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心の鎖  作者: momo
七章 眠れる冬
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黒い望み




 窓から差し込む光を背に居間で針を動かしていると扉が開かれる。

 こんなに早くアルフェオンとイグジュアートのどちらかが戻って来たのかと顔を上げれば、想像しない人物が苦笑いにも似た微笑みを浮かべて立っていた。


 「サリィ?」


 夢かうつつか、目を瞬かせるイオにサリィは声を上げて笑った。


 「酷い顔してるわね。入ってもいい?」

 「えっ、ええ。勿論。でもどうして?」


 縫いかけの衣を隣に置いて立ち上がろうとしたがよろけてしまい長椅子に沈む。サリィはそんなイオの側にまで寄ると隣に腰を下ろして顔に触れた。


 「肌はぼろぼろだし酷いクマ。髪も艶がなくなってどうしちゃったのよ。」


 すっかり痩せて頬はこけ、艶やかだった長い銀色の髪は艶を無くし、肌はかさかさで睡眠不足で目の下には濃いクマが刻まれている。いたたまれないと眉を寄せたサリィにイオは力なく笑ってみせた。


 「眠れる様にはなったのよ。」


 アルフェオンとイグジュアートが一緒に眠ってくれるようになったお陰で、悪夢にうなされる夜は格段に減ってきている。それでもたまりにたまった心の疲れは癒えず、食事は喉を通らないしで脅える日々は続いていた。


 「ねぇ、どうしてここにいるの?」

 「そんなのイオが心配だからに決まってるじゃない。」


 何を馬鹿な質問をするのだと憤慨するサリィに、イオはごめんと肩を萎めた。


 「様子がおかしくなったと思ったら仕事にも来なくなっちゃうし、本当に心配していたのよ。今日になってようやくアル様がお見舞いに行ってくれないかって誘ってくれて。ここまで送ってくれたの。」

 「アルが一緒に戻って来たの?」

 「仕事があるからもういないわ。後で迎えに来てくれるんですって。」


 世話になっているのがレオンの屋敷なのでイオの住まいは公にしていない。サリィが心配して訪ねようにも住んでいる場所が解らなくては様子を窺いにも行けないし、アルフェオンやイグジュアートからも詳しい情報が得られなくてもやもやしていたと言うのだ。アルフェオンも教えてくれるのが遅いとサリィは怒って頬を膨らませた。


 「ごめんねサリィ。」

 「いいけどさ。こんなになっていったいどうしたのよ?」


 すっかり様変わりしてしまったイオをサリィは心配そうにのぞき込んだ。なんでもないと言いかけイオは口を噤む。


 こんな状態でなにがなんでもないだ。心配して来てくれたサリィにも失礼だし、何よりもアルフェオンの気使いにようやくイオは気が付かされるに至った。アルフェオンやイグジュアートがどんなに優しく訊ねても口を割らないイオを心配してサリィに声をかけてくれたのだろう。イオも今なら口にできる様な気がした。あの恐ろしい場面で止まっている悪夢には続きがある筈だ。その続きを垣間見た時、はたして自分は正気でいられるのだろうかとの不安がイオを苛む。

 ここで吐露しておかねばという思いと、吐露することによってアスギルを裏切るような思いに駆られ躊躇していると、サリィがイオの隣にぴたりと体を接触させてきた。


 「アル様には黙っておいてあげるから話してみなよ。」

 「え、でも―――」


 イオから話を聞きだして欲しいと頼まれたのではないのだろうか。

 疑問に首を傾けたイオに、サリィは笑いながらも申し訳なさそうに眉を寄せた。


 「アル様やイグ君には言えないんでしょ。私にも言えないなら仕方ないけど、教えてくれるなら二人の秘密。絶対ばらさないから。」


 にこやかにほほ笑むサリィからは興味ではなく心配の色がのぞいている。面倒見が良くて誰とでもすぐに打ち解けてしまう彼女は、イオよりも一つ年下なのにまるで年上の様な感じがした。

 無意識に下唇を噛んだイオはゆっくりと首を横に振る。


 「二人に話しても構わないの。ただ、怖くて口に出来なかっただけだから。」


 話してしまった方がいいに決まっている、その方がずっと楽になるに決まっているのだから。なのに出来なかったのはアスギルの記憶があの様な場面で止まってしまったからだ。彼にとっても衝撃だったのだろうが、それを見せられたイオの方が更に衝撃を受けた。見たままだけではない、それを見て行動を起こしてくれないアスギルに落胆の感情を持ってしまった事も原因の一つ。不運の皇女に誰一人として救いの手を差し伸べてやらない様に絶望したのだ。


 皇女が凌辱される場面を思い出し身を震わせる。自分で自分を抱き締めるイオをサリィが細い腕を伸ばして抱きしめてくれた。


 「川に落ちて死にかけた時の後遺症で、全く別の人が経験した過去や記憶を夢に見る様になってしまったの。」


 ようやく吐き出した秘密にイオの瞳から一粒涙が零れ落ちる。サリィにどこまで話していいものかと迷いながら口にしたが、言葉にしたその後はもう止められなかった。

 

 「とある国の王様が実の妹を…その…無理矢理犯すの。肉体的な意味でよ。」


 ルー帝国という具体的な国名は出せず、今の世界に帝国は存在しないので王国と置き換える。こんな話し方ではサリィに解ってもらえないだろうがそれでもよかったのだ。


 ようやく口を開いて語ることのできる相手。家族や異性では無理だったのに相手が同性に変わった途端こうも軽く口が開けるなんて―――アルフェオンの人選は凄いと感じながら話を続ける。


 「それを王様に仕える世界で一番力を持つ魔法使いが目撃して。魔法使いは愛する人の孫でもある彼女をとても大切に思っているのに助けてあげようとすらしないで、驚いてただ見ているだけだったの。わたしはその魔法使いがとても優しい人だって知っているから、どうして助けてあげないのかが理解できないのよ。」


 もともと噂はあったのだ。その噂を確かめたくて訪問した皇女の部屋。そこで組み敷かれる生々しい現場を目撃したアスギルと、アスギルに気付いていながら皇女を辱め続けた皇帝。それは皇女だけでなくアスギルの心も犯す様なものだった。

 愛する女性ミモスと見紛う程に似通ったシャナ皇女。愛しい人と面影を重ね錯覚するほどの相手をどうして助けてあげないのか。ただ見ているだけの木偶の坊に成り下がったアスギルはイオの知る彼ではなくて。


 「本当に起きた現実なの。それを毎夜毎夜夢で見続けて。そのうち自分が同じ目に合わされるんじゃないかって怖くてたまらなくなったわ。部屋に鍵をかけても壊して無理矢理やられちゃうんだって思うと生きた心地がしなくてもう……なにがなんだか―――」


 世間体や世の常識など何処かに行ってしまった。アルフェオンとイグジュアートに縋る現状がよいものでないと解っているが、離れるのを想像すると恐怖が先に立ち縋る他なくなる。苦しくてどうにかなってしまいそうな今を何とかしたかったが、アスギルの記憶はあの場面で止まったままイオを抉り続けるのだ。

 

 思い出すだけで震えが起こる。そんなイオをサリィはぎゅっと抱きしめると、暫くしてからゆっくりと口を開いた。


 「春風祭の時にイオはさ、王太子様に連れて行かれたじゃない?」


 当然覚えているよねとサリィはイオを抱きしめたまま柔かな声で問いかけた。


 「結果的になにもされずに帰してもらえたけど、それは王太子様が本当に良い方だったからだわ。正直イオは王太子様のお手つきになって戻ってくるんだって思い込んでいたもの。レオン様もお助けに向かって下さったみたいだけど、王太子様のお部屋に無理矢理踏み込んで来るなんてなさらなかったでしょう?」


 サリィの問いにイオは頷いた。


 あの日イオは王太子に招かれ、本来ならけして味わえない貴重な経験をさせて貰った。裸に剥かれ力ずくで体を洗われると下着も付けずに薄衣一枚で王太子の寝台に放り込まれたのだ。まさかと思いながら状況が現実を知らしめていた。けれど王太子は悪戯とばかりにイオをからかいはしたが、イオの体を無理矢理暴こうとはしなかった。レオンがイオを助けに来てくれてから王太子の部屋に通されるまで半日以上の時を要したのも知っている。


 王太子の目的はイオを手込めにしようとかの類ではなく、そうではないのだとイオも早々に気付かされたのだが―――イオを取り巻く周囲は違った。レティシアというライズ男爵令嬢がイオを貶めようとした時に、あの出来事を周りがどう見るのかを身をもって知らされたのだ。深夜に開放されたのは王太子の配慮かレオンのお陰か。あの場で朝を迎えていたなら何もなくともあったとされていただろう。

 

 「レオン様は王太子様の事を良く理解されておいでだったから、王太子様の許可が得られるまでお待ちになられたんだと思うの。でもイオの事が好き過ぎて周りが見えずに無理矢理踏み込んでいたらどうなったと思う?」


 高貴な人たちの世界なんて知らない。けれど王族を退いたレオンと王太子の地位と権力には大きな開きがあるだろう事はイオにでも予想がつく。

 サリィはイオの答えを待たずに先を続けた。


 「まず女官は難なく突破されるわね。次に近衛。王太子様の近衛だもの、主に害をなすと判断したら迷わず剣を抜かれるわ。でも相手はレオン様、怪我もするしもしかしたら命を落とすかもしれない。かもじゃなくて、レオン様が無理矢理押し通れば近衛の死体がころがるわ。兄弟でもレオン様は臣下に下ってらっしゃるし、王太子様はお仕えする主。その主に剣を抜けば謀反、まかり間違って王太子様に怪我でもさせたらいくらレオン様でも極刑は免れないわよ。レオン様に関わる人、押し通られた女官や止められなかった近衛もその家族も処罰の対象になるんじゃないのかしら?」


 恐らく現実にそうはならないだろう。イクサーンの王太子ファウルはレオンを臣下に下らせてしまった事を負い目に感じているようだし、レオンも面倒そうにしながら兄である王太子を敬愛している。主と臣という隔たりはあっても二人の間には兄弟としての絆があった。それにイクサーン王家の王族は国民の為にあるという信念を持ち続けている理想的な支配者だ。


 けれどこれがイオの生まれ育ったカーリィーンであったならどうであろうか。軍事国家であり力こそが正義という概念があるウィラーン王国では、王位を巡り兄弟で殺し合うのは当たり前となっていると聞く。そんな国ではサリィの言った様な事が起きるのが普通なのだ。きっとハイベル王が治めるイクサーンの様な国はとても珍しい。


 「その後どうする?」


 あくまでも仮定の話だが、あの日の出来事が最悪の結果を招いていたならイオはどうするかとサリィは問うた。


 「レオン様はイオをつれて異国に逃げればいい? 愛があれば何を犠牲にしても二人は幸せ?」


 イオを手込めにしようとした王太子から剣でイオを救い、その後どうするのか。二人で手を取り合い安息の地を求めて逃げ続け、迫り来る追手は二人の未来の為に切り捨てるのか。


 とてもじゃないがそんなのは無理だ、だったらイオは王太子に組み敷かれる方を選ぶしかない。


 「人を救うって簡単じゃない、相手が忠誠を誓った王様ともなると尚更よ。魔法使いは王女様を救い出したら王様を殺して自分が王様にでもなるの? 王女様が愛する人の孫なら王様だって愛する人の孫じゃない。人の道に逸れた王様は放っておいていいの? 魔法使いの王様に対する忠誠心はその程度なのかしら。」 


 真の忠誠を誓うなら尚の事、主が理不尽で身勝手な命令を下そうとも最終的にはそれに従わなくてはならない。自ら首を切り死ねと言われれば最後にはそれに従う。


 アスギルは愛しい人に絶対の忠誠を誓っていた。ミモスはアスギルが命をかけるに相応しい人物であったとイオも思う。そのミモスが死の際でアスギルに託した未来。夫を、血が繋いでいく子供たちを、帝国の未来を。その為だけに生きているアスギルが目の当たりにした現実は、愛しい人の血が加害者と被害者になる瞬間だった。


 「イオはその魔法使いが大好きなんでしょ、だから落胆してる。でもとんでもないものを目撃した魔法使いの心情は誰にも解らないわ。その時魔法使いはなにを感じていたのかしらね。」


 サリィの言っているのは最もな事だ。

 アスギルの記憶を彼の内側から見て感じてはいるが、記憶として残っている部分しか垣間見ることはできない。アスギルが思い描く一瞬を感情として覗いても正確に読み取るなんて出来ていなかったのだ。


 アスギルが感じていた事―――驚き悲嘆に暮れていたのは確かだ。皇帝と目を合わせながら凍り付いたように動かないアスギルの名をイオは幾度となく叫んだ。届かないと解っていても叫んで叫んで、最後には勝手に絶望したのだ。


 「同じ女だもの、そんな記憶を見せられるなんて怖かったわよね。自分に起きるんじゃないかって脅えて当然よ。だからこそ魔法使いには王女様を助けてもらいたいのよね。たとえ王様に忠誠を誓っていてもって、聞いただけのわたしだってそう思っちゃうわ。」


 力を持っている立場である男の人には話しにくい。話しても自分の身に置き換える恐怖を完全に理解してもらえるかも解らない。そして何よりイオは皇女を助けないアスギルに絶望しながら、その絶望を誰にも知られたくなかったのだ。


 「とある国ってどこかしら。どっちにしろそんな王様の治める国なんて滅んでしまうに違いないわね。」


 イオを気遣いながらもぽろりと本音を漏らしたサリィの言葉にはっとする。


 サリィの言うようにあの国は滅んだのだ、闇の魔法使いの手によって。


 これが原因?

 このあとアスギルは皇帝を、愛した人の血を繋ぐ皇帝を、絶対的な服従を誓う皇帝を本当に自らの手にかけるのか。あの優しい手で、ミモスとの約束を破り破滅へと導くのか。


 イオは抱きしめてくれるサリィにぐっと力を入れてしがみつく。闇の魔法使いが世界をどうしたのか知りながらも、何処かで破滅を望んでいる自分が怖かった。







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