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心の鎖  作者: momo
二章 イクサーン王国
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出来の悪い子

 




 まだ暗いうちに起き出したイオはアルフェオンとイグジュアートを起こさないよう注意して廊下を進む。

 一昨日はレオンが滞在し、そして昨日は二人とも出かけず一日屋敷にいたので体を洗えなかったのだ。毎日入浴する習慣はないが、汗だらけの体を拭うだけではあまりすっきりしない。夜間は心配されるので長時間表に出るのも憚られ、早朝なら大丈夫だろうと下着姿でうろつくイオの行動はある意味危機感が無さ過ぎた。


 両手に着替えは抱えている。暗いうえに二人とも寝ているし、外から誰かに覗かれる心配も無い。剥き出しの肩に膝から下も早朝の空気に曝した下着姿で台所に着替えを置き、手拭だけを持って井戸端にでると頭から水を被った。


 「冷たっ!」


 夏とはいえ流石に暗いうちでは水も空気も冷たい。それでもイオはすがすがしい気分で一息つくと濡れた髪を梳き、手拭で体を擦った。暗くて誰にも見られていないと解っていても流石に裸にはならない。下着の中に手を滑り込ませ器用に全身を洗うと、最後にもう一度頭から水を被る。濡れ髪を絞って簡単に纏めると、水が滴る体を拭いながら台所に繋がる扉を開けた。


 踏み込む前に濡れた下着を脱いでしまおうと裾に手をかけた時、カタンという音にはっとして顔を上げるとアルフェオンが扉を押し開いて台所に入って来る所だった。


 「イオここにいる―――失礼。」


 僅かな間の後に状況を把握したアルフェオンはそつなく視線を外して扉を閉める。無駄がなく、そして慌てもしない大人な反応を声も無く見送ったイオは、暫くそのまま固まって動けずにいた。


 濡れた下着から滴が滴り落ちる。体は冷えているというのに顔に朱が走りイオは座り込んで膝を抱えた。


 「わたし何やってるのよっ…」


 当たり前の様に生活して行動していたけれど、ここには異性がいるのだ。それも一人は立派な成人男性が。

 勿論アルフェオンがイオに欲情するとかそんなとんでもない考えは抱いていない。ただ己の失態で呆れられるのが嫌だと、恥ずかしいと認識が出来ているのにその行動をしてしまった自分が酷く情けなく思えた。


 消したい、アルフェオンの目に映った今の自分を綺麗さっぱり消してしまいたい。出来ないと解っていても望んでしまう。

 アルフェオンの事だから次に顔を合わせても何もいわないだろうし、そもそも何も気にしていないだろう。それに裸を見られた訳ではない、下着だけどちゃんと大事な場所は隠れているじゃないか。

 奮い立たせるように自分で自分を慰めながら、それでも見られてしまった醜態に悶え頭を抱える。しかし何時までも濡れた下着のままでいても仕方がないと、イオは周囲に聞き耳を立てながら手早く着替えを済ませた。


 予想通り朝食の席で顔を合わせたアルフェオンは気にしていないのか何も言って来ない。動揺しているイオを気遣いあえてそうしているのかもしれない。正直知らないふりが一番有り難かった。


 「どうしたのイオ、なんだか変だけど?」

 「いえ、何でもありませんよ。」


 何も知らないイグジュアートが無邪気にも異変に気付いて問いかけてくるが、詳細を語るつもりは毛頭ない。話して恥をさらすのはイオだ。イオは己の失態を一刻も早く記憶から追い出そうとわざとらしく明るく振舞った。


 朝食を終えると用意した弁当を籠に入れて準備終了。アルフェオンとイグジュアートの分は台所のテーブルに置いてある。イグジュアートは当然の様にイオをモーリスの屋敷まで送り届けてくれた。




 門の所でイグジュアートと別れ扉を叩くとすぐに開かれる。

 相変わらず怪しさ満点で暑苦しい姿をしたモーリスが顔を合わせて早々に眉を顰めた。 

 

 「朝からずいぶんと気が重そうではないか。にこやかに笑えとは言わんが、我が屋敷が一層辛気臭くなる。やめろ。」

 

 自分の屋敷が辛気臭いと認識はしているのか。

 モーリスの冗談とはつかぬ言葉にイオは「ははは」と力なく笑ってから屋敷に足を踏み入れた。


 一昨日と同じ部屋に案内され、同じように燭台を持ったモーリスが床に腰を下ろす。イオもそれに従い前に座ると焦げて黒くなった蝋燭の芯をじっと見た。


 「未熟者に雑念は邪魔だ。」

 「仰るとおりですが未熟者ですので動揺がなかなか収まりません。」


 イオの不貞腐れた態度に気付いたモーリスは背筋を伸ばし話を聞く体制を取ると「言ってみろ」と話を促した。

 

 「女としてどうかという失敗をしまして、それで落ち込んでいます。」

 「男風呂でも覗いたか?」

 「何でそうなるんですかっ!」

 

 思わず膝立ちで怒鳴りつけたイオだったが、はっとして目を泳がせるとしゅんとして座りなおした。


 「では何をした。ドレスを翻し馬に跨ったか、それとも大酒飲んで男の寝台で目覚めでもしたか。」

 「いえ―――もう結構です。代わりに質問をしても宜しでしょうか。」


 その例えのどちらもご免と思いながら、今朝の出来事を詳しく話す気にもなれず矛先を変える。


 「先日モーリスさんは背後に気をつけろと忠告してくれましたけど、それって魔力が溢れているから注意しろって意味ですよね。様々な意味がある様な事も仰られていましたが、それを詳しく教えてくれませんか?」

 「面倒だ。」

 「面倒って―――わたしにとっては重要そうなんですけど?!」

 「そのうちお前が魔法を使えるようになれば解決する問題だ。他に質問がないなら意識を集中しろ。」


 ちょっと教えてくれるだけでいいのに何が面倒なのか。それ程複雑な問題でもなさそうなのにと子供の様に頬を膨らませながらイオはモーリスをじっと睨むように見据えた。


 「モーリスさんが使った治癒の魔法ってのは教えて貰えるんですか?」


 一昨日の稽古で熱により手を火傷した際、モーリスはイオの火傷を瞬く間に治療してくれた。今教えて貰っている炎を灯すというのも便利ではあるが、将来これを仕事に役立てられるとは思えない。それなら手っ取り早く治癒魔法を覚えてそれで稼ぐ方が身になるのではないかと考えたのだ。


 しかしモーリスはイオの考えを鼻で笑う。


 「お前は医者以上の詳しい医療知識を持ってはいまい。そんな奴が治癒魔法など笑わせるな。」

 

 そんなにおかしなことを言っただろうかとイオは胸の前で腕を組んだ。


 「僅かな外傷や血の流れ、痛みを取り除くのは容易い。だがそれだけだ。折れた骨を元の形に戻すとなると骨を繋ぐだけでは足りない。切れた神経と血管、筋肉や骨といった見えない部位をつかみとり正確につなぎ合わせねばならぬ根気のいる作業だ。首等の重要な部位から噴き出した血を止めるのはただの止血と異なる。できるからと知識の無いものが行えば血の流れは途絶えやがて死に追いやるしかなくなるぞ。」


 やりたければ医学の基礎から学ぶのだなと告げられ、イオは安易な考えを持っていた己が恥ずかしくなった。

 例え魔法が使えても無暗やたらに振舞ってよいものではないらしい。それで人を死なせてしまうかもしれないと聞かされると、やはり魔法とは恐ろしいものなのだと認識を強くする。

 

 沈んだイオの様子を窺っていたモーリスは指で己の顎を幾度か突き話を変えた。


 「お前に一つ頼みがあるのだが。」

 「わたしに?」


 モーリスの様な人が自分に何の頼みがあるのだろうと、イオは顔を上げて首を傾げた。


 「アスギルに会う事があれば聞いておいてもらいたい事がある。」

 「ああ、アスギルにですか。」


 用があるのは自分ではなくアスギルにかと、やっぱりそうだよなぁと納得しながら僅かに身構えた。

 闇の魔法使いが復活したかもしれないせいで、この世界の人たちはアスギルを利用しようとしている。そう思っているイオは力が無いなりに彼を守りたいと思っているのだ。

 しかしモーリスはイオの考えに反し、アスギルに会わせろとかは望んでいなかった。


 「闇の魔法使いが世界を崩壊に導いた原因―――それをアスギルがどう考えるか聞いてみてくれ。」

 「えっ…と。そんな事、ですか?」

 

 闇の魔法使いが猛威を揮い世界を滅ぼしかけたのは何百年も昔の事だ。それをアスギルに質問する意味が解らない。


 「多くの意見を参考にしたいだけだ。」

 「はぁ…まぁいいですけど。でも何時会えるか解りませんよ?」

 「構わん。」

 

 そう言うと話は終わりとばかりにモーリスは目の前の燭台を顎で指し示す。イオは一つ咳払いをし、先日同様に蝋燭の芯に手を添え意識を集中させると、早速熱で火傷をやってのけてみせた。



 そうやって先日と変わらず失敗を繰り返していると、もう昼だぞとイオの腹時計が告げる。なにしろ窓一つない部屋なので外の様子は全くわからないのだ。

 

 「そろそろ休憩にしませんか?」


 教えを請う立場で休憩を要求するのもどうかと思ったが、イオが言いださなければ先日と同じ結果を招きそうだったので、失敗の隙に提案してみる。すると案の定『なにいってんだこいつ』的な表情で眉を顰められたが、気にせず明るさを繕った。


 「お弁当作って来たんです。モーリスさんの分もありますから一緒に食べませんか?」

 「私は日に一食で事足りる、半時したら再開するぞ。」


 モーリスはするりと立ちあがるとイオを残して部屋を出ていく。食べるなと言われなくて良かったと、多少息苦しさを感じるが、どうせ部屋を移ってもまして外に出ても風景は変わらないからと、イオはその場で籠を開けるとサンドイッチを頬ばった。


 きっかり半時立つとモーリスが再び入室し、授業が再開される。

 薄暗く陰気な部屋に二人して篭る図は何とも異様だなぁと再度実感しながら蝋燭の先に炎を連想していると、突然目の前に渦巻く炎の柱が立ちあがった。


 「きゃぁっ?!」

 「いいぞ、そのままゆっくりと収まる様を思い描け。」


 熱も光も感じる正真正銘の炎。それがイオの掌から立ちあがり天井にまで届こうとしており、屋敷を焼いてしまわないかと恐れていると、見えない何かが炎を取り囲み、それ以上は燃え上がれないようになっているのに気付く。

 掌に熱を感じるが火傷もしていない。これはイオが魔法を使いこなせている証拠だ。


 イオが立ちあがらせる炎は初心者にありがちな迷走は無く、炎は明後日の方向に迷う事無く一か所に留まり続ける。モーリスはなかなか筋がいいと頷きながら結界を張り冷静に対処していた。

 

 モーリスのお陰で屋敷を焼いたり悲惨な結果を招くことはない。それを実感し安心したイオの上達は早かった。

 炎や風を操る魔法は切っ掛けを掴めば簡単なのだ。そしてそれを操れるようになるのと同時に魔力の制御も自然と身に付く。


 「思ったよりも早かったな。」


 初日の様子から一月程度の時間は必要だろうと予想していたのだ。それがたったの二度で上手くいくとはかなり筋が良いようだ。幸か不幸か、イオからアスギルの情報を得たいモーリスからすると苦笑いが漏れる。

 モーリスの思惑に反し、魔力の制御が出来たというのに当のイオは浮かない顔でモーリスを見つめていた。

 

 「まさか、これでお終いって訳じゃないですよね?」

 「これで終いだが?」

 「そんなっ―――」


 イオはがっくりと肩を落とした。


 「魔法を極め結界師を目指すのであればこの程度では終わらんが、お前は違うのではなかったか。」

 「そうですけど…目指さないけどある程度まで教えを請う訳には―――いきませんよね?」


 ただでさえ面倒そうに相手をしてくれていたのだ、応と答えてはくれないだろう。

 だからモーリス直々でなくてもいい、もう少し自分自身で安心できるようになるまで誰かに訓練を請いたかった。イオは自分から火柱が立ち上るという初めての経験に怖気付いたのだ。


 だがモーリスにはイオの心境はとてもじゃないが理解できない。物心ついた頃より当たり前に何でもできた彼は、出来ない人間の心理など想像しようとすら思わないのだから。


 イオの申し出は正直有り難いが、後は自分でどうにでもできるのに何故と眉を顰める。


 「教えなくとも出来るだろう?」


 モーリスは眉間の皺を深くし当然の様に疑問をぶつけた。

 

 「わたしは天才じゃありませんから。」

 「凡人とて容易いだろうに―――お前はそこまで愚かなのか?」


 モーリスの可哀想な子を見る目に、イオは奥歯を噛みしめギリリと音を立てた。






 

 

 



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