頬に感じる温もり
手短に話されたが経緯は解った。時間も時間だし後は自分が話を聞くとアルフェオンが場を締める。レオンも異議はなく、愛人云々の話で更に疲れ王太子への訪問を前に思案を巡らせて頭を抱えていた。
数刻もすれば夜が明ける。王太子によればイオは翌日休みになっているというが、放り出した仕事もあるのでちゃんと出るつもりだ。イオよりも更に体力勝負となるイグジュアートやアルフェオンにとって休息は重要。屋敷までは歩いて帰れる距離ではあったが、三人はエディウに勧められるまま用意された馬車に乗り込み帰路についた。
屋敷に着くなり根掘り葉掘り聞きたがるイグジュアートを強引に寝室に送り、寝台に押し込んで眠るまで手を握ってやる。心配するイグジュアートに本当に何もなかったから大丈夫だと笑顔で言い聞かせた。
納得しきっていない感のイグジュアートだったが、イオが側で手を握っていると間もなく穏やかな寝息を立て始める。イオはイグジュアートが深く眠ったのを確認すると額にそっと口付け、ありがとうと囁き部屋を出ると、暗闇の中にアルフェオンが待っていた。
心配や不安を素直に表に出せるイグジュアートと違い、アルフェオンは一歩引いた場所でイオを見守ってくれている。さっきだって自分も聞きたい事があっただろうに、興奮するイグジュアートが行き過ぎるまでは好きなだけ言わせていた。
「とにかく怪我がなくてほっとしたよ。」
穏やかな声色にイオもほっと息を吐く。
「本当に心配をかけてしまってごめんなさい。」
「眠れそう?」
優しく問われ大丈夫といいかけたイオだったが、ふいにそれではいけないと感じて首を横に振った。
「興奮しちゃってるから無理かも。でも横にはなりたい。」
「じゃあ部屋で待っていて。誘眠効果のあるお茶を入れて持って行くよ。」
「それならわたしが―――」
階下に降りようとするイオをアルフェオンがやんわりと制した。
「王太子と対峙したんだ、疲れているだろう。私にやらせてくれ。」
「えっと…それじゃあお願いします。」
横になっていていいからと階下に降りるアルフェオンを見送り、イオは部屋に入って明かりを灯すと寝台に腰かけ長い息を吐いた。
アルフェオンの言う通り王太子と向き合ってそうとう疲れていた。公爵の嫡男とか王の庶子とかそういった肩書を持つ二人に対して、初めは身分を知らずに接していたのが功を奏したのか、振り返るとそれ程気負わずに済んだように思える。けれど今回は違う。王太子として目の前に立たれ、威圧され、緊張が最高潮に達したのか最後はもう自分でも訳がわからず滅茶苦茶だった。散々な一日だったけれど、王太子と対峙して大切なことに気付かされたのは不幸中の幸いだろう。
生活の基盤も出来たし屋敷を出てもいいんじゃないかと提案したイグジュアートは、三人一緒にというのが前提だった。これまでのイオが自ら提案していたなら一人でというのが真っ先に来ていただろう。イグジュアートは大きな問題につながる背景を抱えているし、アルフェオンはイグジュアートの側を離れない。単なる旅の道連れであっただけのイオは、イクサーンでの生活を本来は一人でやっていく筈だったのだ。
今日王太子に出会っていなければいずれ『屋敷を出たい』と提案し、二人を傷付けていただろう。一人でが前提としてあったイオは線引きされる側の心情を理解していなかったのだ。家族として生きて行くと決めていたのに、手を広げてくれる二人に自分からは交わろうとはしていなかったのかもしれない。特にアルフェオンはイオを巻き込んでしまったという後ろめたさを感じている。そんな彼をどうにかして解放してやりたいという思いがあるのだ。
ほどなくしてカップを二つ持ったアルフェオンが僅かに開かれたままになっていた扉を押し開き入って来ると、イオは座ったままでアルフェオンからカップを受け取り香を吸い込んだ。
「少し熱いけど直ぐに冷めるよ。」
「熱いのは平気だから。ほっとする香ね。」
控えた甘さに香るカップに口をつけると、椅子に座ったアルフェオンも同様に香を吸い込み口をつけた。そしてほんの少しの沈黙の後にカップを置いたアルフェオンが口を開く。
「魔力の暴走の事だけど。」
イオはカップを手にしたままアルフェオンに視線を合わせ小さく頷いた。
「モーリス殿に教えを請うのが最良の策だと思う。」
イオは気まずさもありずっと顔を合わせていない魔法使いの姿を脳裏に浮かべた。
彼に再会するのはイオが医学を学び治癒魔法を習得する時。その時には恥も外聞もかなぐり捨てて非礼を詫びるつもりでいたのだ。前向きな結果を手に向き合いたいと思っていたのだが、まさか思わぬ事故でそれを実現しなければならなくなろうとは。イオは息を吐いてカップの中の液体を眺めた。
「今回は大きな問題に発展しなかったからよかったが、他者に怪我でも負わせればイオ、君だって深く傷付く筈だ。まして私やイグジュアートを庇う形での暴発となれば心穏やかではいられない。」
モーリスからアスギルと闇の魔法使いを結び付けられ怒りをあらわにした時には起こり得なかった暴発が、アルフェオンとイグジュアートを盾に取られあっさり起きてしまった。イオ自身にはどうしてそうなったのか、両者の違いが何かなんて皆目見当もつかなかったが、怒りや悲しみの感情が魔力を暴発させるのだとするならその機会は今後も少なくない筈である。
「魔法も使えない私が押し付けるのはおかしいと解っている。けれど私も君を奪われるのは嫌なんだ。」
イオの秘められていた魔力が開放されてより、アルフェオンにもその常人離れした魔力の巨大さは見て取れた。しかも見える魔力が全てではなく、アスギルによって解放された力は本来の半分にも満たないのだという。それ程の力を秘めておきながら物理的被害が着衣の粉砕で済んで本当によかったと胸を撫で下ろす程だ。一歩間違えばイオ自身の身を傷付けていたかもしれないし、側にいた王太子に危害が及んでいたならイオはアルフェオンの前には戻ってはこれなかっただろう。
「私も一緒に訪ねよう。」
医学の知識を得てからと決めているイオにとっては戸惑いが大きいだろうと案じれば、イオはゆっくりと首を横に振って顔を上げた。
「一人で大丈夫、ちゃんとモーリスさんに相談して来るよ。わたしもアルとイグの所に帰ってこれなくなるのは嫌だし。」
遠慮ではなく非礼を尽くした後悔もあった。
モーリスの側にも意図するところがあっただろう。アスギルに繋がる存在だからと面倒を見てくれたのは、モーリス自身が望んだものではなかった筈だ。それでもイオが魔力を感じ魔法を使える様にまで指導してくれたのはモーリスだ。不気味な屋敷に隠れる様に住まう様子から本来は人と接するのが嫌いなのだと窺えるが、不本意でも最後まで面倒を見てくれると言ってくれた人。
アスギルの件では謝らない。人の数だけ様々な考えがあるだろうし、闇の魔法使い復活が事実なら世界の命運も掛かっているのだから尚の事。だからこそモーリス達の考えは数ある一つとして受け入れ、大人気なく声を上げて逃げ出した非礼は詫びる必要があるが、イオがアスギルを信じる気持ちは変わらない。もしも、もしもだ。アスギルにそんな過去があったとするなら排除するのではなくちゃんと受け止めてやる。何百年前の話だ、魔法使いは未来永劫許されてはならないなどという馬鹿げた決まりがない事はイクサーンに来て学んだ。
「次の休みにでも相談に行く。」
「そうか。必要なら声をかけてくれ。」
「心配してくれて、ありがとう。」
ごめんねの言葉を飲み込み笑顔を見せると、同じようにアルフェオンも笑顔を返してくれる。そして徐に立ち上がり腕を伸ばすとイオの頬にそっと触れた。
動かず黙って見上げると、穏やかな微笑みがイオを包み込んでいる。
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
アルフェオンは飲みかけのカップを片手に部屋を出て行き、それを見送ったイオは残ったお茶をゆっくりと飲み干してごろんと寝転がった。
アルフェオンが触れた頬にそっと指を滑らせると、カップの温もりを受けた掌より更に熱くなっていた。どことなく恥ずかしくて、けれど嬉しくて。自然と零れる微笑みと共にじんわりと心が温もりを覚える。
眠れないだろうとの予想に反し、瞼を閉じれば瞬く間に夢の世界へと誘われ、朝までは短い時ではあったが十分な憩いをイオに齎してくれた。




