第1章・3
以来、紅莉は温室に頻繁に出入りするようになった。紅莉は賢者のことを彼の名であるヒイラギと呼ぶようになったし、ちょっとした悩みの相談相手になってもらってもいた。
しかし、今回の悩みは少々大きすぎる。紅莉がおおいに頭を悩ませていることもヒイラギの知るところではあったが、口にするのも鬱陶しく、また吐き出して楽になったぶんだけ話が現実味を帯びてみずからに降りかかってくるような気がして、声に出すことは憚られた。
ハーブティーと一緒に言葉を呑みこんで、代わりに何とも形容し難い、絶望とも安堵ともとれる息を吐き出した。
「ところで姫、今の時間は、確か国史のお勉強中ではございませんか」
確かに今は国史を学ぶ時間だったが、母国の数々の栄光の記録など、とてもではないが今の紅莉の頭に入れる余地などない。
紅莉はティーカップ越しにヒイラギを上目使いで見つめながらおずおずときり出した。
「何もきかないのですか」
すると、ヒイラギは小首を傾げた。彼の銀髪が波打つように揺れ、光が流れる。
「姫はそのお話を避けているものとご推察申し上げておりましたが」
「それはまあ、そうなのですけれど」
ばつが悪くなって、紅莉は目を伏せた。
「今、わたくしから申し上げられることは何もございません。姫はまだ、今回の件について受け止めきれていないのではございませんか」
問いかけられて、どきりと胸が大きく鳴った。
(その通り……なのかもしれない)
紅莉はまだ、完全に納得し、冷静になってこの件を考えることができずにいる。どうにか自分の中に落ち着かせようと、うまく呑みこもうとすることに必死で努力している最中だった。
「姫が正面からこの問題に向き合えるようになったとき、わたくしはいつでも、いくらでも相談相手となりましょう。もちろん、姫さえよろしければですが」
紅莉はぶんぶんと頭を振り、両手の指を胸の前で組み合わせる。
「ありがとうございます、ヒイラギさん。やっぱりあなたは我が国随一の、いいえ、世界屈指の賢者様です」
「買いかぶりですよ」
ヒイラギは苦笑する。
「さあ、そろそろお戻りください。きっと今ごろ、あなたの騎士殿が必死で城中を探しているはずです」
国史の授業に気乗りせず、紅莉は眉根にしわを寄せる。
「どうしても戻らなくてはなりませんか」
「自国の過去について知識を得ることは、とても重要なことだと思いますよ。特に、姫、あなたは」
肩をすくませる紅莉を、ヒイラギはやさしくたしなめる。
「あなたは、代々この地を統べてきた、蒼の一族の末裔なのですから」