お仕事
目の前を白い物が流れる。イオはそれに手を伸ばしながら空を見上げた。
灰色の世界からゆっくりと舞い降りる小さな白い雪。どおりで寒い訳だと上着を引き寄せ首を縮めた。
アスギル、アルフェオン、そしてイグジュアートと出会った夜から四ヶ月あまり、季節は容赦なく日差しが降り注ぐ夏から冬へと移り行きイクサーン王国での生活にも馴染みつつある。そろそろ身の振り方を考える頃だとイオは一人街へ繰り出して来ていた。
このままイクサーンの『元』第二王子レオンの所有する屋敷で世話になりっぱなしと言う訳にはいかない。レオンとは古くからの友人であるアルフェオンやカーリィーン国王の落し種であるイグジュアートとは違って、イオは単なる一般市民、いつまでも一緒にいるという訳にはいかないだろう。
巻き込まれる形で連れて来られたが生きる場所を得られた事にはとても感謝している。カーリィーンで隠れ住む生活はいつ終わりを迎えるか知れない不安定な物だったのだ。捕まる恐怖から自由な生活もままならなかった世界。そこから抜け出し今こうして自由に走り回れるのはあの日の偶然と、多くの優しい人たちに出会えたお陰だ。
けれどいつまでも甘えていていい筈がないのだ。
アルフェオンはレオンの仕事を手伝い、イグジュアートは席を置いてはいないがレオン率いる王国騎士団に通い剣を学んでいる。そろそろイオも前に進むべき時期と感じていた。
モーリスのお陰で魔法というものが何であるのか感じられるようになったし、生活に便利な魔法も幾つか使えるようにもなった。ここまで出来るようになるまでにモーリスには随分と呆れられたが、渋い顔をし何気に厭味を吐きながらも根気よく指導してくれたし、イグジュアートと共に街に出て世間も学んだ。そろそろ頃合いかと感じ、イオは仕事と住む場所を求めて街をうろついている。
街に出る度にそこそこの求人があるのは募集広告で知っていた。斡旋所という仕事を紹介してくれる場所があるのもついさっき知り、イオでもやれそうな職種が幾つかあるのも確認できた。けれど女一人で得られる給金には限りがあり、それに見合った借家となると街の中心ではなかなか見つける事が出来ない。そこで目ぼしい物件を紹介してもらいどのような場所なのかと地図を片手に見て回っていたのだが―――
「迷っちゃったかなぁ―――」
ふわふわと小雪が送り出される灰色の空を見上げ呟く。イオが歩く通りは昼間だというのに殆どの店が扉を閉ざして静まり返っていた。行き来する人の数は少なくすれ違う男性は誰もがイオを値踏みするかに視線を這わせ、時折窓から外を見下ろす女性もいるのだが、この寒さの中であるにも関わらず薄着で肌を曝し気だるげに舞い散る雪を眺めているのだ。
来た事はないがどう見ても色通り。知識として僅かに知っているだけだったが、それでもそうだと解る景色にイオは肩身を狭くする。
引き返すかどうするか―――迷っているうちにどんどん通りの奥へと進んでいく。立ち止まるとすれ違う男に声をかけられそうで怖かったのだ。
取り合えず前に進もう、そうすればいつかは通りから抜けるに決まっていると早足で突き進むイオの肩が不意に掴まれる。
「ひぃぃぃっ!」
驚き声にならない悲鳴が上がる。振り向き様に肩から相手の腕を振り解くと、訝しげな灰色の目がイオを見下ろしていた。
「昼間であっても女性一人でそれ以上進むのは大変危険です。」
「エ…エデュウさん―――こんな所で偶然ですね。」
「色街に入るあなたを偶然見かけたので後をつけて来たのですよ。まさか娼館に就職希望でも?」
見知った顔にほっとするが、エディウの言葉にイオは大きく首を振った。
「まさかっ―――って、あれ? わたしが仕事を探しているってよくご存じですね?」
「あなたは考えている事が顔に出易い。レオン様があなたに何か適当な仕事がないかと私に尋ねて参りましたので―――何かご不満でも?」
レオンの名にイオの顔が歪むと、エディウの顔もそれ以上に歪んだ。
「レオン様の持ってきて下さるお仕事ってとんでもないんですよ。」
「選り好みなさるとは何と贅沢な。」
主自らわざわざ選んで紹介する仕事にケチをつけるとはなんて事だ。身を弁えろとエディウの眼差しが鷹の様に鋭くなり、イオは慌てて異議を唱えた。
「だって、王妃様付きの女官に空きが出たからどうだって、絶対おかしいでしょう?!」
イオとて黙って出て行くつもりは毛頭ない。これまで世話になった屋敷の持ち主であるレオンを始め、アルフェオンやイグジュアートにも理解を得ようと幾度かそれとなくイオなりの考えを述べはして来たのだ。しかしその都度レオンからやんわりと引き止められ、屋敷で皆の世話をしているのだから良いじゃないかと説得されてしまう。それでもやはり世間的に見てもおかしいのではと恐る恐る異議を申し立ててみれば、王妃付きの女官に欠員が出たからそれどうだとぶっ飛んだ答えが返ってきた。
何処をどう見ればイオに王妃の女官が務まるというのだ。いいとこ城の片隅で洗濯女程度に雇われるのが妥当ではないのだろうか。
別に贅沢を言っている訳ではないとの訴えに、エディウは驚いたように瞳を瞬かせてから眉間に深い皺を刻んだ。
「まったくあのお方は―――」
ため息交じりの呟きにエディウも同じ意見なのだとイオはほっとする。低く見積もられても怒りはない。この世界では育ちによって出来る事と出来ない事が数多く存在するのだ。
「解りました。両者の意見を最大限に考慮し、私が責任を持って貴方に仕事を紹介しましょう。」
仕方がないと請け負うエディウにイオは慌てて首を振った。
両者の意見となるとレオンの意見も酌む事になる。『元』王子と平民も下層出身のイオでは考えに大きな隔たりがあるのは目に見えていた。
「お忙しいエディウさんにそんなこと頼めません。自分の仕事は自分で探して皆も説得しますから大丈夫です。」
自分で仕事を探した方が後々面倒に巻き込まれないような気がしたイオだったが、その意見はぴしゃりと跳ねのけられてしまった。
「出身を理由にするのは止めなさい。あの屋敷でレオン様に保護された時点であなたの立場も変わったのです。あなたを野放しにして万一の事があればレオン様も無関係ではいられない。」
「単なる亡命者を一国のお…騎士団長が気にするのって普通じゃないですよ。」
「その亡命にレオン様も関わったのです。もし今貴方が誘拐でもされた場合、身代金の要求はレオン様に行きます。そしてレオン様もそれを捨て置く様な御方ではない。本当なら屋敷に大人しく篭ってくれると助かるのですが、あなたがそれを望まぬのなら強制はできません。ならば目の届く場所に置いておくのが一番。あなたの仕事は私が決めます、宜しいですね?」
主であるレオンがイオを手の届く位置に置きたがっているのはエディウも理解していた。手を出すのかと思いきや、まるで少年の様に戸惑いを見せるレオンに違和感を感じる。あのお方がまさか恋でもしたのかと疑いを抱きながらも見え隠れする国王の存在に裏を感じてならない。消えた魔法使いの件もあり、イオが何か大事な物を握っているのだとエディウなりに判断していた。
見張るなら遠くよりも近くの方がやり易い。そしてなるべくなら騎士団舎に近い方がレオンの無駄な外出も減るだろうと考えを巡らせる。かつてレオンがあの屋敷に足を運ぶのは心に疲れが溜まった時だけだったが、今はほとんど毎日、夕食時に顔を出して毒見もされていないイオの作った食事に手をつけているのだ。別に屋敷に足を運ばれるのは構わないのだが、有事の際に騎士団舎と屋敷では少々距離があって不便でもある。闇の魔法使いの行方が未だ知れない中、今後何があるか解らないのだ。
上手くすれば二つの問題が一気に片付くのではないかと、エディウは目ぼしい先に中りをつける。
「あの、エディウさん―――」
「宜しいですね。」
否とは言わせない強い態度に、イオは首を窄めて「はい」と小さく返事をした。あまり表情を変えず笑った所など一度も見た事がない。そんなエディウにイオの様な小娘が楯突ける訳がなく、もしそう出来たとしてもどの道エディウのペースに呑まれるだけだ。まぁいい、『元』王子のレオンよりは常識人であるのは間違いないのだし暫く様子を見てみようと決めたイオだったのだが―――
まさか翌朝早々に仕事の話を持って屋敷を訪ねて来るとは思ってもいなかった。
「仕事って…まさかここを出て行く気なのか?!」
「そう言えば先日君とレオンがそんな話をしていたような―――」
驚きと怒りが交じり合うイグジュアートに冷静に記憶を探るアルフェオン。涼しい顔で佇むエディウにちょっと早すぎやしないかと訝しむイオ。異なる感情が一つの部屋に入り乱れる。
「面倒な案件ほど早々に済ませたい性質なので。」
あ、やっぱり面倒だったのねと、イオは向けられた視線をするりとかわす。
「それでどのようなお話を頂けるのでしょうか。」
「騎士団宿舎内での侍女です。雑用と下働きを合わせた様な仕事が主ですので、イオ殿でも臆する必要はありません。詳しい説明は担当の者が致しますので本日はイグジュアート殿と赴き、宿舎内にある食堂へ向かって下さい。」
騎士団と聞くとレオンの顔が思い浮かび身が硬くなるが、仕事内容は雑用と下働なら大丈夫そうだ。イオが探していた職種もそんな物だったので、良く解っているとエディウを見直す。何処かの騎士団長(勿論レオンだ)と違って話がちゃんと通じて良かった。あとは二人の許可だなとイオはエディウにお礼を述べつつアルフェオンを伺う。目が合うと微笑んで頷いてくれた。
「良い話だと思うよ。私とイグジュアートもあそこには常に顔を出しているから安心だし、君も屋敷に篭ってばかりだと息が詰まるだろうしね。」
快い返事を貰ってほっとする。
「ありがとうございます、反対されるかなってちょっと悩んでいました。」
「まぁここを出て行くとなると心配で正直頷けないが、そうでないのなら特に反対はしないよ。それにエディウ殿の紹介なら大丈夫だろう。」
もう一度礼を述べながらこっそり借家を探していた事は内緒にしておこうと決める。後ろめたさからイグジュアートへ向き直るのが嫌に硬くなったのだが―――
「騎士団―――俺と一緒に?」
姉か母親の様に慕ってくれるイグジュアートはイオが外に出るのを普段はとても嫌がるのだが、最初の一声こそ険悪だったものの今はすっかりいつもの感じに戻っていた。
「あの、イグジュアート様。本当ならもっと早くに相談するべきだったのでしょうけど……」
「ああ、毎日一緒に通おうな!」
下手に様子を窺うと破壊的な笑顔が向けられ、あまりの眩さにイオは目を細めた。




