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心の鎖  作者: momo
三章 イクサーンの冬
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癒やし手





 何処からともなく突然姿を現したアスギルは、イオの肩を抱いたままもう片方の手を意識のないイグジュアートの頭部に翳し、検分するかにゆっくりと足の方へ向かってゆっくりと滑らせて行く。


 最初にアスギルの手が止まったのは、結界師の手当により止血された胸の位置だった。

 血濡れた肌に直接掌を押し付ける。すると前にアスギルがイグジュアートに治療を施した時同様に白い光が溢れ、光はイグジュアートの傷口にゆっくりと吸い込まれて行った。


 アスギルがイオの肩を抱く腕に少しだけ力を込めると、唖然と目を見開いて成り行きを見守っていたイオがゆっくりとアスギルを見上げ、アスギルは治癒魔法を施しながら口を開いた。


 「魔法は破壊をもたらす恐ろしいものです。けれど使い方を間違えなければこうして傷を癒やし、命を繋ぎ止めもする。恐れる必要は何もないのですよ。」


 諭すような穏やかな声色がするりとイオの耳に入り込む。


 「否定、するつもりではなかったの。でも―――」

 「安心なさい、解っていますから。」

 

 人知を超えた魔法を操るアスギルを恐れている訳ではないと伝えたくても上手く言葉に出来ない。震える声が喉に詰まり紡げずにいると抱き寄せる様に引き込まれ、「御覧なさい」と額に頬を寄せられた。


 アスギルの掌はいつの間にかイグジュアートの腹部へあてられている。しばらくそのまま動かされずにいたが、やがて掌が反されその指が僅かに動くと同時に有り得ない光景がイオの脳裏に浮かび上がった。


 「―――!」


 ひゅっと息を飲んだイオの様子に側のアルフェオンが眉を顰め、レオンは名を呼んだがイオには気付ける余裕がない。


 赤い何か―――血だ。

 触れてもいないのに熱いと感じる血液が生き物のようにゆっくりと蠢き、ある場所を求めて流れ出す。

 この光景はアスギルが今見ているイグジュアートの体内であり、アスギルを通してイオの脳裏に映し出されているのだと理解するのにさほど時間はかからなかった。


 イグジュアートの腹部に溜まった血液がある場所に集合した瞬間、まるで神隠しにでも合うかにそこから失われる。そして赤いそれが向かった先はアスギルの掌の上で―――突然アスギルの掌から溢れだした赤い大量の血に、居合わせた誰もが驚き息を飲んだ。


 「これから損傷した臓器の再生にかかります。よいですか?」


 目に見えるもの、そして脳裏に映るものに驚愕しながらイオは頷いた。

 

 腹部に溜まった血液をイグジュアートの体内から排除したアスギルは、損傷を負けた内臓の修復にかかる。絹糸よりも細い線の絡まりを解き、途切れを繋ぎ直し、目に見えない小さな丸い何かの集まりを、砕け散ったガラスの破片を繋ぎ合わせる様に綺麗に繕っていく。


 未知なる世界を垣間見るイオは息をするのも忘れ、アスギルにしがみつき目を背けず全てを見守っていた。 


 それ程多くの時間はかかっていない。けれど全てが終わるとイオはその場に崩れ、アスギルは肩を抱いていた腕をイオの腰に回して倒れる体を受け止める。


 「彼女を―――」


 腕に支えるイオを側に立つアルフェオンに差し出す。アルフェオンはイオを受け取りながら不安な面持ちでアスギルに視線を向けたが、アスギルがイオの腕に触れた事で初めてイオも傷を受けていると気付かされた。


 ほんの一撫ででイオの治療は終了する。薄い夜着の袖は裂けたままだったが、開いた傷口は綺麗に塞がった様だ。アルフェオンは自身のマントを外してイオに纏わせた。


 「イグジュアートは?」


 治癒の過程を見せられたイオと違い、アルフェオン達にはアスギルの掌から溢れた血液が誰の物なのかまったく解らなかった。頼るしかないと解っていても不可思議な現象とに不安と疑問が襲う。


 かつて魔物にやられ死の淵を彷徨ったイグジュアートに治癒を施してくれたアスギルを疑う気持ちは無い。知りたいのは無事なのかどうか。聞きたい言葉はそれだけだ。


 「胸の刺し傷は大したものではなかった。腹部は少しばかり酷かったが壊死した個所もない。血を失い過ぎているので起き上がるには時間が必要だが、後遺症が残る様な結果にはならぬように処置した。」

 「もとに―――戻るのか?」


 頷くアスギルにアルフェオンはほっと安堵の息を吐き、体の力を抜いてありがとうと心底安心したように掠れた声を吐き出した。対してアスギルの言葉に「嘘だろう?」と見守っていた結界師からは呟きが漏れる。


 最初に処置に当たった彼はイグジュアートの傷の深さを十分に理解していた。心臓と肺は避けられていたがその後ろの臓器にまで達する程に深く、大きな血管にも傷がつき、止血だけが精一杯の治癒困難な状況だったのだ。腹だって刃物で割かなければ溜まった血を取り出せはしない。国一番の結界師であるモーリスにだって出来やしないと、目の前の魔法使いに対する驚きから結界師は体を震わせていた。


 「ありがとうアスギル……本当に来てくれて、イグジュアートを助けてくれて本当にありがとうっ―――」


 自ら作り出した非力さを後悔しながらも安堵の涙を流すイオに、アスギルは小さく首を振る。


 「呼べば来ると約束したでしょう? 貴方もよく頑張りました。今は心を休める為にも穏やかに眠りにつきなさい。」


 アスギルが指を翳すと瞬く間に睡魔が訪れイオはゆっくりと瞼を下ろす。意識を閉ざしたイオの体が床に零れ落ちぬ様にアルフェオンがしっかりと受け止めた。

 アルフェオンは大きく息を吐いてアスギルにもう一度礼を述べる。 


 「感謝してもしきれない。二度もイグジュアートの命を救ってくれて本当に有難う。」

 「私ではない。」


 深く頭を下げたアルフェオンの言葉をアスギルは否定し、瞼を閉ざしたイオの頬を指先で一撫でした。大量の血を溢れさせた掌だというのに血痕一つない不思議な現象に、今は誰も注意を向ける者は無い。


 「一度目に命の選択をしたのはこの娘だ。今回も娘がいたからこの者は命を長らえた。間違っても私になど感謝するな。」


 言葉は淡々と紡がれ、赤い瞳は感情をうつさない。けれどその瞳の奥に隠れた揺らめきをアルフェオンが感じたその時、第三者の声がアスギルへと向かった。




 「何故その娘に肩入れする。」


 室内にいた人間が一斉に声の主へと振り返ると、鋭い眼光をアスギルに向かって突き付けるモーリスの姿があった。モーリスは殺気を隠しもせず体からは魔力が溢れ空気がゆらめいており、臨戦態勢で挑むモーリスを誰もが訝しんで眉を顰めた。


 「何をしているモーリス、気持ちを静めろ。」


 一つの命が救われた場にそぐわぬ雰囲気を纏うモーリスをレオンが諌めるが、モーリスはアスギルを睨みつけたままレオンに剣を取るよう指示した。


 レオンが王より賜った宝剣、闇の魔法使いを封印する為に存在する剣は常に手の届く位置にあり、今も帯剣している。しかし訳の分からないレオンは更に眉を顰め「何を言い出すんだ」とモーリスの視界を遮る様に前に立った。


 「大事な客人となるかも知れぬ相手だぞ?!」

 「気を許せぬ相手です。」


 モーリスは語気を強めるレオンを通り越しアスギルを睨み続けるが、額には汗をにじませ苦しそうだ。周りに殆ど興味を示さないモーリスの態度に不信を感じたレオンは、一度アスギルを振り返ってからもう一度モーリスへと向き直った。


 力のある魔法使いを確保しておきたい状況にあるのはモーリスも解っている筈だ。もともと愛想の悪いモーリスがこうも感情をあらわにする姿も珍しい。いや、レオン自身は初めて見る態度に改めて目の前のモーリスを観察した。


 何故モーリスがこれ程に攻撃的なのか。周りの騎士ではなくレオン自身に剣を取れと吐き捨てた訳は? 娘に肩入れすると問うたモーリスがイオと関わる切っ掛けを作ったのは国王であるハイベルだ。王がイオに興味を示した理由は何処にあるのか。


 今度は体ごとアスギルへと振り返る。


 「お前は―――何者だ?」


 答えは無かった。


 現れた時同様アスギルはその場から忽然と姿を消す。


 まさに言葉通り、空気に溶け込むように姿を消したアスギルに周りは息を呑み、結界師は奇跡の魔法に腰を抜かして床に蹲った。


 モーリスはそれから暫く経って体の力を抜いてふらつきながらも膝を折る事は無い。そしてレオンは腰に下げた剣の柄を握り締め、アルフェオンに抱かれたイオをじっと見つめ続けた。










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