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心の鎖  作者: momo
二章 イクサーン王国
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王の見聞




 イオがイクサーンの王都に到着してから七日が過ぎていた。


 到着早々宿から無理矢理に連れてこられた屋敷でイオは家政婦同然の仕事をしている。仕事と言ってもそれを強要されている訳ではなく、他にすることが何もないからだ。


 来た当初は闇の魔法使いが復活しただのアスギルとの別れだのと身も心も目まぐるしかったが、その一晩がすぎ去れば何と言う事もなく、ただ穏やかな日常が過ぎて行くだけだった。


 あの日以来アルフェオンはレオンに連れられて行かれてしまい何処でどうしているのか知れない。アルフェオンが出立するまでの短い時間の間に自分とアスギルの間に起きた出来事を簡単に話すと、確かにイオから魔力が溢れ出している…何があるか解らないので自分が戻るまではあまり人と接触しないようにと忠告を受けた。

 そんな訳でイオとイグジュアートだけが屋敷に取り残されたのだ。

 

 身の回りの事は何でもできるし、二日に一度食料の配達もあるので屋敷での生活は何不自由ない。イグジュアートは時折自己流で体を鍛えていて、イオは一日の大半を屋敷の掃除に費やして過ごした。


 よく見ると一室を除いてほとんど使われた形跡がなく、台所などは一見片付けられているように見えて実の所は塵と埃に埋もれていた。調理台にこびり付いた汚れを落とさなければパンも焼けないし、水桶は衛生的に保たねば病の原因になるので幾度も洗っては水を張るのを繰り返した。屋敷内の掃除はイグジュアートも率先して手伝ってくれた。最初は王家の血を引く御方に恐れ多いと断ったが、自分は一般人として生きて行くんだと言うイグジュアートの気持ちを優先し、イオは一から丁寧に掃除の仕方を教えた。


 

 広い屋敷とて七日もあれば掃除のやり場所も尽きてしまう。イグジュアートは体を鍛えるのに外を走ってくると出て行ってしまったので話し相手もない。多感な年頃の少年がいないのを見計らったイオは、今のうちに汗ばむ体を拭こうと井戸端に出た。

 本当なら行水でもしたいところだったが、誰もいないとわかっていてもさすがに真昼間からその勇気はない。照りつける太陽の下、走り込んだイグジュアートが帰宅して真っ先に行水するだろうと予想すると、すぐには戻ってこないだろうと悠長に考えてはいけない気がした。


 桶を手に井戸へむかうと人の気配に気を取られる。まさかもうイグジュアートが戻って来たのかと振り返ると、そこに大きな人影を見つけた。

 背が高く白髪混じりの淡い茶色の髪をした男性で、年の頃は五十代に差し掛かった頃かもう少し上だろう。とても身なりが良くピンと伸びた背が威厳を持っており、イオははっとしてその場に両膝を付いて頭を垂れた。


 ここはイクサーンの第二王子であったレオンが所有する屋敷だ。ここに訪ねてくる誰かはレオンに用事があって来るに違いない。そうなると相手は必然的に騎士か貴族でそれなりの身分にある人になるだろう。そしてイオの目の前にいる人物は明らかに騎士ではなく、イオの目から見ても相当の身分のある人物に思えた。


 「そなたがイオだな。」


 問いかけにイオの肩がびくりと震える。それに対して男がかすかに笑う音が耳に届き、こちらへ向かって近づくのが分かった。


 「膝を付く必要はない。私は騎士団長に縁ある者、そなたに訊ねたい件があって参ったのだ。」


 縁ある者と言いながら名乗る気はないようだ。まぁどこからどう見ても平民出身の田舎娘に、あのレオン騎士団長縁の人が名を名乗る義理はないだろう。だが声は優しく跪いたイオに手を伸ばして立たせてくれた。

 大きくごつごつとした手にこれは剣を持つ手だと確信する。もしかして―――先代の騎士団長とかだろうか?

 されるままに立ちあがったイオは目の前の男を見上げる。最近は同じ背丈のイグジュアートとばかり一緒にいたせいか久しぶりに見上げる男性に、夏の空が眩しいなぁとか思考が現実逃避気味だ。


 「そなたと共にここへきた魔法使いがいたな。その者の行方を知りたい。」

 

 ああやっぱりとイオは見上げるその人から視線を外して俯いた。


 ここにアルフェオンがいないのも、イオが難民としての適切な処理を受けずに放っておかれているのも、レオン騎士団長を筆頭に多くの者たちが復活したかもしれない闇の魔法使いを捜しているからだ。世界で、イクサーンで何か特別な事が起こっている噂は聞かないが、アスギルの様に力を持っている魔法使いはこれからの不安な世界では必要にされるだろう。

 いままで迫害の対象として扱われてきたイオにとってそれはあまりにも理不尽な出来事だった。

 

 「彼とは都入りして別れました。その後何処に行ったかは知りません。」

 「深い付き合いだったのだろう?」


 それなのに知らない訳がないと言葉を落とされたイオは「え?」と目を丸く見開いた。


 「誰がそんなこと―――」

 「先日私のもとを彼が訪れた時に、そのような言葉を彼自身が言ったのだよ。」

 「アスギルが…ですか?」

 

 ふいに解かれた感情に男は口角を上げる。


 「そなたをよろしく頼むと、確かに。」

 「どうしてあなたに―――」

 

 それよりもイクサーンの王都に知り合いがいたのかと、そんなそぶりを見せていなかったアスギルにも驚かされる。


 「アスギルはあなた様に行先は告げなかったのでしょう?」

 「尋ねる間もなく去ってしまったものでな。そなたに有能な魔法の指導者をつけて欲しいと願いだけを残して消えたのだ。」


 アスギル自身に託されたのだと友好的に言葉を落とすと、思惑通りイオは心を解いて男を見上げた。

 紫の瞳から魔力が漏れ出している―――確かに闇の魔法使いの言葉通りだとハイベルは身構えた。


 わざわざハイベルのもとを訪れ、殺すではなく逆に死の病から解放してまで気にかける娘。容姿の違いから闇の魔法使いの血を引いている訳ではなさそうだが、その瞳から漏れ出る魔力は強力かつ膨大だ。


 レオンのもとに身を寄せるこの娘がどちら側の人間かはっきりとは掴めない。不遇の王子の亡命に巻き込まれた形となってイクサーン入りしてきたのは事実だが、それが偶然なのか必然なのか、詳細を得るには慎重にならざるを得なかった。


 「アスギルを連れ戻すんですか?」


 意を決してイオはハイベルを仰ぎ見た。


 「連れ戻して闇の魔法使いと戦わせるつもりですか? 絶対に勝てっこないって解ってるのにどうしてそっとしておいてはくれないんですか。」


 ハイベルの思惑も知らず、イオは自分たち魔法使いがカーリィーンで過ごした日々を思い出し訴える。

 隠れ住み、いつ露見するか解らない恐怖に特定の友人を持つ事すらかなわなかった。好きになった人からの求婚も魔法使いゆえに受け入れる選択肢すら与えられなかったのだ。見つかれば自由を失い、最悪死を招く。生きる為にひっそりと息を顰めるしかなかった窮屈な世界。


 迫害しておいて必要だからと都合よく利用される。そんなのあまりにも理不尽ではないか。


 気迫溢れるイオの言葉をハイベルは黙って聞いていた。

 どうやらあの魔法使いが何たるかも解ってはいない様子にハイベルは目を細め、イオはその威圧感にはっと息をのんだ。


 「闇の魔法使いの件は慎重になるべき問題だ、無暗に口にするべきではない。」


 ハイベルは確信していたが、国家としての見解は復活したかどうかははっきりと解ってはいない状態だ。今はまだ世間に露見させ不安を与える時期ではない。


 「それにどうやら勘違いをしているようだが、私はあの魔法使いを利用しようなどとは微塵も考えてはいない。ただそなたを頼むと言って去ってしまった―――アスギルが、気になっただけなのだよ。」


 穏やかに、そして慎重に、イオの様子を伺いながら友好的な関係であるかに優しく語りかける。


 「そなたにも行先を告げずに? もしや今もこのイクサーンにいるのであろうか―――」


 じっと瞳を覗き込まれてイオは視線を外した。


 「ごめんなさい、本当に知らないんです。」


 行先を知れば誰かに話してしまうかもしれない。だから意図して聞きもしなかったのだ。

 聞いておかなくて本当に良かったと、イオは心の内でほっと息を吐いた。

 

 「そうか―――残念だが仕方がない。」


 嘘を吐いている様子はないと判断したハイベルはこれ以上の詮索をやめる。イオ自身に何もなくとも闇の魔法使いにはあるのだ。行き過ぎて不興を買ってはならないとここで身を引く事にした。


 「さて、ここからが本題なのだが―――」


 ハイベルはアスギルの話はあくまでもついでとばかりに一際声を張り上げる。すると突然ハイベルの後ろから男が一人姿を現しイオは驚きに息を飲んだ。

 ハイベルの真後ろから気配もなく現れたのは灰色の髪と目をした五十歳前後の、目つきの悪い怪しい雰囲気駄々漏れの男だったのだ。


 男は真夏だというのに立襟に長袖の分厚い長衣をきっちりと着込んでいて、おまけに深紅のマントまで羽織っている。見ていてこちらまで暑苦しくなってくる程で、長い前髪で顔の右半分が覆われておりそれがさらに暑苦しさを助長していた。

 こんな男がすぐ側にいたのにどうして気がつかなかったのかと不思議でならない。


 「結界師のモーリス。少々癖のある男だが私が知る中では最高の結界師だ。そなたの良き導き手になってくれるであろう。」

 「―――え!?」


 驚きに声を上げたイオに対しモーリスは心底嫌そうに表情を歪めると、イオを頭からつま先までじっくり観察し、再度顔を顰め盛大にため息を吐いた。











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