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心の鎖  作者: momo
三章 イクサーンの冬
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家族







 そうとなったら急がねば―――


 突然飛び込んできた就職先に初日から遅刻する訳にはいかない。外に出て働いた経験はないがその程度の常識は持ち合わせていた。

 

 イオはエディウを見送ると慌てて朝食の片付けに取り掛かった。イグジュアートの出発時刻に間に合わせようと焦るイオの様子に、いつもは手出ししない二人も席を立って空の食器を運ぶ。イオも「申し訳ありません」と恐縮しながらも有り難く手伝いを受け入れた。


 「ありがとうでいいんだよ。」


 炊事場で隣に立ったアルフェオンが皿を差し出す。急いで食器を洗いにかかっていたイオだったが不意に顔を上げると、アルフェオンが優しい眼差しを向け穏やかに微笑んでいた。


 「私達は偶然の出会いでカーリィーンを出国し、このイクサーンで生活を共にしている。その間ずっと共に在り離れる事はなかった。誰一人として血の繋がりはないが、今の私にとってはイグジュアートもイオも家族と思える大切な存在だ。」


 だから謝罪ではなく「ありがとう」なのだとの言葉にイオははっと息を飲み、濡れた手で胸元を押さえた。全てを見透かされていたのかと後ろめたい感情が胸を突く。


 「私の気持ちを強要するつもりはない。だが君が少しでも私達に心を開いてくれているなら、これからは家族として一緒に暮らして行かないか。いつまでもアルフェオン様イグジュアート様ではなく、同じ立場の人間として向き合って欲しい。」 


 家族―――その言葉がこれ程に胸を抉ると思っていなかったイオは、唖然とした思いでアルフェオンを仰ぎ見ていた。


 幼くして両親を失ってからずっと一人きりで生活して来たが、だからと言って孤独に慣れている訳ではない。人恋しくて寂しさに泣いた夜はいったいどれほどあっただろうか。恋をしてその人と夫婦になり子供をつくってと夢を見た日もあった。けれど魔法使いである現実が全てを遠ざけさせるのだ。恐れられるのが怖くて、そして生きる為に逃げてばかりいた。本当は心の奥底で誰よりも側にいてくれる温もりを求めていたのは自分ではなかっただろうか?


 アルフェオンからは幾度となく言葉を手向けられてきた。いてくれて良かった、とても助かっていると感謝の言葉を貰い、国を出た今は身分など関係ないとどれ程気使いを見せてくれただろう。

 けれどそれを巻き込んだ故の贖罪と勝手に位置付けて来たのはイオ自身だ。いつか拒絶されるのではないかという不安から踏み込む勇気なんてとても持てなかった。孤独は寂しい。共に長くあればある程不安になる。

 イグジュアートから向けられる素直な好意が嬉しくて、受け入れているように見せて壁を作っていたのもイオだった。必要なくなったと突き放される不安から踏み込むのを恐れ、心に傷を負う前の予防線とばかりに一人で生きる決断を急いだ。また最後に一人だけ取り残されるのが何よりも怖かったから。


 「わたし―――」


 全部気付かれていた。それを解っていても不快な感情一つ見せずに今まで側にいてくれたのだと感じて胸が詰まる。するとそれまで黙っていたイグジュアートもイオの隣に立ち、胸に当てていた濡れた手を握って笑ってくれた。


 出会った頃はそれ程変わらなかったのに、成長期の少年にすっかり追い越された背丈が時間の流れを感じさせる。イグジュアートの慕い縋るような瞳は、不安で心許無いイオをこの場に繋ぎ止める理由にもなってくれていた。

 

 「俺は、家族を持つのは初めてだ。」


 純粋で疑いのない碧い瞳が真っ直ぐにイオを捕らえる。イグジュアートの言葉はイオなどでは想像できない彼の過去を連想させるものだ。


 イオはイグジュアートに握られた手に力を込め握り返して俯く。涙が零れそうになり唇を噛むと大きく暖かなアルフェオンの手が肩に乗せられた。触れられた両者の重みが存在感となって溶け込んで来る。


 「私も帰る場所があるというのがこれ程有り難いと感じたのは初めてだよ。」


 帰る場所―――家族。

 ごく当たり前にあったそれを捨てて来たアルフェオンにとっては余計に身に染みるのかもしれない。


 公爵家の嫡男として生まれたアルフェオンには帰る場所があった。けれど王の言葉によりアルフェオンが選択したのはその全てとの決別だ。自ら望んだのだとしても別れ難いものもあった筈。それでも王の言葉に後押しを受けイグジュアートの命を選択したアルフェオンの決断は一つの命を救った。イオが排除される側の魔法使いだったからではなく、全ての人間の命に優劣がつけられるのはとても恐ろしく不公平だと感じるのはおかしな事なのだろうか。


 言葉が与える温もりがじんわりと内側から溢れだす。瞬きすると雫が落ち、これ以上は流すまいと瞼を閉じてぐっと堪えた。

 驚いたのはこれ程求めていた自分自身に。二人がイオを受け入れ認めてくれている事がこんなにも嬉しくて、これまでの様に疑う隙も与えない真っ直ぐな言葉と感情と優しさに疑心や恐れなんて抱けなかった。


 本当にいいのだろうかと戸惑いながらもイオは無言で何度も頷く。ごめんなさいと言葉に出来なくて、ようやく声が出せる様になって紡いだ言葉は「ありがとう」だった。





 *****


 騎士団が置かれるのは王城の敷地内。双方壁で隔てられてはいるが王国騎士団と名を打つあたり身分のある人間の出入りも激しい。そんな場所でアルフェオンやイグジュアートに敬称をつけて呼ぶのはどうかと、この際だから敬称も敬語も辞めてしまおうとの提案にイオは不安を感じながらも同意するしかなかった。


 感じた不安は身分差を理由にではなく、身についてしまっている習慣に対してだ。異国の公共の場で亡命者として扱われる二人を『様』付けで呼ぶのは確かにおかしい。二人ともイクサーンでは王の御落胤とも公爵家の跡取りとしても認識されていないのだ。失敗するような気がするので騎士団の敷地内で顔を合わせても知らない振りで通そうといいだすイオに、アルフェオンは苦笑いを浮かべ愛称ではどうだろうと提案してくれた。敬称さえ付けなければ敬語を使われてもさほど不自然ではない。それにいつまでも他人行儀ではなく、家族なのだからもっと慣れ合って話しをしようと念を押されもした。


 「初出勤よりもそっちの方が緊張します。」


 手を組んで祈るようなイオを、隣を歩くイグジュアートはくすくすと笑って見下ろした。


 「まぁ慣れだな。俺もカーリィーンで閉じ込められていた頃は硬い言葉使いだったが、今からあれに戻せと言われると一苦労しそうだ。」

 「そ…そうですね。イグジュアート様も頑張ったんだから、わたしもちゃんとやらなきゃ笑われてしまいますね。」

 「イグだよ、早速間違ってる。」

 「うっ……」


 辛い過去を背負っているというのに明い振舞いを見せるイグジュアートは、イクサーンに来てからすっかり変ったように見えた。


 自分のせいでアルフェオンに重い罪を背負わせたと悔いていた彼はもういない。子供特有の切り替えの早さと言えばそれまでだが、イグジュアートの育った環境はけしてそんな言葉で片付けられる様な物ではないとイオにも解っていた。

 不要になったからと処刑される所だったイグジュアート。諦めていようが生に執着していようがイグジュアートの周りには敵しか存在しなかったのだ。その様な環境で育ち、国を出たからといって切り離せない物も多く秘めているだろうが、そんな背景は少しも見せなくなったイグジュアートをイオは自分よりもずっと大人に感じてしまう。

 孤独を恐れるのではなく目の前の温もりを信じよう。イオが苦く笑うとイグジュアートは穏やかに目を細めた。


 「イグなんて呼ばれ方をした事などないからな。イオとイグだと姉弟みたいで俺は嬉しい。」

 「見た目はまったく違うけど、そう言って頂けるなら図々しく頑張ろうかな。」

 

 離れる為に探していた仕事だったが、まさかそれが家族と言う言葉を与えてくれるなんて想像もしていなかった。けれどそれはイオだけに当て嵌まる事ではなくイグジュアートとて同じ思いである。


 生まれた時から両親なんていないも同然で、信じられる親しい人間すら一人も存在しなかった。もしもの時の保険としてだけの理由で生かされはしたが、罪人であるのと変わりない位置に置かれていた。国王の血を引いているなど何の威厳にもならない、恐れられながらも卑下される日々に諦めしか抱けない毎日。死に行くしかない未来にアルフェオンを巻き込んでしまった事だけが心残りで連れだされた後もしばらくは生きる事を諦めていた。けれど母と同じ瞳を持つ女性の存在が生への関心を生みだしたのだ。


 誰にでも心を絞め付ける鎖がある。それを解く切っ掛けはいつ訪れるか知れないが、イオとイグジュアートを拘束する鎖はいつの間にか緩んでいたらしい。それを解かずにいるのは己を守りたかったからだ。


 少し大人びて来た印象を受ける微笑みにイオも笑顔を返す。眩い笑顔を向ける少年と姉弟だなんて図々しい事を言ったら世界に張り倒されるかもしれないが、家族として迷いなく手を繋げたならと思った。


 並んで歩く二人の距離は他人でも恋人同士でもなく、家族としての距離が自然に保たれていた。





 



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