深夜の客
いったい何処まで続くのかと思っていた鬱蒼とした森を抜けると、いつの間にかそこはもうカーリィーンではなくなっていた。
魔物の住まう森の何処から何処までがカーリィーンであったのかなどどうでもよかったが、知らぬうちにイクサーン王国に踏み込んでいたのだと思うと、二度と戻れぬ故郷を思い心に風が吹く気がする。
何時かは追われる身になるかもしれないと覚悟をしてはいたが、その日がこうも突然に訪れるとは思っていなかった。
しかも辿り着いた先が異国とは…心を寄せた人は心配してくれているだろうけど、これで良かったに違いない。彼はイオがいなくなった事で区切りをつけ、彼に相応しい人を妻にするだろうから。それよりも事情を知っているクウェール爺さんは怒り心頭だろう。イオがいなければせっかく仕入れた剣に魔力を込められず無駄になってしまうのだ。
突然いなくなる日が来るかもしれないとは言っておいたが、それがまさか爺さんの生きているうちにだなんて。杖を片手に血管を浮き立たせ真っ赤な顔で怒っている姿が思い浮かんで、思わずクスリと笑いが漏れた。
一緒に逃げるのは途中までと思っていたアルフェオンとイグジュアートだが、彼らはイオ達を放って行く事はしなかった。それ所か彼らの目的地であるイクサーンの王都へ一緒に連れて行ってくれるという。イオにとっては歓迎もひとしおの申し出だったので、ここは素直に好意に甘える事にした。
亡命すると言うイグジュアートと違い、アルフェオンとイオはこれから生活していく為に難民として申請し、イクサーンでの戸籍を手に入れる必要がある。その点でいえば騎士であるアルフェオンよりもカーリィーンで迫害される立場にあったイオやアスギルの方が、このイクサーンでは容易く戸籍を得られるという。この国は魔法使いを手厚く保護し、同時に優秀な魔法使いを必要ともしているのだ。
「それにしてもイクサーンはどうして魔法使いの保護を?」
はっきり言ってイオは大して役に立つ魔法使いではない。この国で生計を立てて行くには普通の人間として、魔法以外の仕事が必要だとも分かっている。イオだけではなく、そう言う魔法使いはごまんといるだろうし、実際にアスギルの様な魔法使いなどは国宝級の滅多にお目にかかれない存在として扱われるだろう。
魔法使いを保護し育てる名目ならそれでもいいが、カーリィーンの様に飼い殺しの状態はご免だ。それ位ならいっそ魔法使いである事実は隠して難民申請したい。
たどり着いた街で久々にまともな食事を完食し、ゆっくりと食後のお茶をすする。イオの隣に座るアスギルは信じられない量を黙々と口に運び続けていた。
「レバノの封印は知っているだろう?」
恐ろしい食欲を見せるアスギルに多少引き気味だったアルフェオンがイオの問いに答える。
レバノの封印とは、数百年も昔に世界を崩壊へと導いた闇の魔法使いが封印されている場所だ。そこはレバノと呼ばれる山に存在し、レバノ山の麓にはイクサーンの王都が栄えている。
「イクサーンは封印を守ると同時に、その封印によって他国からの侵攻から守られている。闇の魔法使いを目覚めさせたくないと言うのが世界共通の意見だが、実際に目覚めるような事があれば真っ先にやられるのが封印のあるイクサーンだ。だからこそイクサーンは封印を確実に守る為に、力の強い結界師を育てて行かなくてはならないんだよ。」
どんなに素晴らしい魔法使いであっても闇の魔法使いを倒す事は出来ないだろう。
剣と魔法が全盛の時代であってすら封印するのがやっとと言う結果であったのに、剣はともかく魔法が衰退した今となっては、闇の魔法使いが復活した際にそれを倒すなど更に見込めまい。
だとしたらこのまま封印し続けるしかないではないか。
万一に備え攻撃魔法を使える魔法使いを育てておくのも悪い話ではないが、それではいつまた過去の繰り返しが起きるやもしれない。その危険を犯してまでやるべき事でなく、その成果も得られないだろうというのがイクサーンを含む世界の考えであり、だからこそ封印を守り続ける為に徹底した魔法使いの教育を行っていくしかないのだ。
「心配する事はない。ここでは魔法使いは珍しい存在でも忌べくものでもなく、ちゃんとした職業の一つとして成り立っているんだ。力のある魔法使いは結界師として国に仕える義務を負うがそれも強制ではないし、結界師と言う職業は魔法使いなら誰でもなれる物ではないので、例え平民出身であっても結界師にはそれなりの地位が与えられているという。」
イオの様な力のない魔法使いであっても、魔物に対抗できる唯一の武器ともいえる聖剣を作り出せるだけで一目置かれ大切にされる―――それを聞いてイオは一先ずほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ聖剣を紡げるだけでも何とか生きて行けるってことですね?」
「難民として戸籍を与えられた魔法使いの殆どは国から仕事を得ていた筈だ。封印の地であるイクサーンが魔法を迫害したらそれこそ終ってしまうからな。」
世界中の国々が魔法を恐れ魔法使いを迫害しているというのに、闇の魔法使いが封印された地に国を置くイクサーンだけが魔法使いを保護している。しかし心の内ではどう思っているのだろうか? 背に腹は代えられぬとはいえ何とも皮肉な話だとイオは思う。
その日は安宿の固い寝台に手足を伸ばして休む事が出来た。しかも成り行きで付いて来たイオとアスギルの分の食費と宿代はアルフェオン持ちだ。
流石にそこまで甘えられないとイオが慌てて財布を出そうとしたら、女性がそんな気を使うものではないとアルフェオンに止められた。
無一文らしいアスギルの分まで自分が面倒を見なくてはならないと思っていたので正直有難かったが、この先も曰く有り気な彼らに関わって行くのだろうと思うと複雑な心境にも駆られる。正直、巻き込まれるのが一番怖かったのだ。
久し振りの寝台に気持ちよく眠っていたイオは、扉が叩かれる音で目が覚める。
誰かが部屋を間違えたのかもしれないと思い最初は無視していたが、扉を叩く音が止むと「イグジュアートだ」と名乗る声が聞こえ、イオは慌てて固い寝台から身を起こした。
こんな深夜に訪ねて来るなんて何かあったに違いない。もしかしたら追手が現れ先を急がなくてはならなくなったのかもしれないとイオは勢い良く扉を開ける。するとそこにはあまりに勢い良く開かれた扉に驚きの表情を浮かべたイグジュアートが一人で立っていた。
「何か…あったんですか?」
イグジュアートの表情からイオにとって悪い事が起きたのではないのは察しがついた。だとしたらこんな時間に何だろうと首を傾げるイオに、イグジュアートは暗い表情を浮かべ視線を落としていたが、意を決したように息を吐くと顔を上げた。
「話があるのだがいいだろうか?」
「わたしに話ですか?」
「そうだ、そなたに話があるのだが―――」
いったい何だろうと疑問に思いながら、イオはイグジュアートを部屋へと招き入れ蝋燭に火を灯す。部屋には寝台以外には小さなテーブルがあるだけで他に何もなかったので、イオは今まで自分が眠っていた寝台を示してイグジュアートに座るように勧めた。
イオもその隣に一人分の間を開けて腰を下ろす。
隣同士座っても黙ったままのイグジュアートに気まずい雰囲気を感じ、イオはイグジュアートの綺麗な横顔を僅かに視線の端にとらえて口を開いた。
「それで話と言うのは?」
「そなたたちには悪いのだが、私はここから一人で王都へ向かおうと思っている。」
「一人でですか?!」
流石に驚きイグジュアートに詰め寄る。
「そんなの無理ですよ、絶対!」
イグジュアートがどんな人間なのか詳しく知る訳ではなかったが、共に森を抜けた間柄として大いに心配だ。
何処からどう見ても美少女にしか見えない少年、しかも世間知らずだというのはイオの目にも解る。そんな少年が一人で旅を続けるなんて絶対無理だとイオにも断言できた。カーリィーンではそれなりの地位にある、世間を知らないおぼっちゃま育ちであるのは話し方からしても見当がつく。そんな少年が街をうろついたらどうなるか。またたく間に人攫いに連れられ男娼として売りに出されるのが関の山だ。
「第一アルフェオン様があなたを一人で行かせるなんてさせないんじゃないですか?」
アルフェオンにとっては失う訳にはいかない大切な人…らしい。騎士である彼がイグジュアートの亡命に同行するあたりからして、アルフェオンは全てをイグジュアートに捧げているのだろう。
二人の深い関係についてとやかくは言わないが、アルフェオンとて騎士の身分を捨て異国へ身を置こうとしているのだ。行き当たりばったりなイオとは違い、相当な覚悟がなくては出来ない事である。
「私は……これ以上あいつに迷惑をかける訳にはいかないんだ。」
切なそうに言葉を吐き出すイグジュアートの、愁いのある横顔に思わず見惚れてしまった。
本当に綺麗な少年だ。
金の髪も碧い瞳も内面から輝きを放っていて、薄暗い部屋の中にあってもまぶしく感じてしまう程だ。これ程の美貌を称える少年が大人の男性になるなんて想像がつかない。女に生まれていたなら世に名を馳せるお姫様となっていたのだろうなぁと、切実であろう告白をしようとしているイグジュアートには申し訳ないが、イオは彼の横顔を見ながらそんな事を考えていた。




