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心の鎖  作者: momo
二章 イクサーン王国
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 失礼な人!!!


 イオがモーリスに持った最初の感情はそれ以外にない。


 人の姿を頭からつま先までじっくり観察してため息。その落とされた溜息に乗って、何でこんな小娘の面倒をみなければならないんだと、無言で訴えるモーリスの声がイオの脳裏に届いたような気がした。


 言葉を発さずとも表情が正直すぎる。こっちだって怪しさ満載の結界師などまっぴらごめんだと喉まで上がって来たが、イオは一人の立派に成人した大人としてその言葉を必死で飲み込んだ。

 たとえ相手がどんなに失礼な人であっても、それが大人として最低限の礼儀だ。それがイオより遥かに年上である目の前の男が出来ていない事で、彼より自分の方が出来た人間だと必死で思おうとした。


 そもそもアスギルが自分の為にわざわざ頼んで行ってくれたのだ。その好意を無下にしてはならないし、それよりもどんなに気に食わない相手であってもこっちは魔力の制御の仕方など全く解らなのだ。ここは大人しく下手に出ておくべきでもある。何より反抗して面倒など誰が見るかと見捨てられ、困った事になるのは自分なのだ。

 解放された魔力をどう使い制御するのか、目の前の怪しい男から拒否されたら最速アスギルの名を呼ばねばならなくなってしまう。


 「どうぞよろしくお願いします。」


 頭を下げるとモーリスの眉間に更なる皺が寄り、しばらくの間を置いてまたもやため息を落とされた。


 (すっごくムカつくんだけど―――!)


 それでも自分の為にアスギルが頼んでくれたのだと思い表情に出さない努力をしていると、モーリスが徐に手を伸ばし紙切れを差し出した。

 受け取り目を通すと住所らしき文言が書かれている。


 「明日、夜明けの時刻に。」


 それだけを残しモーリスはマントを翻してイオの前から姿をくらます。いつの間にかレオン縁の男も姿を消しているのに初めて気付いた。


 暫く呆然としていたイオは手にした紙切れに視線を落とす。

 

 「いったい何処なのかしら。近ければいいけど…」


 住所を渡されても何処が何処だかさっぱり分からない。屋敷を掃除した時に見つけた地図にのっていればいいがと考えていると、イグジュアートが汗を滴らせ戻って来た。


 結局体を拭う事が出来なかったイオは、日が沈んでからにしようとその場を譲り室内に戻って行く。


 「何かあったのか?」


 何処となく様子がおかしいと気付いたイグジュアートは水を浴びる前にイオを引き止めた。


 「アスギルがね、彼の知り合いに結界師の先生を紹介してくれるように頼んでくれていたみたいなの。明日は夜明け前にここを出てその人に話を聞きに行って来ます。」

 「アルフェオンの帰りはまたないのか?」


 あまり人と接触するなと言われていたが、アスギルが関わっているなら問題ないだろうと思っていた。相手があの失礼で怪しい人間であるのは気が引けるが、引きこもっているのにも飽きてきた所だ。


 「アスギルがそうした方がいいと言っていたからそれに従います。」

 「それなら明日は俺も付いて行こう。」

 「解りました。じゃあ今日は早く寝た方がよさそうですね。」


 イオは先に夕食の準備を整えておく事にし、踵を返しイグジュアートに背を向ける。そんなイオの背をイグジュアートは複雑な思いで見送っていた。



 



 日が沈む前に熱過ぎない野菜入りのスープとパン、それに干し肉を使った料理で腹を満たすと、イオは薄暗い外に出て一日の汗を拭った。身を焼く日差しはなりを顰め、涼しい風が首筋を撫でほっと息を吐かせる。

 明日から自分の周囲が動くのだと僅かに緊張しながらしばらく夜空を見上げ、それから使った桶と手拭を持って室内に戻って行った。


 部屋に入り明かりを消そうとした所で扉が叩かれる。

 今この屋敷にいるのは自分とイグジュアートだけだ。扉を叩いた主が誰なのか解っているイオは素足で駆け寄り扉を開いた。

 開かれた扉の向こうには予想通りイグジュアートが伏し目がちに立っている。


 「どうかなさいました?」


 覗き込むように首を傾げるとイグジュアートの緑の瞳がイオを捕らえた。


 「もう寝るのか?」

 「え…はい、そのつもりですけど?」

 「そうか―――」

 「えっ??」


 何がそうなのか、イグジュアートはイオと同じ素足のままで一歩踏み出して来た。驚いたイオが流されるままに身を引くとイグジュアートは後ろ手に扉を閉め、イオの手を引いて彼女を寝台に押し込んでしまう。そしてあろう事かイグジュアート自身もその寝台に体を滑り込ませて来たのだ。


 「あの…イグジュアート様っ?!」

 

 驚いたイオは壁に背を寄せながらイグジュアートの進入を拒もうと両手で彼を押し拒絶した。しかしイグジュアートの方は敷布を捲って勝手に横になってしまう。


 「一緒に寝よう。」

 「はぁっ?!」


 何の冗談だと驚いたイオは膝立ちになった。


 「こういう事がいけないのだとは解っている。だがお前が何処か遠くへ行ってしまうんじゃないかと不安でたまらないんだ。どうか許して欲しい。」


 不安そうに眉尻を下げるイグジュアートの瞳は少年の目だった。男くささなど無い純粋な子供の瞳を前に、焦る自分が何を意識しているんだと恥ずかしくなって頭を振る。

 

 イグジュアートは子供だ子供!

 成長途中の多感な時期だが、こうやって心を開いてイオを頼ってくる様は愛おしくてたまらなくなる。彼が自分の中に『母親』を見ている事などとうに気付いていたのだ。恐れ多くて認めなかったけれど、こんな風に心を曝して接近して来られたら拒絶のしようがない。


 イオは大きく息を吐いて自分を落ち着けてから、己の心をほぐすためにもにっこりとほほ笑んだ。


 「わかりました。ただし今日だけですよ?」


 身分の差にとんでもないと思いはしても、こんなにも綺麗で愛らしい少年に望まれては断れるわけがない。

 広いとはいえない寝台に横たわると、二人の間には大した隙間も生まれなかった。そしてそんな隙間すら埋めてしまいたいとでもいうようにイグジュアートがイオに手を伸ばして握ってくるのだ。


 「駄目だろうか?」

 「―――本当に今日だけ、ですからね?」


 躊躇しながらもまぁいいかとやりたいようにやらせてやると、これまた破壊的な美貌で嬉しそうに緩く微笑んでくれる。


 ああ…身分以前にイグジュアートにはまったく叶わない。

 まだ幼さの残る少年とはいえ、異性と同衾する事の意味をイオ自身が軽く見積もっている今の状況に不自然さも覚えなかった。意識する方がおかしな気さえしてしまう。


 その後の二人は特に何か話すでもなく、手を握り合ったまま穏やかな眠りに付いた。




 二人がそんな夜を迎え深い眠りに付いた頃、久し振りにアルフェオンが屋敷に戻って来た。

 闇の中にあっても足取りは迷いなくイグジュアートが使っている部屋に辿り着きそっと扉を開く。しかし部屋に望む人影はなく、寝台に手をやっても温もりは感じられなかった。


 不安を胸に隣に眠っているであろうイオの部屋を遠慮気味に小さく叩くが返事はない。失礼だとは思ったが非常事態に備えそっと扉を開いて中の様子を窺うと、狭い寝台に身を寄せ合う二人の影を認め驚きに息を飲んだ。


 なんて事だと目眩を覚えつつ、気配を消して寝台に歩み寄り二人の様子をのぞき見る。軟く開かれたイオの手をイグジュアートがぎゅっと握り締め深い眠りについてた。

 

 二人に衣服の乱れがない事にほっとし、さらに穏やかに眠るイグジュアートの横顔を見ているとアルフェオンの心の内も穏やかな思いに満たされて行く。

 イグジュアートがイオを必要としているのは早くに気付いていた。それを彼女が害に思わないでいてくれるなら今しばらくはそれに甘えてもいいだろうかと、幸薄い大切な人を優しい瞳で見つめ続ける。行き過ぎた想いになるようならその時に止めれば済む事だ。

 今はまだ穏やかな時間を堪能させてやりたい。


 アルフェオンは気配を消したままそっと寝室を後にした。

 

 

 







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