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心の鎖  作者: momo
七章 眠れる冬
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敵意




 灼熱の夏が過ぎたと思えば短い秋が瞬きする間に去っていた。例年より早い冬の訪れにイオは分厚い外套の襟を引き寄せる。


 枯葉もすっかり落ちてしまった木々の向こうに視線を感じて首を向けると、見えるか見えないかの場所で此方を窺っている人影を認める。顔の判別はつかないがクライスだとイオには解っていた。


 向こうから近付いて来ないので此方からは話しかけない。ただ時折、じっとイオの様子を窺うクライスの葛藤を思うと彼から受けた暴挙はとうに許してしまっていた。


 夏にイオの心を乱したレティシアは、実は彼女付きの侍女だったというルルと共に夏の終わりに姿を消した。それと同時にイオはアルフェオンからレティシアに纏わる事情を聞かされる。


 ライズ男爵令嬢、それがレティシアの正しい肩書だ。イオがエディウより預かったお見合いの主が彼女であったのだと知らされた時は驚きつつも、そうだったのかと冷静に対処できた。アルフェオンもイオがレティシアの素性を知っているのか知らないのか半信半疑だったらしい。あの覚書を開けばレティシアの姿が描かれていた訳だが、アルフェオンの生まれ育ったカーリィーンと違ってイクサーンの肖像画は本人の見た目と雰囲気を正確に伝えない描き方をする。だからアルフェオンにも大人びて可愛らしい雰囲気の肖像画と、男に媚を売る笑顔を張り付けた本物のレティシアが同一人物であるとはすぐには結び付かなかった。だからイオもそうなのか、もしかしたら本当に知らないだけかもしれないと思いながら様子を窺ってしまったのだ。


 イオに纏わる悪い噂は全てレティシアの狂言が生み出したものだと知らされ、イオはレティシアのアルフェオンに対する執着を思い知った。他人を貶めてまでも手に入れたかったのか、その理由は何なのか。純粋にアルフェオンを好きだったからではなく、アルフェオンを手に入れる事で得られる益を目的に近付いたのだと聞かされ頷いても、本当の所はレティシア自身にしか分からない。


 アルフェオンは一人の女性を貶めると解っていても事実を公表した。勿論公にではなく、イオに危害を加えかねない程レティシアに心酔している人間に対してだけだ。その一人にクライスも含まれる。彼も踊らされたうちの一人だが、レティシアを愛していただけに本当の所が何であるのか葛藤も激しいだろう。


 どういう訳か騎士団宿舎に住まう騎士が最もレティシアの影響を受けていなかった。イグジュアートによるとあれだけの男に媚を売っておきながらイグジュアートにはまったく接触して来なかったという。同じ空間に存在した時間もほんの数秒で、恐らくイグジュアートと同じ場所に居合わせたら唯一の武器である自分の容姿が霞んでしまうからに違いない―――とイグジュアートは分析し、自分の容姿を正しく理解するイグジュアートの意外な一面を知ってしまったイオは苦笑いを浮かべた。


 



 この日イオは一季節かけてアスギル用のローブをつくり終えた。夕食後アルフェオンとイグジュアートに披露するとアスギルに会えるのかと喜んでいたが、勝手につくった物を渡したいがためだけに呼び出すなんて真似は出来ない。残念がるイグジュアートを微笑ましくおもいながら部屋に送りだすと、アルフェオンから話を振られる。


 「イグジュアート用のマントを内緒でつくってくれないか?」

 「内緒で?」


 作るのはかまわないが内緒というのはどうしてだろうと首を捻ると、アルフェオンは何処か懐かしそうに目を細めた。


 「来月にはイグジュアートも新人から正騎士に昇格する。必要な物は騎士団から支給されて勿論マントも含まれるんだが、カーリィーンでは正騎士に昇格した騎士のマントは縁の女性が贈る習慣があるんだ。」


 イグジュアートはカーリィーンの騎士ではない。けれどその習慣を受け継いで悪いという訳でもないだろうというアルフェオンにイオは瞳を輝かせると深く頷いた。


 「勿論よ。そんな素敵な習慣があるならどうしてもっと早く教えてくれなかったの?」


 騎士自らが身につけるマント。それをイオが手作りできるだなんて思ってもいなかっただけに喜びもひとしおだ。そんなイオにアルフェオンはくすくす笑って、アスギルのローブが出来上がるのを待っていたんだと付け加えた。


 「そんな遠慮いらないのに。どんなマントがいいの、色やサイズは決まっているんでしょう?」

 「細かい決まりもあるからイオの休みに合わせて一緒に材料を買いに行こうか。」


 一緒にという言葉に鼓動が跳ね頬が染まる。嬉しさにうんうんと頷いてある事に気付いた。


 「アルはどなたに作ってもらったの?」

 「私が騎士の位を受けた時には婚約者がいたからね。彼女が作ってくれたよ。」

 「婚約者―――」


 ぽつりと零して一気に熱が冷めた。

 そうだアルフェオンは公爵家の嫡男、いてもおかしくない。

 彼女は今どうしているのか。アルフェオンの婚約者だから心根の優しい綺麗な大人の女性に違いないと想像していると、イオの顔色が変わる様子を眺めていたアルフェオンが楽しそうに先を続けた。


 「婚約者といっても彼女は当時十歳の少女で、とてもじゃないがマントなんて縫えない。実際には針子達が仕上げて、彼女は礼儀上一針手を入れただけだったよ。」

 「そんなのもありなの?」

 「だから新人が正騎士になる時期はどの国も針子が一番忙しい。」


 きちんと一人で縫い上げるのは位ある人間よりも庶民の方が多いんだと教えてくれた。


 「でも―――あの。アルの婚約者は当時十歳でも今は年頃なんじゃ―――」

 

 つまり結婚前に婚約者に逃げられた事になる。

 不躾と思いながらも聞いてみれば、優しい彼にしては悪びれた様子もなく穏やかな表情を浮かべていた。


 「彼女は私との婚約期間が終わりに近づくと、心通わせた男との間に子供を作ったんだ。勿論私の子ではないから婚約は破棄されたけど、私も秘かに応援していたからね。駆け落ちではないから相手の男は重い罰を受けず、今頃幸せに暮らせている筈だよ。」

 「それって―――」


 世間一般にいうならアルフェオンは寝取られた男という不名誉な烙印を押された事になる。けれどアルフェオンの様子から暗い影は微塵も感じられない。アルフェオンと婚約者の間には恋愛感情はなくとも硬い友情の様なものが存在しているのだろうか。


 「彼女の自由な生き方は私の憧れでもあった。立場上表だっては何も出来なかったが、己を貫いた彼女は私の支えにもなっている。」


 だから気に病む必要もないと暗に語るアルフェオンにイオもそれ以上は問わなかった。

 

 イグジュアートへ贈るマントは作りは簡単だが、王国と騎士団の紋章や名前やらの細かな刺繍が必要となるので、イオの次の休みに合わせてアルフェオンが休み時間に仕事を抜け出す約束をする。イグジュアートに気付かれないようにする為に待ち合わせ場所も決めた。何処にしようかと問われ、城からも比較的近く買い出しにも行きやすい川を跨ぐ橋を指定した。その橋は恋人達が待ち合わせによく使うのだとサリィから聞いていたのだ。アルフェオンとは恋人同士ではないが、ひっそりとそんな気分に浸るくらい許されるのではと淡い欲望を抱いた。



 数日後待ちに待った休みがやってくると、いつもより早くから起き出して家の用事を片付けてしまう。昨夜は冬の嵐で天気が心配だったが、夜が明ければ薄っすらと初雪が積もっていたものの穏やかな晴天。せっかく積もった雪はすぐに溶けてしまうだろうが白く色付いた景色を前に胸が更に弾み、何かいい事でもあったのかとイグジュアートに問われるが、雪が嬉しいのだとごまかした。


 早めの昼食を軽く取り外出の準備を済ませる。早朝積もっていた雪は日陰の部分を残して全て溶けてしまっていたので足元が悪そうだ。休み時間を利用して出て来るアルフェオンを待たせてもいけないと思い、予定よりも早い時間に家を出て待ち合わせ場所に向かう。


 こんな風に思いを寄せる男性と待ち合わせをするのは初めての経験だ。たとえ此方の一方的な恋慕であっても心が浮き立つ。ぬかるんだ泥道を避け石畳を歩いて行くと待ち合わせの時刻よりも早く橋に到着した。


 恋人達が待ち合わせに使う橋というが、多くの人間が仕事に勤しむ時間であるせいでそういった雰囲気の者は一人もいない。勿論イオとアルフェオンも恋人同士などではなかったが、雰囲気を楽しめればそれで良かった。


 アルフェオンの訪れを待ちながら橋の下を覗き込むと、昨夜の雨と雪解け水でかなり増水しており、時折黒く染まった流れに折れた枝や塵やらが通常の流れよりはるかに速く流れ過ぎて行く。その様を見つめていると飲み込まれそうになるので顔を上げて欄干に背を向けると、暫くぶりに目にする人物がイオのすぐ側で此方を睨みつけていた。


 「レティシアさん―――」

 「まぁこんな所に誰かと思えば、多くの男を手玉に取る尻軽女じゃありませんこと?」


 ルルを従えイオを睨みつけるレティシアはイオの知る彼女の欠片も残っておらず、可愛らしい筈の顔を嫌味たらしく歪め、まるい薄茶の瞳はこれでもかと細められ吊り上がってしまっていた。


 「こんな所で何をなさっているのかしら。もしかして日頃の行いの悪さが露見して追い出されでもしたのかしら?」


 いい気味だわと嘲笑うレティシアにイオは言葉を失い苦い表情を浮かべた。


 「何ですのその目は……庶民風情がいい気になるんじゃありませんことよ。お前が邪魔をしなければアルフェオン様は今頃わたしを妻に選んで下さっていたに違いありませんのに、お前の…お前のせいでわたしは―――!」

 「アルがあなたを選ばなかったのはアルの意志よ。人のせいにするのはやめて。」

 「庶民風情が口応えなど許しませんわよ!」


 罵声と同時にイオの頬に熱が走る。レティシアが持っていた扇でイオの頬を殴ったのだ。唖然とするイオにレティシアは怒りで染まった目を鋭く突き付けていた。


 「お前のせいで、お前のせいでわたしの人生無茶苦茶よ!」


 一歩踏み出したレティシアが予想外の力でイオを突き飛ばし、イオの体は欄干を超え呆気なく橋の外へ投げ出された。


 「きゃあっ!」

 「お嬢様っ!」

 

 イオの悲鳴にルルの声が重なり手を伸ばされるが間に合わない。周囲からは落ちたぞと目撃者による声が上がったが、イオには何処かとても遠くに聞こえていた。


 一瞬の事で何が起こったのか把握する前にイオの体は冷たい濁流に呑まれる。口から入り込んだ水が気道を塞ぎ苦しいと感じるより早く、氷の様に冷たい水が全身を刺すと同時に頭に強い衝撃を受け、イオの世界は瞬く間に闇に染まった。







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