求婚
空気に溶け込む瞬間、フィルネスは銀色に輝く瞳をアルフェオンに突き刺すと、口を動かす事無く直接アルフェオンの頭の中に語りかけて来た。
『残念だがここいらから一気に来るぞ。てめぇらには悪ぃが、狂うようなら屍に戻す―――』
はっとしたアルフェオンはフィルネスを捕まえようと踏み込むが伸ばした腕は空を掻いた。側では痛みに頭を抱えるイオが蹲りそれをイグジュアートが慰めている。
まるで白昼夢でも見た様な感覚。けれどフィルネスの声が意思を持ってアルフェオンの頭の中に響いた。
これを知らせる為に現れたのかと、アルフェオンは額に深い皺を刻む。
フィルネスは世界や己の血を引くイオの為ではなく、アスギルだけの為に動いているのだろう。狂うようなら屍に―――アスギルの過去をまさに身をもって思い出したイオが精神に異常をきたすなら、イオの意識を再び闇に沈めると言う事か。
その方がアスギルの為になるとフィルネスは判断しているのだろうが、アルフェオンの方もそう簡単にイオを失う訳にはいかない。仲良くじゃれ合うイオとイグジュアートを側にして、フィルネスに剣を向けてもこの微笑ましい光景を失うつもりはないと決意を新たにする。例え限界が来ても離さないと、アルフェオンはフィルネスが消えた空間を強い意志を持って見つめ続けた。
この日イオとアルフェオンは昼休みを利用して街に出た。先日買い損なったイグジュアートに渡すマントを作る為の布等を購入する為にだ。
最初に寄った布屋では王国騎士団のマントに使われる生地が品切れだった。騎士団御用達の針子達に買い占められているせいでどこも品薄だったが、数軒回ってようやく十分な布地を手に入れる事が出来、イオは嬉しそうに布と糸の入った袋を大事に胸に抱え込んでいた。
イオもアルフェオン同様、これから我が身に起きる事態を感じて不安になっている。今朝のいつにも増した饒舌もそのせいだった。何か楽しみがあればと誘われアルフェオンと街に出て、正式に騎士となったイグジュアートの姿を想像するだけでも十分に楽しめた。恋人同士の様に待ち合わせをしてという夢は叶わなかったが、憧れの橋はイオにとっては痛い過去になってしまっている。アルフェオンもあの橋を通らなくていい様に道を選んでくれたので有り難かった。
布を買った後、イオは菓子屋に足を運んで日持ちのする焼き菓子とお茶の葉を購入した。意識を無くしていて覚えていないが、事故の際に世話になった騎士達の詰所に礼を兼ねて訪問することにしたのだ。
休み時間もあまり残っていないし一人で行けるとイオが遠慮すれば、アルフェオンは戻りが遅れるかもしれない事を同僚に了承を得ているし、自身も皆に礼を言いたいからと同行してくれる事になる。
あれ以来アルフェオンとイグジュアートの二人どちらかが必ずイオの側にいてくれるようになった。二人の時間を奪っている様で申し訳なく感じたが、逆の立場なら心配で自分も同じように振舞ってしまうだろうと考えて有り難く受け入れさせて貰っている。それに今回は街にある騎士の詰所が何処にあるのかイオは詳しく知らなかった。
アルフェオンの案内で目的の場所に着くと、見回りから戻って来たのだろう。クライスとばったり遭遇したイオはほんの一瞬身を固くした。けれどいつもと異なり細い瞳を驚きにまるくしているクライスの様子に、敵意がないと感じて肩の力を抜く。
「先日は大変お世話になったので、お詫びとお礼に来たの。」
冷たい川に落ちて意識のないイオをクライスが温めてくれたというのはアルフェオンから聞いていた。レティシアの件で嫌っている筈のイオを手当てするのは複雑な心境があっただろう。それでも騎士として職務を全うしてくれたクライスにイオはありがとうと感謝を記して腰を折り頭を下げる。
「いや……俺の方もあんたに酷い扱いをしてしまって心からすまなかったと反省している。俺に人を見る目が備わっていなかったせいであんたを嫌な目に合わせた。本当に申し訳なかった。」
きちんと腰を折り深く頭を下げたクライスの謝罪をイオは素直に受け入れた。イオが中に入れて貰えるかと伺えば勿論だと扉を開いてくれる。後ろではアルフェオンが世話になったとクライスに礼を言っているのが聞こえた。
詰所には数人の騎士が休んでいただけで責任者も不在だったが、あの日の騒ぎに立ち会った者もいて、イオは一人一人に礼を述べると手土産を渡して早々に詰所を後にする。居付いては仕事の邪魔になると思ったからだ。クライスは最後にイオを見送りに出ると、再び今までの出来事を謝って来た。
「あなたのせいって訳じゃないんだしあまり気にしないで。そう何度も謝れると困るわ。」
「けど俺からの被害はあんたにとって完全にとばっちりだ。そのせいで騒ぎが大きくなったとも考えられるし。」
利用されただけといえばそれまでなのだが、クライスがレティシアに対する気持ちを利用されなければイオに不快な思いをさせることはなかったし、もしかしたら橋から突き落とされ死にかける様な事態にはならなかったかもしれないのだ。あの日からずっとクライスの胸に突き刺さっていた罪悪感は頭を下げただけでは拭い去れないが、それでも謝罪をしないではいられなかった。
そんなクライスの気持ちはイオにも理解できる。好きになった人の言葉に暗い物を感じても、信じてしまうのは惚れた弱みだ。全てを笑って許せるわけじゃないが、誠実に詫びを述べるクライスにこれ以上の謝罪は求めていなかった。
「そんなに気になるなら、わたしの為にもこれで終わりにしてくれない? あなたは真っ直ぐで正直なだけであって悪い人じゃないってのは解ってる。それに騎士様にこう何度も頭を下げられると正直こそばゆいのよ。」
詰所の前で何度も頭を下げるクライスを通りかかる人間がちらちらと見て行く。気付いたクライスが済まないと再度頭を下げてしまったのでイオは可笑しくて吹き出してしまった。
「それじゃあ本当にお世話になりました、どうもありがとう。」
「あ、待て!」
イオが最後にお礼を言って踵を返すとクライスが声を上げる。イオを引き止めようとして手を伸ばしたのだがその腕をアルフェオンに捕られ、すぐ側で鋭く光る茶色の瞳にクライスはたじろいだ。
「なに?」
再度イオが振り返る前にアルフェオンがクライスを解放したのでイオは気付いていない。虚を突かれたクライスは「ああ…」と言い淀み、ちらりとアルフェオンの様子を窺ってから、こちらを見上げる淡い紫の瞳に視線を落とした。
「その…元気になって良かったよ。困ったことがあれば何でも言ってくれ、力になる。」
「ありがとう、心強いわ。」
ふわりと微笑んだイオにクライスは笑みを返す。本当は騎士団長や王太子との関係、王の近衛が秘かに護衛についたり宰相自らがこんな場所に足を運んできた理由が知りたかったのだが止めた。
いま目の前で笑うイオこそが本当のイオで、他に付随する物や何やらは関係ないのだ。好奇心で暴いても何も出て来ないと笑顔が語っている様で。クライスは邪な己の心を拭い追い払うと頷いた。
「元気でな。」
「あなたもね。」
もやもやとしていた気持ちが完全に吹き飛び、過去に決別する様に別れを口にしたクライスにイオは手を振る。騎士団宿舎に勤めるイオと外勤のクライスでは意識して寄らなければ接点はない。これまではレティシアの件で納得いかずに遠くからつけ狙う様な真似をしてしまっていたが、それも今日で完全に終わりだとクライスも手を振り返した。
*****
軽く腹を満たそうとの誘いに乗り、手頃な品を屋台で購入して静かな公園のベンチに座る。温かな日差しと外套のお陰で寒さは感じなかった。
油紙に包まれた肉汁滴る焼き鳥にかぶりつく。アルフェオンと肩を並べ二人で同じ物を食べるというのは恥ずかしい様で嬉しい出来事だった。
食べ終えてゴミをポケットにしまい込む。さて戻ろうかとイオが腰を上げかけると腕を掴まれ引き止められた。
「アル?」
どうしたのと視線を向ければ真剣な眼差しがイオを捕らえる。上げかけた腰を下ろすと掴まれた腕を離された。
「大事な話があるんだ。」
急に真剣な表情に変わってしまったアルフェオンの様子に不安を覚えながら、イオは話を聞く為に体の向きを変えた。嫌な事だったらどうしようと緊張で鼓動が大きくなる。
「イオとイグジュアートにとって今は大切な時期だ、だから本当ならいうべきではないのかもしれない。だけどイオ、私はどうしても君に聞いてもらいたいんだ。」
イオは途端に冷たくなった掌をぎゅっと握り込んで無言のまま頷いた。するとアルフェオンはそんなイオの冷たくなった手を取りイオとの距離を縮める。
「返事は色々な問題が片付いてからで構わない。時が来たら私と結婚してくれないか。君が好きだ。私を生涯の伴侶として受け入れ、これからの人生を共に歩んで欲しい。」
真っ直ぐな瞳がイオを射抜く。
不安が消し飛ぶと同時に世界から音が遮断されイオは瞳を瞬かせた。
「―――え?」
口と目がぽかんと見開かれる。
意味は解るのに何故か理解できなくて固まるイオの手に、聞いているのかと不安になったアルフェオンが力を加えた。
「結婚して欲しいんだ。」
「だっ……だれと?」
「私と、結婚して欲しい。」
驚きに混乱したイオは何と言っていいか解らず声が出ない。それでもようやく息と共に吐き出した言葉は疑問だった。
「わたしとっ?!」
どうしてわたしなのだと、驚きに瞳を瞬かせるイオにアルフェオンは真剣な表情を崩さない。自分自身を低く評価するイオがアルフェオンと自分ではつりあわないという大きな勘違いをしているのは十分承知していた。カーリィーンを捨てた身で公爵も何もあるものか。逆にイオは王家に名を連ねることはないにしろ、イクサーン王家の血を引いているというのに。そればかりか今やアスギルを交え世界の命運を握ると言っても過言ではなく、それだからこそイクサーン国王ハイベルが特別な配慮をしているのだ。イオがそれをちゃんと理解し受け入れればどれ程贅沢な暮しを望もうと叶えられるだろう。
そういった背景に気付きもしないイオにはきちんと言い聞かせるしかない。あやふやな言葉では真意を曲げて理解されるのがおちだ。
「私の目の前にはイオ、君しかいない。他に誰がいるっていうんだい?」
見ているのは君だけだと、イオが想像しているだろう貴族の娘らなど眼中にないのだと訴える。
「一人の女性として生涯をと望み、君を愛している。」
確実な言葉で攻めれば、イオの顔は瞬く間に朱色に染まった。
「でも……わたしは魔法使いで―――」
「知っているよ。」
今となっては断りの文句にすらならない言葉をたどたどしく口にされるが気にも留めない。だから何だと更に力を込めて見つめればついに視線を外された。
「それに……あなたは公爵家の生まれで……」
「ここがカーリィーンなら許されない問題かもしれないが、今の私は何もないただの男だ。イグや陛下、君を得る資格をくれた全てに感謝している。」
「でもっ!」
必死に受け入れられない言い訳を考えるイオに、流石のアルフェオンも悲しくなってきて苦笑いを漏らした。
「君は私が嫌い?」
「好きだわ!」
弾かれる様に顔を上げたイオがそんな訳がないと必死で首を横に振る。
「それじゃあ前向きに考えてくれ。」
生まれとともに培われたものがすぐに変わるとは思っていない。命の危険に脅えた人生はイオを卑屈にさせるには十分だったのだろうが、そろそろ終わりを告げても良い筈だ。
「うそ―――?」
「本当。」
顔を覗き込むように笑いかければ俯かれた。首まで真っ赤にして恥ずかしがっている様子を受け、そろそろ開放してやった方がいいかとアルフェオンは穏やかに言葉を紡ぐ。
「ゆっくりでいいから私たちの未来を考えてくれ。」
イオは不器用な人形遣いに操られた人形の様にカクカクと何度も頷きながら小さな声でやっとのこと言葉を絞り出した。
「嬉しい、ありがとう。」




