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心の鎖  作者: momo
四章 イクサーンの春
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王太子




 やはりこれは……貞操の危険だと判断するべきなのだろうか。


 庶民の生まれで外国人、イオ自身は高貴な人間に興味を引かれる材料は持ち合わせていないつもりだ。何せ初対面、それもイクサーンの王太子が自分なんかにそれを求める訳がない!!


 と、悠長に構えてるには流石に無理のある状況。なんでこうなったと天蓋付きの寝台の上、下着も付けずに薄い寝巻き一枚だけを着せられ鎮座している。膝下までの衣からは先程指摘された白い足が剥き出しになっていた。


 相手はあのレオンの兄だ、いい大人だし馬鹿ではないだろう。見た感じイオよりも十歳は年上だし、王太子ともなると常に美女を侍らせているに違いない。木に上って落下する猿の様な娘に欲情だなんて―――絶対にあり得ない。たとえ王太子が変わり者であったとしても絶対に有り得ないと無理矢理納得しておきたい。




 近衛騎士に王太子と別の部屋に運ばれた時はほっとしたのだ。厳しい感じの彼だったが医師を呼んでくれきちんと手当てを受けて痛みも綺麗さっぱり消えた。改めて礼をと顔を上げた時には彼の姿は無く、代わりに数人の女官が怖い顔でイオを見下ろしていた。


 それからが戦場だった。

 腕を拘束され連れて行かれたのはだだっ広い浴室。温泉が湧き出ていて何時でも好きな時間に利用できるんだとイオに自慢しながら、女官は遠慮なくイオの服を脱がせると湯船に放り込んだ。怖かった表情を隠し笑顔を浮かべてはいるが、力ずくでごしごしと髪や体を洗われると恐怖しか感じず抵抗するのは危険と判断し黙って従った。

 洗いあげられるとイオの白い肌には拘束されたせいで出来た痣や、体を洗う時にできた爪の引っかき傷やらで悲惨な状態だったが、女官の中に魔法を使う者がいて綺麗に癒やされた。証拠隠滅である。


 そして放り込まれたのがこの部屋、場所だ。


 広い、無駄に広過ぎる。用途は解るが見た事もない高価な調度品に囲まれ、ちょっとでも触れて壊しでもしたら首が飛ぶんだろうなと想像して竦み上がった。


 どうしよう、かなり不味い状況なのは確かだ。世話になるレオンに迷惑がかかるというのを十分考慮しても逃げ出して構わないだろう。たかが娘一人の純潔など高貴な身分の人たちからしたらゴミみたいなものだとしてもイオにとっては大問題だ。一時の酔狂で散らされてはたまらないと無駄に大きな寝台を降りようとすれば扉が叩かれ、女官が美味しそうな匂いを漂わせるカートを押して入室してきた。

 現れた女官はイオには目もくれず、慣れた手つきでセッティングを済ませると一度も視線を合わせずに退出してしまった。


 成り行きを見送ったイオは美味しそうな香りにお腹を鳴らす。本当ならイグジュアートと遅い昼食を楽しんでいた筈だったのだ。イグジュアートの事だからイオが見当たらないと捜してくれているに違いなく、もしかしたら心配して屋敷まで戻って行ったかもしれない。


 ああ、イグジュアートの為にも空腹に腹を鳴らすよりここから逃げ出さなければ!

 しかし無情にも腰を上げると同時に、今度は女官ではなく部屋の主である王太子ファウルが姿を現してしまった。


 今回は近衛に囲まれていない。動いた碧い瞳に慌てて足を隠せば、お前など誰が相手にするかという様にふんと鼻で笑われた。


 それなら何でこんな恰好でこんな場所に放置するんだとむっとして眉間に皺を寄せると、ファウルが真っ直ぐにイオの方へ歩み寄り寝台に腰を下ろした。


 「訳が分からぬといった表情かおだな。」

 「その通りでございます。」


 怯まず返答すれば意外な顔をされた。権力を前にずぶ濡れの子ウサギの様に震え押し黙っている姿でも想像していたのか。負けないと無礼を承知で睨むように視線をそらさずにいると、ファウルが寝台に膝を乗せ押し迫って来た。


 慌てて後ろに後退するがすぐに追い詰められる。迫るのを止めないファウルが流石に恐ろしくなり硬く目を閉じて顔を背けると、ファウルの息使いと体温を首元に感じて声を上げそうになり慌てて手で口を覆った。


 「そなた―――レオンの情婦ではないのか?」

 

 耳元で囁かれ息が触れる。イオは悲鳴を押し殺し目を閉じたままフルフルと小さく首を振った。


 「御覧の通り、貴人の目に止める様な形をしてはおりません。」

 「溢れる魔力を抜きにしてもいけると思うがな。」


 衣ずれの音と共に体温が遠のきほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、あっと声を上げる間もなく腕を取られ真っ白なシーツの上に転がされていた。


 アルフェオンやレオンに比べるとずっと線が細い。それでも大人の男だ。イオが恐怖を覚えて青褪めると見下ろすファウルは瞳を輝かせ口角を上げた。


 「生娘か。」


 質問か呟きか。

 答えるのが正解か不正解なのか解らないままファウルを見上げる。お願いだから興味を抱かないでと必死で願い、体は緊張でしっとりと汗ばんでいた。


 「そう構えるな、取って喰いはせん。」

 

 とてもそうは思えない体勢だが、イオはファウルの言葉を必死に信じようとする。しかし言葉とは裏腹にファウルは両手をついてイオを囲ったままその場を動こうとはしない。じっと視線を合わせどんな人間なのか見極めようとでもするように硬い表情で射殺す様に上から見下ろしていた。


 緊張と静けさの中、己を主張するかにイオの腹が『ぐう』となり、イオは羞恥で一気に顔を熱くする。


 「そうだ、腹が空いているだろうと食事を用意させたのだった。」


 見下ろすファウルが眉間に皺を刻んだので失敗したと再度青褪めたイオだったが、ファウルがゆっくりと身を起こしたのを見て羞恥など忘れ去った。

 どうやら怒ってはいない様で硬い表情を緩めてくれた。でかしたぞ腹の虫、空腹で良かったとイオは心の中で盛大に拍手しながら喜びに泣く。


 勧められたのは野菜と柔らかく煮込まれた肉が挟まれたサンドイッチ。イオを誘導する様にしながら先に席についたファウルは手を付けず、イオの為だけに準備されたのだと解る軽食だった。目の前に座るファウルは繊細そうでいて威圧感が半端なく、庶民が手に取り口にする様な品を食する様はとても想像できなかった。


 柔かなパンに包まれた高級な肉と新鮮な野菜は大変な美味であったが、緊張のせいか食が進まない。じっと見られているのも影響しているだろう。それでも残すのはいけないと頑張って頬張り租借していると「見た目に反してよく食べるのだな」との感想を頂いた。


 「御馳走様でした、とても美味しかったです。」


 食べ終えると口を拭いて礼を述べ、うむと頷いたファウルに恐る恐る聞いてみた。

 

 「あのう、ファウル様。」

 「なんだ?」

 「そろそろお暇させていただいても?」

 「……食い逃げする気か?」

 「えっ?!」

 「冗談だ。」


 イオが絶句すると声を上げて笑われる。大きなお城に住んで綺麗な物に囲まれて、そんな人から『食い逃げ』という言葉が飛び出したのも意外だった。手掴みで物を食すよりも似合わない言葉だ。

 笑うファウルを前にイオは気を取り直して身を引き締める。


 「殿下の様な御方がわたしに用があるとは思えないのですが。」

 「そなたレオンをどう思うておる?」

 「レオン様ですか?」


 どうやら貴人というものは人の話を聞かないらしいが、どうやら王太子は弟の事を心配してイオを連れて来ただけのようだ。先程は『情婦では』と漏らしていたが、レオンがイオに誑かされているとでも思ったのか。もし本気でそう思うなら王太子の目はかなりの節穴だと失礼な考えが浮かんだ。


 「大変お世話になりとても感謝しています。」

 

 衣食住込みと安全まで。もともとの知りあいであるアルフェオンやカーリィーン国王の庶子たるイグジュアートならまだしも、レオンにとっては全くの部外者たるイオにまで手を差し伸べて貰っている。アスギルにかけられた闇の魔法使いの疑いは後付けだから完全な親切心だろう。


 改めて思うとレオンはかなりのお人好しではないのだろうか。権力者なのだから目の前のファウルの様に踏ん反り返っていてもいい様な物なのに。いつか必ず恩返しをしようと心に誓っていると、目の前のファウルが「つまらん」と息を吐いた。どうやら答えを間違えたらしい。


 まさか悪女でもお求めか? 弟に寄生する女狐めと拷問にでもかけたかったのだろうか。残虐性が滲み出てはいないが人はみかけによらぬ物。

 身を固くしたイオに気付いたのかファウルは口角を上げてにっと笑うと、腕を組んで長い脚を組み変えた。


 「私は生まれつき体が弱くてな。そのせいで剣技も満足に習得できず、本来なら私が背負うべき役目をレオンに背負わせる羽目に陥った。」

 「はぁ……」


 何の事を言っているかさっぱり解らないイオは曖昧な返事を漏らした。

 生まれつき体が弱いとはどの程度のものだろう。見た目は普通と変わらないが、レオンを始め剣を握る人の体と比べると確実に細くはあった。だからといって弱々しく見える訳ではないし、暴飲暴食を好み豚の様に膨れた体でもない。あくまで年相応に普通の体格だ。


 「闇の魔法使いが復活さえしなければ背負う必要のなかった役目だ。」

 「はぁ。」

 「それが原因で来春には婚姻の予定となっていた娘とも婚約破棄をせねばならなくなった。」

 「はぁ。」

 「その娘というのは先程そなたを抱えて連れて来た男の妹だ。」

 「はぁ。」

 「そなた理解できておらぬだろう?」

 「えっ、はぁ……あ、いえっ!」


 ちゃんと解っていますとイオは声を大にした。


 え~と、なんだっけ?

 婚約破棄した女性が先程イオを助けてくれた近衛の妹。ああ成程、それで彼はレオンの屋敷で世話になるイオに冷たかったのか。


 「要するにわたしが邪魔なのですね?!」 

 「その逆だ。」


 やはり解っていないなと、何故か不敵な笑みを浮かべたファウルの鋭い視線に捕らわれた。


 「婚姻を許されておらぬ訳ではないが慣例に習いそう強いられる。権力を与える訳にもいかぬので情婦として貴族の娘を宛がう訳にもいかない。だがそなたはどうだ? 異国の地で生まれ身寄りもなく、そして今はレオンの保護下にあり腹黒い輩に引き抜かれる心配もない。私が迫っても拒絶し野心もなさそうだ。哀れな弟にその身を差し出してはくれぬか?」

 「まったく意味が解りませんっ、話も見えません!」


 何を考えているんだこの人は?!

 慣習という良く解らない理由があって結婚しないのは解った。だからってイオにその捌け口になれとは唐突過ぎやしないか。あれだけの人だ、その気になれば相手は選り取りみどりだろう。貴族が駄目なら平民の中にもレオンの恋人になりたい娘は山といる。


 「初めからきちんとご説明いただけますでしょうか?!」

 「子が出来ては困るのだ。」

 「情婦なら出来ておかしくないですよ!」

 「そなたなら問題になるまい。」

 「じゃあ元婚約者でもいいんじゃないですか?!」


 やっぱりこの人とは話が通じない。

 イオが頭を抱えるとファウルは何故理解できないのだと首を捻った。


 

 




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