封印の地
大陸の北西、イクサーン王国王都を望むレバノ山。その中腹にある巨大な鍾乳洞には、数百年前に世界を恐怖に陥れた闇の魔法使いが封印されている。
過去の戦いによって洞内の鍾乳石は見事に削られ跡形もない。だがその一角にだけは巨大な鍾乳石が鎮座し、二本の剣によって強固な封印が施されていた。はずなのだが―――
アルフェオンがそこで見たのは二本の封印の剣ではなく、巨大な鍾乳石の岩に朽ちて粉々になりつつある剣の残骸。
夜も更けてきたとはいえ真夏の熱気は収まる時間を忘れてしまっていた。しかし鍾乳洞に踏み込んだ瞬間からひんやりと冷たい空気が肌を撫で、目の前の光景が体感以上の寒気を感じさせる。
「これが封印なのか―――」
初めて目にする伝説の空間に違和感だけが感じられ、アルフェオンは眉間に深い皺を刻む。
朽ちた剣からは何の魔力も感じない。この場から感じられるのは結界師らが放つ外部からの魔力だけだ。
「正真正銘これが闇の魔法使いを封印した場所だ。私が昨年この場を訪れた際には二本の聖剣がしっかりと封印の役目を担っていたのだが、一月程前より剣の腐敗が始まり今はこの状態だ。」
アルフェオンの隣に端正な顔立ちの青年が肩を並べた。
茶色交じりの金髪に青い瞳。その左目のこめかみには一目で魔物によるものと解る、火傷の痕にも似た傷跡が一筋あった。
彼はイクサーン王国第二王子として生を受けた青年で名をレオン。しかし突然始まった封印の変化がレオンに王子の身分を返上させ、今はイクサーン王国騎士団団長という肩書に収まっていた。
「お前は昔から魔力を感じ取る能力が人一倍あっただろう。この状況をどう見る?」
「どうと言ってもこれは―――ここからは魔力の欠片すら感じ取れない。」
アルフェオンの言葉にレオンは左手に力を込める。
握られているのはイクサーン王家に代々伝わる宝剣で、本来は王となるものが受け継ぐべき代物。病床に伏した王より宝剣を賜ったのは次代の王となるべき王太子ではなく、妾腹の第二王子であったレオンであった。
これによりレオンは後に起こり得る王位継承問題の勃発を排除する理由で、過去の例に倣い継承権を放棄し、宝剣を己の血縁が継いでしまう問題を避ける為に婚姻と子を成す事が禁じられた。
臣下が預かる宝剣を王家に返上する日の為に、災いと成りかねない自分の血を引く子孫を残さない―――残せない。だがそんなのはどうでもいいのだ。今の現状では悩むべき理由にもなりはしない。
レオンは軍事国ウィラーンへ留学時代に出会った友に視線を馳せる。
魔法使いを忌み嫌い奴隷のように従属させるカーリィーンの貴族でありながら、魔法を使う者を拒絶否定しない聡明な少年だったアルフェオン。彼自身は魔法を使いはしないが、ほんの僅かな魔力さえ感じ取る力を有している。魔力の痕跡を追って特定の人物を捜し当てる事すら容易くやってのける珍しい力を有した友人が「欠片すら感じ取れない」と絶望的な回答を寄こしてきた。
「闇の魔法使いが復活したか―――」
確定ではないが状況はそうだ。だからといって暗黒の時代がすぐさまやって来ているという訳でもないのだが、未来は全てにおいて不明瞭だった。
「封印とともに消失したとは考えられないのか?」
伝承でしか知らない闇の魔法使いの力。それがいか程の物かは知れないが、世界を滅亡へと導くようなものが相手なのだ。本当に復活しているのなら何らかの痕跡が世界のどこかで起きても不思議ではないと思われるのだが、アルフェオンがここまで来る間にそれらしい噂一つ耳にしなかった。
「それも考えられなくはない。近頃魔物の数が激減しているのだが、それが闇の魔法使いが消滅したのだと唱える者と一か所に集結させている証拠だと言う者に意見が分かれているのだ。」
実際の所は不明だがと気だるげに息を吐くレオンに、ああそれはと心当たりのあるアルフェオンが手を鳴らした。
「さっき話した道連れにしてしまった魔法使い。どうやらその男が魔物退治に奔走しているようなんだ。」
そいつの仕業だと言うアルフェオンにレオンは冗談を言うなと苦笑いを浮かべた。
「実際にその様を見たわけではないが、結界や癒しの術は私たちが知る技量などを優に超える力を持っている。得体の知れない男だが身分のある者に仕えていたのは間違いないだろう。こういう状況だと知れば力を貸してくれるやもしれん。」
「それ程に強い力を感じ取れるのか?」
「そうではないのだが…あの男が魔法を使った直後にだけ痕跡を見る事が叶うんだ。」
「その魔法使いは魔力の痕跡を消せるという訳か―――」
もしそれが本当ならこの状況を打破する術を持っているやもしれない。
闇の魔法使いが生きているのか死んでいるのか、消滅したのか、復活したのか。
それだけでも解る糸口になればと、レオンは朽ちた封印の残骸を複雑な心境で眺めた。




