学校不要論
学校制度についての提言です。
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①校舎建設は土地と税金の無駄使い
私たちが住んでいる住宅街の中で、学校の校舎は校庭まで含めて膨大な敷地を必要とします。
公立学校であれば、校舎を無駄に建設するのは税金の無駄使いです。
校舎の建設費を”ウサギ小屋”に住んでいる庶民の住宅の建設費に回すべきです。
私立学校にしても然り。学校法人がそれだけの財産を所有しているなら、もっと課税すべきでしょう。
学校法人など非営利団体は民間企業に比べ、税制で優遇されていますが、これはまちがいです。税率はすべて同じにすべきでしょう。
”ウサギ小屋”に住んでいる日本人の住宅環境を、行政はもっと真剣に考えてください
そもそも学校の授業をすべて通信教育にすれば校舎は必要ありません。生徒は自宅か図書館で勉強すればいいのです。教職員も毎日、同一の建物に通勤する必要はなくなります。
入学式や卒業式は公民館を利用すればよく、校舎は必要ありません。
10歳未満まで通学制、それ以上は基本的に通信制にすれば、校舎は今より小さくてもいいかもしれません。
また一つの校舎を建設して複数校の生徒が利用するという方法もあります。
実習授業は校舎を建設しなくても、公共施設を利用すれば可能です。
体育はスポーツジム、化学実験や図画工作は産業技術研、料理や洋裁は公民館でできます。
一番いいのは総合公民館を作ることでしょう。
図書館、保健所、市役所分室、農協、消防署、警察署、郵便局など、あらゆる公共施設を一つの箱物にまとめて、そこに学校も入れるのです。
学校にかぎらず、行政の箱物には無駄が多すぎます。できるだけコンパクトにまとめた方がいいでしょう。
災害対策用に校舎が必要と言う人もいるかもしれません。
地震や津波の被災者たちは日本では小学校の講堂で雑魚寝しますが、米国ではスポーツスタジアムでキャンプです。
スポーツスタジアムの方がいいのではないでしょうか。
学校が通信制だったら朝礼はどうするの?と疑問に思う人もいるかもしれません。
しかし、軍人教育でもなければ、意味のない無駄な集会や朝礼はできるだけ廃止すべきではないでしょうか。
”協調性”という言葉があります。
子供たちの”協調性”を育てるために、教育に朝礼が必要だと唱える人がいます。
しかし私に言わせれば、”協調性”とは支配階層が一般庶民を支配するための”奴隷性”の別称なのです。
程度の問題もありますが、”協調性”という言葉を政府やマスコミが唱えたときには、このことに注意する必要があります。
生徒たちを学校の校舎に集め、一緒にさせるから、お互いを比較し、”いじめ”が生じるのです。
”いじめ”を根絶するには校舎をなくし、学校教育をできるだけ通信教育に移行すべきでしょう。
②子供たちを早く経済的に自立させる
6・3・3制も問題です。海外留学も考慮して、教育制度を世界共通にすべきという考え方もあります。
しかしながら、江戸時代、町人は14歳から働き始め、40歳で仕事を引退していました。
平均寿命が50歳の時代ですが、子供の死亡率が高かったためで、これを勘案すれば平均寿命は60~70歳ぐらいと考えてもいいでしょう。
私の提案ですが、平均して16~18歳ぐらいから働きはじめ、早ければ50歳くらいで引退して年金生活できる社会のライフスタイルを目指すのはいかがでしょうか。
もちろん平均寿命は80~90歳程度を想定しています。
そのためには6・3・3制を8・4制に変えるのです。現在の小学校と中学校を合わせて8年制の新小学校、現在の高校と大学を合わせて4年制の新大学を作るのです。新小学校は2年、新大学は1年、成績に応じて飛び級できます。
今の制度では大学を普通に卒業すると22歳です。もっと早く大学を卒業して社会人になるべきです。
早く社会人になれば早く結婚し、少子化問題も解決するでしょう。
また稼ぎが同じなら若い人の方が消費が大きいでしょうから、景気も上向くでしょう。
大学を卒業するのが16~18歳ぐらい、飛び級の生徒はさらに若くして卒業でき、企業や役所の現在の大卒の仕事に就業するのです。
実際、今の教育は無駄が多すぎます。現在の企業の大卒平社員がやっている仕事をこなすためには、22歳まで学び続ける必要はなく、16~18歳ぐらいで十分なのではないかと思います。
第二次成長が終われば肉体的には成人です。
彼らをいつまでも子供扱いするべきではありません。
校内暴力は大人の知能と肉体を持った彼らを過剰に半人前扱いしているから起きるのです。
彼らを社会人にさせ、自分の行動に責任を取る立場にすべきです。
また経済的に親元から早く独立できることは、DVで悩む子供たちを救うことにもなるのです。
③大学の形骸化
ところで今日、大学とは何をするとことろでしょうか。
昔は大学に行かないと学問や知識は修得できませんでした。
ところがネット時代に入り、必要な知識は簡単に入手できるようになりました。
現在、大学は、卒業生に労働者ブランドを与えることしか役割がありません。
企業の人事部が就活している学生を評価する際、この学生は偏差値の高い大学の学生だから優秀であることが想定されるので採用する、といった具合に、大学ブランドが利用されています。大学の役割は、これくらいしかありません。
本来、学校の役割は教育です。ところが日本の学校システムは、生徒を能力で選別することに重点が置かれています。
よい成績の生徒は偏差値の高い大学に進学し、よりエリートとされる職種に就くのです。このエリートとされる職種というのも、行政が作為的に情報操作していることがあります。
ところが成績や能力で人間を選別することは、今後ますます無意味になってきています。
能力が高い方がえらいなら、人間よりコンピュータ、ロボット、機械の方が優れています。
④勤め人より自営業や個人商店を労働人口の主流にすべき
そもそもペーパー試験で高得点を取ることに昔ほど意味がなくなってきています。
どんな成績がいい秀才よりも高得点を取るソフトウェアが開発できる時代です。
将棋の将棋電王戦をご存じでしょうか。
プロ棋士がコンピュータと将棋で対戦する棋戦です。
これまでのところ、人間が負け越しているようです。
肉体労働や精密作業だけでなく、頭脳労働でも機械が人間を超える時代がやってきました。
そのうちに、会社は社長一人を残し、社員全員を首にしてロボットに入れ替えた方が効率がいい、という時代に突入するかもしれません。
こういうと失業者が増えると心配する人が多数派でしょうが、私はちがいます。
むしろ労働者は会社員になることをやめ、起業して社長になればいいのです。人間は自分一人で他の社員は全員ロボットの個人商店規模の会社です。
最初、ロボットは高額で大企業しか買えないかもしれませんが、そのうちに安くなり、個人商店でも購入できるようになるでしょう。
PCのことを考えてみてください。80年代を覚えている人はPCがどれだけ驚異的に安くなったかご存じのはず。これがエレクトロニクス、ITの技術革新です。ロボットやAIも同じでしょう。
企業の人事部に採用してもらうことを最終目的に偏差値の高い大学に入るのではなく、自分が起業してやっていけるだけの能力を身につけるために勉強する方が、よほど勉強にやりがいを感じられるのではないでしょうか。
④部活はどうするの?
さて、学校を通学制から通信制にしたら、部活動はどうするか、と思う人もいるかもしれません。
学校は学問をするところでスポーツや音楽活動をするところではありません。
学校とは別にスポーツクラブなどを設け、子供たちは任意にそこに通えばいいのです。
スポーツをやりたくない子に強制的にスポーツをやらせてはいけません。
健康のための運動とスポーツ競技のトレーニングはちがいます。
健康のための運動はラジオ体操や病院のリハビリのような、激しくないものばかりです。
学校の体育は健康のための運動の域を大きく超えています。
そもそもスポーツや芸能は何も生産しません。生活必需サービスではないのです。
マスコミや行政がスポーツや芸能を賞賛するときは、私たちは常に愚民政策を疑うべきです。
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