んでいる。

「楽しそうなとこすまないが少し武器屋に付き合ってくれ」

 そう言ってアスカがサキの返事を待っている。

「いいよ」

 そう言って僕たちは歩き出した。

 僕とサキは少し暗くなった町。それでもまだかなりの人仏の人や獄人の人が町を徘徊している姿を見ながらアスカについていく。


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