嵐の前の日常
エディウから紹介された仕事は騎士団宿舎内での家事雑用が主で難しい事など何もなく、その全てがイオの希望にぴったり当て嵌まっていた。
最初はレオンの意見も考慮するとかだったので不安であったのだが、蓋を開けてみると全面的にイオの望むままだ。とっつきにくい印象が強いエディウだったが、この件でイオのエディウに対する評価はうなぎのぼり。
しかし実の所エディウはレオンに向かってイオに騎士団内の仕事をやらせる代わりに、大きな問題が一段落するまではいつでも連絡の取れる騎士団内で寝起きをして欲しいと提案したのだ。イオへの情を自覚していないレオンは『何だそれは』と眉を顰めたが、責任者である自分がとっていた行動を改める意味でその提案に頷く。そして同じ騎士団内にいるのならいつでも顔を合わせられると無意識に算段を立てていた。
だが実際イオの仕事場は騎士団長であるレオンと接点がまるでなく、イオにとっては無暗やたらに高貴な人間と関わる機会が減って平和な日常となっていた。
そんな騎士団舎での仕事の流れであるが、イオは朝食の片付けからの参加となる。朝食の準備は住み込みの中年夫婦と彼らの娘が早朝から起き出しやってくれていた。イオが出勤すると早朝訓練を終えた騎士らが遅い朝食に当たっており、さらに通いの女性らが続々と出勤して来てイオと一緒に仕事をこなすのだ。
食堂が一段落したら各部屋の前に出された洗濯物を集め、洗ってくれる下女の元まで何度も往復する。そうしているうちに昼が過ぎるので遅めの昼食をあまりものの中から適当に拝借して食べ、その後で宿舎内の掃除をして夕食の下ごしらえを手伝い日暮れ前に帰宅。屋敷内の家事と両立できるように配分が決められていたが、何もイオだけが特別扱いを受けている訳ではなく、家庭を持って働きに出ている主婦らも同じくその様に時間配分がなされていた。夕方からの勤務は子育てがひと段落した年配の女性達の担当となっているのだ。
朝はイグジュアート、時折アルフェオンも交え一緒に出勤する。帰りは明るい事もあり一人で帰るのだが、そろそろあがりの時間と前掛けを外し体のコリをほぐす様に腕を伸ばしていた所で同僚のサリィから声をかけられた。
仕事について七日目、多くの女が騎士宿舎で働いているがイオより若いのは一つ年下の彼女一人。近い年齢のお陰か気安く話が出来る相手だった。
「あなたにお客よ!」
頬を上気させ駆け寄って来るサリィに「お客?」と首を傾げる。
「聞いて驚きなさい、何と騎士団長レオン様! いったいどうやってお知り合いになられたの? 遠くからわたしに向かって手招きなさるからいったい何事かと思ったら、あなたに団長室まで来るように伝言を頼むって仰られて。あの碧い瞳に見つめられて腰が砕けそうになったわ!!」
騎士宿舎に勤務しているとはいえ、高貴な出身であるレオンなど一般市民にとっては雲の上の御方だ。さらにレオンは独身で見た目も良く若い女性に大人気。サリィの興奮も解らなくはないが、異常に興奮して捲し上げる姿にイオは苦笑いを漏らすしかなかった。
それにこれはお客ではなく単なる呼び出しではないか。イオが騎士宿舎で働き始めてから今日に至るまで、レオンが屋敷に顔を見せる事がなくなったなぁと今更ながら思い出される。よく一緒に食卓を囲むようにもなっていたので少しばかり寂しい気もするが。
もしかしたらイオが仕事を始めたせいで遠慮してるのだろうかと感じ、屋敷の持ち主であるレオンに申し訳ない気持ちが芽生えた。まあもともと忙しい人ではあるだろうから度々足を運んでいたのが異常だったのかもしれないが。
「わかった、お尋ねしてみるわね。」
くるりと身を反すイオの袖をサリィが掴み引き止める。振り返ると眉間に皺をよせ強くてとても真剣な眼差しを向けられていた。
「実はね、伝言を伺ったのはお昼前なの。べつに意地悪して教えなかったんじゃないわよ。わたしだって忙しくてイオと顔を合わせる機会がなかったし、何よりも騎士団長様が何時でもいいからって仰られていたから。」
「そうね、確かに今日は初めて顔を合わせるわね。」
「そうなの、だから本当に意地悪したんじゃないから!」
考えもしなかった事をあまりに強く言い訳されるとそうなんじゃないかと疑ってしまうが、顔を上気させ走り寄って来たサリィの様子からして本当に意地悪をしてという訳ではないだろう。恐らく腰砕けになり放心状態でいた時間が長過ぎたか、レオンと会話した余韻に浸って今の今まで引きずっていたに違いない。
一緒に行きたいと縋り付くサリィを宥め、イオは騎士団長がいるであろう執務室を目指して歩き出した。
イオが務める騎士宿舎からはかなり離れており、騎士でも出入りは監視される棟に踏み込み名前と用件を告げると話が通っていたようですんなり通され、執務室は何処かと場所を聞くと親切に案内までしてくれた。
案内の騎士が執務室の扉を叩きイオの訪問を継げると「入れ」と声がかかる。騎士に扉を開けて貰いどうぞと促されると、丁寧過ぎる対応にこそばゆくて恥ずかしい感覚が沸き上がった。
失礼しますと恐る恐るといった感じで広い室内に踏み込むと二人の男性がこちらへ視線を向けており、見知った顔を見つけふっと緊張の面持ちがほころんだ。
「アルフェオン様!」
毎日朝晩と顔を合わせているが、思わぬ場所で思わぬ相手の姿にほっとし、ついいつもの癖が現れてしまって口を押さえた。アルフェオンは一つ失敗といわんばかりに笑って片眼を瞑り、その様子にレオンは眉を顰めて腕を組む。
「呼び出したのは私だぞ。久し振りに会うというのに私ではなくアルフェオンに目を奪われるとは随分とつれないではないか。」
「申し訳ございませんレオン様。」
不機嫌を隠しもしない声にイオは慌てて向き直り腰を深く折った。元王子の肩書を持つレオンにも大分慣れはしたがここは私的な空間ではなく王国騎士団団長の執務室。礼儀は守るべきと傅くイオにそんなつもりではないと今度はレオンの方が慌てる。
「気にする人間など居ない場で礼などとるな、屋敷に戻り難くなるだろう?」
「あの…ご迷惑なら出て行きますが?」
急に出て行けてと言われても困るので猶予は欲しいと申し出るイオに、レオンはそういう意味ではないと怒りながら否定する。居候としての気分でいるイオにはよく意味がわからず、けれどこの怒り方はイオを疎ましく思っての怒りではないとだけは理解出来た。助けを求める様にアルフェオンへ視線を向けるといつもの穏やかな笑みを浮かべて口を開いてくれる。
「出て行くより留守番の話だ。イグジュアートには君にも伝えておいてくれとは言っておいたのだけど、その様子じゃまだ会ってない?」
「ええ、はい。もしかしてまた行くんですか?」
不安そうに見上げるイオにアルフェオンは笑みを崩さず話を続けた。
「新種が出たらしいからその確認に行くだけだ。勿論剣を抜く確率は高いが我が身を護れない程弱くはないよ。」
新種と呼ばれはするが俗に言う魔物の事だ。
世界を闇に陥れた魔法使いが生み出した多くの魔物達、その種類は確認されただけで二十種類程であった。しかし近年異種族同士の交配が進み、新種と呼ばれる魔物が頻繁に誕生している。そのほとんどが純血種と呼ばれる様になった最初の魔物たちの様な能力は持たず力の弱い魔物であり、野生の獣よりも獰猛で力が強い程度だ。
魔物は闇の魔法使いが分け与え魔力を帯びており、魔法を使う訳ではないが力の強さはその帯びた魔力に比例する。そこで魔力を感じ取れるアルフェオンの体質は新種探査にうってつけなのだ。
実力があっても異国出身故にイクサーンの騎士とはなれない。そればかりかカーリィーン出身の高位貴族と言う過去が相まって本来なら異国で自由を手に入れるのも困難なのであったが、イクサーンの王子であったレオンと友人関係を築けた事が功を成し、監視対象として閉じ込められるという事態は避けられていた。レオン所有の屋敷に住まうのはその為にも必要な事なのであり、後見人であるレオンにアルフェオンが手を貸すのも当然の成り行きである。
「強いのは解ってます。でも、それでも気をつけて。」
「ありがとう、細心の注意を払うよ。」
これまでアルフェオンは闇の魔法使い探索に手を貸してきたが、魔物盗伐に関わらなかった訳ではない。ちゃんと無事に帰って来てはくれるがそれでも心配だ。なにせ近頃は純血種と呼ばれるもともといた魔物の出現は皆無であるのに新種ばかりが誕生しており、生体が知られていない分待つ方も不安に陥ってしまう。
「今回は私も参加する。」
「えっ、レオン様も?」
何時もはアルフェオンと王国騎士団から数名の騎士が同行するというのが常だったが、レオンも行くと聞いてイオは目を瞬かせた。
新種調査に騎士団の長自らが赴くのだ。重要な事柄なのかと不安が増すが、イオの反応を自分を心配してと勘違いしたレオンは些か機嫌を取り戻した。
「重要案件と言う訳ではないがたまには出ないと肩がこるからな。攻撃と治癒の魔法に磨きをかければお前も同行させてやっても良いぞ?」
「わたしは魔力だけは膨大らしいですけど使いこなす能力は皆無です。宝の持ち腐れとモーリスさんからは溜息ばかり零されました。」
無能な生徒であったがきちんと面倒は見てくれた。それ以上を望むならイオ自身のやる気とかなりの努力が必要になる。結界師としての能力を磨けば役立たずではなくなり、レオンのいう様に魔物討伐へ同行も出来る様になるだろうが、魔法という特殊な能力を手にしてしまうのにはまだまだ大きな恐れと迷いがあった。
イオが二人の無事を祈る言葉を残して執務室を後にすると、先程までの笑みを消して真剣な表情になったアルフェオンがレオンに視線を向ける。
「イオに監視がつけられている。」
監視と言う言葉に緩んでいたレオンの表情も引き締まる。腕を組んで考える仕草を取ったその様子にレオンがつけた監視ではないと理解したアルフェオンは「やはり」とそこで言葉を止め、レオンがそれに頷いた。
「気付いたのは最近で以前がどうであったかは解らないが、向こうは知られて困るといった風ではなかった。護衛の意味もあるのか彼女に接触する人間を酷く警戒しているようだったが、今もアスギルを捜しているのだろうか。」
監視されるならカーリィーン国王の血を引くイグジュアートとアルフェオンの方ではないだろうか。亡命を装いイクサーンの内情を探ろうと目論んでいると思われてもおかしくない立場にある。けれど監視対象となったのは偶然の出会いで巻き込んでしまったイオだ。イオの力を開花させたいならモーリス経由で接触を続ける方が得策だと思えるがそうではない。アルフェオンなりに監視役の男を探ってみたがイオに危害を加える様子はなく、逆にイオへ危害を加る怪しい人間を側に寄せ付けないような行動を取る事がしばしばあった。イオに興味を示すのは何故かと考えると、高度な魔法を息をするかに簡単に使いこなす一人の魔法使いしか思い浮かばない。
「陛下からアスギルと言う名の魔法使いの話はない。こちらから尋ねはしてみたが姿がなければ役には立たないとの理由で深い興味は示されなかった。だが私に何かを隠しているのは間違いないだろう。恐らくそれが彼女に関係しているのだろうが、陛下が口を閉ざされている以上真意は不明だ。」
イクサーン国王に重要な役目を担うやも知れない存在と言わせた娘。秘める魔力の問題と片付けるには怪し過ぎた。命を差し出す程に手なずけろと指示されたが、レオン自身それを頭の片隅に置きながらも日頃は忘れてしまっている。命を差し出させるよりも逆に危険な状況になれば迷いなく背に庇うだろう。例え己が瀕死の状況にあってさえもと、そこまで考えてレオンは頭を振る。
「彼女に何がある。お前は一緒に暮らしていて何か気付かないか?」
「イオは普通の娘だ。抑圧される暮らしから抜け出しただけの娘を追う理由が私には見当たらない。」
アスギルがらみであるのは確実だろうがイオとアスギルの出会いも偶然に起き、しかもそのアスギルは姿を消してしまったのだ。非常時故に手に入れたい力だと理解はするが、無理強いが出来る訳でもない。イクサーンに来てからの不快そうな様子を見ていると手を貸してくれるとは思えなかったが、イオを手なずけそちら方面から接触を図ろうとしているのだろうか。
公爵家の嫡男として生まれはしたが、全てを捨て国を出たアルフェオンには拒絶する力はない。せめてイオが監視されている状況に気付かずにいてくれればと、アルフェオンは深い溜息を落とした。




