冷たい手の
いくつかある部屋のどこを使ってもいいと言われ、イオはイグジュアートの隣を借りることにした。
夜明け前の暗い部屋に明かりもともさず、カーテンを開いて白み始めた空を眺める。
新しい一日が始まろうとしているのにイオの時間はまだ終わらない。心も体もだるくて仕方がなく置かれた寝台に雪崩れるようにうつ伏せで身を沈めた。
長く使われていなかったのか、僅かな埃のにおいが少しだけイオをほっとさせる。とても柔らかでしつらえの良い寝台に感動する余裕もなく寝返りを打つと天井を見つめた。
あの後、アスギルがもう一度イオたちの前に姿を見せるかどうかは分からないと答えた。それを聞いたレオンはイオには目もくれず、アルフェオンとイグジュアートにまた後ほどと声をかけるとエディウを伴って出て行った。
まぁアスギルの居場所を知らない、呼べない一般人亡命者など元王子が気にするにも値しない存在なのだろう。意識から排除してくれて正直ほっとした。
カーリィーンを出て行かなくてはならなくなった時からずっと一番大事なのは自分だった。それでも四人で森を抜けてイクサーンに来るまでに情は出てくるし、当然仲間意識も芽生える。闇の魔法使いが復活したかもしれないから力の強い魔法使いが必要だと言われ、はいそうですかとその場にいないアスギルを生贄同然に差し出せるわけがない。
少し前までのイオなら己の保身のためにアスギルを呼んだかもしれない。だけど彼の縋る様で遠慮がちな赤い瞳を思い出すと、たとえ権力をかざされたとしてもとてもじゃないが協力は出来なかった。アスギルがどんなにすばらしい魔法使いだとしても、世界を闇に落とした魔法使いに叶うはずなんてないのだ。無理に協力させられるくらいならアスギルを連れて別の場所に逃げなくてはとも考える。
このまま追って来ないでくれるといい。呆れるほど世間知らずで純粋なアスギルが好きだった。自分に出会ったせいで彼の人生を変えてしまうなんて事をしたくないと、イグジュアートがアルフェオンに思ったような事を考えている自分に気付いて乾いた笑いが漏れる。
世間知らずだけれど冷静で頭のいい人だ、きっと状況を読んで去ってくれるだろう。
「最後にお別れくらいは言いたかったな―――」
魔法使いである本当のイオを知ってくれた数少ない人との別れに涙が滲む。また一人になるのか、あぁ自分は寂しいんだなと自覚し、一人だというのに流れる涙を両腕で拭って顔を隠した。
「恩人に礼も述べずに消えたりはしませんよ。」
寝台が僅かに沈んだかと思うとイオの額に冷んやりとした手が置かれる。
「アスギルっ―――!」
アスギルは飛び起きようとしたイオの額を軽く押さえ寝台に戻す。寝台に固定されたイオはどうやってここに―――それよりも大変な状況になっているのだと説明しようとしたが、アスギルは人差し指を立てて静かにと微笑んだ。
「全て知っています。貴方の思う通り、私はここにはいない方がいい。」
消える前に話しておきましょうと、アスギルは横たわるイオの髪を優しく撫でた。
「闇の魔法使いの件は心配無用です。過去のような事態は二度と起こらないと約束できますから、貴方にはこの地で新たな人生を全うしてもらいたい。」
「どうしてアスギルがそんな約束できるの? 封印が解かれたかもしれないって話は間違い?」
イオの切ない問いにアスギルは悲しい笑みを深めただけで答えない。それがイオの心に更なる不安を起こして紫の瞳を潤ませる。
「話しておきたいのは貴方に眠る力の事です。」
「わたしの力?」
前に聞いた、イオがアスギルの弟子に似た魔力を持っているという話だろうか。
何の事かと瞬きをしたイオの瞳から涙が零れ落ち、アスギルがそれを人差し指で拭う。
「現代の魔法使いは無意識に己の魔力を封印する力を有しているようで貴方も例外ではない。問題は無意識によって封印された魔力の大きさです。何かの拍子に封印が破れ、魔力が突然現れてしまう事態も有り得ます。もともと持っている力が大したものでない者が殆どで、そうなったとしても特に害はないでしょうが―――イオ、貴方の場合は少し違う。」
そこまで話すとアスギルは再びイオの額に冷たい手を乗せた。
「あなたには想像もつかない程に大きな魔力が封印されています。それが突然何らかの理由により目覚めた場合、周囲に莫大な被害が及び貴方自身も無事では済まないでしょう。そうならない為に力を望まない貴方自身には不本意でしょうが、せめて半分―――三分の一だけでも魔力を目覚めさせた方がいい。」
ある程度の魔力を目覚めさせそれを使いこなせるようにさえなっておけば、残りの魔力が封印から解かれ暴走する事態に陥ったとしても自身で対処できる。
突然告げられた突拍子もない言葉に、意味が分からないとイオは盛大に眉を顰めた。
「わたしにそんな力なんてないわ。聖剣を紡ぐのもやっとでその出来もたいして良くないもの。」
女一人が生きていくために剣に魔力を注いで稼いでいた。誰に習った訳でもない自己流の技は何とか商品になるものの大した剣を作れた訳ではない。
「それでもです。貴方の内に眠る魔力は膨大かつ強大だ。私が側にいてずっと見守ってあげる事が出来ればよかったのですが、私には片付けなくてはならない仕事があります。それに貴方の様に、危険な状況にある魔法使いが他にもいるかもしれない。それを放っておくわけにはいかないのです。」
どうか理解してくださいと見下ろすアスギルの赤い瞳が切実すぎて、イオにはこれ以上の否定の言葉が紡げなかった。




