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第1章・2

 もう、十年以上前の夏のある日のことだった。何とはなしに、まだ幼子であった紅莉は温室の中へ足を運んだ。そのときは温室にも賢者にも馴染みがなく、ちょっとした探検のつもりで意気揚々と足の向くまま歩いてみたくなったのだ。

 温室は大きさこそそれほどないものの、植わっている植物の位置が複雑で、まるで迷路のように道が入り組んでいた。まるで意図的に人を遠ざけているようにも思えた。覆いかぶさるように広がる枝葉は方向感覚を狂わせ、いつしか紅莉はすすり泣きながらどこかもわからず彷徨っていた。

 視界が開けたとき、紅莉は心底ほっとした。自分を呑みこもうとしていた緑は途切れ、ガラスの天井の向こうに広がる青い空を見た。知らぬ間に、紅莉は温室の中心部まで来ていた。そこは周囲とは打って変わって灌木などは一切なく、小さく可憐な草花が区画された花壇いっぱいに咲き乱れていた。

 幾何学模様のような花壇の一角に、うずくまって何やら作業をしている人物があった。それが国王の補佐役で、賢者と称えられている人物だと気づくのにしばらくかかった。紅莉の知っている賢者は、いつも重たげな濃紺のローブを着こんでいて、くすりとも笑わず、的確に迅速に政をこなす男だった。菫色の目はガラス玉のようで、肌は淡雪より白く、自分と同じ血の通っている人とは到底思えなかった。

 その賢者が今、自分の気配に気づくこともなく、ひたすら植物や土、水と向き合っている。紅莉にはたまらなく不思議に思えて、少しずつ少しずつ賢者との距離をつめた。あと数歩というところで立ち止まると、意を決し、腹に力をこめる。

「何をしてらっしゃるの」

 賢者は飛び上がりそうなほど驚いて、勢いよく振り返った。

 ガラス玉のようだと思っていたまん丸な菫色の瞳に、戸惑いと恥じらいが浮かんでいる。紅莉がその目をのぞきこむと、賢者はますます強い戸惑いをにじませ、心なしか瞳が潤んでいるようにさえ見えた。

 ローブを外した姿の賢者は薄手のシャツにズボン、ブーツというこの国の一般的な出で立ちをしていた。初めて見る姿だったが、これほどまでに十分すぎるほど服を着こなしている人を、紅莉は今まで見たことがなかった。長い銀の髪は一つにまとめられ、一筋の輝く川のように彼の背に流れている。白く輝く肌には玉のような汗が浮かんでいて、まるで真珠のように太陽に煌めいている。顔や服のところどころに土がついていて、一人で泥遊びでもしていたかのようにも見えた。賢者の手元を見ると、花の苗を植えているところらしかった。

「これ、何のお花の苗なの」

 紅莉が自分以外のものに興味を持ったことで調子を取り戻したのか、面食らっていた賢者は一つ咳払いをして、持っていた苗をやさしい手つきで土の中へ入れ、包み始めた。

「ラベンダーです。小さな紫色の花をつけるんですよ」

 声こそ淡々としたものだったが、その苗をいたわるような、命あるものをいとおしむような賢者の手を、紅莉はしっかりと見ていた。紅莉はますます不思議になって、同時に賢者ヒイラギという人物に興味が湧いてきていた。

「賢者様の目のような色のお花?」

 賢者は手を止め、今度は体ごと紅莉と向き合った。今までに見たことのないような清々しい笑みで、いいえ、と首を振る。

「姫様のような、とてもかわいらしい花ですよ」

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