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心の鎖  作者: momo
七章 眠れる冬
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闇に染まる



 敷布に沈む白い肢体と渦巻く金の髪、青い瞳からは絶望の涙だけが零れ落ちる。

 実の兄に組み敷かれ犯される女性はアスギルが愛し慈しむ、今は亡き女性ミモスの血を受け継ぎし皇女様。シャナと名付けられた彼女の孫娘は、彼女の孫息子でありシャナの兄によって身も心も傷付けられていた。


 その光景を唖然と立ち尽くし目に焼き付けているアスギル。そのアスギルに向かって皇女を組み敷く男、ルー帝国十八代皇帝が視線を向けると、心底楽しそうに口角を上げ不気味な笑みを作ったのだ。


 何故、どうして動かないのか。どうして立ちつくしたままなのか。愛した女性と同じ姿形をした皇女が傷付けられ助けを求めているのに、それを出来る筈のアスギルはどうして手を出さないのか。

 皇帝がどれ程の力を持っているかなんて誰にでも理解できる。何者も逆らう事が許されない、世界の頂点に立つ人物だ。臣下国民の信頼も厚く人気は過去の皇帝たちの中ではずば抜けていたが、それもこれもアスギルの功績と妹皇女の犠牲があって成り立っているのだというのは、皇帝に仕える人間なら容易く予想がついたであろう事実。それなのに小さな犠牲だと目を背け、皇帝が持つ残虐性はアスギルと皇女による生贄のもとに隠された。


 何故助けないのか解らない、理解できない。アスギルの記憶という中にあってその光景を見ているイオは目をそむけたくてもそむけられないのだ。何故助けないの、助けてあげてとアスギルを怒鳴りつけても声は届かない。ただ悲しくて辛いというアスギルの感情だけは伝わってくるのに、助ける力があるのに皇女を助けないアスギルに絶望した。


 アスギルはミモスという、愛した女性が残した血の為に生きている。従い守る為に生き続けているのだ。それは望んで禁忌を犯す皇帝だけではなく、無理やり押し付けられる皇女にも向けるべき忠誠ではないのか。

 どうして助けてあげないの。あんなに泣いて瞳は絶望しか写していないのにどうして―――



 「ああああああっ!!」


 悲鳴を上げ跳び起きる。

 あの日から夢に見るのは同じ光景ばかりだ。可哀想な皇女。彼女が凌辱され続ける場面だけが幾度となくイオの夢で繰り返し再現され、恐ろしさに跳び起きる。


 どうしてと、そればかりが胸に渦巻く。助けを求める皇女を誰一人として助けてあげない。彼女を傷つけるのが皇帝だから、供物として差し出してさえいれば皇帝が立派に国を繁栄させていくのだと誰もが疑わないから。だから助けない。逆らっても命を取られるだけ。けれどアスギルには皇女を助けても生き延びる力があるのにどうして助けてあげないのか。


 「うっ…くぅっ!」


 嗚咽を漏らしい顔を掌で覆う。イオの悲鳴を聞きつけ心配した二人が部屋に入って来たのすら気が付かず、肩に触れられびくりと体を弾かせた。


 「イオ、何に苦しんでいるのか話してくれないか?」


 毎夜の出来事に文句も言わず駆けつけてくれる二人。身を屈めて落ち着く様に背を撫でてくれるアルフェオンの胸に跳び付いたが首を縦には振れなかった。


 皇女が実の兄たる皇帝に凌辱されているのに、アスギルは助けるでもなく黙ってその光景を見ているだけ―――そんなやり取りを口に出来る程イオは強くない。


 怖くて悲しくて、皇女が可哀想で。怒りと悲しみが入り乱れた感情をどうしたらいいのか解らずイオはただ嗚咽を漏らす。アルフェオンだけではなくイグジュアートも心配してイオの背を撫でつけてくれるが、心に湧いた感情は少しも楽にはならない。アルフェオンやイグジュアートは闇の魔法使いによる殺戮の場面の記憶と勘違いしているが、その勘違いを訂正してしまえる余裕など今のイオにはなかった。


 女性が力で押しとどめられ体を暴かれる。嫌なのに毎夜毎夜目の当たりにさせられ、目を背けることすらできない。皇女の無視され続ける悲鳴よりも殺戮の方がよほど楽ではないのだろうか。どの世界にも女を力で好き勝手にする輩はいるものだが、それをしているのが世界の頂点に立つ、誰も逆らう事を許されない皇帝だという事がイオを恐怖で苛み、カーリィーンで抱き続けた死の恐怖を思い出させるばかりでなく増長させるのだ。


 多くの人間を従え力で世界を支配するルー帝国の皇帝。若くして帝位を継いだ彼を誰も止めようとはしないで黙認し続ける。彼を止め生き延びる力を持っているアスギルでさえ立ち止り、唖然と言葉なく驚愕に時を止めてしまうだけだ。


 アスギルは皇帝に組み敷かれる皇女に愛する人を重ねていた。見紛うほど似通った皇女、面影を抱く皇帝。その二人がアスギルの守るべき人。誰の目にも解る愚行を繰り返す皇帝を、愛する人の血を繋ぐ人だからこそ止める役目を、力を持っているのはこの世界でアスギルただ一人だというのに。『守る』という言葉に縛られ意味をはき違えているのではないかと、イオがどんなに泣き叫ぼうとアスギルには届かない。


 アルフェオンもイグジュアートも闇の魔法使いが行った殺戮にイオが脅えているのだと思っている。その間違いに気付いていながら、イオには毎夜この現実を口にすることが出来なかった。


 アスギルの戦い方は騎士の様に剣で人の肉を刻みはしない。魔法で、それも周囲が想像するよりも遥かに理解を超えた力で街を、人を焼き尽くす。灰に変える。直接手を下すのではなく、魔法を放ち広大な土地を、街を一瞬で滅びつくすのだ。アスギルの記憶の中で血を見る機会はほとんどない。ただ、皇帝の命令に従い罪なき人々の命を奪う行為に傷付き悲しみ、少しずつ心を壊しているのだけはわかった。



 すっかり眠るのが怖くなったイオは睡眠を拒否する様になっていた。どのみち眠ってもあの恐ろしい夢で目が覚めるのだ。家事に仕事、裁縫に勉強と起きている時間は休む間もなく精力的に働き続ける。けれどその姿に覇気はなく周囲を心配させたが、眠りたくなくてもやってきてしまう眠りを少しでも深くし悪夢を見たくないがために、イオは倒れる寸前まで必死になって働き続けた。


 やがて疲労と睡眠不足で日常生活すらままならなくなり家事や仕事を休みがちになると、今度は夢と現実を混同してしまうようになった。


 毎夜襲われる皇女の姿が自分に重なる。硬く閉ざした窓の鍵を幾度となく確認し、日頃はかけない鍵を扉にかけた。小さな物音にびくつき、襲われるのではないかといいう被害妄想に眠れず一睡もせずに朝を迎える日が度々あった。それも夢をみずに済んでほっとする時間となるのだが、イオの肉体はとうに限界を超えていて日常の記憶が度々飛び、気が付くと寝台に横たわっている時間が増えて行く。


 夜になると部屋の暗闇が怖くて魔法で昼間の様な光を灯し続けた。絶対に誰も入って来れない様に鍵をかけても安心できない。暴漢が狙って侵入してくるようなら鍵など簡単に壊されてしまうだろう。眠ったら最後だと己に言い聞かせ、寝台の隅で膝を抱えて緊張の一夜を過ごす。


 かちゃりと音を立てて扉の取っ手が動き、イオは膝を抱えたまま跳び上がった。鼓動が早鐘を打ち冷たい汗が全身から噴き出す。鍵のお陰で扉が開かれる事はなかったが、いつ蹴り破られるかとの恐怖で失神しそうだった。


 「イオ、起きてる?」


 扉の向こうから小さい声が様子を窺うように届けられ、その瞬間イオは弾かれた様に寝台を抜け出すと扉の鍵を外した。


 「イグっ!」

 「明かりが漏れていたからぁっ―――?!」


 イグジュアートが言葉を終える前に腕を掴んで部屋に引き込んだ。


 「イグ、イグっ、一緒にいて。ここに来た頃イグに頼まれて一緒に寝てあげたじゃない、だから今度はわたしのお願い聞いてくれるでしょう?!」

 「ええっ?!」


 うろたえるイグジュアートにイオは救いの眼差しを注ぎ続ける。簡単な事だ、怖いなら一緒にいて貰えばいい。新米でもイグジュアートは有能な騎士なのだ。同じ屋根の下にいるなら同じ寝台にいても何ら不自然じゃないと、恐怖で正常に働かなくなったイオの思考はひたすら救いを求めて止まなかった。


 「大丈夫だよ、ずっと手を握っていてやるから。」

 「それじゃ駄目よ、離れてしまうかもしれないじゃない!」


 気付いた時にイグジュアートではなく、見知らぬ輩が部屋にいたらどうするのか。暗闇の中であの様な目に合うと想像するだけで嘔吐してしまいそうだった。


 「お願いよイグ!」

 「……イオ。」


 恐怖に震えぽろぽろと涙を零すイオの姿にイグジュアートも観念する。別に男として誘われたんじゃない、不安に苛まれ混乱しての行動だ。年相応の行動でないのは百も承知だが相手はイオだ。望まれれば余程の事でないかぎり叶えてやりたい。


 ただ、許可を得るべき人間が同じ屋根の下に存在している。けして放すまいとイグジュアートに縋り付くイオを宥め事情を説明せねばと思案していると、背後に視線を感じて振り返れば、たった今思い描いていた人物が暗い廊下を背景にして様子を窺っていた。


 「ア、アルフェオン。あのさ……」

 「イオの望むようにしてやるといい。」


 感情の読めない瞳で見据えられ、イグジュアートはうすら寒い感覚を覚えて自然とイオを抱き寄せたが、抱き寄せたイオはするりとイグジュアートの腕から飛び出してしまった。


 「アルも、アルも一緒にっ……」


 縋り付いて来たイオにアルフェオンは目を見開く。それは流石にといいかけ、イオの状態を考慮して口を噤んだ。


 「アル、お願いっ。」


 イオの願いをかなえることによって悪夢にうなされないのなら嫌とは言えないが、成人した男女で同衾は流石にどうかと常識が首を縦に振るのを躊躇させる。それでも色や思惑を一切含まない鬼気迫る様子にすぐに観念した。


 「イグジュアート、寝台をもう一台運ぶから手伝ってくれ。流石に狭い。」


 二人ではなく三人でならまだましだろう。イオの部屋の隣にあるイグジュアートの寝台を運び入れ並べる。大人になってからこういった形で共寝をするのは初めてだと複雑な表情を浮かべるアルフェオンとイグジュアートに反して、イオは心底ほっとしたような顔つきで胸を撫で下ろしていた。


 寝台の上にはイオを挟んでアルフェオンとイグジュアートが並ぶ。本当に安心してくれたのか限界が来たのか、イオは横になって直ぐ寝息を立て始めた。それを確認したイグジュアートもほっとして瞼を落とし、イオの手を握ったまま掛布にくるまり寝息を立て始める。


 アルフェオンは二人が眠りについたのを確認するとそっと体を起こした。昼間の様に明々と灯されていた魔法による光も、燭台に立てられた蝋燭による淡い橙色の僅かな光へと変えられている。小さな光がやせ細ってしまったイオの表情を浮かびあがらせ、短い時間ですっかり様変わりしてしまったイオの姿にアルフェオンは眉間に皺を刻んだ。


 なんて痛々しいのか。何時も脅え自ら眠ることを拒絶している。極限を超え訪れた眠りさえ穏やかな時を与えてはくれない。イグジュアートばかりかアルフェオンまでをも寝台に引き込んだ様子からも、イオがとうに限界を超えてしまっているのは確実だ。


 ここに来た当初、下着姿のイオに遭遇した事があった。あの時はイオの為も思い、騒ぎ立てるのはよくないと口を噤んでいつも通りの対応で過ごしたが、その後イオは何もいわずともアルフェオンと、特に多感な時期のイグジュアートの事を考えてくれたのだろう。イオが女としての色香を漂わせるようなことはけしてなく、イグジュアートの心をかき乱す様な事は何一つなかった。そしてこの前の夏には、アルフェオンとイグジュアートが新人研修である魔物討伐の訓練から戻ってきてからは特に、僅かにゆるみかけていた紐を一層締め直し、同じ屋根の下に異性がいることを更に気を使ってくれる様になったのだ。二人の前で湯を使って上気した肌や濡れ髪を見せる事もなくなった。


 そんなイオがイグジュアートを、アルフェオンを寝台に引き込んだのだ。なにふり構っていられなくなったとかの次元ではない、何も考えられなくなっているのだ。


 いったいイオに何が起きているのか。アスギルの記憶の何を見て心を壊しているのか。無理矢理聞き出すのは逆効果になるだろうが、何処かで吐き出さなければ本当に壊れてしまう。


 アルフェオンの脳裏に美貌の魔法使いの言葉が過る。二度と失うものかと、瞼を閉ざしたイオの髪に触れ一房すくうと唇にあてがった。




 



 


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