あなたは誰?
イオは一人で逃げるのは不安だったので二人に付いて来たものの、騎士のアルフェオンが新月の晩の森に入ると言うので、やはり別行動を取ろうかとかなり迷った。
何しろ彼が連れる少年イグジュアートはこの森に入り、知らぬうちに首の後ろを手のひら程のヒルにやられていたらしい。彼が騎乗していた馬も倒れたので恐らく同じ物にやられたのだろうと憶測される。
ほんの数刻前に命を落としかけた森に入るなんてイオには信じられない。だが追手から逃れるには格好の場所だと言われると、確かにそうなのだが―――さすがに躊躇する。
そんなイオの背中を押したのは怪しい魔法使いだった。
「主だった魔物は片付けました。残っているのは異種間で勝手に交配を進めた雑種だけでしょうから、ただ人であってもそれほど危険ではないでしょう。」
イグジュアートは余程運が悪かったのだろうと呟く魔法使いに死にかけた本人は苦笑いを浮かべたが、イオが彼を凌ぐ幸運の持主だという保証もない。
とにかく今日に限ってはとことんついていない、人生最悪の日と言っても過言ではないのだ。
それでもまぁ、結界を張るという魔法使いの戯言を信じて森に入ってみれば彼の言葉通り、姿を現す魔物はただの一匹もいなかった。
イオには解らなかったが魔法使いの張ったという結界に騎士と少年が驚きの表情を浮かべたので、イオは改めて怪しいとばかり感じていた魔法使いを見直した。
同じ魔法使いではあるが、イオと目の前の魔法使いでは実力の差がありすぎるのだ。そもそも聖剣を作る以外に取り柄のないイオなど、魔法使いの部類に入れてもいいのかとすら感じてしまう。単なる特技の部類ではないだろうか? 瀕死の少年を癒した魔法使いからすれば失笑ものだろう。
馬の背に荷物を縛り、騎士が手綱を引いて暗い森を進む。小さな明かりはあるが頼りなく、騎士の迷いのない足取りについて行くのはやっとだが、背後に迫る危険を考えると必死で前に進んだ。
しかしながら慣れない暗闇の森で、生い茂る草に足を取られ前のめりに倒れこみそうになる。そこをすぐ後ろを歩いていた魔法使いがイオの首根っこを掴んで助けてくれた。
「ありがとう…」
イオが礼を述べると魔法使いは無言で頷き、先を急いでいた騎士の足取りが止まる。
「少し休もうか?」
同行者の足取りの弱さにやっと気付いたらしい。そんな騎士にイオは首を振る。先を急ぎたいのはこちらとて一緒なのだ。
騎士は同意すると、今度は歩みの速さを少し抑えて先に進み出す。
四人はそのまま無言で暗い森を進み、東の空が白みかけた所で休憩を取る事にした。
木の根元に腰を下ろしたイオは、人一人分離れた隣に腰を下ろした魔法使いをまじまじと観察する。
魔法使いは腕を組み、俯き加減に瞳を閉じて静かに息をしていた。
眠っているのだろうか?
イオは不眠不休で夜通し歩き続け体は疲れていたが、身に迫る危険と緊張のせいか一向に睡魔に襲われそうにない。ただでさえ足を引っ張ってるのだから少しでも休んで体力を回復したかったが、寝ている間に置いて行かれるのではないかと不安でもあった。
溜息をついてきょろきょろ辺りを伺っていると、少年と何やら話していた騎士がイオの方へと移動してくる。
「お嬢さん名前は?」
彼らは名乗っていたがイオはまだだった。
そう言えば隣に腰を下ろす魔法使いの名も知らない事に気付かされる。
「イオって言います。」
「年はちょうど成人した頃合いか?」
騎士の物言いが砕け、イオは頷き二十歳になったと答える。
「そうか…今まで隠れ住んでいたのだろうにこんな事になって、心底済まないと思っている。」
気の毒そうに話す騎士にイオは首を振った。
「いつかこんな日が来るって覚悟は決めていましたから。それより何処に向かっているんですか?」
「この森はイクサーン王国のレバノに繋がっている。」
「イクサーンって、国境を超えるんですか?!」
国境を越えるには身分を示す許可証が必要だ。いつかの為に準備はしていたが、許可証の申請時に度々魔法使いが捕獲されると聞いてさすがに通行許可証は申請していなかった。
「心配せずとも魔物の住まう森に国境警備は存在しないから安心してくれ。」
「でも入国してから提示を求められたりしたら―――」
「私達はイクサーンに亡命するつもりでいる。」
「ぼうめいっ?!」
亡命とはまた大事だと声が引っ繰り返る。
「イクサーンは魔法使いに寛大な国だ。君にとってもきっと住みやすい場所になる。」
「でも、それにしても亡命だなんて―――」
言葉が詰まるイオに対して、騎士は複雑な表情を浮かべていた。
「私はともかくあの方は―――身を守るために必要な事だ。」
あの方―――イグジュアートについては触れない方がイオ自身の為にもいいような気がしたので、そろそろ話題を変えた方がいいだろうと、イオは少ない引き出しを探る。
「あのぅ、所有印って何ですか?」
魔法使いに向かって騎士は『所有印がない』と言ったのだ。
なんとなく気になった一言だが、騎士にとってはよほど忌々しいのか眉を潜め、何故か少年へと視線を馳せた。
「国に忠誠を誓う…誓わされた魔法使いは属する国の所有印が体のある場所に刻まれる。ここカーリィーンの場合は、大人の拳大の焼印を額に押しつけられるんだ。」
「拳大―――っ」
イオは他人事でない事実に思わず身震いした。額に大人の拳大の焼印など、一歩間違えば瞳を焼かれかねないではないか。まるで重罪を犯した犯罪人に対するような所業だ。
「我が国ではそれほどまでに魔法使いを、非人道的な扱いで抑圧しているという事だよ。」
だから亡命なのか。額に所有印のない少年にイオは納得する。
それなりに身分が有り、今まで何とか魔法使いである事実を隠してきたのだろう。それが知れ、騎士は少年を庇い逃げている途中なのだ。
二人の関係が何たるかは知れないが、見た目美少女と騎士の二人。愛しの姫を命をかけて守る騎士―――まるで物語の様だとうっとりする余裕まではなかったが、美少女の麗しい額にそんな忌まわしい焼印など絶対に付けさせたくないとイオですら思ってしまう。
魔法使いなんて非力な存在だ。生かすも殺すも国次第、大した力もないイオなど所有印を刻まれる前に殺されてしまう確率の方が高いに違いない。
「所で君と彼はどういう関係だい?」
騎士はイオの隣に瞼を閉じて俯く魔法使いを指し示した。
「え~っと―――ちょっと待ってくださいね?」
イオは座ったまま腰を滑らせ、魔法使いの脇腹を肘でつつき小声で問いかける。
「ねぇ、ちょっと起きてる?!」
魔法使いは頭を上げると寝ぼけ眼でイオへと視線を向けた。
やはり眠っていたのか。魔物の住まう森にあって何て図太いんだろうと感心してしまう。
「あなた、名前なんて言うの?」
傍らの騎士に聞こえないよう小声で魔法使いの耳元に問いかけると、魔法使いも声を落としイオの耳元に返事を返した。
「アスギルです。」
「そう、オッケー。ありがと。わたしはイオよ。おやすみ。」
目的を終えたイオが騎士の方へと移動していく様を見送りながら、魔法使いは名を告げた時と同じ小声で『おやすみなさい』と呟き瞳を閉じた。