好意
アルフェオンの心配を余所に、イオが受けた衝撃は身分に対する畏怖の念のみのようだった。
状況から知れたかもしれないが、ハイベルが自らをイクサーン国王と名乗らずに対峙してくれたのが功を奏したように感じる。
そしてなによりもアスギルにかけられる疑い。アスギルが闇の魔法使いではないかという憶測をイオに伝えないでくれた事にアルフェオンはほっと胸を撫で下ろしていた。
イオがアスギルを頼りにし、同時に深く心配しているのは感じている。カーリィーンで迫害を受ける魔法使いであったイオが、同じ魔法使いであるアスギルに同族意識を持つのは当然だ。イオとて闇の魔法使いにより世界が滅ぼされるのは嫌な筈に決まっているだろうが、現実には世界崩壊の危機などよりももっと身近に命の危険を感じていたのだ。実感はそちらの方がより強く、アスギルを利用しようという存在から彼を守りたいと感じているに違いない。
理由は知れないが確かにアスギルはイオを特別視している。けれど悪い方向に導くのではなくイオの為を考え魔力の開放を促し、己ではなくモーリスに預ける選択も出来る。囲い込むのではなく見守る感じはカーリィーンからイクサーンに来るまでの間に幾度もあった事だった。
同時にアスギルがイオに縋っているのではないかと感じた時も多々あった。イグジュアートがイオに亡き母を重ねる思慕の念とは違うが、似ている様にも思える感覚。そしてイオには自分に向けられるその様な念を無条件で受け止めてしまう隙があった。
長所でもあるが短所にも成り得る。それ故にアスギルを守りたいと思っていてもハイベルに頼られ言葉を撥ねつけきれなかったのだろう。相手が国王だからという恐怖から頷くしかなかっただけではない。イオはアスギルの様な力を持った魔法使いが背後にいても、それを利用して己の思惑通りに周囲を操る様な虎の威を借る狐にはなれないのだ。
魔物を追いその足で戻って来た。寒さと緊張、そして二度にわたりイグジュアートを失いかけた衝撃で身も心も疲れ切っていた。闇の魔法使いに対する不安がさらに疲れを加速させる。休息を促すイオに従い寝台に上ったが、瞼を閉じても一向に睡魔は訪れなかった。
イオを巻き込んでイクサーンにつれて来てしまったことは、今となっては微塵も後悔していない。イオに出会ったあの夜はイグジュアートを救う事に精一杯で、イオへの責任など全く気にする余裕がなかったが、アスギルに責められ我に返った。あの時アスギルが忠告してくれなければ後に思い出し、隠れ住んでいた魔法使いの娘が審問官の手に落ちその後どうなったかと気に病まれて後悔の日々を送っていただろう。アスギルの導きはイグジュアートに良い影響を齎しただけでなく、アルフェオンの鎖を解く結果も齎してくれていた。
当初は持ち合わせていなかったアスギルを信じる気持ちも今は持っている。だが一つだけ気になるのは、『国に身を委ねるに何の意味がある』といったアスギルの言葉だ。馬鹿馬鹿しいとの態度で溢れていたアスギルのあの言葉が真に意味するのは何なのか。あの言葉がどういう訳か鮮明にアルフェオンの脳裏に浮かび上がり、世界を崩壊に導いた闇の魔法使いに重なってしまう。その度に違うと首を振るが消える事はなかった。
イオが呼べばアスギルは必ず姿を見せるだろう。助けてと必死な声に応え、まるで空気の中から滲みでる様に現れたあの姿は、イグジュアートに神経を集中していたアルフェオンの思考すら呆気にとらせた。同時にこれでイグジュアートが助かると悟り、イオの肩に手を回すアスギルの動作を黙って見守ったのだ。
イオの心を掴んで離さないアスギル。彼はイオにとって心の支えでもあるのかもしれない。おなじ魔法使いであり、アルフェオンではけして踏み込めない部分を共有できる間柄にもどかしさを感じる。
魔法使いを恐れ迫害する精神が染みついたカーリィーンにおいて、アルフェオンはとても異質な考えを持つ人種だった。王家とも深いつながりを持つ公爵家の嫡男として生まれ、魔法使いを捕らえ従えるのが当たり前という思想の中で育ちながらも、同じ人であるのに何が違うのかとの疑問を抱き続けた。幼い頃に美しい魔法使い…セレステアに出会ってからは更にその思いが強くなった。けれど一人では何もできず、初恋の人の処刑を見送るしかなかった己の無力さに酷い後悔の念を今になっても抱き続けている。
後悔を引きずる中でカーリィーン国王よりイグジュアートを託された際には、己の命に代えても守り逃がすとセレステアに誓った。共に歩んだ騎士仲間には裏切る後ろめたさを感じたが、育った公爵家と地位や名誉を捨てる事には何の迷いも抱かなかった。父母を含む公爵家がアルフェオンに求めたのは家名に恥じぬ跡取りであって、アルフェオンが本心を匂わせるとあらゆる手段を講じて思想強制を図ったのだ。けしてアルフェオン個人を認めてくれる事はなく、普通の親子が感じるであろう温もりは一度たりとも与えられた例がない。型にはめ、従えば褒めてくれたが、それはアルフェオンの人格を認めてくれる愛情などではなかった。将来に不安を感じた父親はアルフェオン以外にも多くの男子を妾に産ませていたのだ。代えはいくらでもいる。
イオの淡い紫の瞳を見ているとセレステアを思い出す。セレステアの瞳は捕らわれた魔法使いにありがちな世界を諦め脅えた淀みはなく、真の強い逞しさと強さとを持っていたが、イオの瞳は柔らかに包み込む優しさを匂わせる色。同じ色でも感じる印象は違うというのに、アルフェオンもイグジュアート同様イオの中にセレステアを感じるのだ。最近は容姿の似通ったイグジュアートに対してよりもイオと瞳を重ねた瞬間にセレステアを思い出すようになっていた。イグジュアートの事は立派な大人へと導いてやらねばならないという思いが強いのに対し、イオに対してはセレステアと同じ女性であるからか、今度こそ守り抜いてみせるとの気持ちが強い。
そしてつい先日『家族』という言葉で手元に繋ぎ止めるまでに至った。
意識した言葉ではなかったが涙を堪えるイオの姿を目にして、アルフェオンはイオ以上の喜びを感じたのだ。それにはアルフェオン自身が驚いた。アルフェオンの周りには血の繋がりを持った人間はいてもただそれだけで家族とは呼べず、当時のアルフェオンもそれ以上の存在を必要としなかったのに。
しかし『家族』と漏らした言葉にイオが零した涙に安堵する自分が、イオやイグジュアート以上に誰よりもそれを求めていたのだと気付かされる。
実の所一番心が弱いのは自分ではないかと考えながら瞼を落とし、アルフェオンはいつの間にか眠りに落ちて行った。
*****
アルフェオンが眠りにつき始めた頃、イオは目を覚ましたイグジュアートに温かいスープを運んで来た所だった。
ハイベル達が屋敷を去る際、レオンも『また来る』と残して行ってしまった。残って何か言われるのではないかと思っていたイオは少しほっとし、その足で眠り続けるイグジュアートの部屋に居付く。顔色はあまり良くないが落ち着いた状態のイグジュアートを窺いながら、アスギルはどうしたいだろうとばかり考えていた。
イグジュアートを見ているだけでアスギルがどれ程力の強い魔法使いなのかと理解できる。アスギルのつくり出す結界や治癒の魔法しか知りえないが、基礎を教えてくれたモーリスよりも強い力を持っているのは確実だろう。でなければアスギルがこれ程執着される訳がない。
イオが呼びかければ来てくれる。疑心は打ち消され間違いないのだと解った。そして呼びかけに応じたアスギルは、例え嫌だと思ってもイオの言葉に従ってくれるような気がするのだ。魔法使いに対する負い目だとか恩人だとかいう理由は首を傾けるばかりで、こちらが気をつけなければアスギルに嫌な事をさせてしまいかねない。
「どうしてアスギルは気にかけてくれるんだろう。」
ふと漏らした言葉にイグジュアートがスープをすくう手を止める。
「どうしてって、イオの事が好きだからじゃないのか。」
なに当たり前の事を言っているんだと、イグジュアートはイオを見たままスープを口に運んだ。
「好きって、そんなことっ、ないわよ。」
何を言い出すんだと内心慌てながら否定すると、イグジュアートも何を言ってるんだと言わんばかりに眉間に皺を寄せる。
「好きにに決まってる、だから手を貸すんじゃないか。俺だってイオに頼まれたら嫌とは言わない。」
「えっ、あぁ、そうね。わたしもイグに頼まれたら嫌とは言わない。」
ああ成程ねと苦笑いが漏れた。
確かにそうだ。嫌っている相手でない限り協力を求められたらそれに応えるのが普通だろう。それも出来ない事じゃない限りは協力してしまう。けれどやはりアスギルはそんな単純な気持ちだけを持っている様には思えなかった。
考え込むイオを前にイグジュアートはスープを食べる手を止める。我が身に起きた出来事も周囲の状況もアルフェオンに聞かされていた。そしてイオが何について悩んでいるのかも、一緒に暮らしてきてある程度は解る様になっている。
「あの、さ。カーリィーンにいた頃の俺はいずれ殺される運命なんだと覚悟していた。と言えば聞こえがいいけど、諦めていたんだ。アルフェオンが差し伸べた手を取ったのも生きたいと感じたのではなく、ついとってしまったというのが正直な所だ。」
予備の子供として取り置かれた存在であるのは最初からわかっていた。出入りする大人達によって教育を施されても将来役に立つ日が来るとは到底思えない。期待を抱いても行きつく先は母親と同じなのだと、魔法使いとして生まれた己の運命をあの日に悟ったのだ。
「だけどイオやアスギルを交えて森を抜ける過程で他人との交流を経験していくうちに生への執着が生まれた。昨夜だって死ぬ気で抵抗して、もうだめかと意識を失う瞬間にも死にたくないと強い生への願望をもっていた。だからイオがアスギルを呼んでくれて本当に感謝している。たとえアスギルに俺を助ける気持ちがなかったとしても、イオの呼びかけに応じて助けてくれた事に変わりはない。アスギルは俺の命の恩人で、イオはその橋渡しをしてくれたんだ。」
だからと、美貌の少年が碧い瞳をイオへと真っ直ぐに向けて来る。
「どうせ最後の選択はアスギルがする。どうしても嫌なら逃げるさ。あのアスギルを追える者なんていやしない。」
橋渡しをするから嫌な部分を押し付ける訳じゃないのだと、六つも年下の少年に諭される。
アスギルが巻き込まれたくないと感じるならそれ以上は進まないだろう。何もイオが強制させる訳じゃないのだ。ハイベルの頼みは会わせて欲しいという願い一つ。話の内容に不条理を感じれば『逃げて』と言えばすむだけだ。この国に世話になり守られているのは事実だが、魔法使いだからといって全てに従わなくてもいいと決めているのもイクサーンなのだ。
「それに俺もアスギルに直接礼が言いたい。」
「そうね。それにあの時は必死だったからわたしももう一度ちゃんとお礼を言わないと。」
「しかし呼ぶだけで聞こえるとは本当に不思議だな。」
「一瞬で来ちゃうんだもん。アスギルって本当に何者なんだろうね。」
詳しい話は聞いた事がないがイオ達にとって恩人である事実は変わらない。アスギルの抱える問題がどれ程の物であっても、それだけがイオにとっての事実なのだから。




