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心の鎖  作者: momo
四章 イクサーンの春
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56/100

開放



 すっかり夜も更けた頃、イオは窓の外に広がる闇に視線を向け溜息を落とした。


 「どうした。せっかくそなたが勝ちそうだというのに心ここにあらずだな。」

 「いいえ、そんなことは―――!」


 イオは首を振りながら手にしたカードに意識を戻しつつ、自分の置かれた状況に疑問符ばかりを浮かべた。


 どうしてこんな事に?

 どうして自分は王太子殿下と寝台の上で膝を突き合わせ遊んでいるのか?

 カードゲームに興じる為に呼ばれたのか?

 暇つぶし?

 そもそも王太子って暇なの?

 イグジュアート、怒ってるよね?

 イグもアルも心配してるよね?

 そろそろ飽きて帰してくれないかしら???


 「帳も下りたな。そろそろ眠くなって来たか?」

 「そうですね!」

 

 おお、やっと解放されると心の内で両手を上げ大喜びしながらカードを片付ける。箱に綺麗にしまうと寝そべったファウルが掛布を上げて微笑んだ。


 「さあおいで。」

 「何の冗談ですか?」


 三十に手が届かんとする男と二十の娘。互いにいい大人だ。それが『さあおいで?』。そろそろ戯れに付き合うのも苦痛となってきたイオの思考回路はすっかり戸惑っていた。


 「そろそろお暇を―――」

 「そんなあられもない姿で?」


 そう、イオは未だにファウルから借りたシャツを一枚来ただけの恥ずかしい恰好のままだ。幾度かそれとなく訴えたが脱がされた下着とドレスは返って来ない。笑顔でのらりくらりとかわすファウルに対し、身分の手前強く言えないでいるイオにもそろそろ限界が近付いて来ていた。


 「もういいですよ、今更ですし。」


 こんな姿で城を歩けば不審者認定され牢屋行きは間違いなしだろうが、最悪の事態となってもイオはこの国の最高権力者を知っているのである。

 認めたくはないがあの人がイクサーン国王であることくらい早々に気付いていた。こんな小娘が国王と知り合い? 笑わせるなと爆笑されたって構わない。それなら次は騎士団長であるレオンに頼るまでだ。そもそもここを出て最初に遭遇するのが女官なら服を貸してくれるだろうし、投獄される前には何とかなるだろうとファウルを無視して寝台を降りようとすれば腕を引かれ容易く倒された。


 「本気か? なんて娘だ。」


 呆れた様子のファウルに上から覗きこまれるが、密室に二人きりで過ごしたせいか身に危険が及ばないのはなんとなくわかっている。言葉や態度で示されても甘い空気など少しも漂いはしないのだ。


 「色々と反故にしてしまった約束もありまして。」

 「そなたの職場には明日までの休みを通させておるが?」

 「そっ、そうなんですか?」

 「春風祭の衣装も届けさせた。」

 「そうですか。ご迷惑をかけました。」


 迷惑をかけられたのはこちらだが相手が相手なので礼は述べておく。


 「けれどそれだけが約束ではないのです。」

 「花を渡した相手か?」

 「花?」


 サリィが髪飾りとして付けてくれた白い花の事だったが、すっかり忘れているイオにはピンとこなかった。「まぁよい」とファウルはイオから離れ、寝台の横に置かれた呼び鈴を鳴らす。間を置く事無く扉が叩かれると年配の女官が姿を現し深々と頭を下げた。


 「あれは来ておるか?」

 「夕刻より控えの間で御待ちでございます。」

 「よい、通せ。」

 「かしこまりました。」


 女官は丁寧に頭を下げると音もなく扉を閉める。あれとは誰のことかと考えながら、人が来るのであるならこんな恰好では不味いと寝台を降りようとした所、またもやファウルの腕が伸びて引き戻された。


 「ちょっ、人が来ますよね?」

 「よいのだ。」


 何が良いものか。慌てるイオを後ろから抱き竦めるように腕を回したファウルがイオの肩に顎を乗せて来た。このエロい感触は何だ? 薄布越しに大人の男の体温が伝わり真っ赤になる。少し伸びたファウルの髭がチクリと首筋に当たりぞわりとした感触が全身を駆け巡った。


 「殿下っ?!」


 王太子でなければ突きとばし蹴りをお見舞いしている。何よこれ、こんな状態を誰かに見られたら勘違いされるじゃないかともがくイオを嘲笑うかに、ファウルは更に後ろから体重を預けイオを拘束した。


 潰されると重みを支えきれなくなり前に手をつけば、殴る様に扉が叩かれ返事も待たず乱暴に押し開かれる。


 「失礼致し―――!」


 現れたのはファウルと同じ金髪碧眼の青年。

 押し入る様に飛び込んで来たレオンは室内の状況に驚いたのか、扉を押し開いたままの状態で固まり寝台の上を凝視していた。


 「レオン様……」


 やっと解放されると、見知った顔を目にしたイオの瞳に安堵の涙が滲む。囁く様な小さな声だったがイオの呼び声を受け取ったレオンが我にかえると、あられもない光景に顔を歪め沈痛な面持ちを向けた。 


 「夕刻から待っておったそうだな。団長業は返上か?」

 「私は彼女に対して責任があります。」

 「陛下のご命令か。」

 「それ以前にです。」


 兄弟なのによそよそしいと感じる会話だった。王族を辞して臣下に下るとはこういう事なのかとイオは二人のやり取りを邪魔しないよう、ファウルの腕の中で空気と一体化するかに息を顰める。


 「彼女を引き取りに参りました。」

 「怒っておるのか?」

 「いいえ。」

 「無理やり連れて来た訳ではないぞ。なぁ、そうであろう?」

 

 ふいに問われ『え?』とファウルを仰ぎ見ると、レオンと同じ色の瞳が楽しそうに輝いていた。対するレオンは不快そうに瞳を揺らしてる。


 「無理やりでは……助けて頂きました。」


 自分のせいで兄弟の間に亀裂を生む訳にはいかない。言葉を慎重に選びながら真実だけを口に乗せると、ファウルが満足そうに頷きイオから手を離して寝台を下りた。そして棚から布に包まれた品を取りだすとイオに差し出す。


 何だろうと首を傾げ布を開くと、見慣れぬ女物のワンピースと下着が現れた。アルフェオンのハンカチまで綺麗に洗濯されご丁寧に火熨斗まであてられている。


 「迎えだ。そのままで帰す訳にはいかぬからな。」

 「あったんじゃないですか!」


 苦情を漏らしても仕方がないだろう。着替えがあったにもかかわらずこんな恰好のまま付き合わされていたのかと思うと、権力者の戯れの恐ろしさにイオは怒りを覚えた。

 

 「その姿が創作意欲をそそったのだ。許せ。」

 

 許せも何も楽しそうに笑顔で言い放つファウルからは悪いと反省している様子は全くうかがえない。もういいや、兎に角やっと帰れる様だと溜息を零しながらイオは寝台を下りた。


 「先程のお部屋をお借りしても宜しいですか?」

 

 ぐるりと見渡すが、寝室には衝立もなくファウルとレオンがいては着替える場所がない。

 

 「今更隠す必要はあるまい。そなたの裸体はなかなかに美しかった。誇って良いぞ。」

 「―――っ、お借りしますからっ!!」


 レオンの前でいったい何を言ってんだこいつは、絶対頭がおかしいぞと真っ赤になり憤慨しながら絵具臭い部屋に飛び込んだ。駆け込む途中もファウルの楽しそうな笑い声が追いかけて来る。遮断する様に扉を閉め、深呼吸を繰り返して気を落ち着けた。


 「何なのよもうっ、最初は訝しんでたくせに!」


 レオンに近付く悪女か何かの様に見られ品定めされた。そうでないと解ってくれたのかボケているのか、その後は何故か必要以上に近い距離で接して来る。話していると意地悪なようでいて単にからかわれているのだと解るのだが、付き合わされる身になるとたまったもんじゃない。


 それにレオンに対する態度も気になった。

 弟を心配する兄の様でいて、顔を合わせると棘のある物言い。それでもファウルだけが楽しそうなのだ。まぁそれはレオンが兄を王太子と敬い一線を引いているからなのかもしれないが。


 「あ、そうか。ファウル様はかまってもらいたいんだわ。」

 

 男の子が好きな女の子に意地悪するというあれにそっくりだと今更ながら気付いた。だからってまったく無関係な人間を巻き込まないで欲しいものだ。木から落ちて助けてくれた時に近衛騎士がファウルになにやら囁いたのは、イオがレオンに保護されている人間の一人だと詳しく教えたに違いない。



 着替えを済ませファウルの寝室に戻ると、悲痛な表情のレオンに迎えられた。血の気を引かせ痛ましい彼の顔には申し訳ないと書かれてあり、すぐ側にはファウルが機嫌よく微笑んでいる。イオの姿やファウルの言動で色々と勘違いをしているのは容易く予想され、またそれを自分の責任だとでも思っているのか、揺れる碧い瞳が痛々しく逆に申し訳なくなる程だ。ここを出たら早々に訂正しなければとイオは大きく息を吐いた。


 「これは洗ってお返しいたします。それと一枚無駄にしてしまい申し訳ありません。」


 一枚目の無駄は一歩間違えばイクサーンの王太子に傷を負わせかねない危険な行為だった。イオの意図に反したものだったとはいえ、己の恥を曝す程度で済んで本当によかったと改めて胸を撫で下ろす。


 頭を下げるイオから「かまわない」と脱いだシャツを少しばかり強引に受け取ったファウルは、それをそっと鼻にあてた。


 「そなたの匂いがする。」


 ここに来て変態発言ですか?!


 青い瞳に捕われぞわりと泡立った所へ、「いくぞ」と語気を強めたレオンがイオの腕を引いた。


 「そなた、名は何であったか?」

 

 今更ですかと思うが、そう言えば一度も名乗っていなかったのを思い出し慌ててファウルに体を向けた。


 「イオです。王太子殿下には助けて頂き深く感謝いたしております。本当に大変お世話になりました。」


 木から落ちて怪我をした所を助けてくれたのはファウルだ。直接手をかけずに近衛に任せたが指示を出したのは彼に他ならない。

 ファウルは満足気に頷いた。


 「絵が出来上がったらそなたを茶に招待致そう。ああそうだ、あの肖像画の修復がすんだらそなたを呼ぼう。レオンに連れて来てもらうといい。」


 名を名乗っても呼ばれはしないらしい。王太子の様な身分の人は『そなた』とか『あれ』で事足りてしまうのだ。


 お茶の招待はいらないが、せっかく描いてくれたのだし完成品を見てみたい。社交辞令だとしてもなんとなく嬉しかった。けれどあの肖像画とはどれだろうと首を捻りながら、あああれかと思い出す。


 「魔法使い!」

 「気に入ったのであろう。私も修復されたあれがどうなるか楽しみなのだ。」

 「機会を頂けるのなら、是非。」


 イグジュアートにそっくりだった、闇の魔法使いを封印した一人。名はうろ覚えなので出て来ないが、時代が違えばイグジュアートの母親かと疑っていただろう。


 イオはレオンに背を押されながら、最終的には気分良く王太子の居室を後にした。




 *****


 二人を見送ったファウルは優雅な足取りで趣味の部屋である隣室の扉を開いた。


 ここは王太子であるファウルが唯一心身ともに一人になれる憩いの場所。掃除で人を入れるのも嫌うここに他人を入れたのはイオと名乗る娘が初めてであった。妃を招待した事はないが臭いを厭い中には入って来ないだろう。


 あの娘が置かれている立場は十分に理解している。闇の魔法使いと繋がる貴重な存在として国王までもが慎重に様子を窺っているのだ。心の介入はレオンに任せているようだが、どうやらレオンは王命を通り越し本気で娘に惚れているらしいとの情報はかなり早い段階でファウルのもとに齎されていた。


 ファウルは修復前の絵を画架に乗せ、それを良く観察した。

 何百年も昔に描かれながら、忘れ去られ埃を被っていた肖像画。ひび割れた絵具はぼろぼろで黴も生えており原型を留めない。それでも人の目を引き付ける美貌の主は、闇の魔法使いを封印し賢者とも呼ばれるフィルネスだと作者の筆文字が語っていた。


 これに目を止めた娘は美貌に惹かれたのではなく、何故ここにとほんの一瞬疑問を浮かべた。娘を注意深く見守っていたファウルは、娘からじんわりと溢れ出す魔力を感じ取る。

 それは不快なものではなく、懐かしさを孕んだもの。


 何故懐かしむのか―――淡い紫の瞳は興味に代わっていたのに溢れる魔力が何故懐かしさを孕んでいるのかが解らなかった。


 その様をモーリスが見ていたなら何らかの答えが出せただろう。しかし見守っていたのは大した魔法も使えないファウル一人。何があるのか解らない。けれどあの瞬間、フィルネスと娘との間には何かがあるのだと感じたのだ。


 「娘自身に害があるとは感じぬのだがな―――」


 何かがある。

 ファウルは己の勘が外れていないと確信していた。


 

 




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