お着替え
春風祭の話を聞いてから当日まではあっという間だった。
騎士団宿舎での家事雑用をこなしながらの準備は日を追うごとに忙しくなる。材料を混ぜて焼いてこねて焼いてと日持ちのする焼き菓子を大量に作り上げたと思ったら、祭りの前日は大量のパンを焼き、当日は早朝から出勤して野菜や肉やらをパンに詰めて準備を整えた。
おりしも晴天、春ののどかな日差しに照らされ寝不足と重労働で疲れ切っていたイオは当然睡魔に襲われる。前掛けを外して大きな伸びをすると帰ってひと眠りする事に決めた。祭りは一緒に行ける人がいないので帰り道中見学する程度で十分だ。
「お先に失礼しま~す。」
着替えを始めた仕事仲間に別れを告げると同時に、ぐいと腕を引かれる。
「お先にって、着替えもしないで何処行くのよ?」
真っ先に着替えを済ませたサリィが目を丸くしている。疲れたから帰るのだと告げると大げさに驚かれた。
「ただ働きだけして終わりなんて後で後悔するわ。イオの衣装は…っと、これね。はい、後ろ向いて!」
「ちょっ、やめてサリィ!」
サリィは背後に回ると了解も得ずにイオの服を脱がせにかかる。慌てたイオが制止にかかるが二人の騒ぎを聞き付けた他の娘たちも加わり、イオの意志は単なる照れと勘違いされまるっきり無視された。人の波が引いた頃には真っ白でふわりとしたドレスに着替えさせられ、銀色の長い髪は綺麗に結い上げられていた。
「仕上げにちょっとお化粧するわね、紅はこれでいいかな? わぁ、もとがいいと華やぐわよね。」
「これって、別人の域じゃない?」
鏡を渡され覗いてみると、白粉を叩かれ頬紅をし、更に唇にまで紅をさしてぐっと大人っぽくなった自分と出会う。
「何言ってるの、すごく綺麗よ。イグ君が見たら喜びそうだわぁ。」
サリィは仕上げとばかりに結い上げた髪に白い花を挿しながら鏡越しに笑顔を向けた。
「一晩過ごしたい相手にこれを渡すの。」
「ええっ?!」
驚いたイオは慌てて手を伸ばし挿された花を抜き取ろうとするが、その手はサリィによってぱしりとはたき落とされる。
「ってのは冗談で、本当は告白されたら了解の返事の代わりに渡すのよ。気のない人には笑顔でサヨナラ。わかった?」
「―――わかったわ。」
分かったけど…こんな恰好をして一人でどうしろというのだ。サリィはお目当ての人がいる様だからいいとして、特に親しい友人がいる訳でもないイオにとってこの姿は恥ずかし過ぎた。
それ程若い訳でもないのに浮足立て化粧までして―――あいつ何? と白い視線でも送られるんじゃないかと恐る恐る外に出てみれば……周りは白いドレスに身を包んだ若い娘ばかりで呆気にとられる。
そうか、新米騎士が売り子として参加する城内には騎士目当てにやって来る若い娘が多いんだとやっと理解し、イオはほっとして胸を撫で下ろした。
それならこの恰好のまま城下に下りても不自然ではないかもしれない。サリィの期待には添えないが、着飾った姿をあのイグジュアートに見られるなんて恥ずかしくて出来る訳がないじゃないか。そこにいるだけで美少女…イオよりもとっくに背が伸びた美少年を前にしたら着飾った我が身など滑稽で失笑ものだ。
取り合えず疲れて眠いのに変わりないし帰路に就こう。夕方の片付けまでは昼を挟んでかなりの時間がある。サリィを含む同僚たちは元気いっぱいだったが慣れだろうか。イオにはあんな元気微塵もない。
伸びをしてから歩き出したイオの背に聞き慣れた声が届き、驚いたイオは一気に眠気が吹き飛んだ。
「イオっ!」
はずんだ声に多少引き攣り気味に振り向くと、果実酒が入った瓶を両手に抱えたイグジュアートがイオ目指して走り寄って来る。細い体だがいくつのも瓶を持ったまま軽々とした動きは流石男の子。女性の様に綺麗で整った顔は関係ないのだと実感した。
「良かった会えて。わぁ、すごく綺麗だな!」
眩い笑顔で仰るあなた様の方が何億倍も美しいとイオは目を細めた。
「恥ずかしいからあんまり見ないで。」
「え、なんで。よく似合ってるよ?」
美少女…いや、美少年のイグジュアートに褒められても我が身が恥ずかしくなるだけだ。見せたくない人の最上位人物に初っ端から出会ってしまうなんて己の間の悪さを呪うしかない。しかしながらイグジュアートに厭味がないのは百も承知なので軽く受け流し急いで話題を変えた。
「イグは今からなのね。わたしは準備で疲れたから一度帰って寝ようと思うの。片付けの時間には戻ってくるつもりよ。」
「片付けって夕方? 俺は昼過ぎまでの当番だから一眠りしたら戻って来てよ。遅くなってもいいから一緒に昼飯にしよう。」
いいよね? と、首を僅かに傾け碧眼を瞬かせる。きらきらと零れる魅力に抗えるものが果たしてこの世界にいるだろうか。
当然頷くとイグジュアートは満足そうに頷き、両手に瓶を抱えたまま走り去った。
十四歳という多感な時期にある少年。普通なら干渉されるのを嫌って家族を煙たがる年頃だろう。特別過ぎる背景がイグジュアートをイオへと繋ぎ止めてくれていたが、それもあとどのくらいの時期だろうと考えると寂しさに襲われ、春風祭という名の祭りに似合わぬ暗い雰囲気を纏ってとぼとぼと歩き出した。
暫く歩くと若い娘らの発する軽やかで楽しげな声がイオの沈んだ心に踏み入んで来た。次の春を迎える頃にはイクサーンの生活に馴染み、あんな風に祭りを楽しめるのだろうかと俯いていた顔を上げて―――後悔する。
声を上げた娘たちが纏う白いドレスはイオ達に貸し出された種類とは異なり、彼女らが城の外からやって来たのだと一目でわかった。城は解放されているので彼女たちに何ら問題はない。問題は数人の娘が取り囲んだ中心にいる人物。
彼女たちより頭一つ分大きな彼は、他人のふりをして通り過ぎようと顔を背けたイオに向かって「イオ!」と声を上げたのだ。それも無視できない程大きな声で。
なんでここで名を呼ぶんだと頬が引き攣るが、声の主であるアルフェオンはそんなのお構いなしで、自分を取り囲んでいた娘らに二言三言声をかけると体を滑らせ娘たちから逃れる様にイオに向かって走り寄って来た。そして置き去りにされた娘らは嫉妬に燃えた視線をイオへと突き付けて来る。
うん、わかるよ。あなた達の言いたい事は―――と、イオは引き攣った笑みを浮かべてアルフェオンを迎えた。
「綺麗だね、とても似合っているよ。」
「どうもありがとう。でも着付けてくれた同僚たちの腕が良かっただけよ。」
ここはもう否定するよりさらっと受け流してしまおうと、睨みつけて来る娘らを気にしつつ引き攣った笑顔を浮かべたままでいると、アルフェオンもそれに気付いたのかさりげなく体を動かし視線から庇う様に立ち位置を変えてくれた。
「無視して逃げようとしたよね。」
「な、なんのことかしら?」
イオの為に立ち位置を変えてくれたと思ったのも束の間、必要以上に距離を縮めて来るアルフェオンにイオは一歩後ずさった。
「どうして目を反らすのかな?」
「ど…どうしてって。」
腰を屈めて顔を覗き込んで来るアルフェオンからさらに逃れようとするが、今度は肩に手を置かれどんどん追い詰められた。アルフェオンの大きな体に庇われて見えないが、先程の娘達からは射殺さんばかりの視線を送られているに違いない。
「楽しそうなのに邪魔しちゃ悪い、から?」
イオが作り笑いを浮かべると、アルフェオンは呆れた様な顔をして身を起こした。
「そんな風に見えたのか?」
「えと……本当は我が身可愛さ故にです。」
ごめんなさいと謝ると、「正直で宜しい」と目元を緩めて微笑まれる。
「私もああいうのには慣れないよ。」
「うそだぁ。」
なんの冗談だとイオは思わず笑ってしまった。
カーリィーンでは公爵家の跡取りとして地位も名誉もあった人だ。イグジュアートを極秘で任せるほど王様もアルフェオンを信頼していたに違いない。剣も使える、見た目も良い。面倒見も良く何事も途中で投げ出さないし、誰からも好かれる性格をしている。一緒に暮らしていて誰かを貶めたりする言葉を聞いた事もない。貴族のご令嬢だけではなく庶民の女たちからも黄色い声が上がった筈だ。
「嘘ではないよ。カーリィーンの都は一見華やかそうではあるが、田舎に比べると陰鬱な空気に淀んでしまっていたからね。イオが住まっていた地域の方が平和で自由だった筈だ。」
アルフェオンが少しばかり寂しそうな表情を浮かべたせいで、イオも己の置かれていた状況を思い出した。
何時何処でどうやって魔法使いである事実が露見するか解らない。仲の良かった友人や隣人の密告にあうのも常識だった世界だ。たとえ魔法使いでなくてもひとたび陥れられたら審問官による厳しい追及が待っている。人の目を気にして生活するのは神経を擦り減らされるし、人の多く集まる都なら尚の事だろう。
「それよりずいぶん疲れた様子だけど、君の事だから祭りも楽しまないで屋敷に戻るつもりなんじゃないだろうね?」
陰りを消して明るく問うアルフェオンにイオも笑顔を向けた。
「そのつもりだったけどイグと約束しちゃったから、人気のない場所でも見つけて一眠りしようかなって。」
「人気のない場所って……ああ、それならいい場所を知っている。」
若い娘が人気のない場所で一眠りなんて冗談だろうと呆れかけたアルフェオンだったが、それならと思いなおしイオの背を押した。
「大丈夫よ、一人で。仕事中でしょ?」
イオは未だ鋭い視線を突き付けて来る娘らと視線を合わせないようにしながら、アルフェオンに押されるまま歩き出す。アルフェオンは新米騎士ではないのでイグジュアートの様に売り子ではないが、城に入り込む輩の警戒に当たっていた筈だ。
「あと二刻ほどは自由だから私の方こそ大丈夫だ。」
優しく穏やかな笑みの割には強引にイオを誘い歩みを進めて行く。どうやらアルフェオンもこの場を逃げ出したかったようだと、イオはなんとなく嬉しく感じながら素直に従った。




