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前編

「――咲耶(さくや)に伸されるやもしれぬような男に、興味はございません」

「む! さすが長州藩士の流れを汲む、我が重松家の娘じゃ。よくぞ申した」

「ですからっ! 父上もそう、咲耶を助長させるようなことをっ!」

「何を申す! 女子(おなご)ひとりも御せぬような男に、我が重松家を……」

「重松の家督は雅耶(まさや)が継ぎますし、咲耶は嫁に行く身でしょう? 

 そもそも現代日本においいては、

 最早何ら意味を持ち得ぬ長州藩士のなんたらが、

 咲耶にどう関係あるというのですかっ!」

「こ、この、たわけがっ!」

 だだだ……がたん、がた、ばたん、と派手な音が聞こえた。

「う、わっ、父上!」

「お、お義父様、おやめになって!」


 白壁が続く由緒正しげな屋敷の、立派な数寄屋門の前で森和穂は立ち止まった。

 シャワシャワと鳴くセミの声を浴びながら、取り出したハンカチで汗を拭う。

 訪ねるタイミングを誤ったかもしれない。

 苦笑しつつ門を開け、玄関先に立って(おとな)いを入れようとした。

 その時、手を掛けようとした格子の引き戸がスッと音もなく開き、

 和穂は、こっそり逃げ出そうとしていたらしい人物と鉢合わせしてしまった。

 目の前に現れたのは、高い位置で髪をひとつに結び、

 切り揃えられた前髪の下で、大きな目を生き生きと輝かせている少女――

 いや、女性だ。

 整った顔立ちだが、美しい、というよりは、可憐と評されるような雰囲気。

 来客の存在に、一瞬目を見開いたその人物であったが、

 形の良い唇は、すぐにくいと口角が持ち上げられ、楽しげな声音を紡いだ。


「目下逃亡を画策中の身、ここはひとつお目こぼしを」


 和穂は一歩身を引き、道を開けながら、ふ、と笑った。


「承知」


 それからその人物は、剣道の竹刀よりも長い物を包んだ布の袋と、

 どうやら防具を詰め込んだらしい袋を担ぐと、

 和穂に小さく会釈して、その前をすり抜けて行った。

 迷いのない足取りで、軽やかに髪を揺らす後ろ姿から、

 和穂はどういうわけか暫く目を離せなかった。

 半袖の白いワンピースが、夏の暑さを払い除けていくようだ。


「逃げたか」


 遠のいていたセミの鳴き声が、暑さと共に一気に戻ってきた様な気がした。

 振り返った和穂は、玄関に苦笑を浮かべて立つ、友人の重松雅耶に尋ねる。


「――あれは?」

「咲耶。僕の姉貴」

「成程」


 再び通りに視線を向けるが、友人の姉の姿は既になかった。


「何? 気になる?」

「竹刀じゃなかったな」

薙刀(なぎなた)だよ。咲は、あれで邪魔なものを何でも

 薙ぎ払って進んでいけると信じてるのさ」

「邪魔なもの?」

「まあ、既成概念だったり、慣習だったり、しがらみだったり」


 雅耶は肩を竦めると、まだ通りを眺める和穂に向かって、

 冗談ぽくこう口にした。


「気になるのは、薙刀? それとも(さく)?」


 振り返った和穂は、ニヤリと笑った。


「どっちだと思う?」

「うわ、やめてくれよ。

 咲が薙ぎ払ってるのは、漠としたモノばかりじゃないんだぞ。

 あいつの後ろには、薙ぎ払われた男共の屍が累々とだな……」


 思いっきり眉を顰めた雅耶が、尚も言い募ろうとするのを、

 和穂は遮る。


「俺が、薙ぎ払えない最初の男になる」


 友人は、呆気にとられたように和穂を見つめていたが、

 やがて、はっ! と笑った。


「自信家だね、相変わらず。

 和穂のそういうところ嫌いじゃないけど、ここは悩むな。

 咲に、前例を踏襲して和穂の鼻をへし折ってもらいたいような気もするし、

 和穂に、薙刀でも振り払えない存在として、

 咲の前に立ちはだかってもらいたくもある」


 和穂は片方眉を上げて、雅耶を見た。


「まあ、積極的に協力はしないけど、情報提供を拒むこともしないよ。

 取り敢えず入りなよ」


 万が一、和穂を「お義兄さん」なんて呼ぶ羽目になったら、ぞっとしないな。 

 そう笑うと、雅耶は和穂を家へ招き入れた。 


 咲耶は彼らよりひとつ年上で、二十一歳、

 女子大の英文科三年に在籍中だという。

 名家の適齢期を迎えた娘の常として、在学中にもかかわらず、

 見合い話がここ最近、頻繁に持ち込まれるようになったらしい。

 武張った家風だからね、と友人は口元を歪めて笑う。

 彼ら姉弟は、幼少から武術を仕込まれた。

 咲耶は薙刀を、雅耶は剣道を。

 当然それぞれが有段者である。

 そして、先程のセリフに辿り着く。

 見合いをするしない、の押し問答の末、

 自分を凌ぐような男でなければ用はない、と咲耶は言い放ったのだ。

 和穂はそこに、並々ならぬ彼女の自負を見る。

 武術の腕はもとより、未だ男でさえ二割にも満たぬ大学進学率である。

 女の身で、四年制の大学に進学するということは、

 単に珍しい、という一言では片付けられない、

 強い意志に裏付けられた高い志が、そこに存在するはずだ。

 彼女の目には、彼女の見る未来には、何が映っているのだろう。

 益々もって興味深い――


 * * *


 それから和穂は、咲耶を目当てに友人宅に足繁く通うようになった。

 最初の出会いもあって、和穂は既に彼女に認知されており、

 すぐに親しく言葉を交わすようになった。

 甚だ不本意ながら、弟分として、ではあるが。


「なあに? 課題か何かなの? 最近よく二人で籠っているのね」


 ある日のこと、咲耶が雅耶の部屋に顔を出し、

 水羊羹と良く冷えた麦茶を二人の前に置いた。

 面白がるような表情を浮かべる友人を視線で制し、

 和穂は何食わぬ顔でこう答える。


「リサーチですよ」

「リサーチ?」

「フィールドワークの間違いじゃなくて?」


 そう茶々を入れる雅耶の頭をノートで軽く叩き、和穂はにこり、と微笑む。


「結果を出すためには、入念な調査と万全の対策が必要だと思いませんか?」


 盆を抱えて首を傾げながら、咲耶は答えた。


「そうね。でも、それだけじゃ、結果は出ないわよ」

「何が足りないと?」

「信念と実行力ね」


 あーあ、というように雅耶が天を振り仰いだ。

 和穂は更に笑みを深めて答える。


「同意。

 ところで咲耶さん。

 自分も剣道を嗜みますが、薙刀の稽古は見たことがないんです。

 今度見学させてもらえませんか?」

「構わないわよ」


 師匠の許可を得てからだけど、咲耶はそう言ってから、ふふ、と笑った。


「森君が見学に来たら、みんな浮き足立っちゃってお稽古にならないかも」


 ――数日後。

 自分を取り囲む好奇心に満ちた瞳を前に、

 和穂は引き攣った笑みを顔に貼りつけて立っていた。

 浮足立っているのは、自分の肩にも満たない身長の少女たちだ。

 守備範囲外だ。


「咲先生ーっ! この人、だれぇ?」


 和穂を見上げながら声を上げたのは、小学校低学年くらいの女の子だ。

 道着をきりりと身に着け、髪をひとつにまとめた咲耶が、

 悪戯そうに微笑んで答える。 


「先生の、お友達よ」


 今はまだな、と和穂は内心唸った。


「ふぅん。格好いいねぇ」

「そうね」

「先生に、薙刀を習うの?」

「皆と一緒に、ちょっとやってみたいんですって」


 わぁ、と歓声が上がった。

 咲耶は師匠の手伝いで、

 入門したての小さい子供たちに稽古をつけているのだという。

 横一列に並んだ子供たちの後ろから、

 和穂は、号令をかけ型の見本を見せる咲耶を見つめ、同じ型を取る。

 長い薙刀をスムーズに捌くには、型を正しく身に着けていないと難しいようだ。

 剣道とは似ているようで全く異なる動きを、和穂は興味深く楽しんだ。


 稽古が終わり、心地良い疲労感に浸りながら汗を拭いていると、

 先程の女の子が、たたた、と走り寄ってきた。


「お兄さんは、剣道をやっているの?」


 そう言って、脇に置いてあった和穂の竹刀を、ちらりと見る。


「そうだよ」

「薙刀と剣道が戦ったら、どっちが強い?」

「君はどっちだと思う?」

(しゅう)は、剣道の方が強いって言うの」

「秀?」

「剣道をやってる近所の子。いつも、意地悪なの。

 だからあたし、秀に負けないように、薙刀を始めたの」


 色白の肌に頬をほんのりと上気させ、和穂を見上げる勝気そうな瞳。

 幼い少年の、好意を拗らせた拙い振る舞い、ね。

 和穂は、くす、と笑い竹刀を手にした。


「中段の構えから、一歩踏み出して突き。やってごらん」


 少女は、薙刀を腰ほどの高さで水平に構え、薙刀を突きだした。

 和穂もまた、竹刀を中段に構える。


「僕のは、大人用の竹刀。君のは子供用の短い薙刀だ。でも」


 薙刀の先が自分の鳩尾に触れる位置まで、和穂は数歩足を進めた。


「僕の竹刀は、君に届かない」


 少女は目を瞬かせた。


「君がその薙刀を正しく、思うまま扱えるようになったら、秀は君に敵わない。

 秀が男だから、君よりもいつも強いなんてことはない」


 暫く竹刀の先を見つめていた少女は、 

 やがて、和穂にぱあっと輝いた笑顔を見せて薙刀を引き、

 ぺこり、と頭を下げて走り去った。

 ふと視線を感じて振り返ると、咲耶がもの問いたげに和穂を見つめている。

 何か? というように少し首を傾けると、

 咲耶は、はっとしたように視線を逸らし、子供たちに向かって声をかけた。


「はい、片付けーっ!」


 師匠に稽古に参加させてもらった礼をしてから、

 和穂は咲耶と共に道場を後にした。

 夕刻の六時過ぎであるが、夏場ゆえまだ空は明るい。


「道着姿の咲耶さんも、なかなかでした」

なかなか(・・・・)


 年下のくせに、生意気。

 そう言って、咲耶はくすりと笑った。

 それから、少し挑戦的な視線で和穂を見た。


「森君は雅耶と剣道でいい勝負をするって聞いたわ。

 でも、私と戦ったら負けるのね」


 先程の、和穂と少女とのやり取りを聞いていたのだろう。


「……でしょうね」


 和穂は否定しなかった。

 咲耶は苦笑すると、つまんないの、と呟いて肩を竦めた。


「そこに、張る意地はないのね」

「意地? 

 精神論だけでは勝てないって、戦争でよくわかったじゃないですか」 

「……それは、無理を承知で、意地を張ることをしないでも済む人の言い様よ」


 和穂が足を止めると、数歩先で咲耶も立ち止った。


「どんな無理なんですか」


 咲耶が振り返る。

 夕暮れの涼やかな風が、咲耶の前髪をふわりと乱した。


「どんな無理を通そうとして、意地を張っているんですか。

 戦う時は、せめて五分五分の条件で戦えるように交渉するべきです。

 脛払いは禁止にするとか」


 和穂はニヤリと笑った。

 もちろん咲耶の「無理」が、

 薙刀云々のことを言っているのではない、と承知している。

 そんな和穂から、つと視線を逸らせると、咲耶は再び歩き出した。


「……昔から、私は『こうあるべき』という型に、上手く嵌れないの」


 多分、求められているよりも少し、賢すぎて、強すぎた――

 その後ろ姿をゆっくり追いながら、和穂はこう投げかけた。


「それは、その型の方が間違っているからじゃないんですか」


 暫く黙り込んで歩いていた咲耶は、やがてくすくす笑い出した。


「森和穂! あなた、本当に生意気よ。年下のくせに!」


 振り返った咲耶は、最初に出会った時のように、瞳をきらきらとさせて和穂を見た。



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