追手
「彼はアスギル。世間から隔離された辺境の土地を出て来たばかりの旅人です。」
イオが魔法使いについての説明を端的に述べると、アルフェオンは眉間に深い皺を刻むと同時に茶色の瞳には呆れの色を浮かべた。
「まさかとは思ったけど、君は見知ったばかりの男を招き入れたのかい?」
黒尽くめのローブ姿は誰が何処からどう見ても怪しい。若い娘ならそれなりに警戒するのが普通だというのはイオだってよくわかっているし、実践も試みた。ただ、魔法使いだと自己申告したアスギルに思わず扉を開いてしまっただけなのだ。
「見知ったばかりと言うならあなた方だってそうです。そんな人達に縋るしかないか弱い娘なんで、その辺に捨てて行くなんて事しないで下さいね?」
魔物の巣窟に一人置き去りなんてまっぴらごめんだ。
イオの言葉に騎士であるアルフェオンは、わざとらしく傷付いたように眉を下げてみせた。
「恩義のある君にそんな事はしないが…彼の方がよほど怪しく感じないか?」
そう言ってアルフェオンはイオの隣で瞼を伏せるアスギルへと視線を向ける。
「見た目そうですけど、中身は違う感じですよ?」
「そう作っているだけかもしれない。」
「そうかしら―――」
迫害される魔法使いの常識を知らず、その事実に落胆し、情けない事にいい大人が泣きそうになっていた。驚くような魔法を使う割に、空腹で動けないなどまるで子供の様ではないか。そもそもイオを訪ねて来た理由が物乞いなのだ。指に大粒の宝石が鎮座した指輪をもつ人物がする事ではないとイオには思えて仕方がない。
ちょっと人とは違う、常識から逸脱した変な存在であるのは頷けるが、大きな事実を隠し持っている筈の騎士と少年からすると、イオにはアスギルの方が彼らよりも安心できた。
しかしアルフェオンはイオの見解とは間逆で、アスギルと言う魔法使いは得体の知れない怪しい存在だ。ただイグジュアートの命を救ってくれた事実もあり、アスギルに対して警戒心はあるものの敵としてみなしている訳ではない。
だがアスギルが二人に突きつけてくる視線は一般人のそれではなく、全てを見透かすような鋭い、訓練された軍人の様な視線なのだ。長年の人生で培われたとするならそうかもしれないが、それにしてはイオに対する視線と自分達に向けられるそれはあまりにも違いすぎる。そんな男が単なる辺境の地から出て来たばかりのただ人などあり得る訳がない。
お互いが懸念を抱きながらも、一行はイクサーン王国を目指し森を進んで行くしかない。
数日かかる道のりでいつ何時魔物の襲来があるかと神経を研ぎ澄まされたが、アスギルの宣言通り結界のおかげでいかなる魔物もイオ達の前に姿を見せる事はなかった。
食料を得る必要があるので時折狩りをして小動物を仕留めてくるのはアルフェオンだ。それを焼くだけの味気ない調理で皆が腹を満たす。常に魔力を行使しているアスギルは骨までぼりぼりと食べつくすので、何て強い顎を持っているのかとイオを感心させていた。
道中話をするのはイオとアルフェオンで、アスギルは勿論、イグジュアートも寡黙だった。ただ彼は時折アスギルへ意味ありげな視線を送るものの、必要以上に近づく事も声をかける事もなく数日が過ぎ、明日には森を出られるであろうという所に来てアスギルの歩みが止まる。
気配なく歩みを進めていたアスギルが立ち止ったのに気付くのが遅れたイオは、鬱蒼と生い茂る草木に埋もれるように立ち尽くすアスギルに駆け寄った。
森の中を何日も歩き続け水浴びすらしていないイオは汗だくで、湿った皮膚を擦れば垢がこぼれる。それはアルフェオンや美少年のイグジュアートですら同じだ。しかしアスギルはいつでも涼しい顔で額に汗一つ滲ませる事がない。ただじっと一点を見つめたまま立ち尽くしていた。
「どうしたの、お腹すいた?」
いつも空腹に襲われるアスギルは道中の少ない食事では足りないらしく、道すがら草を摘んでは口に運んでいた。間違って毒草を食べてしまうのではないかと冷や冷やしたが、当の本人はいたって平気そうに草を食べていたのでそれで足りているものとばかり思ってしまっていた。
もうすぐ森を抜け、人里に出たらまともな食料を手に入れられるだろう。それまで何とか頑張ってもらいたいものだが、彼が動けないほど空腹なら何とか食料を手に入れなくてはならない。イオが携帯してきた保存食も当の昔に底をついていた。
魔物の巣食う森で完全な結界を張り、魔物を拒んでくれるアスギルはイオなどに比べて絶対に必要な存在だ。ここで彼の魔法を失えば昼夜を問わず命の危険に曝される事になってしまう。アスギルを警戒しているアルフェオンですら彼が結界を敷く力を頼ってしまっているのだ。魔法使いとはいえ、この森に有ってイオでは何の役にも立たない。恐らくイグジュアートですらそうだろう。アルフェオン達は初めから森を抜ける選択をしていたが、彼らとて出鼻を挫かれ舞い戻った事実があった。
アルフェオンが歩みを止めた二人へ「どうした?」と声をかけると、アスギルが視線だけをそちらに向けた。
「何者かが結界に触れた。」
「どういう意味だ?」
「言葉通り、私の結界に侵入した者がいると言っている。」
「そんな事がわかるのか?!」
驚きを見せるアルフェオンの言葉にアスギルは訝しげに眉を潜め、視線をイオへと這わせてから「そうか」と一人頷いて納得する。
魔法というものが退化した世界でアスギルの常識は非常識だ。
「騎乗にある十人程の隊列だ。迷いなくこちらへと進んできているようだがどうする?」
「どうするって、逃げるに決まってるでしょう?!」
追手と聞いてイオが話に割り込んできた。実際に追われているのは自分ではないが、行動を共にしている時点で巻き込まれている。
「もう追いつかれますよ? いっその事、死なない程度に転がしてもかまいませんがそうすると彼らが魔物に食い荒らされてしまう…」
ぶつぶつと呟くアスギルの声は届かず、イオはアスギルの腕を取って強引に引っ張った。
「じゃあ隠れるしかないじゃない!」
昼間でも薄暗い森ではあるが季節は夏。身を覆い隠すほどの場所は自然が作り出してくれてた。しかしそれでもこの場から遠ざかった方が良いのは確実で、アルフェオンやイグジュアートもイオと同意見らしく既に道を外れ走り出していた。
「アスギル、早く!」
イオはアスギルを急かして手を引きアルフェオン達を追う。アスギルの「こちらを見えなくすることも可能なのですが」と言う有難い声は、残念ながらイオ達に届く事はなかった。