序
みよすべての罪はしるされたり、
されどすべては我にあらざりき、
まことにわれに現はれしは、
かげなき青き炎の幻影のみ、
雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、
ああかかる日のせつなる懺悔をも何かせむ、
すべては青きほのほの幻影のみ。
萩原朔太郎「竹」より抜粋
私はひどく咳込みながらその場にうずくまりました。喉を押さえ、肺の空気をすべて吐き出して、それでも足りずにその場で嗚咽を漏らしました。
しばらく笛のような音を立てながら息を整え、よろよろと体を起こしました。夜空には吸い込まれるような満月が浮かんでいます。まるで嘲笑うかのように、私にただ白い光を投げかけています。
終わったのだと誰かが囁いたような気がしました。彼を失望させ、彼女を傷つけ、最早誰にも顔を合わせられないほどの愚行を働いたのだと責め立てました。彼女を受け入れていたら、あるいは彼の思いを断ち切っていなければ。しかしどんなに悔やんだところで何が変わるわけではありません。すべて終わったのだと、お前にはもう息をする権利もないと、私の心が金切り声を上げました。
痺れて感覚がなくなった足をほとんど義務のように動かし、松林を抜け、海に突き出た崖の上に立ち止まりました。十数メートルはある崖の下では波が砕けて白い飛沫が月光を跳ね返しています。
私は静かに息を吐き切り、倒れ込むように身を投げました。耳元で風が唸ったかと思うと、身が裂けるような激痛と激しい水の音がして、すぐに何も分からなくなりました。
最後に、これで彼と彼女が誰にも邪魔されずに幸せになれればいいなと願いました。
…………
瞼の裏に浮かぶのはあの時の情景だ。
唇をわななかせて本を取り落とした少女と、絶望したような暗い目の少年。場違いに誇らしげな声が塞いだ指の隙間からねじ込まれるように聞こえる。果たして私はなんと答えたのだろうか。
――もう三年も前の話になるか。
覚悟を決め、目を開く。
線路を挟み、眼前に広がるのは海だ。まるで曇天の空の色を凝縮したように黒く、暗く、そして茫洋としていた。馴染みのない潮の臭いはどこか腐ったように感じられて、しんと冷え切った風は清涼さのかけらもなく澱んでいた。
無人の駅から出て、三年ぶりに見る景色は相も変わらず寂れていた。ロータリーのアスファルトは罅割れ、白茶けた草むらには錆びた空き缶が打ち捨てられている。公衆電話だけが真新しく、だが電話ボックスの中では蛾の死骸が層をなしていた。
私は鞄から地図を取り出した。目指す医院は少しばかり歩いたところにある。
コートの襟を正し、踏みしめるように歩き出す。
昭和六十三年、十一月のことである。
※2013/07/26ごろ加筆修正2014/01/09再掲




