疑問
借りたばかりの貴重な医学書を抱き締めゆっくりと城内を歩く。レオンと別れて仕事場近辺に差し掛かると遠くから名を呼ばれ歩みを止めた。
「イオ、ちょうど良かったわ!」
「どうしたのサリィ?」
一つ年下の仕事仲間が大きく手を振りながら走り寄って来る。手には書き物と巻尺が握られており、ちょっと失礼とサリィはその巻尺を使ってイオの体を採寸し始めた。
「ちょっ、ちょっとサリィ、どうしたのよ?」
「春風祭の衣装合わせに決まっているでしょう!」
「しゅんぷうさい?」
聞き慣れない言葉に首を傾げると、「ああそうか」とサリィはイオの体を採寸しながら春風祭について教えてくれた。
「来月初めに春を祝うお祭りがあるんだけど、その時に着る衣装をお城が貸してくれるのよ。城下は勿論だけど、お城も一部だけ公開されて無料で軽食や飲み物を振舞うの。料理を作ったりといった前準備はわたし達みたいな平民出身で未婚のお城勤めがやるんだけど、売り子は新米騎士の人たちの担当ね。あ、だからあなたのイグ君も担当するんじゃないかしら。イグ君が受け持つ露店の前は人だかりになるだろうなぁ。」
サリィはまるで物語に出て来るような金髪碧眼の美少年を脳裏に思い浮かべると、しばしの間空想の世界に浸っていた。『あなたの』というのはイオとイグジュアートが時々手を繋いでいる場面を目撃し、冷やかす時に使う言葉だ。サリィは顔のいい男の人なら年齢問わず恋心を抱くらしく、イオの周りで言うとアルフェオンやレオンにも恋をしているのだとか。だからと言ってイオに嫉妬心を抱いたりはしない。なにしろサリィの想う相手は両手で数えても足りない程なのだから。
自分の世界に浸ってしまったサリィを呼ぶと、彼女ははっとしてイオの採寸に戻ってきた。
「それからお祭りの午後は完全自由だから好き勝手に楽しんでいいのよ。でも夕方には片付けが始まるからお城に戻って来ないといけないのよねぇ。」
年に一度、祭りを期に一般市民にも開放されるイクサーンの王城。入れる地区は限られているが無料で振舞われる飲食物と若い騎士目当ての娘たちで毎年大盛況らしい。その下準備で数日前からイオら未婚の若い女性が中心となって日持ちする焼き菓子やらを作り、当日は早朝から軽食の準備をするのだという。
「売り子を騎士の人たちがやるのにどうして衣装が必要なの?」
話を聞くと完全に裏方だ、衣装なんか着て料理をすればすぐに汚れてしまうだろう。疑問を抱くイオに採寸を終えたサリィはふふんと笑った。
「貸しだされる衣装はわたし達なんかじゃ手が出ない素敵なドレスよ。祭りの下準備でこき使う分のご褒美の様なものかしら? 綺麗に着飾って未来の旦那さまを捕まえて来いって配慮もあるみたいで、騎士の人とカップルになる娘も少なくないわ。わたしは玉の輿狙いで近衛騎士に目をつけている人がいるんだ。イオは何時もと違う姿をアル様に見せつけるといいわよ。」
「な、なんでアルなのよ?!」
「え~、だって。そうでしょ?」
サリィはなんか変なこと言った? と首を傾げて目を丸くしている。
「違うわよ。アルもイグも大事な家族だもの。」
「ふ~ん。まぁいいけど。」
じゃあ忙しいからとサリィは身を翻し楽しそうにスキップしながら次の採寸相手を捜しにイオから離れて行った。
いつも楽しそうにしているサリィは好きだけど、今回は少しドキリとした。何気ない一言にうろたえてしまう自分を沈める様に胸に抱く医学書に力を込めると、静けさを取り戻した周囲を見渡す。
「春風祭、か。」
命息吹く春や収穫を祝う秋の祭りは何処にでもあるが、イオが祭りに参加したのは両親が健在だった子供の頃だけだ。一人になってからは魔法使いである事実がいつどこで知られてしまうかと恐れ、極力引き籠っていた。
着る服まで貸してくれるなんて―――だから平民出身の未婚の娘なのか。結婚なんて絶対しないと、出来ないとあきらめていた。けれど魔法使いであってもここではそれが叶う。でもきっと自分は貸してくれる衣装に袖を通す事はできないだろうと思った。袖を通す事で恋をし結婚の意志を主張するのが悪い事だとは思わないが、自分にはそぐわない様な気がしてならないのだ。生きる為にここにいる、その下準備も整っていない自分がサリィの様に浮かれていてはいけないと、資格がないとなんとなく感じてしまう。
その後イオは浮つきそうになる気持ちを抑える様に屋敷へ戻ると、医学書を広げ昼食をとるのも忘れて集中した。
カーリィーンでは高価で貴重だった紙もここでは不自由なく揃えられている。本に記されているものは全てが大事な事柄だが、その中でも難解で理解に苦しむ項目は小さな文字でほとんどをまる写しにした。古い言葉で書かれているので読解できない個所はアルフェオンに訊ねる事にしている。図まで真似るとあっという間に時間が過ぎてしまった。窓の外で日が陰り始めると完全に暗くなる前に夕食の支度に取りかかろうとした所で階下に人の気配を感じ、随分早い帰りだなと慌てて部屋をでると茶色交じりの金髪が目に入った。
「あれ、レオン様?」
「邪魔をして悪いな、急だがアルフェオンと森に入る事になった。」
「それをわざわざ伝えに?」
「城にいると余計な仕事が増えるばかりだからな、そうなる前に出て来た。」
急に森へ入るという事は魔物関係だろうが、どうやらレオンはエディウすら伴っていない様子。魔物を口実に仕事を放り出して来たに違いないと、イオは苦笑いを漏らしながら階段を下りる。今朝もそうだが図書室への訪問も付き合わせて悪いと感じているが、多忙なレオンにとっては息抜きにの様な物にもなっているのかもしれない。
「アルが戻るまでお茶でもいかがですか。」
「いや―――」
「そう言わずにどうぞ。」
断りを入れようとするレオンを居間に押し込み半ば無理矢理座らせると、イオは急いでお湯を沸かして茶の支度を始めた。
レオン一人をほったらかしで夕食の支度にとりかかるわけにはいかないし、二人きりになっても会話に詰まっては気まずい雰囲気になるだけだ。お茶の準備を済ませた頃にはアルフェオンも戻ってくるだろうからと湯を沸かし、茶器と自作の焼き菓子を皿に乗せて一式整えた。
盆を持ったまま扉を開くとレオンは大人しく座って何やら考え事をしているようだ。入室したイオに気付いて「悪かったな」と声をかける。
「わたしも甘いものが欲しいと思っていた所だったので。」
「ああ、そうだな。私は甘味をそれ程好まぬが書類と睨み合ってばかりだと欲しくなる時がある。」
「申し訳ありませんが今日はわたしが作った物しか準備できなくて。」
城の料理人が作る菓子には味も見た目も到底かなわないただの焼き菓子をイオが差し出すと、レオンは「これも美味いぞ」と指でつまんで口に入れた。レオンはイオが作った料理もお菓子にも味に文句をつける様な事はしない。そういう所から城の中で大事に育てられただけの『元』王子様ではないのだという好ましい点が伺えた。
イオは茶を注いだカップを手にすると膝をついて零さぬ様注意しながらレオンの前に置く。
「少し熱いと思いますので気をつけて下さ―――あ、すみません。」
「あ、いや―――」
膝をついて身を乗り出した時にレオンが腰から外して側に立てかけておいた剣に触れてしまい、イオは慌てて空いた方の手で剣が倒れる前に鞘を掴んだ。かなりの大きさの剣ゆえにずっしりとした重みを覚悟していたのだが、それはイオが片手で掴んで軽々と持ち上げられる程の重さしかなく。
「わ、結構軽い。」
羽のような軽さに驚き呟きを漏らしながら剣を元通りレオンの側に立てかけたイオは、ふいにレオンに視線を向けびくりと肩を弾けさせた。
レオンは唖然とした様子で身動き一つせず、側にある剣を凝視している。碧眼を見開き眉間には深い皺を刻んで、驚きと戸惑いとを孕んだ表情にイオは慌てて膝をついたまま頭を下げた。
「ごめんなさいっ、わたしなんて事を―――大切な剣に触れてしまうなんて、本当に申し訳ありません!」
騎士にとって剣は命にも等しい代物だ。それに許しもなく触れるなんてやってはいけない事だったと顔を青くするイオに、レオンは何とか自分を取り戻しながらイオの肩に手を置いた。
「いや、何もそんなに謝る様な事ではない。ないのだが―――」
レオンはイオと剣を交互に見つめ、その後イオの肩に手を置いたまま沈黙してしまう。
「あの、レオン様?」
どうやら怒ってはいないようだ。怒ってはいないがものすごく難しい顔をして何やら考え込んでいる。何だろう、急に何が起こったのかと不安でいるとそこへアルフェオンが戻ってきた。イオは助けを求める様にそのままの体勢で首だけアルフェオンへと向ける。
「―――何かあった?」
帰って来たばかりのアルフェオンは今にも泣きそうな表情をして床に座り込むイオと、イオの肩に手を置いて項垂れるレオンという光景に眉を顰めた。
アルフェオンの声が耳に届いたのか、イオから手を離したレオンはその手を己の額に押し当てるとまたもや鎮痛な表情で項垂れる。そうして暫くそのままの体勢でいたが、徐に側の剣を掴むとアルフェオンへと差し出した。
「受け取ってくれないか。」
「―――? 出来る訳ないだろう?」
意味が解らないと眉を顰めるアルフェオンに、レオンは更に剣を突き出す。
「いいから―――頼む。」
様子のおかしいレオンに首を傾げながらアルフェオンはイオに視線を落とした。何があったのかと無言で問われるが、イオはふるふると首を振って解らないと答える。
俯いたままこちらを見ようともせずに片手で剣を差し出したレオン。その剣が何たるかを知るアルフェオンは首を捻りながらも足を踏み出しイオに場所を譲ってもらってレオンの前に膝をつく。そうして差し出された剣をしっかりと両腕で受け止めた。
騎士として鍛えた体にずしりとした重みが圧し掛かる。取り落とさぬ様しっかりと抱え、王家どころかイクサーンの人間ですらない我が身に闇の魔法使いを封印する為に存在する宝剣を抱え、アルフェオンは二度とはないであろう腕の中の存在に身が泡立った。
「―――軽いか?」
普段のレオンからは信じられない程の弱々しい声色にアルフェオンははっと我に返ると、「岩山の様だ」と比喩して解放を願った。
アルフェオンの言葉に顔を上げたレオンはその様子を暫くじっと観察してから、椅子に背を預け天を仰いで長い安堵の息を吐く。
「何があったのかは知らないが、流石に堪える。」
「ああすまない、紛い物ではという疑念に駆られたんだ。」
闇の魔法使いを封印する結界が壊れたとき、第二王子であったレオンがどれ程の決意をもって王より宝剣を賜ったか。王家の、イクサーン初代王であり闇の魔法使いを封印した四人のうちの一人、カオスの血を引いた人間だけが手にする事が叶う聖なる宝剣。その剣が紛い物であるわけがないが―――
ほっと安堵の息をついたも束の間。レオンは二人の様子を窺っていたイオへ視線を定めた。
「君、生まれは?」
今更の問いに何を言っているんだとイオは目を瞬かせたが、カーリィーンだと素直に答える。
「親や祖父母はどうだ?」
「両親も祖父母もカーリィーンに生まれ育った筈ですが―――」
イオの母親の家系は代々魔法使いで迫害を恐れ国中を転々としていたというが、イオが生まれ育ったのはあの二度と帰れないカーリィーンの村外れだった。
「そうか。」
呟いたレオンは何事かしばらく考え込んだ後、予定は中止だというなり屋敷を出て行ってしまう。アルフェオンは不可解なレオンの行動に首を傾げながらも引き止める事無く黙って見送ったが、不安に駆られたイオは無意識にアルフェオンの上着の裾を引っ張っていた。
「アル―――」
「うん。話を聞こうか。」
イオ自身も解っていないようだが何かがありそうだ。レオンに森へ誘われ仕事を抜けて来たが、その予定がなくなったので時間はある。アルフェオンはイオを椅子へと促した。




