嫌な予感
一人最後の夜はエディウが訪ねてくれた。多忙を理由に姿を見せなかったレオンはやはり気まずいのだろう。彼のお屋敷なのに。次に顔を合わせた時に何と言っていいか解らないが、避けられていると思うと複雑な心境だ。実際にレオンはエディウに置いて来られたというのが正しいのだが、それを知らないイオはこのまま本当にこの屋敷に居付いていていいのかと考え込んだ。
新人研修を兼ねた演習を終えアルフェオンとイグジュアートの二人が帰宅する予定の朝、イオは普段の生活に戻り騎士団宿舎へと仕事に出かける。モーリスが気になるので昼休みに様子を見に行こうと思いながら出勤すると、雲行きの怪しかった空から雨粒が落ち始めていた。
どんよりとした分厚い灰色の雲に不安を感じる。イオは降り始めた小雨を避けるように慌てて建物に駆け込んだ。
「降り出したみたいね。ずっと晴れ続きだったから恵みの雨になるかしら?」
陽気なサリィの声を受け、イオは不安を隠すかに笑顔を作った。
「この様子だと本降りになりそう。最近はずっと暑いくらいだったのに今日は肌寒いわ。」
「それなら今日お帰りになるアル様とイグ君に温めて貰いなさいよ。」
「もう、サリィったら!」
濡れた体を軽く拭ってから前掛けをつけサリィと連れ立ち食堂に向かうと、早朝訓練を終えた騎士でごった返しているが、宿舎住まいの者の中にも演習に出ている人間がいるのでいつもよりは少なめだ。イオが食堂を見渡せばイグジュアートと同期の新人は一人もいない。明日にはいつもの光景に戻っていると自分を励まし、朝食を食べ終えた騎士から食器を受け取りつつ厨房へと入っていった。
洗い場と厨房の手伝いを終え、宿舎内の洗濯物を回収してまわる頃には雨がざあざあと音を立てて地面を濡らしていた。
夏を前に冷たい雨が降り注ぐ。二人は大丈夫だろうかと、イオは洗濯物を抱えたまま窓の外をじっと見つめていた。
一日の仕事を終えたイオは雨具を羽織り、同じく仕事を終え帰宅するサリィと肩を並べる。本当なら戻って来たイグジュアートと屋敷へ帰るつもりだったが、新人遠征は予定が狂ってしまったようだ。よくあることだからとサリィに励まされるが、重く垂れさがった暗い空を見上げると作り笑いも浮かばなかった。
サリィは最近付き合いだした、文官として城に勤める男と一緒に帰宅するらしい。イオを気にして「彼と一緒に送って行こうか」と言ってくれたが首を横に振った。
騎士団に入る門の所でサリィを見送ったイオは、二人いる門番から少し離れた位置で足を止め濡れた壁に背を向ける。もう少ししたら戻ってくるかもしれない。暗い空を見上げ不安に感じるのは、つい先日モーリスから聞かされた話のせいだろう。
魔物といっても全部が全部危険という訳ではない。特に新種と呼ばれる闇の魔法使いが作り出した魔物が異種交配し、姿形を変えた魔物は新種と呼ばれ、もとから存在する純血種と呼ばれる魔物の様に強い力を持ってはいなかった。
攻撃されると確かに危険だが、人間を見ただけで一目散に逃げ出す新種も数多くある。勿論臆病な新種ばかりではないが、イオがカーリィーンに住んでいた時には警戒を強めていたお陰か、魔物によって直接命の危険に脅かされた事はない。カーリィーンからイクサーンに亡命する森の中でもアスギルの結界がイオ達を守ってくれていた。
けれどモーリスの妻と娘は純血種の魔物によって命を落としているのだ。モーリスにも酷い怪我を負ったあとが今も残されている。
羽蜥蜴と呼ばれる魔物はイオも名前だけは知っていた。山の様に巨大で獰猛な蜥蜴で恐ろしい、見た目以上の力で襲いかかって来るのだという。羽があるが飛べるわけではなく、首を落とせば死ぬが大きな見た目に反し俊敏で、倒す事が出来る騎士や結界師はごく少数。存在に気付いた時点で逃げ出すのが確実に助かる方法だ。
魔物討伐の基礎を学ぶ新人研修だ、それ程危険な場所には踏み込まないだろう。それでも予定が狂えば不安になる。激しく叩きつける雨音の中に喧騒が交じりふいに門の方へ顔を向ければ、騎乗した騎士の一団が現れ、イオは道を少しでも広く開けようと背を壁に貼り付かせた。すると先頭を走る馬がイオの目の前で止まり、騎乗の主が雨具のフードを持ち上げ碧い瞳でイオを見下ろす。
「こんな所で―――」
驚いたように瞳を瞬かせたレオンは、たった今潜った門の前で敬礼する門番に向かって声を上げた。
「彼女を無事屋敷まで送りとどけよ!」
「えっ、あ、はっ!」
急な命令に戸惑った門番だったが新たに敬礼し了解の声を上げる。イオはレオンの様子に戸惑い馬に駆け寄った。
「何かあったんですか?」
雨音にかき消されないよう声を上げると、少し戸惑いながらもレオンは僅かに身を屈める。
「演習場所で魔物の大発生が起き、隊よりの連絡が途絶えている。」
「そんなっ―――!」
息をのむイオにレオンは心配ないと諭すが表情は穏やかではない。
「騎士団長自らが出陣する程なのでしょう?!」
「今回が特別な訳じゃない。私は何時も出る。」
無意識に腰の剣に触れながら答えるレオンに、イオは唇を噛んで後ろに下がり道を開けた。
「どうかご無事で。」
「安心しろ、アルフェオンは強い。イグジュアートも無事だ。」
レオンは一つ頷くと馬の腹を蹴り激しい雨の中、隊を率いて暗闇に消えて行った。
*****
新米騎士を対象とした恒例の魔物討伐訓練。喜ばしい事に近頃は魔物の減少が著しく、今年は都より離れた森への遠征となった。
五十人余りの騎士達をいくつかのグループに分け、豊かな経験のある騎士が指導・見守りをしながら魔物討伐にあたる。実力に合わせて小隊が組まれ、その中でも落ちこぼれにあたる三人をアルフェオンが受け持っており、イグジュアートは新人でも特に実力のある小隊に属していた。
新米騎士のほとんどが魔物と対峙するのは初めてだ。アルフェオンが担当した三人は実力は並みに評価されるが自分に自信がなかったり、怖気づいたりといった心に問題を抱える三人。十代中頃の少年が魔物と対峙したならそれが当たり前かもしれないが、騎士になったからにはそうはいかない。国境間のいざこざはあるが戦争で戦うよりも街の治安維持や魔物討伐が騎士としての主な仕事となるのだ。己の実力を正しく知り、敵を相手に怯まぬ力を身につけてこそ技も生きるというもの。
心に問題を抱えた三人だったが運の良い事に根が素直だった。魔物を前に怖気付き躊躇いながらもアルフェオンの言葉通りに動く努力を欠かさない。初めのうちは動きが鈍くすぐに危険な状態に陥り、幾度となく助け船を出さなければならなかった三人も、アルフェオンの言葉通りに動けば怪我を追わずに魔物を倒せると学び、己が魔物を倒したという自信がついて来ると、自ら考えて動けるようにまで進歩していた。
事件が起きたのは二日目の夜だ。野営中に見張りの新人が異変に気付き、仲間と連れ立って様子を見に行ったきり戻って来なかった。魔物が巣食う森で野営しているのだという危機感がなかったのか、己の実力をかい被ったのか。見張りの三人は誰に知らせるでもなく連れ立って陣を後にしたようで、次の見張りが交代時間になって目を覚まして初めて仲間の不在に気が付く。討伐訓練の責任者たるグレンに報告がなされる頃には、アルフェオンも異変に気付き残った人数と不在者の確認にあたっていた。
「事態は?」
「ギス、ファウル、ナーカス三人の姿が見えません。それと、魔力の気配がします。」
「なんだと?」
責任者であるグレンもアルフェオンが魔力を感じ取れる体質である事は承知している。そしてこの状況で報告しているという事は、魔力の気配が魔物のものであると言っているのだとも解っていた。
「近くか?」
尋ねながらグレンが腕を振り、周囲に動作で注意を促す。野営中に魔物に襲われるのも想定内だが、アルフェオンが見据える暗闇の先にグレン自身も並々ならぬ気配を感じていた。
「新人はこのまま下がらせた方がいいでしょう。」
騎士として培った経験から判断を下す。実力不足の新人をかまっている暇はないし、ここで無駄に命を削らせる訳にはいかない。彼らにはまだ無理な相手だとの意見に隊の責任者であるグレンも同意した。闇の向こうの敵が何なのか慎重に見極める必要がある。グレンは新人の中でも使える人材だけを残すと後は退避するよう指示を出したのだが、新人が退避を始めると同時に闇の中から一斉に大量の何かが飛び出して来た。
兎の様にぴょんぴょんと飛び跳ねる生き物。姿形は筒状で柔かく動く軟体生物。大きさは大人の男が掌を広げたよりも少し大きい程度だが俊敏で厄介な新種の魔物だ。度々大発生を起こし小さな動物から人間まで見境なく襲う。その襲い方だが柔かい体を平らに変形させ、獲物の口と鼻を塞ぎ窒息死させた後で血を一滴残らず吸い尽くすというものだ。大きさに似合わず大食漢で、一匹で人間の子供一人分の血液を吸い尽くすのである。
それが何百という大軍で一気に襲いかかって来たのだ。アルフェオンが最初の一匹を剣で叩き斬ると同時に、グレンが剣を抜きながら退避と伝令の指示を出した。魔物の大発生を知らせに馬に飛び乗り走る新人騎士を守る様に騎士が前に出て魔物を叩き斬り、木に繋がれた馬達の手綱が切られ森へと放たれた。
「川を目指すぞ!」
目を持たぬ魔物は獲物の体温をあてに飛びかかって来るので、水に入れば攻撃が落ち着く。グレンの指示に水場の方角へと皆が動き出すが、逃げ遅れた新人たちの中にも被害者が出始めていた。
鼻と口を覆う魔物を剣で剥ぎ取る。肌に傷がつくが窒息するよりましだった。同行した結界師は傷の手当てよりも結界を張るのに忙しい。その結界もグレンの指示で魔物に慣れない新人騎士たちを優先に向けられていた。
川に辿り着いた一行は次々に水に飛び込んで行く。魔物は獲物を見失うがやがて気付いて水に飛び込み多くが溺れ流され、一部は剣の錆となった。
「やばい事になったな。」
グレンの呟きにアルフェオンが頷くと、魔物の脅威が去りほっと息をつく新人たちの中からイグジュアートがアルフェオンに近寄ってきた。
「やばいって何が?」
小声で尋ねたイグジュアートに、アルフェオンは周囲を警戒しながらそっと囁く。
「あれの大発生は羽蜥蜴の死体に寄生した事によって起こるとされている。ただの屍ならいいが、出産で死んだ羽蜥蜴に寄生したのだとすると、子供が二匹と番の雄が近くにいる可能性が高い。」
「出会いでもしたら全滅だ。」
新人たちを驚かせまいとイグジュアートにだけ囁いたアルフェオンに反し、グレンは口角を上げ野太く声を上げた。
羽蜥蜴という魔物は滅多に遭遇する魔物ではないが、遭遇したら命はないというのが常識だ。雌は一生に二匹の子供しか産めない。それは宿った子が雌の腹を食い破って出て来るからで、雌は出産と同時に命を落とすのだ。生まれるのはほとんどが雌だが、無事に産んでも二匹しか産み落とせない羽蜥蜴はいずれ滅ぶ魔物だと言われ、確認されている数も数えるほどしかない稀な存在なのだ。
本来なら近付かずにそっとしておくのが理想。だが今回の遠征で入った森は羽蜥蜴の様な危険な魔物の存在は確認されておらず、いくつもの村が森の近くに点在していた。騎士団としては見過ごすわけにはいかない。
「連絡を絶って本隊を待つか。」
魔物の大発生の報告はなされた。その後に何の連絡もなければ騎士団長が先頭に立ち駆けつけて来る。最初に出した伝令が不幸にも羽蜥蜴に遭遇し命を落としていたとしても、連絡が途絶えた時点で答えは同じだ。新人たちは近隣の村の護衛を理由に退避させ、結界師と騎士で調査にあたる事になった。所在は何処かの村を経由する騎士団長に新人より報告させればいい。
動くのは日が昇ってからだ。羽蜥蜴という魔物の危険があるため逃がした馬の回収もそれからになる。それまでに水辺で獲物を待つ吸血鬼を始末せねばと、未だ残る途方もない数の魔物に一同が向き直った。




